学位論文要旨



No 122355
著者(漢字) 村岡,貴博
著者(英字)
著者(カナ) ムラオカ,タカヒロ
標題(和) 連動可能な可動部位から成る分子機械の設計
標題(洋) Design of Molecular Machines with Interlocked Movable Units
報告番号 122355
報告番号 甲22355
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6560号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 助教授 金原,数
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

 外部刺激に応答して分子レベルで機械的な動きをする分子機械が、次世代ナノデバイスを担う機能性物質として注目されている。分子モーターやロタキサンなどのこれまでの分子機械は、可動部位の動きが直接分子全体の動きを表しており、その動きも基本的なものであった。本研究では、「複数の可動部品を分子内、分子間で組み合わせそれらを連動させることで新しい機械的な動きを作り出す」という新しいコンセプトを提案し、既存の人工分子機械の一歩先を行く次世代分子機械の開発を目指した。

【報告】

1. 複数の可動部位を連動させた世界初の分子機械「キラル分子ハサミ」の開発

 ハサミの持ち手部分として光異性化反応により伸縮運動を行なうアゾベンゼンを、軸部分として2つのシクロペンタジエニル環が自由回転を行なうフェロセンをそれぞれ用い、それらを連結させた分子1をScheme 1に従って合成した。1は面不斉を有する四置換フェロセンからなり、キラルHPLCを用いて光学分割を行ない光学活性体を得た。この不斉な構造は、円二色性(CD)スペクトルを用いることで1の構造変化をモニターできる、という特徴を持つ。

 DFT計算によりtrans-1は刃が閉じた構造、cis-1は刃が開いた構造であると予想された。trans-1に関してX線結晶構造解析に成功し、実際に計算通りの構造であることが確認された(Figure 1)。1のエナンチオマーのTHF溶液に紫外光(λ = 350 nm)を照射したところ、吸収スペクトルにおいて、アゾベンゼン部分がtrans体からcis体へと異性化したことが示唆された(Figure 2a)。この過程をCDスペクトルでモニターしたところ、テトラアリールフェロセンが強く吸収を持つ波長領域のCotton効果が変化し、1のフェロセン部分が回転運動を行なったことが示唆された(Figure 2b)。紫外光照射後、可視光(λ > 400 nm)を照射したところ逆方向のスペクトル変化が観測され、1は可逆的に異性化することが分かった。1H NMRを用いたtrans-, cis-1の構造に関する詳細な検討の結果、1がTHF-d8溶液中において実際にこのような構造変化を行なうことが支持された。

2. ゲスト分子を超分子的に捕まえ、ねじることができる「キラル分子ペダル」の開発

 1で得られた分子の動きを超分子相互作用を利用してさらに別の分子へと伝達することを目指し、新たに1の刃の部分に亜鉛ポルフィリンを導入した分子機械、分子ペダル5を合成した(Figure 3)。亜鉛ポルフィリンは、ルイス塩基性の化合物と強く相互作用することが知られている。従って、5の2つの亜鉛ポルフィリン部分が6と2点で配位すると考えられる。5のアゾベンゼン部分の光異性化に伴い、2つの亜鉛ポルフィリン部分がハサミの刃のように開閉し、その動きが5と2点で配位した6へと伝わり6のコンホメーション変化を引き起こせるのではないかと期待した。6は室温下、溶液中では軸回転運動をしているため光学活性体を単離できない。しかしそのコンホメーションを固定することで不斉を誘起し、その構造に関する情報をCDスペクトルから得ることができると考えられる。

 室温下、trans-5のエナンチオマーの塩化メチレン溶液に6を加えたところ、吸収スペクトルからそれらが1:1の複合体を形成し、2点で強く相互作用することが示唆された。この過程をCDスペクトルでモニターしたところ、6由来の誘起CDが観測されたことから6が不斉なコンホメーションで固定されたことが示唆された(Figure 4a)。この複合体の塩化メチレン溶液に対して紫外光(λ = 350 nm)を照射し、cis-5に異性化させたところ、5と6の複合体は保持され6由来の誘起CDが変化したことから、5の光異性化に伴う動きにより6の構造変化が引き起こされたことが示唆された(Figure 4b)。1NMR測定により、5と6の解離速度を見積もったところ、trans-, cis-5いずれもマイクロ秒オーダーであった。これに比べてアゾベンゼン誘導体の光異性化速度は、一般的にピコ秒オーダーと圧倒的に速いことが過去の詳細な研究から知られている。以上より、この系において5と6が解離すること無く、5の動きが6へと非共有結合を介して直接伝達したと結論した。

3. 光と酸化還元の組み合わせによる分子ハサミの新たな制御

 1は、光応答性部位であるアゾベンゼン部分に加えて、安定した酸化還元特性を示すフェロセン部分を有する。光刺激に加え、フェロセン部分の酸化還元を組み合わせることで、1の新たな制御に成功した(Figure 5)。

 塩化メチレン中室温下、紫外光照射(λ = 350 nm)でcis体へ異性化させた1 ([cis-1]/[trans-1] = 84/16)を、酸化剤7を用いて酸化し(cis-1+)(Figure 6a)、その状態で再び同じ波長の紫外光を当てると、cis-1+がtrans体へと戻った([cis-1]/[trans-1] = 35/65)(Figure 6b)。つまり、酸化還元を組み合わせることで単一波長の光で1を連続的に開閉することに成功した。これは1の酸化前後での紫外光照射に対する光定常状態の差を利用したものである。

4. オートロック機構を有する分子ローターの開発

 「オートロック機構」は、安全装置として身の回りでよく利用されている。この機構は、通常はロックされたオフ状態であるが、適当な鍵を用いることで解除されオン状態へと切り替わり、鍵を外すと再びロックされた状態へと自動的に戻る、というものである。同様の機構は、生体分子機械においても利用されている。本研究において、分子内配位結合を形成するロータリーホスト8と、鍵として働く光異性化可能なゲスト9を組み合わせることで、人工系においてオートロック機構を持つ分子機械の開発に成功した。9がtrans体からcis体へと異性化することで、8の分子内配位結合が外れ複合体8⊃cis-9へと変化した。その後9をtrans体へと異性化させると、複合体は解離し、8は再び分子内配位結合を持つロック状態へと「自動的に」戻った(Figure 7)。この動作原理により、フェロセンを軸とする8の回転運動を制御することができた。

 まず、8単独の構造について吸収、CD、及び1H NMRスペクトルを用いて詳細に調べた結果、アミノ基・亜鉛間で分子内配位結合を形成したロック構造をとっていることが示唆された。この8のエナンチオマーのベンゼン溶液に対し、室温下trans-9を5当量まで滴下したところ、吸収・CDスペクトルにおいてほとんど変化は見られなかった。このことから、8とtrans-9はそれほど強く相互作用せず、5当量のtrans-9存在下においても、大部分の8は分子内配位結合を保ったロック構造をとっていることが示唆された。ここに紫外光(λ = 313 nm)を照射しtrans-9をcis体へと異性化させると、8の亜鉛ポルフィリン部分に由来するSoret帯の吸収が浅色シフトし、8とcis-9が相互作用したことが示唆された(Figure 8a)。Job's plotから、それらが1:1で相互作用していることが示された。その会合定数は7.5 × 105 M(-1)と見積もられ、その大きさから8とcis-9が2点で分子間配位結合を持つ構造(8⊃cis-9)をとっていることが示唆された。また紫外光照射に伴い、CDスペクトルにおいてSoret帯領域のCotton効果が強くなると共に、分裂型へと変化したことから、8とcis-9の複合体では2つの亜鉛ポルフィリン部分が互いに近接していると考えられる(Figure 8b)。さらに、テトラアリールフェロセンが吸収を持つ350 nmを中心とした領域のCotton効果の符号が反転したことから、この光反応過程において、フェロセン部分のコンホメーションが大きく変化したことが示唆された。以上の結果から、8と9の混合系において、trans-9をcis体へと異性化させることで8のロックが外れ、複合体8⊃cis-9を形成し、その際8のフェロセン部分を軸とした回転運動が起きたと考えられる。その後可視光(λ > 420 nm)を照射すると、吸収・CDスペクトルが逆方向に変化した。つまり、cis-9がtrans-9へと戻ることで複合体が解離し、その後8も分子内配位結合を持つロック構造へと自動的に戻ったと考えられる。

5. 面不斉四置換フェロセンの絶対配置決定

 一連の研究で使用してきた面不斉四置換フェロセンの絶対配置決定を目指し、絶対配置既知のcamphorを導入した10を合成した。そのX線結晶構造解析から用いたフェロセンは(1S,1'S)体であることが分かった(Figure 9)。この結果、一連の分子機械1, 5及び8の両エナンチオマーのCDスペクトルと絶対配置の関係を明らかにすることができた。

【総括】

 本研究において複数の可動部位を連動させることに初めて成功し、さらには超分子的相互作用を用いて動きを伝達する系にまで発展させた。また分子機械の制御方法に関しオートロック機構という新たな手法を提案することができたと共に、光と酸化還元という複数種の刺激を組み合わせることで単一波長の光で連続的に運動を制御することに成功し、興味深い知見を得ることができた。一連の研究で共通して用いてきた四置換フェロセンの絶対配置を決定することにも成功した。

審査要旨 要旨を表示する

 「合成分子で機械を作る」という研究が、生体内で活躍している蛋白質の機能発現機構の解明やその模倣などと関連して注目されている。同様の試みは既になされており、光異性化反応を行うアゾベンゼンやリング部位がスライド運動を行うロタキサンなどが合成分子機械の代表的な例として知られている。しかしながらこれまでの合成分子機械の動きは、いずれも並進運動や回転運動のような単純なものであり、「機械」と呼ぶには程遠いのが現状であった。本論文では、機械の基本的な動作原理である動きの変換、及び伝達という機構に着目しそれを合成分子機械にも応用することで、より複雑で自在な動きを実現することを目的とした研究について述べている。

 序論では、まず過去に報告された主な合成分子機械について述べている。さらに身の回りの機械や生体分子機械との比較からそれらに利用されている動きの変換と伝達というプロセスに着目し、それを合成分子機械設計にも適用する、というコンセプトを打ち出している。このコンセプトをデモンストレーションする具体的な分子として、光応答性の伸縮運動を行うアゾベンゼンを駆動部位とし、ベアリングとして働くフェロセンを組み合わせた分子を提示し、伸縮運動が回転運動へと変換されることでハサミのような動きを実現できることを示している。さらにゲスト分子を捕まえる部位をその刃の部分に導入することで、配位結合を介して分子間での動きの伝達も行える可能性を明示している。

 第1章では、アゾベンゼンとテトラアリールフェロセンを組み合わせた「キラル分子ハサミ」について、その構造と動きを詳細に調べている。X線結晶構造解析やDFT計算により分子ハサミのトランス体・シス体の構造を求めており、ハサミの刃に相当する、フェロセンに結合した2つのフェニル基がそれぞれ閉じた構造、開いた構造であると述べている。キラル分子ハサミのエナンチオマーを用い、紫外可視吸収スペクトル・円二色性スペクトルによりその光反応挙動を調べており、紫外光・可視光に応じて分子ハサミのアゾベンゼン部分がシス・トランス異性化を行い、それによりフェロセン部分の構造変化が起きていることを示している。さらに1H NMRスペクトルを用いて構造変化について詳細に調べており、特にフェロセン周りのフェニル基やフェニレン基上のプロトンシグナルのケミカルシフトの変化から、実際に計算で求められた構造変化、つまりハサミのような刃の開閉運動を実現できたと結論している。これにより、動きの変換機構を合成分子機械に初めて適用し、その有効性を示している。

 第2章では、第1章で開発に成功した分子ハサミの刃の部分に、ゲスト分子を捕まえる部品として亜鉛ポルフィリンを2つ導入した新たな分子機械「キラル分子ペダル」を合成し、そのハサミのような開閉運動を配位結合を介してゲスト分子に伝達する系の構築について述べている。ゲスト分子として4,4'-ビイソキノリンを用い、分子ペダルとの複合化挙動、及びその複合体の構造変化について、紫外可視吸収スペクトル・円二色性スペクトルを用いて詳細に調べている。また非共有結合を介して動きの伝達を議論する上で問題となるゲストの解離についても検討しており、光反応に比べゲストの解離過程は10万倍近く遅いことから、解離する前にゲスト分子の構造変化が起きている、つまり動きが直接伝わっていることを明らかにしている。超分子相互作用を利用して動きを伝達できるということは、動きの遠距離操作や大きな分子機械の開発を可能とすることを意味し、そのための土台を築いた本研究は大変意義深い。

 第3章では、分子ハサミに対して光だけでなく酸化還元的刺激を併用することで、紫外光だけで分子ハサミを可逆的に動作させることに成功している。分子ハサミが、酸化還元活性なフェロセン部位を有していることに着目し、その酸化状態において、紫外光照射でアゾベンゼン部分が通常とは逆のシス体からトランス体へ異性化することを活かし、単一光での可逆的な動作を実現している。

 第4章では、セルフロック機構という新たな動作原理を持つ分子ローターについて述べられている。ローター分子は、分子内で配位結合を形成可能な亜鉛ポルフィリンとアニリン部位を有しているが、シス体のビスピリジルエチレンが共存する場合、それらは複合化しローター分子の分子内配位は形成されない。ここに可視光を当てビスピリジルエチレンをトランス体へと異性化させると、それらは解離し、引き続いてローター分子が自動的に分子内配位結合を形成する。この過程がセルフロック機構であり、これにより回転運動を制御できることを報告している。

 第5章では、X線結晶構造解析による面不斉を有するテトラアリールフェロセンの絶対配置決定について述べられている。絶対配置既知のカンファースルホン酸を導入した光学活性なフェロセン化合物について結晶構造解析を行うことにより、そのフェロセン部分の絶対配置を決定している。その化合物を鍵として一連の関連化合物の合成を進めることで、本論文で登場する全ての分子機械の絶対配置決定、およびそれらの円二色性スペクトルとの関係づけに成功している。今後分子機械のビルディングブロックや機能性材料のキーユニットとしての応用が期待される光学活性な1,1',3,3'-四置換フェロセンの絶対配置決定に成功したのは本研究が初めてであり、その意義は大きい。

 以上、本論文では、動きの変換と伝達という機構を初めて合成分子機械で実現し、その有効性が示されている。これにより、分子機械の動きのバリエーションが飛躍的に広がると考えられ、現状として動きの制御のみにとどまっている分子機械の研究において、その機能化などといった今後の発展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク