学位論文要旨



No 122372
著者(漢字) 大根,陽一郎
著者(英字)
著者(カナ) オオネ,ヨウイチロウ
標題(和) mTOR経路解析のツールとしての高活性型変異mTORの単離と解析
標題(洋)
報告番号 122372
報告番号 甲22372
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3096号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 助教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

 細胞にとって周囲の栄養状態の検知は能動的なプロセスであり、その変動を細胞内シグナルに変換し、様々な細胞機能を制御することで個体の生存を有利にしていく。TOR(Target of rapamycin)は免疫抑制剤ラパマイシンの標的分子として同定されたセリン/スレオニンキナーゼであり、栄養源の検知とそれに伴う細胞応答に中心的な役割を担っている。TORは構成的に異なる2種類の複合体であるTORC1、TORC2として存在しており、互いは独立した機能を持っている。TOR自身のみならず、複合体の構成因子も酵母から哺乳類まで高度に保存されており、TORが有する機能の普遍性が示唆されている。TORC1(TOR complex 1)はラパマイシン感受性であり、栄養状態に応答して、翻訳やリボソーム合成、栄養素の取り込み、オートファジーの制御を行う。一方TORC2はラパマイシン非感受性であり、アクチン骨格の制御に関与することが知られている。

 哺乳類mTORにおいてはmTORC1が栄養、特にアミノ酸に応答し、翻訳を制御することが詳細に調べられており、S6K(ribosomal S6 kinase)や4EBP1(eIF4E binding protein 1)を直接リン酸化することで翻訳開始を促進する。一方mTORC2に関しては、アクチン骨格の制御に加え、これまで未知であったAktの疎水性領域のリン酸化(Ser473)を担うキナーゼであることが最近報告され、酵母とは異なる哺乳類独自の機能を持つことが注目されている。また、mTORC1の上流にはPI3K、Aktなど、下流因子には4EBP1やeIF4Eといった細胞癌化に関与する因子が見られること、さらに上述したmTORC2がAktの上流で働くという知見からも、発癌への関与が注目を集めている。同時にPI3K/Akt経路は細胞の大きさを制御することも知られておりmTORの心筋の過形成による心臓疾患への関与も示唆されている。この他にも多くの細胞応答においてmTORの関与が報告されており、多様な機能を持つことが推測される。また、それらの機能を制御するためのmTOR下流因子の同定なども詳細な研究が進みつつある。

 一方、mTOR経路に関していくつかの重要な点が明らかにされていない。まず、mTOR自体の活性制御については多くが不明である。すなわち、mTORが活性化されたとする条件においてmTORのリン酸化活性は変化するのか、あるいはmTORと基質の接近を可能にするscaffold因子がリクルートされるのか、ということに関しての答えは得られていない。さらに、アミノ酸の検知とmTORの間をつなぐ上流因子に関しても未知の点が多い。また、これまでの多くの研究がラパマイシンを用いた機能阻害に依るものであり、その逆の経路活性化による解析が対となるべきであるとも考えられる。このような点から、mTOR経路を詳細に解析するにあたり、ツールとしての活性化型変異mTORの存在は欠かせないものであろう。そこで本研究ではその単離を目指した。

 mTORの活性化型変異に関して、少なくとも現時点で疾患の原因となるような機能獲得型の変異は報告されていない。また、前述の通りmTOR自体の活性化を制御する分子機構についてはほとんどわかっておらず、恒常的活性化型mTORを設計して作成することは難しいと思われる。

 当研究室では以前、酵母TOR2においてリン酸化活性が高い変異体の単離に成功した。ただし、この変異TOR2の相同変異をmTORに導入しても同じような性質は認められなかった。そこで本研究ではmTORそのものにランダムな変異を導入し、高活性変異体のスクリーニングを試みた。さらに得られた変異体の解析と、細胞におけるmTOR機能の解析を行うことにした。

酵母を用いた活性化mTORのスクリーニング

 活性化型mTORのスクリーニングは以下の2つの知見に基づいて行った。

1 当研究室が取得した酵母TOR2の活性化型変異体はキナーゼドメインの変異により野生型に比べ高いキナーゼ活性を有しており、遺伝学的にも活性化型と呼べるものだった。さらにこの活性化型TOR2は、TORC1とTORC2に共通したサブユニットであるLST8の温度感受性株(1st8(ts)株)の温度感受性を抑圧することができた。

2 酵母TOR2のキナーゼドメインを含むC末端領域は、その高い相同性によりmTORの相同部分による置換が可能であった。

 実際のスクリーニングは次のように行った。TOR2のC末端領域をmTORの相同部分で置換したTOR2-mTORキメラを作成する。このTOR2-mTORキメラのmTOR由来の部分にPCRによりランダムに変異を導入し、1st8(ts)株の温度感受性を抑圧することを指標にスクリーニングを行う。得られた変異をmTORに戻し、活性化型の性質を有することを確認する。

 上記の戦略の下、約600万の変異体をスクリーニングし、191クローンの候補を得た。しかし、プラスミドを回収し1st8(ts)株に再形質転換を行ったところ、抑圧に再現性を示すプラスミドは得られなかった。ただし、いくつかの変異体で野生型TOR2-mTORキメラと異なる性質を示すと考えられたため詳細に検討したところ、これらの変異体は野生型に比べ高い活性を有しているが、1st8(ts)株の温度感受性を抑圧するまでには至っていないことが推測された。そこでそれまでの予備実験によって、より感度良くTOR2-mTORキメラの活性化状態をモニターできると考えられたtor1Δtor2(ts)株に候補クローンを導入したところ、複数の変異体で野生型に比べ温度感受性を強く相補した。このことから、活性化型TOR2-mTORキメラが得られたと結論した。得られた複数の変異体に関し変異箇所を決定し、培養細胞での検討のためmTORに同じ変異を導入した。

培養細胞における活性化mTORの解析

 得られた変異mTORが培養細胞においても活性化型の性質を示すか否か検討した。まず、S6KとともにFLAGタグをN末に融合した野生型mTOR(mTOR(wt))もしくは変異型mTORをHeLa細胞に同時に導入し、そのS6Kのリン酸化状態をウエスタン法により調べた。S6Kは増殖培地中では強くリン酸化されているが、アミノ酸を除いた培地で培養すると速やかに脱リン酸化される。mTOR(wt)を導入した細胞ではS6Kはアミノ酸除去により速やかに脱リン酸化されたのに対し、変異型mTORではリン酸化が保持された。ただし、野生型に比べて脱リン酸化のスピードは遅れるものの、時間が経つと変異型でもいずれは脱リン酸化されてしまうことが分かった。また、興味深いことにmTOR(wt)と変異型mTORのプラスミドDNAを等量導入しているにもかかわらず、変異型mTORの発現量がmTOR(wt)と比較して増加しており、変異型mTORの導入により細胞内で翻訳の活性化が起こっていることを示唆していた。試行した変異体のうち、最も活性が強いと思われたmTOR(15-1)を以後の解析に用いた。また、S6K以外のmTORの基質である4EBP1についてもS6Kと同様の結果が得られた。

 次にキナーゼアッセイを行い、変異型mTORのリン酸化活性を調べた。mTOR(wt)もしくはmTOR(15-1)をHeLa細胞に導入し、細胞抽出液から抗FLAGビーズを用いて免疫沈降により精製し、ビーズ上で4EBP1を基質にリン酸化反応を行った。続いて4EBP1のリン酸化特異的抗体を用いたウエスタン法によりリン酸化4EBP1を検出したところ、mTOR(wt)に比べmTOR(15-1)で4EBP1が強くリン酸化されていた。次に[γ(-32)P]ATPを用いて同様の実験を行い、4EBP1のリン酸化状態を定量したところ、変異型mTORでは野生型に比べ4倍以上の比活性を持つことが示された。また、mTORの自己リン酸化もmTOR(15-1)で強く検出された。これらのことより、得られた変異体は当初の狙い通り高い活性を示すmTORであると思われた。また、TOR複合体の構成を共免疫沈降により調べたところ、結合しているサブユニットの量は野生型と変異型mTORの間に大きな差は見られず、in vivo、in vitroにおける高い活性はサブユニットの構成の変化によるものではなく、キナーゼドメインの変異による触媒活性の上昇であることが強く示唆された。

 以上の解析により、mTOR(15-1)はmTORC1の基質に関して活性化型の挙動を示すことがわかった。次にmTORC2における活性化型mTORの影響について、mTORC2によりリン酸化されるAktのSer473のリン酸化を指標に検討した。AktをmTOR(wt)もしくはmTOR(15-1)と同時にHeLa細胞に導入し、血清を除去したときのAktのリン酸化状態を調べた。Aktのリン酸化は血清除去の時間依存的に減少したが、野生型に比べ、活性化型でリン酸化の減少が抑えられており、mTORC2においても活性化型mTORが機能することが示された。

まとめと今後の展望

 本研究において、酵母を用いたスクリーニングによりこれまで報告のなかったmTORの活性化型変異体の単離に成功した。現在この変異体の安定発現細胞株を作成しており、この細胞株において、これまでmTORが関与すると考えられてきた機能における活性化型変異体の影響を調べる予定である。例えば、前述したようにmTORは癌化における関与が示唆されており、PI3KやAktの活性化型変異体により引き起こされる癌化はラパマイシン添加により抑制される。よって、活性化型mTORを発現する細胞において癌化に関連した形質を調べることで、mTOR自体の活性化が発癌に対して積極的な作用を持ちうるかについて検討できると思われる。

 このこととは別に、活性化型mTORの導入により細胞は周囲のアミノ酸濃度の低下に対する応答が鈍くなることが示されていることから、多細胞生物における栄養飢餓応答の意義に迫れるのではないかと考えている。すなわち、酵母のような単細胞生物では周囲の栄養が乏しくなったとき、速やかにタンパク質合成を停止しオートファジーを誘導することで、生存率を保つと考えられる。実際に、活性化型TOR1が導入された酵母においては適切な飢餓応答が出来ないことにより、栄養飢餓時の生存率が顕著に減少することを当研究室では明らかにしている。一方、多細胞生物では個々の細胞や組織は細胞接着や液性因子などを介して協調しており、個々の細胞の飢餓応答は均一ではない可能性がある。またショウジョウバエでは、脂肪体(哺乳類の肝臓や脂肪組織に当たる)特異的にTORを欠損させた場合、幼虫全体の成長が抑制されるという報告もあり、組織毎の栄養検知の役割の違いも示唆されている。これらのことから、活性化型mTORを導入したノックインマウスの作成を計画している。体内の栄養レベルの低下に対する応答が鈍くなったときに、個体としてどのような形質が出るかを観察することで、個体レベルの飢餓応答の意義について調べたいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 細胞にとって周囲の栄養状態の検知は能動的なプロセスであり、その変動を細胞内シグナルに変換し、様々な細胞機能を制御することで個体の生存を有利にしていく。TOR(Target of rapamycin)は免疫抑制剤ラパマイシンの標的分子として同定されたセリン/スレオニンキナーゼであり、栄養源の検知とそれに伴う細胞応答に中心的な役割を担っている。哺乳類におけるTORであるmTORはアミノ酸の変動を検知し、細胞成長を制御している。mTORは発癌への関与が示唆されていることから、その研究成果は病理学的や薬理学的にも有用な知見に繋がることが見込まれる。mTORの機能を解析する手段の一つとして、活性化型変異体を利用することが考えられるが、これまでにmTORの活性化型変異体は得られていない。本研究では、活性化型mTORの単離のために酵母を用いたスクリーニング系を構築し、得られた活性化型変異体を哺乳類の培養細胞で解析を行っている。

 序章では、研究の背景と目的を述べている。酵母TOR、哺乳類mTORの構造的な特徴や機能を記述した後、酵母TORがTORC1、TORC2という異なる複合体として機能すること、哺乳類においても相同なmTORC1、mTORC2が存在することを説明している。さらに、mTOR経路の上流や下流の因子について詳説している。最後に、未だ詳細が不明であるmTOR自体の活性制御や発癌への関与、個体におけるmTORの機能について記述し、その解明に活性化型mTORが寄与しうる可能性について概説し、本研究の目的を明らかにしている。

 一章では、酵母を用いた活性化型mTORのスクリーニングと、得られた変異体について記述している。酵母Tor2pとmTORを融合させたTOR2-mTORキメラを作成し、これを用いることにより、酵母内で活性化型mTORをスクリーニングすることを可能にしている。活性化型TOR2-mTORキメラの選択の指標として、酵母TORC1、TORC2に共通のサブユニットである1st8温度感受性株の温度感受性を抑圧することとしている。TOR2-mTORキメラのmTOR部分に変異を導入し、約1100万のクローンのスクリーニングを行い、4個の候補を取得に成功している。これらの候補は1st8温度感受性株の温度感受性株を部分的にしか抑圧していないが、tor1Δtor2温度感受性株の温度感受性を抑圧したことが明らかにされ、得られた変異TOR2-mTORキメラは活性化型と結論づけている。続いて得られた変異体の一つである15-1変異体について、変異箇所の立体構造上の位置について記述し、活性化型となりうるメカニズムについて考察している。

 二章では一章で得られた変異TOR2-mTORの変異をmTORに戻し、培養細胞の系で機能解析を行っている。変異mTORが活性化であるかを検証するため、初めにmTORの既知の基質であるp70S6Kを野生型、変異型mTORと共にHeLa細胞に導入し、アミノ酸飢餓時のp70S6Kのリン酸化を調べている。変異mTORの導入により、アミノ酸飢餓時のp70S6Kの脱リン酸化が抑制されることを明らかにし、変異mTORが活性化型変異体であるという証拠を示している。得られた4個の変異体のうち、mTOR(15-1)の活性が最も強いと考え、その後の解析に使用している。続いてmTOR(15-1)のキナーゼ活性をin vitroキナーゼアッセイにより測定し、野生型mTORに比べ、キナーゼ活性が顕著に高いことを示した。ここにおいてmTOR(15-1)がキナーゼ活性の高い活性化型mTORであると結論づけている。次にこのmTOR(15-1)がp70S6Kとは異なるmTORC1の基質である4EBP1やmTORC2の基質であるAktに及ぼす影響について検討し、共に活性化型mTORの導入により脱リン酸化が抑制されることが示している。以上の結果からキナーゼ活性の高いmTOR(15-1)はmTORC1、mTORC2の両方の経路について刺激非依存的に経路を活性化できることを示している。最後に活性化型mTORが細胞にどのような影響を及ぼすかについて調べるため、2つの実験を行っている。まず、活性化型mTORの導入による細胞のタンパク質合成能を、リポーター遺伝子を用いて調べている。血清存在下でタンパク質合成能は野生型、活性化mTORのどちらの導入によっても上昇しているが、野生型と活性化型mTORの間に差は見られていない。この理由として、血清の存在下ではタンパク質合成能が上がりきっているため差が見られず、今後は血清飢餓条件で実験を行うべきであると考察している。次に活性化型mTORがトランスフォーミング活性を持つか否かについて調べている。NIH3T3細胞におけるフォーカスの形成を指標に行ったが、活性化型mTORは野生型mTORやvectorと同様フォーカスの形成は観察されず、活性化型mTORはトランスフォーミング活性を持たないことを示している。この結果を受けて、発癌に関してmTORは必要であるが充分ではないという可能性について考察している。

 最後に総合討論で、得られた活性化型mTORを用いることで、今後どのようなことを明らかにできるかについて論じている。

以上、本研究では、これまでに報告のない活性化型mTORを単離することに成功している。この活性化型mTORはシグナル伝達機構の解析におけるツールとなるだけでなく、mTORの機能に関してより深い知見を提供するものと考えられ、学術上または応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものとして認めた。

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