学位論文要旨



No 122374
著者(漢字) 田村,倫子
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,トモコ
標題(和) 植物シグナルペプチドペプチダーゼの部位特異的発現および細胞内機能の検証
標題(洋)
報告番号 122374
報告番号 甲22374
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3098号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 講師 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

 アスパラギン酸プロテアーゼ(AP)はEC3.4.23に属するエンド型の酸性プロテアーゼであり、活性中心に2つのアスパラギン酸残基を持ち、微生物から植物、動物に幅広く存在する。植物においては細胞質や液胞に存在するAPが中心に研究され、発芽期の貯蔵タンパク質の分解や形態形成に関わることが示されてきた(Terauchi et al., 2006; Tamura et al., 2006)。しかし生体内には上記のようなAP以外にも膜結合型のAPが存在する。哺乳類からは複数膜貫通型のAPとしてアルツハイマー病に関連するプレセニリンやシグナルペプチドペプチダーゼ(SPP)が単離されている。SPPは小胞体膜に存在し、シグナルペプチダーゼにより切断された後のシグナルペプチドを基質とする。その機能はヒトやマウスの哺乳類、ショウジョウバエ、ゼブラフィッシュで解明されている。ヒトSPPは免疫に関与し、major histocompatibility complex (MHC)クラスI分子のシグナルペプチドを切り出す。切り出された断片は細胞膜に提示され"自己"であることを主張するという、生命活動に重要かつ必須の働きを担っている。ショウジョウバエのSPPは幼虫の発生に必須であり、ゼブラフィッシュのSPPは中枢神経システムに関与することが示唆された。また、膜内でペプチドを切断するという酵素活性のほかにも、ヒトサイトメガロウイルスの糖タンパク質に結合し、heavy chaneの小胞体からの移動に関わるなど、シャペロン様の機能も示された。

 SPPのホモログも各生物種に複数見つかっており、機能が検討されつつある。例えばヒトSPPホモログの1つSPPL2aはエンドソームに存在し、腫瘍壊死因子を膜内で切断する。ゼブラフィッシュのSPPホモログの1つzSPPL2は活性部位に変異を持たせることで尾静脈の肥大を起こす。このようにSPPやそのホモログの働きは、種特異的のものが多くSPPを有する生物に共通する機能は提示されてはいないが、いずれも病症や発生という生命の根幹に関連する重要な働きを担っている。

 植物においても推定一次構造から動物SPPと相同性のある分子の存在が確認されている。しかしながら、その同定や生理機能については全く検討されていない。そこで全ゲノム配列が解読されたシロイヌナズナを用いてSPPおよびそのホモログの組織における発現と細胞内局在を検証し、植物SPPの生体内における生理機能の解明を目指した。

1. シロイヌナズナSPPの同定

 シロイヌナズナSPP(AtSPP)は、ヒトSPPと推定一次構造に相同性のある分子としてデータベース上のみで存在していた。ヒトSPPとの相同性は39%で2箇所に存在する活性部位を含んだ膜内領域の配列(YDおよびGXGD)とカルボキシ末端のPALモチーフとに高い相同性を有していた。ヒトSPPはカルボキシ末端がcytosol側に存在し、アミノ末端が小胞体内腔に存在する9回膜貫通型の構造を持つことが示されている。シロイヌナズナ・データベースを検索した結果、AtSPPに相同性を持つ5つのホモログAtSPPL1,AtSPPL2,AtSPPL3,AtSPPL4,AtSPPL5の存在が示唆された。いずれの分子も触媒に関わるYDおよびGXGDの配列が保存されており、膜貫通領域を推測させる疎水性部位が複数箇所存在した。これらの分子で系統樹を作製するとヒトSPP、AtSPPと同じ枝にAtSPPL3が存在した。ヒトSPPは377アミノ酸残基から成り、AtSPPおよびAtSPPL3もそれぞれ345,373アミノ酸残基から成る。残りの4つのホモログは別のクラスターを形成し、アミノ基末端のER内腔に存在すると推測される領域が160アミノ酸残基程度長く存在することが分かった。

2. シロイヌナズナSPPの組織における発現の解析

 乾燥種子・根・葉・茎・花序・サヤにおけるAtSPPとそのホモログのmRNA発現をRT-PCRにより検証したところ、AtSPPをはじめ、すべての分子が花序を中心にほとんどの組織で発現していた。そこで、AtSPPとそのホモログがいつ、どの細胞に強く発現するのかをin situハイブリダイゼーションにより検討した。

 吸水種子におけるAtSPPの発現を追跡するため吸水前(乾燥種子)、および吸水後16、32、40、48、56時間の種子を用いた。40時間では発芽している種子は無く、48時間では3割ほどの種子が発芽していた。AtSPPの発現は吸水後40時間から検出された。発現部位は特異的で、幼根の表皮細胞の一部とメリステムと呼ばれ発芽後は一般に茎頂と呼ばれる部位に見られた。幼根において発現が見られた部分は、細胞分裂および細胞伸長の盛んな領域で、その中にはembryonic rootと呼ばれる根毛を形成する領域も含まれていた。またメリステムは一生を通して未分化能を保持し、植物体の地上部組織のすべての原基になる細胞が存在する部位である。AtSPPホモログのAtSPPL2およびAtSPPL3はAtSPPと同じ組織に明瞭な発現が検出された。これらのことからAtSPPやそのホモログは形態形成あるいは細胞の分裂・分化の盛んな細胞で発現し、機能することが示唆された。

 吸水種子のメリステムにおける強い発現に着目し、抽苔して茎が伸びた植物の茎頂における発現も検討した。茎頂は、幹細胞を生む茎頂分裂組織、これを取り巻くように位置して葉原基を生じる周辺領域、周辺領域の下部に位置して茎の中心組織を生じる細胞分裂の盛んな髄状領域と、構成パターンが明確である。AtSPPの発現は茎頂分裂組織を含む茎頂の上部に観察された。一方、AtSPPL2およびAtSPPL3の発現は髄状領域に観察された。このことからAtSPPの機能として未分化能の維持あるいは細胞の分化分裂に関する機構への関与が示唆された。一方でAtSPPL2およびAtSPPL3は茎形成に関与し細胞増殖が盛んな領域で機能することが示唆された。

3. シロイヌナズナSPPの細胞内局在の解析

 茎頂のin situハイブリダイゼーションの結果から、AtSPPとそのホモログは異なる機能を有することが示唆された。よってこれらの分子の細胞内局在を知ることは生体内における機能をさらに追究できるだけでなく、プロテアーゼとして機能する場合、基質の追跡にも有益であると考えられた。そこでまずGFPをレポーターとしてシロイヌナズナ培養細胞('Deep'cells)にAtSPPあるいはそのホモログを一過的に発現させることで細胞内局在を比較した。AtSPPのカルボキシ末端あるいはアミノ末端にGFPを付加したものを、カリフラワーモザイクウイルスの35Sプロモーター下とNOSターミネーターの間に挿入して、AtSPP-GFPおよびGFP-AtSPP(データは示さない)を作製した。AtSPPのホモログはカルボキシ末端にGFPを付加したもの(AtSPPL3-GFPなど)のみ同様に作製した。またGFPのカルボキシ末端に小胞体輸送シグナル(HDEL)を付加したもの(GFP-HDEL)も作製した。その結果、AtSPP-GFPはGFP-HDELと同様に、小胞体局在を示す網目状に蛍光が観察された(図-A,B)。対比的にAtSPPL2およびAtSPPL3遺伝子はどちらもドット状にGFP蛍光が観察された(図-C)。このドットはFM4-64のシグナルと重なったため、AtSPPL2およびL3はエンドソームに局在することが明らかとなった。

 次に、AtSPPタンパク質の細胞内局在を抗AtSPP抗体を用いて調べた。'Deep'cellsの粗膜画分をEDTA存在下または非存在下において15-45%(w/w)のショ糖密度で遠心分離した。23の画分に分画し、このうち一部をウエスタン分析に供した。免疫反応は抗AtSPP抗体および小胞体分子シャペロンBiPの抗体を用いた。抗AtSPP抗体を用いると、EDTA非存在下の場合、9-13レーンを中心に6-16レーンにクロスするバンドが観察された。一方EDTA存在下の場合、リボソームは小胞体から離れ、小胞体画分はショ糖密度の低い画分に移動する。実際には17-19レーンを中心に12-19レーンにクロスするバンドが観察された。また、BiPの抗体を用いると、EDTA非存在下の場合、8-10レーンを中心に4-12レーンにクロスするバンドが観察された。EDTA存在下では、クロスするバンドは糖の密度が低い方にシフトし16-18レーンを中心に8-19レーンに観察された。このことからAtSPPタンパク質の細胞内局在は小胞体であることが確認された。

 以上の実験からAtSPPおよびそのホモログの機能を推定した。植物細胞の小胞体は動物のそれと同様、リボソームで合成されたタンパク質を内腔へ取り込みシャペロンによってフォールディングしてゴルジ膜に送り出す機能を持つ。小胞体に局在するAtSPPがプロテアーゼとして機能する場合、ヒトSPPと同様にタンパク質本体から切り出されたシグナルペプチドを基質として切断する可能性が考えられる。一方、植物細胞のエンドソームは主にエンドサイトーシス由来のタンパク質を受け取る。植物のエンドサイトーシスは根毛の形成のような細胞成長やホルモンの極性移動に重要であるとされている。AtSPPL2やAtSPPL3が膜に存在して機能する場合、エンドサイトーシスで取り込まれた分子の輸送に関与するか、あるいは膜内でプロテアーゼとして機能する可能性が考えられる。

まとめ

 本研究ではデータベースでの存在に過ぎなかったシロイヌナズナのシグナルペプチドペプチダーゼAtSPPとそのホモログAtSPPL2、AtSPPL3の発現を実際に認め、解析した。発芽において、AtSPPやそのホモログは根の表皮の一部やメリステムに発現し、細胞増殖の高い組織で機能することが示唆された。抽苔した茎頂において、AtSPPは茎頂分裂組織を含む組織に発現していたのに対し、AtSPPL2およびAtSPPL3は茎形成に関与する髄状領域に発現していた。さらに各分子の細胞内局在も、AtSPPが小胞体であるのに対し、AtSPPL2およびAtSPPL3はエンドソームに局在していた。このような組織および細胞内での局在の違いから、AtSPPとそのホモログがプロテアーゼとして活性を持つ場合、同じ分子の成熟過程の異なる段階をプロセシングしているというよりはむしろ、異なる基質が対象であると考察した。現在AtSPPL2およびAtSPPL3のノックアウト株を作製中である。今後これらを用いることで植物SPPのホモログがどのような遺伝子に影響するかをDNAマイクロアレイ解析などにより検討することができる。さらに、AtSPPやそのホモログの基質を追究することで、植物におけるSPPの生理的機能についての理解が一層深まると期待される。

発表論文Terauchi, K., Asakura, T., Ueda, H., Tamura, T., Tamura, K., Matsumoto, I., Misaka, T., Hara-Nishimura, I., and Abe, K. (2006) Plant-specific insertions in the soybean aspartic proteinases, soyAP1 and soyAP2, perform different functions of vacuolar targeting. J Plant Physiol 163, 856-862.Tamura, T., Terauchi, K., Kiyosaki, T., Asakura, T., Funaki, J., Matsumoto, I., Misaka, T., and Abe, K. (2006) Differential expression of wheat aspartic proteinases, WAP1 and WAP2, in germinating and maturing seeds. J Plant Physiol, (in press)

図 培養細胞にGFP融合タンパク質を発現させたときに観察される蛍光Bar:10μm

審査要旨 要旨を表示する

 アスパラギン酸プロテアーゼ(AP)は活性中心に2つのアスパラギン酸残基を持つタンパク質分解酵素である。植物においては、種子貯蔵タンパク質を分解し発芽や登熟に寄与することが報告されている。これらはすべて可溶性のAPであるが、生体内には膜貫通型のAPも存在する。2002年に9回膜貫通型のAP、シグナルペプチドペプチダーゼ(SPP)が同定され、ヒトにおいては小胞体膜に局在し、切り出したペプチド断片が免疫に関与するという重要な機能が解明された。さらに魚類や昆虫類においてSPPは胚発生に必須であることも報告され、膜内に活性部位を有し限定分解した基質に機能を持たせるという膜貫通型プロテアーゼの機能が注目を集めている。しかし植物においては生理機能の解析はもちろん、SPPの存在も全く知られていない。

 申請者の博士論文は、全ゲノム配列が解読されたシロイヌナズナを用いて植物におけるSPPの生理機能を追究したものである。動物の胚発生とは異なり、生涯を通して発生・分化を繰り返す植物においてSPPの機能は非常に興味が持たれた。本論文は以下の3章から構成され、シロイヌナズナSPPの部位特異的発現を明らかにしたものである。

1. シロイヌナズナSPPとそのホモログの同定

 ヒトSPPのアミノ酸配列をもとに、シロイヌナズナのデータベースから相同性の高い6つの配列を得た。その中でヒトSPPに最も類似の配列をAtSPPと命名し、以下相同性の高い順にAtSPPL1〜AtSPPL5と命名した。いずれの分子も触媒に関わる膜内の2箇所に活性部位が保存されていた。

2. 組織における発現解析

 乾燥種子・根・葉・茎・花序・サヤにおけるAtSPPとそのホモログのmRNAの発現をRT-PCRにより検証したところ、AtSPPは検討したすべての組織に発現していた。一方AtSPPのホモログは組織により発現部位や発現量に差が見られた。そこで、AtSPPとそのホモログがいつ、どの細胞に強く発現するかin situハイブリダイゼーションにより検討した。

 発芽時の発現を追跡するため、吸水後8時間ごとの発現を解析したところ、発芽直前の吸水40時間からシグナルが観察された。発現部位は、AtSPPもそのホモログも幼根の表皮細胞の一部で細胞伸長が盛んな部位、およびシュートメリステムと呼ばれ一生を通して未分化能を保持し、植物体のすべての地上部組織を形成する部位であった。以上、AtSPPとそのホモログが細胞の分裂・分化あるいは細胞伸長の盛んな部位で機能することを明らかにした。

 メリステムにおける発現は花序を持つまで継続されていたが、その発現部位はAtSPPが茎頂全体であったのに対し、AtSPPL2およびL3は茎頂ではなく、茎を形成する部位であった。このことからAtSPPは未分化能の維持あるいは細胞の分化分裂に関与するのに対し、AtSPPL2およびL3は茎に形成するように分化した細胞で機能することが示唆された。よって異なる組織に発現している分子を基質とすると考えられた。

3. 細胞オルガネラにおける局在の解析

 機能および基質の検討のため細胞内局在を解析した。GFPと目的分子の融合タンパク質をシロイヌナズナの培養細胞に一過的に発現させた。AtSPPとGFPの融合タンパク質の蛍光は、網目状に観察された。これはGFPに小胞体輸送シグナル(HDEL)を付加した場合の形状と同様であることから、AtSPPが小胞体に局在することが明らかになった。これを確認するために、培養細胞の粗膜画分(内在のAtSPPを含む)のショ糖密度勾配遠心を行った。細胞の粗膜画分をEDTA存在下または非存在下で分画すると、EDTA存在下におけるAtSPPのバンドは、非存在下のそれより5-6フラクション、ショ糖密度の軽い方にシフトした。この現象はEDTAのキレート効果によりリボソームが小胞体から遊離し、小胞体画分がショ糖密度の軽い方に分画されたためであり、AtSPPの小胞体局在を証明するものであった。

 一方、AtSPPのホモログとGFPとの融合タンパク質は蛍光がドット状に観察され、それがFM4-64の蛍光と重なったためエンドソームに局在することが分かった。植物エンドソームの膜における生理機能は未知の要素も多く、従ってAtSPPL2やL3の生理作用を追究することはエンドソーム膜の細胞機能の解明にもつながると考えられた。

 以上、本研究はシロイヌナズナにおける膜貫通型酵素SPPを単離し部位特異的発現を解明した植物SPPの初めての知見である。植物SPPの作用機序をより深く理解することは、SPPを持つ高等生物に普遍的なSPPの機能の解明に寄与するだけでなく、膜で機能する酵素という新しい局面の柱となると考えられ、学術的に高く評価できる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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