学位論文要旨



No 122359
著者(漢字) 加藤,康広
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ヤスヒロ
標題(和) 刺入と留置による脳損傷の抑制及び回復を指向した神経電極の開発
標題(洋)
報告番号 122359
報告番号 甲22359
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6564号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 教授 神崎,亮平
 東京大学 助教授 竹内,昌治
 東京大学 助教授 鎮西,恒雄
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景と目的

 現在日本には、350万人以上の肢体不自由者がおり、様々な医療が日々試みられている。しかし、その多くは治療が困難であり、完治に至っていない。そこで、失われたもしくは衰えた身体能力の補綴を目的として、Brain-Machine Interface (BMI)という医用工学技術が近年急速に発展してきた。BMIとは、脳と機械を直接接続することにより、脳からの信号を直接取得する、逆に生体外からの信号を直接脳へ伝達するといった、生体-機械間の入出力信号を通して生体を補綴する器機を制御するシステムである。このBMIにおいて、生体の神経信号と生体外の計測・制御信号を直接入出力するデバイスを神経電極という。このような神経電極を完成させBMIを実現することで、人工視覚や人工内耳といった人工感覚生成への応用、そして脊椎損傷患者や筋委縮性側索硬化症、パーキンソン病、てんかんなどの神経学的な障害や身体的問題のある患者に対しての治療や介護において大きな可能性を秘めていると考えられており、開発が進められている。

 特に、患者の生涯にわたり脳・神経に埋め込み、かつ神経制御をできるような、長期間安定した神経活動の多点計測と刺激を可能とする神経電極の実現が望まれている。しかしながら、開発された神経電極の一部は既に臨床応用されているものの、(1)莫大な数の神経細胞との入出力に必要な電極数の不足、(2)神経電極の刺入による神経細胞の死滅、(3)神経電極の留置による脳組織への損傷などの問題により、生涯に渡って計測可能な神経電極は実現には至っていない。

 この要因の一つとして、上記三つの問題を同時に克服する設計に基づく神経電極が開発されていなかったことに挙げられる。そこで、本論文では多チャンネル化に加え、刺入と留置による脳損傷の抑制及び回復を指向した神経電極を提案し、これら三つの課題を解決し得る神経電極の設計と試作を目的とした。具体的には、(1)電極数を増加するために、複数の電極を容易に配置し可能なMicro Electro Mechanical System (MEMS)技術を利用、(2)神経細胞の死滅抑制と損傷組織の回復促進のために、生分解性ポリマーを用いたマイクロスフィアによる神経栄養因子の包埋と徐放を可能にするDrug Delivery System(DDS)を神経電極に設置、(3)留置後の脳組織の損傷を抑制するために、柔軟かつ生体適合性の高いパリレンCを基板材料とした神経電極を設計した。

2.20チャンネル型柔軟神経電極

 柔軟性が高く生体適合性が高いパリレンCを基板・絶縁材料としたフォーク形状の20チャンネル型柔軟神経電極を設計し、様々な加工条件を選定すると伴に試作を行った(図1)。さらに、試作した20チャンネル型柔軟神経電極を用いた急性動物実験を行い、ラット大脳皮質より20チャンネルの計測用電極の内6チャンネルにおいて、同時計測に成功した(図2)。また先行研究と比較し、検出された信号が神経信号によるものであること示し、脳信号を計測した論文報告例がなかったパリレンC担体によるMEMS柔軟神経電極が、脳信号を検出可能であることを示した。

3.多チャンネル溝型柔軟神経電極

 MEMS技術とDDS技術を組み合わせた、多チャンネル溝型柔軟神経電極を提案し、その設計と試作を行った。溝型神経電極の特徴は、プローブ中心に溝を有した点である。この溝にNGFマイクロスフィアとpolyethylene glycol (PEG)を固着させることで、刺入強度を高めると伴に、より広範囲により多量な薬剤を供給する機構を神経電極に備えることができる。また、計測用電極の金属面は、常に露出することができる。

 薬剤を送達するDDS技術の方法として、損傷した神経組織の回復促進ができるようなマイクロスフィアを神経電極に組み合わせることを提案し、その作製を行った。マイクロスフィアの利点は、(1)神経電極刺入後に神経電極周囲へ薬剤を局所投与できる、(2)薬剤の担体となる生分解性ポリマーの材料を変えることで、異なる徐放期間を持つマイクロスフィアを作製できる、(3)異なる生分解速度をもつ生分解性ポリマーに、異なる薬剤をそれぞれ包埋したマイクロスフィアを作製し、混合することで複数の薬剤を異なる期間に投与することができる、(4)マイクロスフィアの粒径は、数[μm]〜数十[μm]であり、数十[μm]〜数百[μm]の幅を持つ神経電極に容易に設置できるなどが挙げられる。また包含する薬剤として、神経栄養因子により損傷した神経再生を促進するとされるNGFを採用した。NGFを50/50 poly(DL-lactide-co-glycolide) (50/50 DLPLG)という生分解性ポリマーに包埋し、粒径を30[μm]程度するマイクロスフィアを溶媒蒸発法により作製した(図3)。さらに、in vitro実験において、NGF・マイクロスフィアから徐放されたNGFの活性保持と徐放が可能であることを示した。

 溝構造を有する多チャンネル溝型柔軟神経電極を作製した(図4)。NGF・マイクロスフィアとPEGを混合し、溝に容易に固着できることを示した。急性動物実験においては、大脳皮質内への刺入と神経活動をシングルチャンネルにて計測し(図5)、本章で提案した神経電極の実現性を示すことができた。

4.スケルトン型多チャンネル柔軟神経電極

 従来の神経電極基板の容積は大きく、神経電極の刺入と留置によって脳組織を大きく損傷させるだけでなく、大きな神経電極基板の容積が脳組織回復の場を奪っていると考えられていた。そこで、神経電極の容積を装置・加工限界まで縮小したスケルトン型神経電極を提案した。これは計測に必要な金配線とパリレンC絶縁層のみ残し、固着されたマイクロスフィアにより薬剤を徐放することで、脳組織の損傷軽減と損傷した脳組織の回復を図る、従来にはない微細な構造を有する神経電極である。MEMS薄膜技術を用いた設計と試作を行い(図6)、微細なスケルトン構造が製作可能であることを示した。さらに試作した神経電極にPEG・マイクロスフィアを固着(図7)させ、ラット急性・慢性実験をおこなった。信号の検出には至らなかったが、神経電極の刺入と試作された構造が脳へ留置可能であることを示した。

5.結論

 本論文では、長期に渡り脳と機械を繋ぐことができるような神経電極の開発に向けて、MEMS技術とDDS技術を融合し、刺入と留置による脳損傷の抑制及び回復を指向した神経電極の開発を進めてきた。薬剤を送達するDDS技術として、神経電極にマイクロスフィアを組み合わせることを提案し、NGFが包埋されたマイクロスフィアを作製した。さらにin vitro実験にて、包埋されたNGFの活性保持と徐放が可能であることを示した。

 また神経電極留置による脳組織への損傷を抑制すべく、柔軟なパリレンCを基板とする20チャンネル型、溝型、スケルトン型の3つの多チャンネル柔軟神経電極を作製した。急性実験においては、NGFマイクロスフィア・PEGを固着させ脳への刺入に成功した。一方、スケルトン型は神経活動の計測に至らなかったが、溝型ではシングルチャンネル、20チャンネル型では多チャンネル同時計測に成功し、パリレンCを基板とする柔軟神経電極の有用性を示した。本論文では、脳損傷の抑制と回復促進に必要な条件である、柔軟構造かつ薬剤徐放機構を有する多チャンネル神経電極の提案と試作に成功し、その実現可能性を示した。この構造に基づく神経電極を用いた長期間慢性計測が、今後期待される。

図1:20チャンネル型柔軟神経電極の先端図

図2:ラット急性実験において複数チャンネルで同時計測された神経信号

図3:作製されたNGFが包埋されたマイクロスフィアのSEM画像スケールバー:上図200[μm]、下図50[μm]

図4:作製した溝型柔軟神経電極写真(上)全体像 (下)刺入部先端の拡大像

図5:ラット急性実験により計測された神経細胞の自発発火

図6:作製したスケルトン型柔軟神経電極写真

(a):作製したスケルトン型柔軟神経電極の全体写真。 (b):スケルトン型柔軟神経電極の刺入部位の全体写真。 (c):刺入部位先端部位の拡大写真。

図7:PEGとNGFマイクロスフィアを混合し神経電極に固着させた写真

審査要旨 要旨を表示する

 近年、脳など、生体の神経系と機械を直接接続し、その信号で外部機器を操作・制御しようとするシステムの研究開発が注目を集めている。その実現のためには、神経系の情報を長期間安定して計測できるインタフェース(電極)が必要不可欠であるが、莫大な数の神経細胞との入出力が必要であり、また、電極の刺入や留置による脳組織の損傷や神経細胞に対するダメージなどの問題により、未だ満足しうる性能を持つ神経電極の実現には至っていない。

 本論文では多チャンネル化に加え、刺入と留置による脳損傷の抑制及び回復を指向した神経電極を提案し、上記の課題を解決し得る神経電極の提案と、その設計・試作を目的としたものである。

第一章は「序論」であり、近年 Brain-machine interface (BMI) 技術の発展してきた背景、脳と機械系を繋ぐ interface としての神経電極の開発の歴史と課題について述べ、これらから、現在、神経電極に要求されている性能について考察を行い、本研究の目的である「MEMS技術と Drug delivery system 技術を融合する事によって、刺入と留置による脳損傷の抑制及び回復の促進を指向した多チャンネル神経電極」の提案を行っている。

第二章は「20チャンネル型柔軟神経電極」であり、刺入による損傷と刺入後の位置ずれの軽減を目的とし、柔軟材料であり、生体適合性が高いと言われているパリレンCのみを材料として用いた20チャンネルの柔軟神経電極の設計と試作、およびその in vitro, in vivo における評価実験を行っている。

その結果、数チャンネルにおいて、ラットの大脳皮質から、神経活動を検出する事が出来、従来報告の無かったパリレンCの単体で作成した電極での脳神経信号の検出が可能である事を示した。

第三章は「多チャンネル溝型柔軟神経電極」であり、MEMS技術による多チャンネル化(10チャンネル)と柔軟な材料を用いる事による脳組織への低侵襲化を図ると同時に、電極に構造を設置し、ここに固着させたマイクロスフィアから薬剤(NGFなど)を徐放させる事により脳組織の回復を促すことを指向した柔軟MEMS 神経電極の提案、試作、及びin vitro におけるマイクロスフィアからの薬剤徐放の評価、および、急性埋め込み実験によるin vivo 評価を行っている。

その結果、in vitro実験において、NGF・マイクロスフィアからのNGFの徐放とその活性保持が可能であることを示し、また、単チャンネルであるが、神経活動を計測し本章で提案した神経電極の実現可能性を示すことができた。

第四章は「スケルトン型柔軟電極」であり、留置後における脳への侵襲を小さくするために、神経電極の容積を装置・加工限界まで縮小し、電極の構造を計測に必要な金配線とパリレンC 絶縁層の骨格部分のみを残し、固着されたマイクロスフィアにより薬剤を徐放することで、脳組織の損傷軽減と損傷した脳組織の回復を図るという電極について、その提案と試作を行っている。結果としてMEMS 薄膜技術を用いた設計と試作を行い、微細なスケルトン構造が製作可能であることを示し、試作された構造が脳へ留置可能であることを示した。

第五章は「結論」であり,本論文の結果をまとめ,本論文で残された課題を論じ,その解決法について言及している.

 以上、脳損傷の抑制と回復促進に必要な条件である、柔軟構造かつ薬剤徐放機構を有する多チャンネル神経電極の提案と試作により、その実現可能性を示した本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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