学位論文要旨



No 122376
著者(漢字) 永井,俊匡
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,トシタダ
標題(和) 魚類味覚レセプターT1RおよびT2Rを用いた脊椎動物の化学受容機構の解析
標題(洋)
報告番号 122376
報告番号 甲22376
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3100号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 特任教授 田中,隆治
 東京大学 講師 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

 味覚は、生体にとって栄養となる物質と害となる物質とを判別するための化学感覚である。食物中の呈味物質は、味蕾と呼ばれる末梢器官で受容され、生じたシグナルは味神経を経て中枢に達し、そこで味覚として認識される。味蕾は、脊椎動物に共通して存在し、ヒトにおいては舌や咽頭、喉頭蓋などに存在する。脊椎動物の味覚受容機構については、近年、哺乳類において、味覚受容体として機能する2つのGタンパク質共役型受容体(GPCR)ファミリーT1RおよびT2Rが発見され、解明へ大きく進展をみせた。これまでに、T1Rファミリーが甘味物質(糖類や人工甘味料、甘味タンパク質など)および旨味物質(L-アミノ酸)を、T2Rファミリーが苦味物質を受容すること、PLC-β2およびTRPM5が受容体の下流で機能する細胞内シグナル伝達因子であることが明らかになっている。このように、味物質受容から細胞内シグナル伝達に至る一連の分子機構の一端が明らかになってきたものの、その詳細や中枢の神経伝達系の機構については、不明なままである。

 我々は、脊椎動物の味覚研究におけるこれらの問題点を解明するためのモデル動物として、魚類に注目した。魚類は、神経系の構造が単純であること、味覚応答の感度が高いことなど味覚研究、特に味神経伝達の研究を行う上での利点を持つ。また、脊椎動物の中で最も古く分岐した魚類と、最も新しく分岐した哺乳類について、味覚受容機構関連分子の機能および構造を比較解析することによって、脊椎動物全般にわたる味覚受容機構の進化論的な知見を得ることができると考えられる。

 これまでに、我々の研究室によって、2種の魚類(ドジョウおよびメダカ)の味蕾に、哺乳類と同様にPLC-β2が発現していることが明らかになっているものの、それ以外の味覚受容機構の分子基盤について、魚類と哺乳類の間でどれほどの共通性、あるいは相違点があるのかは明らかになっていない。本研究は、今後の中枢神経系の解析に向けて、未だ不明な魚類の味覚受容体に焦点を当て、魚類について哺乳類T1RおよびT2Rに相同な分子を同定し、その機能を解析することで、脊椎動物の味覚受容機構の一端を明らかにすることを目的とした。

魚類T1RおよびT2Rファミリー遺伝子の同定1)

 魚類ゲノムデータベースの検索によって、哺乳類T1RあるいはT2Rと相同性を有する分子をコードする遺伝子の同定を試みた。ヒトT1R(hT1R1,2,3)のアミノ酸配列を用いて、トラフグ(Fugu rubripes; ff)ゲノムデータベースに対してTBLASTN検索を行った結果、ffT1R遺伝子を4種(ffT1R1,2a,2b,3)見出した。ffT1R1はhT1R1と、ffT1R3はhT1R3とそれぞれ最も高い相同性(約40%)を示した。一方、ffT1R2a,ffT1R2bは、hT1R1とhT1R2に対して同程度の相同性(約30%)を示した。次に、見出されたffT1Rのアミノ酸配列を用いてゼブラフィッシュ(Danio rerio; zf)およびメダカ(Oryzias latipes; mf)ゲノムデータベースを検索したところ、ffT1Rに高い相同性を示す遺伝子をゼブラフィッシュで4種(zfT1R1,2a,2b,3)およびメダカで5種(mfT1R1,2a,2b,2c,3)同定した。これらの配列について分子系統樹を作製したところ、魚類T1R1は哺乳類T1R1の、魚類T1R3は哺乳類T1R3のそれぞれオルソログであることが示唆された。魚類T1R2と哺乳類T1R2もオルソログだと考えられるが、その進化距離はT1R1間およびT1R3間のそれよりも離れていた。

 T2Rについては、既知のヒトおよびマウスT2R(計約60種)のうち分子系統学的に偏りのない15種を選択し、それらのアミノ酸配列を用いて、トラフグ、ゼブラフィッシュ、メダカおよびミドリフグ(Tetraodon nigroviridis)の4種のゲノムデータベースを検索した。その結果、哺乳類T2Rに高い相同性を示す遺伝子配列をトラフグで4種、ゼブラフィッシュで7種、メダカで1種およびミドリフグで7種見出した。GPCR様配列の網羅的な検索においても、上記以外のゼブラフィッシュT2R遺伝子は見出されなかった。以上の結果から、魚類T2Rの種類数は哺乳類T2Rのそれ(約30種)と比較して少ないことが強く示唆された。また、魚類T2Rと哺乳類T2Rの相同性は20%前後で、魚類T1Rと哺乳類T1Rとの相同性よりも低かった。分子系統樹においては、哺乳類T2Rの枝と魚類T2Rの枝は大きく離れていた。このことから、魚類T2Rと哺乳類T2Rは、それぞれ独自に分子進化、多様化したと考えられる。

魚類T1RおよびT2Rファミリー遺伝子の発現解析1)

 データベース検索により同定された魚類T1RおよびT2Rが、味覚受容体としての役割を果たしうるかの検討を行った。まず、これらの遺伝子の味蕾での発現を、ゼブラフィッシュおよびメダカを用い、in situハイブリダイゼーション(ISH)法によって解析した。その結果、4種のzfT1R、5種のmfT1R、6種のzfT2RおよびmfT2R1が味蕾に特異的に発現していた。このことから、魚類T1RおよびT2Rが味覚受容体である可能性が示唆された。

 また、これらの遺伝子のうち、zfT1RおよびzfT2R1a,1bのそれぞれとPLC-β2遺伝子との発現相関を解析したところ、すべてPLC-β2発現細胞に発現していることが明らかとなった。このことから、魚類においても、哺乳類と同様にPLC-β2がT1RおよびT2Rの下流の細胞内シグナル伝達因子として機能していることが示唆された。

 さらに、魚類の味蕾におけるT1RおよびT2Rの発現相関を、多重標識ISH法によって詳細に解析した。T1Rについては、哺乳類において、T1R1とT1R2が排他的に発現し、両者を内包するようにT1R3が発現していることが報告されている。ゼブラフィッシュにおいても、哺乳類と同様に、zfT1R1とzfT1R2が排他的に発現し、zfT1R3発現細胞はzfT1R1発現細胞のほとんどおよびzfT1R2発現細胞の一部を含んでいた。一方、zfT1R2とzfT1R3の発現の重なりは小さく、zfT1R2のみが発現する細胞が多数存在し、哺乳類とは異なる様相も呈していた。メダカにおいても、ゼブラフィッシュと同様に、mfT1R1,mfT1R2a,2b,2cのそれぞれとmfT1R3は少なくとも一部の細胞で共発現していた。

 T2Rについては、哺乳類においてT1Rと排他的に発現することが報告されている。ゼブラフィッシュにおいても、解析した2種のzfT2R (zfT2R1a,1b)はzfT1Rと異なる細胞に発現していた。このことから、魚類においても、哺乳類と同様に、末梢の味細胞レベルで分離される2つの味覚受容経路が存在することが予想された。

魚類T1RおよびT2Rファミリーのリガンドの同定

 哺乳類味覚受容体と相同性を有し、味蕾に発現することが示された魚類T1RおよびT2Rが、真に味物質を受容するかを明らかにするため、これらの受容体のリガンドを同定することを次に目指した。そのために、まず、ゼブラフィッシュがどのような味物質を受容しうるかを、神経応答の解析によって検討した。アミノ酸(各種L型、グリシン、D-アラニン)、糖(スクロース)、哺乳類における苦味物質(デナトニウムおよびキニーネ)をゼブラフィッシュに経口投与し、顔面神経の応答を記録した結果、各種L-アミノ酸、グリシン、デナトニウム、キニーネに対して応答が見られた。D-アラニンおよびスクロースには応答が見られなかった。アミノ酸の中では、アラニン、システイン、プロリン、セリン、チロシン(いずれもL型)およびグリシンに比較的強い応答が見られた。

 次にゼブラフィッシュおよびメダカのT1R,T2Rについて、培養細胞HEK293Tに遺伝子導入し、カルシウムイメージング法によって、リガンドの同定を試みた。まずT2Rについて解析を行った結果、zfT2R5およびmfT2R1が、デナトニウムを受容することを発見した。zfT2R5導入細胞およびmfT2R1導入細胞は、他の苦味物質およびアミノ酸を投与した場合には応答が見られなかった。分子系統学的にオルソログであるzfT2R5およびmfT2R1が共通のリガンドを受容することは興味深い。以上の結果から、魚類においても、哺乳類と同様にT2Rファミリーが忌避物質を受容することが示唆された。

 魚類T1Rについては、T1R1+T1R3あるいはT1R2+T1R3を共トランスフェクトした時のみ、各種L-アミノ酸への応答が見られた。ゼブラフィッシュにおいては、zfT1R2a+3の組合せでアラニン、プロリン、セリン、チロシン(いずれもL型)に特異的な応答が見られた。zfT1R2b+3導入細胞は、より多くのL-アミノ酸に応答が見られ、アラニン、システイン、プロリン、セリン、チロシン(いずれもL型)およびグリシンに比較的強く応答した。これらの応答パターンは、神経応答解析で得られたものとよく一致した。メダカについては、mfT1R2a+3,mfT1R2b+3およびmfT1R2c+3導入細胞に加えてmfT1R1+3導入細胞もL-アミノ酸に応答した。一方、これらのどの受容体セットを導入した細胞も、D-アラニンやスクロースおよびグルコースの糖類には応答が見られなかった。これらの結果から、魚類T1RがL-アミノ酸の受容体であることが示された。T1R1+T1R3のヘテロマーでアミノ酸を受容するという、哺乳類との共通点が見られたが、魚類T1R2+T1R3ヘテロマーはアミノ酸を受容し、糖類などを受容する哺乳類T1R2+T1R3との相違点も見出された。魚類T1R2+T1R3は、アミノ酸に対する感度が哺乳類T1R1+T1R3に比べて高いだけでなく、多種類のアミノ酸を、異なる受容特性を持った複数のT1R2によって幅広く受容できることが明らかになった。このことから、それぞれの環境に適応して、哺乳類T1R2が糖質を受容する能力を獲得していったのに対し、魚類T1R2は、よりアミノ酸受容に適した分子へと進化していったことが推測される。

 以上の結果から、魚類T1RおよびT2Rが味物質を受容する味覚受容体として機能していることが強く示唆された(図)。

デナトニウム受容体の構造機能相関解析

 zfT2R1bをクローニングする過程で、再現性のある多型配列zfT2R1b1およびzfT2R1b2と、zfT2R1b1と1塩基置換に由来するアミノ酸1残基のみ異なる配列zfT2R1b1-K270Eが得られた。これらzfT2R1bの多型および変異体のリガンド解析を行ったところ、zfT2R1b1-K270Eがデナトニウムを受容することを発見した(EC50=34μM)。zfT2R1b1およびzfT2R1b2は、アミノ酸配列がzfT2R1b1-K270Eとそれぞれ1および6残基しか異なっていないにもかかわらず、これらを導入した細胞は、デナトニウムに対する感受性をほとんど示さなかった。zfT2R1b1-K270Eの特性をより詳細に解析したところ、zfT2R5およびmfT2R1の場合と同様に他の苦味物質を受容しないだけでなく、デナトニウムに対する感度がzfT2R5およびmfT2R1(それぞれEC50=4.4,5.8mM)に比べて約130-170倍も高かった。zfT2R1b1-K270Eの配列が再現的に得られるかを検討するため、由来の異なる複数個体のゼブラフィッシュについてzfT2R1bのジェノタイピングを行ったところ、zfT2R1b1-K270Eの遺伝子配列を持つ個体は得られず、再現性を証明することはできなかった。しかし、1残基変異によって感受性が劇的に変化しており、ここにデナトニウム受容の構造機能相関に関する重要な手がかりがあると考え、その解析を試みている。

まとめ

 哺乳類味覚受容体と相同性を有する遺伝子を魚類ゲノムデータベースから同定し、それらが味覚受容器である味蕾に発現することを明らかにした。さらに、ゼブラフィッシュの神経生理学的解析により予想された味物質候補の中から、魚類T1RおよびT2Rファミリーのリガンドをin vitroの系を用いて同定した。以上のことから、今後、逆遺伝学的な解析による証明が必要ではあるものの、同定したGPCRファミリーが味覚受容体であることが強く示唆された。魚類味覚受容体の同定は、哺乳類との比較解析から進化学的な知見を得ることを可能にするとともに、今後はヒト味覚研究の基盤となると考える。

参考文献1) Ishimaru, Y., Okada, S., Naito, H., Nagai. T., Yasuoka, A., Matsumoto, I., and Abe, K. (2005) Two families of candidate taste receptors in fishes. Mech. Dev. 122, 1310-1321

図 魚類および哺乳類の味覚受容体とリガンドの対応関係

審査要旨 要旨を表示する

 脊椎動物の味覚受容機構については、近年、哺乳類において、味覚受容体T1RおよびT2Rが発見され解明へ大きく進展をみせたが、その他の脊椎動物についてはほとんど解明されていない。脊椎動物がどのように食物を選択しているかという生命現象の基本原理を明らかにするために、脊椎動物に共通した味覚受容機構を解明する必要がある。申請者は、進化系統学的に脊椎動物の中で最も古くに分岐した魚類を解析して、脊椎動物の味覚受容機構の普遍性を明らかにし、モデル生物としてのメリットも多い魚類の味覚研究の分子基盤構築を目指した。その第一歩として、本論文にて魚類味覚受容体の同定を行った。

 本論文は3章から成り、第1章にて同定した遺伝子を、第2章にて発現解析、第3章にて機能解析し、魚類味覚受容体の特性を総合的に解明している。

1. 魚類T1RおよびT2Rファミリー遺伝子のデータベース検索

 魚類ゲノムデータベースの検索によって、哺乳類T1RあるいはT2Rと相同性を有する遺伝子を同定した。T1Rについては、哺乳類と同様にT1R1,2,3の3つのサブタイプが存在し、分子系統学的な解析から、哺乳類と魚類の各サブタイプがそれぞれオルソログであることを推定した。また、魚類T1R2は複数種の遺伝子に多様化しているという特異な特徴も見出した。

 T2Rについては、哺乳類に比べて遺伝子数が少ないという相違点を見出した。また、分子系統学的に異なるクラスターを形成することから、魚類と四肢動物のT2Rファミリーは、独自に分子進化したとする仮説を提唱した。

2. 魚類T1RおよびT2Rファミリー遺伝子の発現解析

 魚類T1RおよびT2Rファミリー遺伝子の組織発現を、in situハイブリダイゼーション(ISH)法によって解析した。その結果、ゼブラフィッシュおよびメダカのT1R,T2Rが味蕾に特異的に発現していることを明らかにし、味覚受容体として機能している可能性を示した。

 次に、発現様式から受容体の機能を予想するため、多重標識ISH解析を行った。その結果、まずT1RおよびT2RがPLC-β2発現細胞に発現していることを明らかにし、哺乳類と同様にPLC-β2がT1RおよびT2Rの下流の細胞内シグナル伝達因子として機能している可能性を示した。また、T1RおよびT2Rの発現解析を詳細に解析し、脊椎動物の味覚受容機構を理解する上で重要な2つの仮説、すなわち哺乳類と同様にT1R1+3,T1R2+3のヘテロマーで機能している可能性、および末梢の味細胞レベルで、T1RとT2Rの発現細胞によって区別される2種類の味覚受容経路が存在する可能性を提示した。

3. 魚類T1RおよびT2Rファミリー受容体のリガンド同定

 魚類T1RおよびT2Rのリガンドを同定し、味覚受容体としてのそれぞれの機能を明らかにした。まず、ゼブラフィッシュの顔面神経応答を電気生理学的に解析し、L-アミノ酸および哺乳類にとっての苦味物質(デナトニウム、キニーネ)に対して味覚応答しうることを見出した。この2種類の味物質候補を受容する味覚受容体として、それぞれT1RおよびT2Rを想定し、培養細胞を用いたin vitroの実験系で、それを証明した。すなわち、T1R1+3およびT1R2+3のヘテロマーがL-アミノ酸を、T2Rのうち2遺伝子がデナトニウムを受容することを明らかにした。このことから、T1RおよびT2Rが、それぞれ嗜好する味物質と忌避する味物質を受容する味覚受容体であることを強く示唆した。T1R2+3については、糖類などを受容する哺乳類とは大きく機能が異なることに注目し、分子進化学的な考察を加えている。

 第3章では、味覚受容体の同定を目的とした解析に加えて、T2R遺伝子の変異体が野生型と異なりデナトニウム受容能を持つことの発見に端を発して、デナトニウム受容体の構造機能相関の解析を試みた。その結果、リガンドが受容体の活性部位に結合する前に、細胞外第3ループに一時的に結合(Landing)するという、新規性の高いモデルを提唱し、今後の魚類と哺乳類の受容体を比較することによる構造機能相関解析の可能性を提示した。

 以上のように、哺乳類味覚受容体と相同性を有する遺伝子を同定し、その発現解析および機能解析を行うことで、見出した遺伝子が魚類における味覚受容体であることを、順を追って解明した。さらに、脊椎動物に共通して、嗜好する味物質と忌避する味物質を受容する味細胞は分かれており、末梢のレベルで味質が区別されているという、大変興味深い知見を示した。本論文は、味覚受容機構の進化生物学的な解明の基礎となるとともに、モデル生物としての魚類研究の分子的な基盤となる非常に価値の高い内容である。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としての水準を十分に満たしたものであると認めた。

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