学位論文要旨



No 122373
著者(漢字) 加藤,万里代
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,マリヨ
標題(和) イネ篩管液中カドミウムの化学形態の特性 : 他元素との比較
標題(洋)
報告番号 122373
報告番号 甲22373
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3097号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 中西,友子
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 助教授 柳澤,修一
内容要旨 要旨を表示する

 カドミウム(Cd)は人間の健康に悪影響を及ぼす有害元素であり、主食への混入が問題となる。これに対して鉄、亜鉛、銅は動植物にとって必須の元素である。人間の栄養においては、特に鉄の不足が深刻であり、主食における含有量を増強することが効率良い摂取のために必要である。イネは、その可食部が米であり、アジアを中心として重要な主食となっている。穀物可食部、つまり子実はこれらミネラルのシンク器官であり、子実中の元素は、主に篩管経由で運搬されると考えられている。したがって、これらの重金属の篩管による転流を制御することが、穀物可食部中の重金属の制御につながる。さらに、必須元素と有害元素の転流を独立に制御する可能性も考えられる。

 遊離イオン状態の重金属は反応性が高く、細胞にとって有害である。また、弱アルカリ性であり、高濃度のリン酸を含む篩管液中では、重金属は何らかの化合物との結合体として存在し、移行していると考えられる。化合物と結合した重金属の転流は、その結合物質により制御されると予想できる。しかし、植物の篩管液から重金属の結合物質が同定された例は限られており、本研究で用いたイネの篩管液中の重金属の化学形態に関しては情報が乏しい。

 本研究は、イネから得られるごく微量の純粋な篩管液を用い、Cdの化学形態を、他元素との比較を行いつつ、明らかにすることを目的としている。

第1章 イネ篩管液におけるカドミウムの化学形態の特性

 本章では、先に修士論文(2003年度)にて報告した、サイズ排除液体クロマトグラフィー(SEC)と連結したグラファイト炉原子吸光分析法による篩管液中重金属の分画分析法を改良して実験を行った。SECの分析カラムを、分離が良く、より金属との相互作用が少ないポリマーを担体としたものに変え、移動相溶液を、pHが篩管液に近い8となる重炭酸アンモニウム水溶液とした。

 Cdを添加した合成培土で栽培したイネから篩管液を採取し、分析したところ、イネ篩管液中のCdは遊離イオンではなく、ほぼ全てが結合型であることが確認された。主要なCd結合物質複合体は約13kDaであり、この物質はプロテアーゼ処理によってCdを解離させ、残った結合型Cdの割合が約25%に低下した。このように、Cdの主な結合相手はタンパク質であることが明らかとなった。しかし、このタンパク質様Cd結合物質は、イオン交換クロマトグラフィーによる高塩濃度、逆相クロマトグラフィーによる有機溶媒の影響でCdを解離させやすい性質を持っていた。このことから、篩管液中のCdとその結合物質との結合は弱く不安定であると考えられた。

 次に、サイズ排除液体クロマトグラフィーに連続した誘導結合プラズマ質量分析装置(SEC-ICPMS)を用い、篩管液中の多元素の化学形態を同時に分析した。これは産業技術総合研究所との共同研究である。その結果、Cdの最大ピークは鉄、亜鉛、銅、マンガン、モリブデン、ニッケル、コバルト、ケイ素、リンのいずれとも一致しなかった。Cdの2番目に高いピークは、銅とニッケルの複数のピークのうちの1ピークと重なった。Cd以外の元素については、SEC-ICPMSの保持時間上でピークが集中するポイントが何箇所か認められたが、これらのポイントにおいてCdはごく少量しか検出されなかった。したがって、篩管液中Cdのメインの結合物質は他の元素と異なることが明らかとなった。このことはCdの篩管移行を他の元素と独立して制御できる可能性を示唆している。

 鉄、亜鉛、銅、ニッケル、コバルトがいずれも大きな溶出ピークを持ち、互いに重なる保持時間には、植物が生産する低分子量重金属結合物質であるニコチアナミン(NA)とデオキシムギネ酸(DMA)が溶出することを確認した。したがって、これらの重金属の結合物質がNAやDMAである可能性が示唆された。銅、ニッケル、コバルトがほぼ同時に溶出する保持時間には、ヒスチジンやシステインなどのアミノ酸が多く溶出するため(安藤祐子、2006年度修士論文)、これらの重金属とアミノ酸との結合が示唆された。

 篩管液中のマンガン、モリブデン、ケイ素はそれぞれ1本のピークを示した。ケイ素は導管液中でSi(OH)4として存在することが報告されている。本研究で行った導管液のSEC-ICPMSによる分析でもケイ素のピークは1本であり、篩管液のそれと一致していた。したがって、篩管液中のケイ素の形態はSi(OH)4であると考えられる。

 リンは1本の大きなピークと数本の小さなピークが認められた。大きなピークは、おそらく無機態のリン酸であり、小さなピークは有機態のリンと推定される。

第2章 玄米へのCd集積が異なるイネ品種間における篩管液中Cd濃度およびCd化学形態の比較

 本章では、Cd汚染土壌で栽培したときにCdの吸収特性が異なるイネの品種を用い、篩管液・導管液中Cd濃度、植物体中Cd濃度、および篩管液中Cdの化学形態の比較を行った。本章の研究は、農業環境技術研究所との共同研究である。用いたイネ品種は、玄米中Cd濃度が高い密陽23号(ジャポニカ-インディカ交雑種)、茎葉中Cd濃度は高いが玄米中Cd濃度が低くなるLAC23(熱帯ジャポニカ種)、対照としてコシヒカリ(ジャポニカ種)である。これらを、Cd汚染土壌とCdを添加した合成培土で栽培し、篩管液、導管液、植物体地上部を採取した。

 篩管液Cd濃度は、コシヒカリと密陽23号の間には有意な差がなく、LAC23はそれらより低い、という傾向が認められた。導管液Cd濃度は、密陽23号が有意に高く、コシヒカリとLAC23は有意な差がなかった。

 植物体を乾燥させて若い葉鞘、葉身(シンク器官)、成熟した葉鞘、葉身(ソース器官)に分け、硝酸分解後にCd濃度を測定し、3品種間で比較した。その結果、LAC23は上記シンク器官へのCd移行集積が他の2品種より少ないことが示唆された。

 以上の結果から、LAC23は篩管に積み込まれてシンク器官へ運搬されるCdの量が少ないため、茎葉中Cd濃度が高く玄米中Cd濃度が低くなり、密陽23号は根によって土壌から吸収するCdの量が多いために、最終的に玄米中Cd濃度が高くなると推測された。

 3品種のイネの篩管液をSEC-ICPMSを利用して分析したところ、3品種間のCd溶出パターンに一定の差異は認められなかった。したがって、LAC23の篩管液中Cd濃度が低い理由は、篩管液中の結合物質の量や種類ではなく、茎葉におけるCdの保持や篩管への積み込み過程に違いがあるため、と結論付けられた。他元素についても、3品種間に一定の差異は認められなかった。

第3章 イネ篩管液における鉄の化学形態

 本章では、Cdの対照として鉄(Fe)の篩管液中での化学形態に着目した。第1章および、有賀智子卒業論文(2005年度)の結果より、イネ篩管液中のFeは主に3種類の化合物に結合していることが分かった。SEC-ICPMSにおいてFeの最大のピークは、亜鉛、銅、ニッケル、コバルトの最大もしくはそれに準ずるピークと一致しており、これらの金属の結合物質が同一であるか、分子量や性質が近似する複数の結合物質が同一のピークとなっていることが考えられた。Fe結合物質の候補の保持時間をSECで調査した結果、Feの最大ピークはニコチアナミン(NA)とデオキシムギネ酸(DMA)の保持時間と一致した。

 NAとDMAを分離するため、篩管液を陰イオン交換液体クロマトグラフィーと原子吸光分析法により分析した。その結果、FeはDMAに結合していることが示唆された。また、篩管液のSEC溶出画分の中でFe含量が最大となる付近を、エレクトロスプレーイオン化質量分析装置で測定したところ、この画分中にはNA、DMAが検出され、DMA含量が最大の画分にDMAとFeの結合体が検出された。よって、篩管液中のFeの結合物質の一つとしてDMAを同定した。

審査要旨 要旨を表示する

 カドミウム(Cd)は人間の健康に悪影響を及ぼす有害元素であり、主食への混入が問題となる。これに対して鉄、亜鉛、銅は動植物にとって必須の元素である。人間の栄養においては、特に鉄の不足が深刻であり、主食における含有量を増強することが効率良い摂取のために必要である。イネは、その可食部が米であり、アジアを中心として重要な主食となっている。穀物可食部の子実中の元素は、主に篩管経由で運搬されると考えられている。従って、重金属の篩管による転流を制御することが、穀物可食部中の重金属の制御につながる。

 遊離イオン状態の重金属は反応性が高く、細胞にとって有害である。また、篩管液は弱アルカリ性であり、高濃度のリン酸を含むため、重金属は何らかの化合物との結合体として存在し、移行していると考えられる。本研究は、イネから得られるごく微量の篩管液を用い、Cdの化学形態を、他元素との比較を行いつつ、明らかにすることを目的としている。

 第1章では、サイズ排除液体クロマトグラフィー(SEC)と連結したグラファイト炉原子吸光分析法による篩管液中重金属の分画分析を行った。Cdを添加した合成培土で栽培したイネから篩管液を採取し、分析したところ、イネ篩管液中のCdは遊離イオンではなく、ほぼ全てが結合型であった。主要なCd結合物質複合体は約13kDaであり、この物質はプロテアーゼ処理によってCdを解離させ、残った結合型Cdの割合が約25%に低下した。このように、Cdの主な結合相手はタンパク質であることが明らかとなった。しかし、このタンパク質様Cd結合物質は、イオン交換クロマトグラフィーによる高塩濃度、逆相クロマトグラフィーによる有機溶媒の影響でCdを解離させやすい性質を持っていた。

 次に、サイズ排除液体クロマトグラフィーに連続した誘導結合プラズマ質量分析装置(SEC-ICPMS)を用い、篩管液中の多元素の化学形態を同時に分析した(産業技術総合研究所との共同研究)。その結果、Cdの最大ピークは鉄、亜鉛、銅、マンガン、モリブデン、ニッケル、コバルト、ケイ素、リンのいずれとも一致しなかった。Cdの2番目に高いピークは、銅とニッケルの複数のピークのうちの1ピークと重なった。このように篩管液中Cdのメインの結合物質は他の元素と異なることが明らかとなった。このことはCdの篩管移行を他の元素と独立して制御できる可能性を示唆している。

 鉄、亜鉛、銅、ニッケル、コバルトがいずれも大きな溶出ピークを持ち、互いに重なる保持時間には、植物が生産する低分子量重金属結合物質であるニコチアナミン(NA)とデオキシムギネ酸(DMA)が溶出していた。銅、ニッケル、コバルトがほぼ同時に溶出する保持時間には、ヒスチジンやシステインなどのアミノ酸が多く溶出するため、これらの重金属とアミノ酸との結合が示唆された。マンガン、モリブデン、ケイ素はそれぞれ1本のピークを示した。篩管液中のケイ素の形態はSi(OH)4であると考えられる。リンは1本の大きなピークと数本の小さなピークが認められた。大きなピークは、おそらく無機態のリン酸であり、小さなピークは有機態のリンと推定される。

 第2章では、Cd汚染土壌で栽培したときにCdの吸収特性が異なるイネの品種を用い、篩管液・導管液中Cd濃度、植物体中Cd濃度、および篩管液中Cdの化学形態の比較を行った(農業環境技術研究所との共同研究)。用いたイネ品種は、玄米中Cd濃度が高い密陽23号(ジャポニカ-インディカ交雑種)、茎葉中Cd濃度は高いが玄米中Cd濃度が低くなるLAC23(熱帯ジャポニカ種)、対照としてコシヒカリ(ジャポニカ種)である。これらを、Cd汚染土壌とCdを添加した合成培土で栽培し、篩管液、導管液、植物体地上部を採取した。篩管液Cd濃度は、コシヒカリと密陽23号の間には有意な差がなく、LAC23はそれらより低い、という傾向が認められた。導管液Cd濃度は、密陽23号が有意に高く、コシヒカリとLAC23は有意な差がなかった。これらの結果から、LAC23は篩管に積み込まれてシンク器官へ運搬されるCdの量が少ないため、茎葉中Cd濃度が高く玄米中Cd濃度が低くなる。密陽23号は根によって土壌から吸収するCdの量が多いために、最終的に玄米中Cd濃度が高くなると推測された。

 第3章では、Cdの対照として鉄(Fe)の篩管液中での化学形態に着目した。イネ篩管液中のFeは主に3種類の化合物に結合していることが分かった。Fe結合物質の候補の保持時間をSECで調査した結果、Feの最大ピークはニコチアナミン(NA)とデオキシムギネ酸(DMA)の保持時間と一致した。NAとDMAを分離するため、篩管液を陰イオン交換液体クロマトグラフィーと原子吸光分析法により分析した。その結果、FeはDMAに結合していることが示唆された。また、篩管液のSEC溶出画分の中でFe含量が最大となる付近を、エレクトロスプレーイオン化質量分析装置で測定したところ、この画分中にはNA、DMAが検出され、DMA含量が最大の画分にDMAとFeの結合体が検出された。よって、篩管液中のFeの結合物質の一つとしてDMAを同定した。

以上本論分は、イネの篩管液中のCdの主な化学形態はタンパク質との結合体であること、Feのそれはデオキシムギネ酸との結合体であるなど篩管液中の重金属について新しい知見を述べており、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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