学位論文要旨



No 122362
著者(漢字) 白旗,里志
著者(英字)
著者(カナ) シラハタ,サトシ
標題(和) リゾホスファチジルコリンにより誘導される転写因子KLF2の発現制御機構について
標題(洋)
報告番号 122362
報告番号 甲22362
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6567号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 特任教授 野口,範子
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 特任助教授 南,敬
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 動脈硬化の発症には,血中に存在する低比重リポ蛋白(low density lipoprotein(LDL))が酸化変性した酸化低比重リポ蛋白(oxidized low density kipoprotein(酸化LDL))と酸化LDL由来の脂質酸化物が重要な役割を果たしていると考えられている。

 当研究室において,酸化LDLを構成する各成分をヒト臍帯静脈内皮細胞(human umbilical vein endothelial cells(HUVEC))に添加し,その遺伝子発現変動をDNA microarrayによる網羅的解析を行った。その結果,酸化LDLを構成する成分の1つであるLysophosphatidylcholine(LysoPC)特異的に,転写因子Kruppel like factor 2(KLF2)の発現が誘導されることを見いだした。

 LysoPCは,リゾリン脂質であるphosphatidylcholine(PC)を基質としてSecretory phospholipase A2(sPLA2)により酸化されリポ蛋白から分泌される。LysoPCの生理作用として,敗血症に対する抵抗性の増加など免疫に関与する作用と,接着因子の増加,肺における好酸球の浸潤促進など炎症を促進する作用が現在までに知られている。

 転写因子KLF2は,CACCC配列を認識するSpecificity Protein / Krupple like factor(Sp / KLF)ファミリーの1つであり,遺伝子欠損マウス(胎生致死約14日)の表現形から血管形成に必須であると考えられている。動脈硬化好発部位ではKLF2の発現が見られず,炎症性サイトカインであるTNFαなどにより発現が抑制され,また抗動脈硬化作用を持つ高脂血症用薬剤であるスタチンや血流によるShear Stress(剪断応力)などにより発現が誘導される。機能としては,Endothelial nitric oxide synthase(eNOS)やThrombomodulinの発現を誘導し,接着分子であるVascular cell adhesion molecule1(VCAM1)やE-Selectinの発現を抑制する。これらのことからKLF2は抗動脈硬化作用をもつ遺伝子の1つだと考えられている。

 以上のことから,脂質酸化物の1つであるLysoPCによるKLF2の発現誘導の機構を明らかにすることは,動脈硬化発症機構の解明および動脈硬化治療薬を設計する上で意義があるものと考え,プロモーター解析を行うことにした。

2.LysoPCにより誘導される転写因子KLF2のmRNAおよび蛋白発現量の測定

 まずReal-time PCR法およびWestern blotting法を用い,LysoPC刺激を行った際のmRNAレベルおよび蛋白レベルにおけるKLF2の発現を確認した。HUVECをLysoPC 30μMで刺激し,KLF2-mRNA発現量の経時変化を測定したところ,約1時間後に発現量が最大になった。KLF2の蛋白発現量は刺激後 約2時間で最大になった。また1時間刺激後のKLF2-mRNA発現量変化におけるLysoPC濃度依存性を測定したところ,20μM以上でKLF2の発現が誘導された。

3.転写因子KLF2のプロモーター領域にあるLysoPC刺激に応答するDNA配列の探索および結合蛋白の同定

 KLF2のプロモーターにおけるLysoPC刺激に応答する領域を同定する為,ルシフェラーゼレポーターアッセイを行った。その結果,LysoPC刺激による発現誘導に重要な配列は,2つのTATA配列を含む-177bから-27bの領域にあることがわかった。各TATA配列に変異・欠損を加えると野生型と比較して,LysoPC刺激によるルシフェラーゼ活性の上昇が抑制された。従ってLysoPC刺激によるKLF2の発現誘導には2つのTATA配列が重要なことが明らかとなった。

 EMSAにおけるスーパーシフトの結果から,転写因子MADS-box transcription enhancer factor 2(MEF2)ファミリーに属する何らかの蛋白がKLF2プロモーター領域-136bpから-127bpに結合することがわかった。また転写因子Cyclin D-binding myb-like protein 1(Dmp1)がKLF2プロモーター領域-108bpから-97bpに結合することがわかった。HUVECにおけるルシフェラーゼレポーターアッセイにおいて,KLF2プロモーター領域にあるMEF2結合配列あるいはDmp1結合配列に変異を加えると,LysoPCによるルシフェラーゼ活性の上昇が抑制されることがわかった。これらのことから転写因子MEF2ファミリーと転写因子Dmp1が,LysoPCによるKLF2の発現誘導に関与していることが明らかとなった。

4.KLF2の発現に与えるMEF2,Dmp1の影響

 MEF2ファミリーにはMEF2A,MEF2B,MEF2C,MEF2Dの4つが存在する。蛋白のDNA結合領域におけるファミリー間のアミノ酸配列相同性は非常に高く,同じDNA認識配列に結合する。特にMEF2C遺伝子欠損マウスは胎生致死であり,その表現形から血管形成に重要であることが報告されている。またDmp1はp14(Alternative Reading Frame(Arf))のプロモーター領域に結合し,p53を中心とするシグナル経路において重要な役割を果たすことが報告されている。その為,Dmp1の遺伝子欠損マウスでは腫瘍発生率が高く,2年以内になんらかの癌により死に至ることが報告されている。

 そこでMEF2A,MEF2C(γ(+/-))を過剰発現するアデノウィルスによる過剰発現系およびMEF2A,MEF2C(γ(+/-)),MEF2D,Dmp1を標的としたsiRNAによる抑制系を構築し,HUVECにおいてLysoPCによるKLF2の発現誘導に与える影響を解析した。

 その結果,MEF2AおよびMEF2C(γ(+/-))を過剰発現してもLysoPCによるKLF2の発現誘導には影響を与えないことがわかった。siRNAによりMEF2A,MEF2C(γ(+/-))の発現を抑制した場合も影響がなかった。MEF2Dの発現を抑制するとKLF2の発現誘導が抑制されることを見いだした。またDmp1を抑制するとKLF2の発現が促進されることを見いだした。

 これらのことからMEF2DがLysoPCによるKLF2の発現誘導を活性化することが明らかとなった。

5.転写因子KLF2にいたるシグナル経路の探索

 各種阻害剤を用いKLF2の発現を制御するシグナル経路の探索を行った。その結果,Protein Kinase D(PKD)の活性を阻害するGo6976により,LysoPCによるKLF2の発現誘導が抑制された。これらのことから,KLF2の発現誘導にはGo6976感受性のなんらかの因子が関与することが明らかとなった。

 またGo6976によりLysoPC刺激により引き起こされるDmp1の修飾が抑制されることを見いだした。

6.総括

 抗炎症および血液凝固能遺伝子群を制御する転写因子KLF2が脂質酸化物LysoPCにより発現誘導されることが明らかとなった。転写因子MEF2Dが活性化因子として作用し,内皮細胞におけるMEF2ファミリー間の機能が異なることが示された。また転写因子Dmp1がKLF2の発現を抑制することが明らかになった。そして,KLF2の発現誘導にはPKD阻害剤により抑制されるシグナル経路が重要であることが示唆された。

 本研究は,動脈硬化発症機構の解明および動脈硬化治療薬を設計する上で,新たな知見をもたらす意義あるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 白旗里志は「リゾホスファチジルコリンにより誘導される転写因子KLF2の発現制御機構について」をテーマに、動脈硬化促進因子として知られる脂質酸化生成物のひとつであるリゾホスファチジルコリン(LysoPC)が、抗動脈硬化的作用の期待される転写因子Kruppel like factor 2 (KLF2)の遺伝子を発現誘導することに注目し、そのメカニズムについて明らかにすることを目的として研究を行った。

 KLF2の遺伝子欠損マウス(胎生致死約14日)の表現型から、KLF2は血管形成に必須であると考えられており、Endothelial Nitric Oxide Synthase (eNOS)やThrombomodulinの発現を誘導し,接着分子であるVascular Cell Adhesion Molecule 1 (VCAM1)やE-Selectinの発現を抑制することから、抗動脈硬化作用をもつ遺伝子の1つだと考えられている。白旗は、脂質酸化生成物に対するヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)の遺伝子発現応答に関するDNAマイクロアレイを用いた解析結果の中から、抗動脈硬化作用が期待されるKLF2が、動脈硬化促進因子として知られるLysoPCによって特異的に誘導されることを見い出した。

KLF2の遺伝子発現についてはリアルタイムPCR法を用いて、また、KLF2蛋白質の増加についてはWestern blotting法により、それぞれ、LysoPC濃度依存性、タイムコースなど、詳細に明らかにした。

 ルシフェラーゼレポーターアッセイにより、KLF2のプロモーター領域におけるLysoPC刺激応答領域の同定を行い、転写開始点の上流-177bpから-27bpにある2つのTATA配列を含む領域に、LysoPCによるKLF2の発現誘導に重要な領域があることを見出した。

 EMSAによるスーパーシフト実験を行い,KLF2プロモーター領域において,転写因子MADS-box transcription enhance factor 2 (MEF2)ファミリーに属する蛋白質がKLF2転写開始点の上流-136bpから-127bpに結合すること、また、転写因子Cyclin D-binding myb-like protein 1 (DMP1)が上流-108bpから-97bpに結合することを示した。LysoPCによるKLF2の発現誘導にこれらの転写因子が重要であることを支持するために、KLF2プロモーター領域にあるMEF2結合配列およびDMP1結合配列それぞれに変異を加えてルシフェラーゼレポーターアッセイを行い、LysoPCによるルシフェラーゼ活性の上昇が抑制されることを確認した。

 転写因子の活性化には様々なリン酸化酵素が関与していることが知られている。白旗は種々のリン酸化酵素阻害剤を用いて、KLF2の発現を制御するシグナル経路の探索を行った。その結果、阻害剤Go6976およびGo6983による抑制効果を比較すると、Go6976ではLysoPCによるKLF2の発現誘導が抑制され、Go6983では抑制されないことを見い出した。このことから、Go6976特異的に阻害される何らかの因子が、LysoPCによるKLF2の発現誘導に関与すること示した。最近の報告において、Protein Kinase D (PKD)およびJAK (Janus-Activated Kinase)がGo6983では阻害されず、Go6976特異的に活性が阻害されるこがと報告されており、白旗が提示した結果は、今後の研究の展開にとって示唆に富むものであることが評価された。

 以上、白旗は本審査において、動脈硬化促進因子として知られる脂質酸化生成物LysoPCが、抗動脈硬化的に作用することが期待される転写因子KLF2の遺伝子発現を誘導することを示し、KLF2の転写活性を制御する可能性が高い転写因子の同定を行い、そして、活性化に必要なシグナル経路について示唆に富む結果を提示することができた。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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