学位論文要旨



No 122375
著者(漢字) 千々和,修平
著者(英字)
著者(カナ) チヂワ,シュウヘイ
標題(和) 低分子化合物の新規標的タンパク質同定法の開発とその応用研究
標題(洋)
報告番号 122375
報告番号 甲22375
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3099号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,秀典
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 講師 石神,健
内容要旨 要旨を表示する

 ヒトゲノムの全塩基配列解析が終わり、現在、ポストゲノム研究の真只中にある。ポストゲノム研究の集大成として、明らかにされたヒトゲノム情報をいかにして生命システムや疾病メカニズムの理解、さらには人類の健康と福祉に貢献できるかという観点から、ポストゲノム創薬研究が盛んに行われ始めている。

 近年、ケミカルゲノミクスという言葉が提唱され始めている。これまでのケミカルゲノミクスは、ある特定の活性を持った化合物について、活性発現メカニズムを研究するものであった。しかし、優れた活性を有する化合物を見出すためには、新規骨格を有する化合物の発見あるいは合成が困難になってきている現状において、このような手法にだけに頼っていては薬剤の開発は進まない。そこで、既に存在する薬剤のターゲットを網羅的に決定する、いわゆるフォワードケミカルゲノミクス研究が重要になると考えられている。これは、既存薬が知られている薬効以外に様々な活性を示すことに起因するが、構造活性相関に基づく新しい化合物の創造に役立つものでもあるとともに、副作用などの予測にも結びつく可能性も秘めており、創薬研究の加速には有用かつ必須な研究である。

 本論文は、効率的かつ実用性の高い新しい標的タンパク質同定法を、数種の低分子化合物を用いて、その標的タンパク質の同定を行うことによって開発することを目的に研究を行ったものである。

1. 低分子化合物の新規標的分子同定法の開発

 現在、タンパク質相互作用解析の主流となっている方法は、質量分析と免疫沈降法を組み合わせたものである。この方法を、さらに高感度かつハイスループットに遂行できるシステムを、産業総合技術研究所タンパク質ネットワーク解析チームの夏目徹博士等が開発し、これまで分子生物学的アプローチを含めあらゆる手法を用いても見出すことが出来なかった多くのタンパク質間相互作用を解明している。

 そこで、このタンパク質相互作用解析システムに着目し、低分子化合物の新規標的分子の同定法の開発を行った。従来の化合物-タンパク質間相互作用の検出は、通常、直接もしくはビオチン-アビジン相互作用を利用して樹脂に固定し、アフィニティークロマトグラフィーと同様の方法により、結合タンパク質を同定するものであった。しかしながら、ビオチン-アビジンは非特異的なタンパク質の吸着が多いこと、また、その結合が強いことから効率的な結合タンパク質の回収が困難であるといった弱点があった。

 このような問題を克服するため、従来のビオチンによる化合物のラベル化では無く、非特異的吸着が極めて少なく、かつ効率的に結合タンパク質の回収が可能なタグを選択することとした。タグは抗原-抗体反応を利用して樹脂に固定する方法を用いるため、タグを認識する抗体の調製が容易なペプチドタグを選択した。また、低分子化合物とペプチドタグをつなぐスペーサーは、脂溶性および水溶性化合物ともに適応可能とするものを用いることとした。また、低分子化合物を縮合させた最終産物である、ペプチドタグ-スペーサー-低分子化合物からなる標識化合物を、キメラ化合物と命名した。

1) キメラ化合物の調製法

 ペプチドタグ-スペーサーは、効率的にペプチド伸長が可能な固相合成法を採用した。低分子化合物のペプチドタグ-スペーサーへの結合は、以下のような反応を用いて行った。これらの反応を用いることで、目的とする低分子化合物の性質および量に適応させ、固相上あるいは溶液中でのキメラ化合物化を行った。

2) キメラ化合物

i) ヒストンデアセチラーゼ阻害剤

 本法の有効性の検証実験として、まず初めにヒストンデアセチラーゼ(histone deacetylase、HDAC)の阻害剤であるspiruchosatatin Aをモデル化合物として用いた。HDACは、抗腫瘍、生活習慣病など多くの疾患治療ターゲットとして注目されている分子であり、HDAC複合体は転写複合体として比較的多くの結合因子について研究が進んだ因子の一つである。また、HDAC阻害剤については、同じHDACファミリーにアフィニテイーが強いのにもかかわらず、活性表現系が異なると言った興味ある現象が知られている。これにはHDAC複合体の違いが関与していると考えられており、本手法により、一度に多くのHDAC複合体を同定することが出来れば、本分野の研究に大きく貢献することが期待される。そこで、キメラspiruchosatatin Aを用いて実験を行った結果、HDAC複合体の同定に成功した。

ii) PPARγアゴニスト

 次の目的化合物として、糖尿病薬であるPPARγアゴニストに注目した。PPARγアゴニストは、脂肪細胞の分化やインスリン抵抗性の改善に関与していることが知られているが、その詳細なメカニズムは不明である。また、PPARγアゴニストの一部の化合物については、抗腫瘍活性が報告されており、PPARγ以外のオフターゲットの存在が示唆されている。したがって、これらをキメラ化合物とすることで抗糖尿病あるいは抗腫瘍の新たな標的タンパク質を明らかにすることが期待できる。

 そこで、報告されている化合物中でPPARγアゴニスト活性が強いKST1を用いて、標的タンパク質の同定を行った。その結果、予想に反して、PPARγは得ることが出来なかったが、PPARγを高発現させた細胞を用いて同様の実験を行った場合、PPARγを同定することができた。PPARγ非高発現細胞では、癌の増殖に関係する因子として報告されているタンパク質が同定され、本因子がKST1のターゲットの一つであることが示唆された。

 次に、糖尿病薬として臨床応用されているthiazolidinedione系化合物pioglitazoneを用いて、標的タンパク質の同定を行った。その結果、PPARγ高発現細胞を用いてもPPARγは得られなかったが、脂肪酸代謝に関わる数種のタンパク質の同定に成功した。これらの新たに見出した因子が、今後の糖尿病治療薬開発の新規ターゲットとなることが期待される。

iii) 新規GRP78発現抑制物質versipelostatin

 本方法の開発の本来の目的は、東京大学分子細胞生物学研究所活性分子創生研究分野にて見出された、新規GRP78発現抑制物質versipelostatinの標的タンパク質を同定することに起因する。Versipelostatinは、放線菌より単離された天然由来の低分子化合物で、癌細胞を用いたin vitro実験でグルコース飢餓状態において誘導されてくる分子シャペロンGRP78の発現を抑制し、細胞死を誘導する。また、動物モデルであるマウスを用いたin vivo実験においても抗腫瘍活性を示し、全く新たな活性発現メカニズムを有する固形癌選択的治療薬として期待されている。このような活性を有する化合物はこれまで報告されていなかったため、その作用機作を解明する手懸かりが無いのが現状である。この標的タンパク質が同定されれば、新たな癌治療におけるターゲットタンパク質を示すことができる。さらに、versipelostatinの骨格や構造をファーマコフォアとし、ターゲット分子により特異的で強力な結合を有する類縁体合成へと進めることが可能となる。

 以上、この低分子化合物の新規標的タンパク質同定法は、従来の方法を凌駕するものであり、今後本法を用いて、様々な化合物について網羅的に低分子化合物-タンパク質相互作用を解明することにより、ポストゲノム創薬を加速することが期待される。

標的低分子化合物

審査要旨 要旨を表示する

 現在、ポストゲノム研究の集大成として、明らかにされたヒトゲノム情報を用いていかに生命システムや疾病メカニズムの理解に貢献できるかという観点から、創薬研究が盛んに行われている。臨床薬の開発のボトルネックの一つは薬剤標的の同定であり、近年の臨床薬の認可には明確な作用機作の提示が義務づけられている。しかし表現型スクリーニングで得られた化合物の標的因子の同定は困難であるため、低分子化合物に関する優れた標的同定法の確立は医薬品開発の場において切望されている。さらに開発薬について標的分子の探索を行うことにより、副作用の予測も可能になることが期待される。したがって高感度かつ迅速な標的同定法の確立は、医薬品開発全体に大きな進歩をもたらすと考えられる。本論文は、効率的かつ実用性の高い新しい標的タンパク質同定法の開発と応用を目的とした研究に関するものであり、三章および実験の部より構成されている。

 第一章では、タンパク質相互作用解析システムを低分子化合物に適用することにより、新規標的タンパク質同定法の開発を行っている。近年産業総合技術研究所の夏目らが開発した質量分析と免疫沈降法を組み合わせたタンパク質相互作用解析システムは、多くのタンパク質間相互作用を解明している。この手法の低分子化合物への応用の可能性を検証するため、ヒストンデアセチラーゼ(HDAC)阻害剤であるspiruchostatin Aをモデル化合物として選択し、ペプチドタグでラベル化した標識化合物(キメラ化合物)を用いてHDAC複合体の同定を試みた。ペプチドタグとしては、非特異的なタンパク質の吸着が極めて少なく効率的に結合タンパク質の回収が可能なAsp-Tyr-Lys-Asp-Asp-Asp-Asp-Lys配列を、また低分子化合物とペプチドタグをつなぐスペーサーは、C12アルキル鎖およびポリエチレングリコール鎖を採用した。キメラ化合物の合成に関しては、ペプチドタグおよびスペーサー部分を固相合成により行い、最後に液相合成によりspiruchostatin Aと結合させ、効率的に行っている。本キメラ化合物をHEK293T細胞溶解液に対して作用させ、回収されたタンパク質を断片化し、ナノフローLC-MS/MS分析を行ってアミノ酸配列を決定することにより結合タンパク質の同定を行った。その結果、標的タンパク質であるHDACの他、HDACと相互作用すると報告されている多数の関連タンパク質を同定することに成功した。これにより、微量の細胞よりHDACおよび多くのHDAC複合体を一度に同定でき、本方法の有効性を証明することに成功した。

 第二章では、糖尿病薬であるPPARγアゴニストを用いて標的タンパク質の同定を行っている。PPARγアゴニストは、脂肪細胞の分化やインスリン抵抗性の改善に関与していることが知られているが、抗糖尿病における詳細なメカニズムは不明である。また、PPARγアゴニストの一部の化合物については、抗腫瘍活性が報告されており、PPARγ以外のオフターゲットの存在が示唆されている。そこで、報告されている化合物中でPPARγアゴニスト活性が強いKST1を用いて、第一章と同様の手法で標的タンパク質の同定を行った。その結果、予想に反して、PPARγは得ることが出来なかったが、PPARγを高発現させた細胞を用いてPPARγを同定することに成功した。PPARγ非高発現細胞では、癌の増殖に関係する因子HCCR1が同定され、本因子がKST1の標的の一つであることが示唆された。次に、糖尿病薬として臨床応用されているthiazolidinedione系化合物pioglitazoneを用いて、標的タンパク質の同定を行った。その結果、PPARγ高発現細胞を用いてもPPARγは得られなかったが、脂肪酸代謝に関わるADH5、PECIおよびECH1の同定に成功した。また、ADH5に関しては、そのアルコールデヒドロゲナーゼ活性を阻害することが明らかとなり、さらに、それがthiazolidinedione骨格に由来する可能性を示した。

 第三章では新規GRP78発現抑制物質versipelostatinの標的タンパク質の同定を行っている。Versipelostatinは、抗腫瘍活性を持つ天然化合物で、癌細胞を用いたin vitro実験でグルコース飢餓状態において誘導されてくる分子シャペロンGRP78の発現を抑制し、また、マウスを用いたin vivo実験においても抗腫瘍活性を示す。このような活性を有する化合物はこれまで報告されていなかったため、その作用機作を解明する手懸かりが無いのが現状であった。そこで、作用機作の解明を目的に標的タンパク質の同定を行い、標的タンパク質HSD17B12およびSTEAP3を同定した。Versipelostatinは、抗腫瘍活性を持つ天然化合物で、癌細胞を用いたin vitro実験でグルコース飢餓状態において誘導されてくる分子シャペロンGRP78の発現を抑制し、また、マウスを用いたin vivo実験においても抗腫瘍活性を示す。このような活性を有する化合物はこれまで報告されていなかったため、その作用機作を解明する手懸かりが無いのが現状であった。そこで、versipelostatinのキメラ化合物を合成したが、versipelostatinは不安定な化合物であるため、ペプチドタグおよびスペーサー部分との結合にはアジドと末端アルキンによる水溶液中でのトリアゾール形成反応を用いている。キメラ化合物を用いて標的タンパク質の同定を行った結果、HSD17B12およびSTEAP3を同定に成功した。また本研究により不安定な化合物に対するラベル化法も確立できた。

 以上本論文は、低分子化合物の標的タンパク質の新規同定法の開発と応用に関する研究をまとめたものであり、従来の方法を凌駕する可能性を示した。今後、多くの化合物の標的タンパク質を網羅的に同定することが可能になり、作用機作の解明や副作用の予測が迅速に行われ、創薬研究を加速することが期待されることから、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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