学位論文要旨



No 122371
著者(漢字) 濱口,典久
著者(英字)
著者(カナ) ハマグチ,ノリヒサ
標題(和) 新規PI3K下流因子Pleckstrin-2の同定と機能解析
標題(洋)
報告番号 122371
報告番号 甲22371
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3095号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 舘川,宏之
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 有岡,学
 東京大学 講師 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

細胞膜上でのシグナル伝達とPI3K経路

 主に膜貫通タンパク質と膜脂質で構成される生体膜は、単なる物理的仕切りとしての機能のみならず、細胞内情報伝達の担い手として積極的な役割を果たすことが知られている。そして、レセプターやチャネルなどの膜貫通タンパク質はもちろんのこと、膜脂質も細胞内情報伝達に直接的な関与をすることが、近年明らかになってきた。

 ホスファチジルイノシトール(PI)は、そのような積極的な機能を持つ膜脂質の典型例であり、情報伝達や細胞骨格制御において重要な役割を果たす。PIには、イノシトール環のリン酸化状態によってバリエーションがあり、リン酸化・脱リン酸化酵素群によって代謝されている。それらの1つ、ホスファチジルイノシトール3'キナーゼ(以下PI3K)は、イノシトール環の3位をリン酸化する酵素である。I型PI3Kは、チロシンキナーゼ型受容体やGタンパク質共役型受容体などの情報を受けて活性化し、PI(4,5)P2の3位をリン酸化してPI(3,4,5)P3(以下PIP3)を産生する。次いでPIP3は、PH(Pleckstrin homology)ドメインなどをもつタンパク質と結合する。PHドメインはヒトでは250以上のタンパク質に見出される120アミノ酸ほどのモチーフで、一部のPHドメインはPIに親和性を示すことが知られている。PIP3結合に伴い細胞膜に移行したタンパク質は、さらに下流へ情報を伝達し、結果として、細胞増殖、運動、接着、生存、小胞輸送など、多くの基本的な細胞活動に関与する。PI3K、PIP3と疾病の関与についても精力的に研究されており、ガンの進行や転移を促進するほか、糖尿病にも関わることが知られている。このように、PI3Kの機能は多岐に渡るため、基礎、臨床応用を問わず多くの医学・生物学研究者に注目されている。

 PI3K下流因子のなかで、最も研究が進んでいるのは、セリンスレオニンキナーゼAktである。Aktは、PIP3やPI(3,4)P2への結合により膜移行、活性化し、タンパク質リン酸化によってさらに下流へシグナルを伝達、アポトーシス回避やグルコース取り込みに寄与する。また、Rac活性化因子Tiam1の研究も進んでいる。Tiam1も、PIP3に結合して膜移行、活性化し、次いでRacを活性化して細胞の運動や接着を促すと考えられている。しかしながら、上述の通り、PI3Kが関わる細胞機能は多彩であるため、既知の下流因子のみで説明し尽くせないことは明らかである。よって、現在、新たなPI3K下流因子の同定と機能解析が待たれている。

 筆者の所属研究室では、PIP3アナログビーズを用いたアフィニティークロマトグラフィーと、MALDI-TOF-MSを組み合わせたシステムを用い、これまでに、PIP3BP/Centaurin α1、SWAP-70、DOCK180などの新規PIP3結合タンパク質の同定を行ってきた。筆者は、本手法を用いてさらなるPIP3結合タンパク質の検索、同定と機能解析を行った。

新規PIP3結合タンパク質PLEK2の同定

 ヒト肺がん細胞株Lu65を材料に、PIP3アフィニティークロマトグラフィーを実施したところ、PIP3,PI(3,4)P2に特異的な結合タンパク質、p40の検出に成功した。そこでp40のバンドをMS分析したところ、ヒトPleckstrin-2タンパク質(以下PLEK2)であることが判明した。

 PLEK2遺伝子は、血小板のCキナーゼの基質であるPleckstrin(以下PLEK1)との相同性から、1999年にクローニングされた。PLEK1、2タンパク質は、ともに約350アミノ酸から成り、N、C末端に2つのPHドメイン、その間にDEP(Dishevelled, EGL-10, and Pleckstrin)ドメインを有する。また、両者とも脊椎動物以上(ヒト、マウス、ゼブラフィッシュ、カタユウレイボヤなど)で保存されている。相違点としては、PLEK1が血球系のみで発現しているのに対し、PLEK2の発現は広範な組織に認められること、PLEK1と異なり、PLEK2はCキナーゼによるリン酸化を受けにくいこと、が挙げられる。よって、生理的機能にはPLEK1、2間で差異があるものと予想される。細胞内機能について詳細は不明であるものの、両者とも細胞骨格の調節に関係する可能性が指摘されている。

 まずは、HEK293T細胞に発現させた組み換えPLEK1,2タンパク質を用いてPIP3結合性を詳細に調べた。PLEK2がPIP3,PI(3,4)P2に特異的に結合することは確認されたが、意外にもPLEK1はPIP3への結合能が無かった。よって、PLEK1はPKC、PLEK2はPI3K、という上流因子の差異が推察された。また、PLEK2の2つのPHドメインのうち、N末端PH(NPH)ではなく、C末端PH(CPH)のみがPIP3結合能を持つことが分かった。そこでCPH内に点変異を導入したR267C,R268C変異体(RRCC)を作製したところ、予想通りPIP3に結合しなかった。以上より、PLEK2はPIP3結合タンパク質であり、CPHが主たる結合ドメインであることが示された。

細胞膜上でのPLEK2とFアクチンの共局在

 PLEK2の細胞内局在を調べるため、共焦点レーザー顕微鏡を用いて解析した。MDCK細胞にGFPタグ付きPLEK2を発現させたところ、細胞間接着膜において、Fアクチンとの共局在が認められた。また、肝細胞増殖因子HGFでPI3Kを活性化したところ、PI3K依存的に細胞前端膜に移行することが分かった。COS-1細胞を上皮細胞増殖因子EGFで刺激した場合を調べてみると、やはりPI3K依存的に細胞膜に移行し、Fアクチンと共局在した。さらに、ウサギ抗PLEK2抗体を作製し、細胞免疫染色によって内在性PLEK2の局在を調べた結果、MDCKおよびHCC2998細胞において、細胞間接着膜でFアクチンと共局在することが確認された。

 これらの結果から、PLEK2は、PI3Kの活性化とPIP3産生に伴って細胞膜に移行し、Fアクチン骨格の制御に関与する可能性が推察された。

PLEK2の細胞内機能の解析:gain-of-function

 PLEK2の細胞内機能を解明するため、本来PLEK2を発現しない細胞に、強制的に発現させることで、"gain-of-function"の効果を調べた。まず、各種細胞株でのPLEK2の発現を調べたところ、多くで発現が見られたものの、一部の血球系・線維芽細胞株などには、発現が見られなかった。そこで、それらのうちCOS-1細胞とHEK293T細胞を選択し、GFPタグ付きPLEK2を発現させたところ、PI3K、PIP3依存的に、顕著なFアクチン突起様構造の形成が誘導されることが分かった。局在性に着目すると、PLEK2は、誘導されたFアクチン突起構造と共局在したが、同じくFアクチン構造であるストレスファイバーでは共局在が認められなかった。以上より、PI3K-PLEK2経路は、細胞内の特定のFアクチンに対して再構成を誘導することが結論づけられた。

 活性化したPI3KからFアクチン再構成に至る経路は、種々の細胞機能において重要な役割を果たすことが知られているが、細胞外マトリックス(ECM)への接着・伸展は、そのような細胞機能の1つである。そこで、COS-1細胞を用い、フィブロネクチン(FN)やコラーゲン(COL)への接着・伸展における、PLEK2のgain-of-function効果を調べたところ、FNへの細胞伸展面積が有意に上昇すること、COLへの接着時にFアクチン再構成が促進されること、が明らかとなった。さらに、これらの効果は、PI3K、PIP3依存的であることが確認された。したがって、ECMによって活性化されたPI3K-PLEK2経路は、Fアクチン再構成を通して、細胞のECMへの接着・伸展に寄与することが示唆された。

PLEK2の細胞内機能の解析:loss-of-function

 PLEK2の発現抑制による"loss-of-function"効果を調べるため、レトロウイルスによる安定的RNA interference (RNAi)を実施した。材料としては、内在性PLEK2の発現が低いMCF7、中程度のDLD1、高いHCC2998細胞を選択し、それぞれで安定的抑制株を樹立した。

 MCF7、DLD1では、コントロールに比してFアクチン構造、細胞接着における明らかな異常は認められなかった。一方、HCC2998では、コントロール細胞が上皮細胞特有の敷石状のコロニーを形成するのに対し、PLEK2抑制細胞では、敷石の配交性が乱れ、よじれたような細胞形態を呈すことが分かった。細胞間での差異の理由は不明だが、上述の通りHCC2998細胞は、MCF7、DLD1に比べて高いPLEK2発現レベルを示すことから、全体的なFアクチン調節におけるPLEK2の役割が相対的に大きい可能性が考えられた。

 前項までの結果から、Fアクチン組織化と細胞接着の異常が、HCC2998細胞での形態異常の原因ではないかと推測し、培養基盤への接着および伸展の様子を経時的に観察した。すると、予想通り、PLEK2抑制細胞では、伸展の時間的遅延と減弱が観察され、細胞の接着面積を測定したところ、有意な減少が認められた。

 これは前項までの結果を支持しており、細胞外基質→PI3K→PIP3→PLEK2→Fアクチン→細胞接着・伸展、という経路を改めて示唆するものである。

PLEK2結合タンパク質の検索と同定

 PLEK2と相互作用するタンパク質の同定を試みた。HeLa細胞cDNAライブラリを用いた酵母two-hybrid screenの結果、PLEK2結合タンパク質としてPeriplakin(PPL)を得た。PPLは、Plakinファミリーのメンバーであり、ケラチン細胞骨格に結合することが知られるが、Fアクチンに結合するとの報告もある。PLEK2側のPPL結合ドメインを絞り込んだ結果、NPHで必要十分であることが分かった。現時点では、PLEK2とPPLとの結合の生理的意義は見出せていないが、PPLが細胞骨格と相互作用することを考えると、PI3K-PLEK2経路に関与する可能性は高いと考えられた。

 次に、PI3Kの下流でFアクチン再構成に関わることが知られるGタンパク質Racについて検討した。細胞内局在を調べたところ、COS-1、MDCK細胞において、PLEK2との共局在が認められた。そこで、物理的相互作用の有無を調べたところ、化学架橋剤DSPの存在下で共免疫沈降が検出された。しかし現在までのところ、Racの局在性や活性に対するPLEK2の関与は見出せておらず、PI3K-PLEK2経路とRacの関係については不明である。

 現時点ではPLEK2と機能的に結合するタンパク質の決定には至っていないものの、候補因子を挙げることに成功した。PPLとRacについては、さらに詳細な解析が必要であろう。

総括

 本研究によって、PI3K-PIP3-PLEK2経路の存在が見出され、Fアクチン再構成を通してECMへの接着・伸展を制御する可能性が示唆された。今年(2006年)9月末、ペンシルバニア大学のAbramsらのグループは、ヒト白血病性T細胞株Jurkatにおいて、PLEK2がPI3K依存的にFアクチン再構成を促進し、細胞接着の調節に関与するとの論文を発表した。COS-1、HCC2998、MDCKなど非血球系細胞について得られた本研究の結果は、Abramsらのモデルと大筋で一致するものであった。したがってPLEK2は、T細胞を含む広範な細胞種において役割を果たす可能性が強い。

 また、脊椎動物以上しかPLEK1,2遺伝子を持たないことを想起すれば、PI3K-PLEK2経路の生理的役割は、脊椎動物が進化の過程で得た機能にあると予想できる。その包括的な理解のためには、本研究で得られた細胞・分子レベルの知見が大いに貢献するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 増殖因子や細胞外マトリックス(ECM)などによって活性化される脂質リン酸化酵素フォスファチジルイノシトール3'キナーゼ(PI3K)は、細胞膜上のイノシトールリン脂質PI(4,5)P2の3位をリン酸化し、PI(3,4,5)P3(以下PIP3)を産生する。PIP3は脱リン酸化を受けてPI(3,4)P2を生じるが、PIP3とPI(3,4)P2はPI3K脂質産物と総称される。PI3K脂質産物は、結合タンパク質の細胞膜へのリクルートを介して、細胞増殖、小胞輸送、接着、運動、細胞骨格制御など、多岐に渡る細胞応答に関与する。しかしながら、その詳細な分子メカニズムに関しては不明な部分が多く残されており、解明が待たれている。本研究は、PI3K脂質産物PIP3に直接結合するタンパク質の同定と機能解析を通して、この問題へのアプローチを試みたもので、研究の背景を述べる第1章と材料と方法を説明する第2章、それに続く3章、および研究結果を討論する第6章からなる。

 第3章では、新規PIP3結合タンパク質の同定と、その細胞内局在性についての検討を行った。PIP3アフィニティークロマトグラフィーとMALDI-TOF-MSによって、ヒト肺ガン由来細胞株Lu65の細胞抽出液から、ヒトPleckstrin-2タンパク質(以下PLEK2)を同定した。PLEK2は、血小板内のCキナーゼ基質であるPleckstrin(以下PLEK1)との相同性から、近年同定されたタンパク質である。PLEK1は免疫細胞のみに発現するのに対してPLEK2は普遍的に発現しており、両者の生理的役割は異なるものと考えられるが、両者共に機能はほとんど不明である。また両者とも、N末端とC末端にイノシトールリン脂質結合ドメインとして知られるPHドメインを有する。まずPLEK2のPIP3結合性を検討したところ、C末端PHドメインを介してPIP3およびPI(3,4)P2に結合することが確認された。次に、PLEK2の細胞内局在を検討した。PI3Kを活性化する増殖因子HGFおよびEGFで、それぞれMDCKおよびHeLa細胞を刺激したところ、PLEK2はPI3K依存的に細胞膜へと移行し、Fアクチン細胞骨格と共局在することが明らかとなった。Fアクチン骨格は、PI3Kによって制御され、細胞の運動や進展に関与することが知られている。以上から、PLEK2は、in vitroでPI3K脂質産物に結合することが示され、さらに細胞内では、PI3K活性化に伴って膜移行し、Fアクチン細胞骨格の制御に関与する可能性が示唆された。

 第4章では、PI3K/PLEK2経路がFアクチン再構成に関与するかどうかについて検討するため、PLEK2の強制発現によるgain-of-function解析、およびRNAiを用いた発現抑制によるloss-of-function解析を実施した。まずCOS-1細胞を用いたgain-of-function解析の結果、PLEK2の発現が、PI3K依存的にFアクチンの突起状構造の形成を誘導することが明らかになった。PI3Kを活性化することが知られるECM分子コラーゲンで細胞を刺激したところ、PLEK2はPI3K依存的にFアクチンの突起構造を誘導することが示された。また、同じくPI3K活性化因子であるECM分子フィブロネクチンで刺激したところ、PLEK2の発現は細胞の進展を促進し、培養基盤への接着面積を有意に上昇させた。次に、HCC2998細胞を用いたloss-of-function解析を行ったところ、PLEK2抑制細胞は形態異常をもたらし、細胞の接着面積が低下することから、細胞進展が抑制されていることが明らかとなった。さらにPLEK2の発現抑制は、EGF刺激に伴うFアクチン突起構造を阻害することが示された。以上からPLEK2は、PI3Kの下流においてFアクチン突起構造の形成、および細胞の進展に関与することが示された。

 第5章では、PLEK2によるFアクチン制御の分子メカニズムの解明を目的とし、PLEK2結合タンパク質の同定を行った。その結果、中間径フィラメントやFアクチンに結合するタンパク質Periplakinが同定された。また、Fアクチン制御に関与する低分子量GTPase、RacとPLEK2の結合が示された。さらに、PLEK2がFアクチンとin vitroで直接結合することが示された。これらの相互作用の生理的な意義は現時点で不明であるが、PLEK2下流のFアクチン制御メカニズムの解明に繋がる可能性が考えられた。

 以上のように本論文は、細胞外刺激からPI3K、PLEK2を介してFアクチン骨格に至る経路の存在を示すものである。一連の知見は、PI3Kが担う多様な機能、なかでもFアクチン骨格制御や細胞進展の分子メカニズムの一端を明らかにするものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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