学位論文要旨



No 122363
著者(漢字) 高橋,洋
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ヒロシ
標題(和) 情報通信革命の政治学 : イノベーションに対する政府の役割
標題(洋)
報告番号 122363
報告番号 甲22363
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第6568号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 御厨,貴
 東京大学 教授 馬場,靖憲
 東京大学 教授 玉井,克哉
 東京大学 教授 加藤,淳子
 東京大学 客員教授 牧原,出
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、1960年代半ばから2000年に至る情報通信革命の政治過程を、イノベーションに対する政府の役割という観点から分析した、現代政治論である。

 戦後日本の経済発展については、産業政策論、通産省論、政官関係論といった立場から、日本政府の特徴的な役割を巡る政治学的分析は多い。これらは、産業分野における資源配分に積極的に介入した通産省の役割を高く評価するもの、市場原理に基づいた民間企業の自律性を重視するもの、政府と民間の密接な相互依存関係や社会的ネットワークを重視するもの、資源配分における最終決定者としての与党自民党の優位を主張するものなどに分類できる。しかしながら、産業革命に匹敵する非連続的なイノベーションであると言われている情報通信革命について、政府の役割を包括的に論じた先行研究は存在していなかった。「情報」と「通信」が融合して産業構造を根底から変え、容易に時間や距離、国境を超越し、かつその変化自体が今までになく急速であるといわれている、情報通信の革命的なイノベーションに対して、政府はどのような役割を果たしてきたのか、日本の産業発展において主要な役割を担ってきたと看做されている省庁は、急激な環境変化にどのように対応してきたのか、その震源地とされている米国に対して、日本はどうして大きな遅れを取ったのか、これら三つの研究視角から、過去40年間程度の情報通信革命の歴史的な政治過程を明らかにすることが、本稿の目的である。

 このためまず第一章では、上記のような先行研究を整理し、政府と市場との関係、規制やイノベーションの意義、省庁の環境変化への対応について、本稿の理論的意義を明らかにした。その上で、日本政府の追い付き目標としての米国との相違点を整理し、イノベーションを巡る政府の役割に関する概念類型、及び省庁の機構面での変化を捉えるための組織資源と人事資源の配分についての分析指標を定義し、全体の分析枠組を提示した。更に、省内の資源配分については、過去50年間程度の『職員録』に基づいた通産省と郵政省の膨大なデータを示し、局や課といった基本的な組織単位及び事務次官に就任する優秀な人材が、どの所掌分野にどの程度配分されているのか、それがどのように変化してきたのかを、具体的に分析した。

 第二章から第五章は、本稿の中核部分を構成する、情報通信革命の政治過程の歴史的叙述に該当する。ここにおいては、各省庁から発行されてきた省史や政策史、政策ビジョンや産業ビジョンを基本的資料として活用し、歴史的変遷を浮かび上がらせると共に、政府官僚等情報通信政策の関係者に対する筆者によるインタビューや、内閣法制局の法案審査資料といった内部情報を参照することにより、政治過程の真実の解明に迫った。更に、第一章で定義した概念類型や分析指標を活用することにより、イノベーションに対する政府の役割や、省庁の変化の解明を行なった。

 第二章が扱った高度経済成長時代には、「情報」はコンピュータの黎明期にあり、「通信」は音声電話網の復興期にあった。「情報」は米IBMが圧倒的な国際競争力を誇っていたが、通産省はこれを最後の重点産業と認識し、民間企業の保護・育成を開始した。一方の「通信」は、経営基盤の安定的な拡大という環境を反映して、音声電話網の量的拡大という単純明快な目標に沿って、電電公社の法定独占体制の下に経営されていた。この当時において、両者は全く別個の産業であり技術であり、「通信」の経営は公社に一任して郵政事業に専念する「現業型」の郵政省と、「産業介入型」として最も輝いていた通産省の間に、政策的な接触は無かったのである。

 第三章の第一次情報化時代に入り、工業化社会を実現した先進各国で情報化社会論が語られ、「情報」と「通信」がデータ通信として融合を始めたところから、情報通信革命が始まった。「情報」を所掌していた通産省は、いち早く「知識集約化」を掲げて情報産業の重要性を訴え、メインフレーム・メーカー数社に集中的に資源を投入し、技術共同開発によって競争力の向上を図ると共に、複数のコンピュータを電話回線を通して繋ぎデータを流通させる試みが始まった。しかし、未だ音声電話網の全国整備が最大の組織目標であった「通信」は、民間企業による自由な利用を拒絶し、「公社型」の法定独占体制は変化しなかったのであった。

 第四章の1980年代の高度情報化時代に至り、音声電話網の全国整備は完了し、「通信」は高度化や多様化を目指す新たな段階に入った。これを踏まえて郵政省は、電気通信事業を自由化し、民間企業の保護・育成を行なうという、通産省を模倣した「産業介入型」の政策を開始すると共に、郵政事業の経営に資源を集中させるこれまでの体制を抜本的に改めた。一方、「情報」では米国への追い付きをほぼ達成し、日本のメインフレーム・メーカーの国際競争力はIBMに並んだ。通産省は、既に1970年前後から高度経済成長の弊害に直面し、輸入や外資に関する規制権限を喪失したことにより、これまでの「産業介入型」の政策から脱し、市場における自由な資源配分に委ね、将来ビジョンの提示や技術開発援助に特化する、「競争促進型」へ転換しつつあった。この両省の対立が表面化したのが、いわゆるVAN戦争であった。この過程では、与党自民党が介入して政治的な裁定がなされたが、その対立の本質はあくまで産業分野に対する両省の関与姿勢の相違にあったのであり、単純に規制権限を奪い合ったとする先行研究の解釈に対して、筆者は異議を唱えたい。

 しかし1990年代のIT革命を扱った第五章では、建前上「競争促進型」を主張する通産省も、「産業介入型」を正当化する郵政省も、インターネットの可能性を認識することができなかった。インターネットは、中央で管理する事業主体が存在せず、政府が具体的な整備計画を描いて大手企業に共同開発させることも無く、創造的な研究者や自立した技術者の努力の積み重ねにより自然発生的に拡大した、コンピュータのネットワークである。結果的に、政府による光ファイバ全国整備計画も、公的標準に基づいたコンピュータの相互接続運動も包含し、誰もが自由に使える事実上の世界標準となってしまい、そのインフラの上に多数の新興企業を生み出し、歴史的な高度経済成長であるニュー・エコノミーを、米国を中心として引き起こした。米国政府は、市場原理を重視した「競争促進型」の環境を維持することにより、このようなイノベーションの発生に間接的に寄与した。しかし日本では、郵政省は音声電話会社の経営体制問題に資源を費やし、通産省は既存の大手企業を中心とした産業構造を否定することができず、そして内閣がイノベーションに関して主導性を発揮することは、2000年までなかったのである。

 結論として、国家政府は革命的なイノベーションを自ら引き起こすことはできなかった。特に日本では、省庁が産業の保護・育成に深く関与し、あるいは公社が音声電話事業を経営してきた歴史に縛られ、「産業介入型」の発想から抜け出せず、イノベーションが自律的に発生し易い環境を作ることができなかった。省庁は、それぞれの立場から環境変化を認識しようと努力してきたが、最終的にイノベーションの速度に付いていけず、米国という追い付き対象を見失ったことにより、1990年代には存在意義を大いに低下させてしまった。産業分野別の省庁縦割り体制は、このようなイノベーションの阻害に拍車をかけ、ようやく1990年代後半になって内閣の機能が強化されたものの、抜本的な解決に至ったかは疑わしい。既存の組織秩序を重視し、予定調和的な日本の官僚機構は、追い付き目標が明確で環境条件が安定している場合には、一定の効率性を発揮したが、予測困難な非連続的なイノベーションが発生し、構造的な変化に柔軟に対応することを要求される場合には、大きな脆弱性を露呈したのである。一方で米国は、専門性に依拠した研究者個人や特定技術を背景にした新興企業の活躍を許容する風土があり、政府は必要以上の市場介入を控え、それらの自律的な活躍を促進させることに成功した。このように情報通信革命では、国家単位より世界市場、政府介入より市場競争、既存企業よりも新興企業、国家政府より非政府団体、そして組織集団より自律的な専門家個人へと、「発展の担い手」の大きな変更が見られたのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、次の点を明らかにしたことで、一定の水準を示している。著者は「情報」と「通信」に関する1960年代から21世紀に至るイノベーションのあり方を「情報通信革命」と捉える。そして政府の役割と市場の関係について、「現業型」「公社型」「産業介入型」「競争促進型」「自由放任型」の五つの概念類型を示す。その上で通産省と郵政省の二つの省庁に注目し、環境要件、環境認識と目標設定、政策選択の幅、省内資源配分について、各々詳細な分析を行なう。

 その結果、高度成長期には「産業介入型」であった通産省が第一次情報化推進期においては「競争促進型」へ転換し、高度情報化推進期においては迷走状態に陥ったこと、他方で高度成長期から第一次情報化推進期までは「現業型」であった郵政省が高度情報化推進期には「産業介入型」へと転換をはかるものの、その後はやはり迷走状態に陥ったことを明らかにする。つまりここで、日本の省庁はいずれも既存の秩序や組織をのりこえ新たな枠組を形成することができず、したがってイノベーションの非連続の変化に対応することができなかったと著者は結論づける。

 本論文は、資料的に見た場合、IT関連の硬派軟派をとりまぜた書籍・文献・論文を広く渉猟し、また官庁・経済団体等の年史、年次報告書、提言に目くばりよくあたっている。さらに白書や業界紙、部内資料に関しても、可能な限りの分析を試みている。そして現代を調査するためにここ20年の事実や認識を明らかにする方法として、いわゆるオーラル・ヒストリーの手法を用いて関係者の証言を集めて検証している。さらに理論的枠組を作り上げるために、政治学・行政学の諸外国の文献にも可能な限りあたっている。国内外のウェブ・サイトにも広く検索をかけて、重要な情報をえている。その意味で本論文は、バックグラウンド的に言っても、現段階で見るべきものには目を通しているという点で、信頼に足る構成となっている。

 また職員録を精査して、通産省と郵政省に関し網羅的とも言いうる「人事配分表」を作成したことは、今後の学界に裨益するところ多く、高く評価されよう。

 以上、本論文は「産業介入型」を得意としてきた日本の省庁縦割体制の限界をこえられず、政府は革命的なイノベーションを引き起こせなかったことを主張する。そのチャレンジングな議論の概ねは説得的であるものの、いくつかの疑問点が指摘された。まず第一に、本論文にはいわゆる政局史的意味での政治が登場しないのは何故かとの疑問が提示された。すなわち自民党政調会や族議員の役割や位置づけへの言及がないということである。これに対しては、情報化−ITという領域が、余りに専門的かつ技術的にすぎるため、到底政治家が仕切ろうとしても、全体的にわたってそれを行うことはできず、きわめて限定的な仕切りがなかったわけではないが、それもごく一部に止まったからであると、著者は反論した。これに対して更に、アクターとしての放送局や携帯電話を視野に入れれば、族議員を中心とするトライアングルの構造は把握できる筈であるとの再反論がなされ、この点を含め、政治家が形作るアリーナの問題は今後の課題とすることになった。

 次に第二に、政府がイノベーションを引きおこすか否かという問題設定はやや漠然としており、情報政策、通信政策といった明確な政策レベルに落としこんだアリーナの設定の方が、アメリカとの関係を見る上でもより有効なのではないかとの指摘がなされた。これに対して著者は、従来の政治経済学系の議論のどちらに与するか(政治が経済に影響を与えるor経済が政治に影響を与える)を明確にしなかった点を認めた上で、今後は成長戦略などミクロレベルの課題設定に限定する形で、本論文の議論を修正することを明言した。

 さらに第三に、本論文は官僚制の類型論をうまく取り入れ、シルバーマンの指摘なども有効に活用しており、全体としてリーダブルな構成になっている点が高く評価できるのだから、通説とどこが異なり、どこにオリジナリティがあるのかを、本論文公刊の際にはより積極的に明らかにした方がよいとの指摘がなされ、著者は了承した。

 そして最後にあらためて、著者の高い資料解釈能力、論文構成能力が容認され、今後の研究者としての潜在的能力についても、確信に満ちた評価が寄せられた。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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