学位論文要旨



No 122377
著者(漢字) 牧野,司
著者(英字)
著者(カナ) マキノ,ツカサ
標題(和) キネシンモーターの運動機構に関する構造と機能の解析
標題(洋)
報告番号 122377
報告番号 甲22377
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3101号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 足立,博之
 東京大学 助教授 富重,道雄
 東京大学 助教授 永田,宏次
内容要旨 要旨を表示する

 細胞内の「動き」は様々なタイプの分子モーターと呼ばれるタンパク質がATPなどの化学エネルギーを力学的な運動に変換することで起こる。分子モーターの中でもキネシンと呼ばれるファミリーは細胞内物質輸送や分裂細胞における染色体の分離の制御を行っており、神経疾患やガンの発症とも深く関わりがある。キネシンの運動や構造について様々な研究が進んでいるが、その運動の詳細なメカニズムは未だ不明である。

 キネシンは細胞の骨格を形成する微小管に沿って一方向に運動する。微小管にはプラス端とマイナス端という極性があるが、最初に発見されたキネシン-1を含め多くのキネシンは微小管をプラス端方向に進む。しかし、キネシン-14サブファミリーに属するショウジョウバエ由来のncd(non-claret disjunctional遺伝子産物)は、微小管上をマイナス端方向に進む。このためキネシンの運動の方向性を決めている要因解明の端緒として注目されている。

 ncdはテールドメイン、ストークドメイン、モータードメインと呼ばれる三つの領域から構成され、多くのキネシンと同じく二量体構造をとる。ncdのモータードメインはプラス端方向に進むキネシンのものと立体構造が非常に類似していることから、ncdのマイナス端方向への運動特性は、モータードメインに直結しているストークドメインの構造的特性に起因するものではないかと推測される。ncdからストークドメインを欠失させると二量体を形成しなくなり、運動活性が失われると報告されている。このことからncdの二量体形成部位はストークドメイン内に存在し、この二量体構造の形成はncdの運動活性に必須の条件であると推測される。一部解明された結晶構造ではストークドメインのモータードメインに近接する部位はコイルドコイル構造を形成していたが、ストークドメインの大部分の立体構造は明らかにされていない。

 そこで、本研究ではまずncdのストークドメインの構造的特性を調べ、次にその特性がncdの運動とどのような相関があるのかを明らかにすることを目的とした。

1. ncdストークドメインの構造的特性の解析

 我々の研究室では以前ncdの二量体形成領域を決定するために、ストークドメイン約150アミノ酸の中のフレームの異なる一連の46残基のポリペプチド鎖を化学合成し二量体形成能を調べたが、いずれも二量体を形成しなかった。しかし、完全長のncdは確かに二量体化するのであるから、二量体化に必要な何らかの条件が見落とされているはずであると考えられる。

 私はストークの二量体化にはより長いポリペプチド鎖が必要であるのではないかと考えた。そこで大腸菌によるストークドメインの調製系を構築し、円偏光二色性(CD)スペクトル測定と超遠心分析を行ったところ、確かにコイルドコイルを形成し二量体化することが確かめられた。より詳細に領域ごとの構造的特性を調べるために、ストークドメインのN末端およびC末端を任意の鎖長欠損させた一連のポリペプチド断片を調製し(図1)、その二次構造および会合状態を比較した。その結果、T275-N314の領域を欠損した断片はコイルドコイルを形成しなかったことから、この領域が二量体形成に不可欠な部位であることが示唆された。しかし、この領域に相当する化学合成ポリペプチド鎖は単独では二量体化しなかったことから、二量体形成は隣接する領域との協調的な作用によって達成されることが示唆された。また、ストークドメインC末端のモータードメインに近接する10残基程度の領域(ネック領域と呼ばれる)はモータードメインを欠損させた断片ではコイルドコイルを形成しないことが明らかになった。しかし、既報のX線結晶構造では、ネック領域がモータードメインと接触し、コイルドコイルを形成している。したがってネック領域の構造形成はモータードメインとの相互作用によって達成されることが示唆された。また、コイルドコイル形成能が高い断片について、様々な濃度でCDスペクトルを測定し、そのヘリックス含量を調べたところ、濃度依存的に顕著なヘリックス含量変化が見られ、低濃度域でも一定量のヘリックスが形成されていた。さらに興味深いことに、多くのストークドメイン断片はCDの熱変性測定において3状態遷移を示した。さまざまな温度における超遠心分析および複数回の熱変性測定の結果(図2)と合わせて考えると、20-30℃で大部分のコイルドコイル構造が可逆的に変性し、60℃で残りの部分が不可逆的に変性解離することが分かった。N末端あるいはC末端欠損断片の熱変性プロファイルの比較により、低温(20-30℃)で可逆変性する柔軟なコイルドコイル(可逆的コイルドコイル)形成部位がストークドメインの大半を占めるM226-N314付近に存在し、高温(約60℃)で不可逆変性する比較的強固なコイルドコイル(不可逆的コイルドコイル)形成部位がC末端近くのN314-R335付近に存在することが明らかになった。

 ncdの運動機構としてストークドメインがコイルドコイル構造を保ち、剛体としてミオシンのレバーアームのように振舞うというモデルが過去に提示されているが、このモデルに照らし合わせるとストークドメインのN末端側の大部分が柔軟な構造をとることは、運動には不利であると考えられる。そこでストークドメインの柔軟性がncdの運動活性にどのような影響をもたらすのかを調べるのが次なる課題であった。

2. ncdのコイルドコイル構造補強変異体の運動解析

 私はストークの柔軟性を失わせたncd変異体の運動を観察することにより、ストーク領域の柔軟性の意義を明らかにできると考えた。コイルドコイル形成するポリペプチド鎖ではa-gの7残基周期の(a,d)位に疎水性側鎖をもつアミノ酸が連続して存在し、これらが疎水相互作用面を形成することが知られている。しかしncdのストークドメインにはコイルドコイル形成に不利になると考えられる親水性側鎖をもつアミノ酸が(a,d)位に断続的に存在していた。これらの親水性残基を疎水性残基に置換した変異を導入することで柔軟性を失わせることができると考えた。

 そこで、(a,d)位に存在する親水性残基、H286、H293、N314、Q317、S331、R335について疎水性のロイシン、バリン、イソロイシンのいずれかに置換したncd変異体を調製しin vitroで微小管滑り速度を野生型と比較した。その結果、不可逆的コイルドコイル形成部位に含まれる親水性アミノ酸残基を置換した変異体N314I/Q317Lでは顕著な差は見られなかった。一方、柔軟な可逆的コイルドコイル形成部位に含まれる親水性残基の変異体H286V/H293Iでは顕著な速度低下が観察された。このことからストークドメインの中の可逆的コイルドコイル形成部位の柔軟性がncd運動活性に重要な意味を持つことが示唆された。

 ncdの由来生物であるショウジョウバエの至適生育温度は22度付近であり、これは可逆的コイルドコイルが解離する温度とほぼ一致する。運動およびATP加水分解のサイクルと同期してコイルドコイルの形成-解離が起こっているのか、あるいは一定の構造が保たれているのかを検証するため、2種の蛍光タンパク質を用いた蛍光共鳴エネルギー転移(FRET)の実験を以下に行った。

3. ncdストークドメインN末端の構造変化の解析

 FRETとは、2つの蛍光分子が存在するとき、一方の蛍光分子(ドナー)の励起エネルギーがもう一方の分子(アクセプター)に転移される現象であり、その結果エネルギーを転移された分子から蛍光が発せられる。ドナーとアクセプターの距離が近いほど、エネルギーの受け渡し(FRET効率)が大きくなる。私はncdストークドメインの構造変化をFRET効率の変化として捉えることを計画した(図3)。ストークドメインN末端にシアン色蛍光タンパク質CFP(ドナー)あるいは黄色蛍光タンパク質YFP(アクセプター)を融合させたncdを遺伝子工学的に調製し、各々に付加したアフィニティータグに親和性を有す二種類のアフィニティーカラムを用い、融合させた蛍光タンパク質の異なるヘテロなncdを精製した。ncdのADP結合状態においてCFPの励起波長を照射し蛍光スペクトルを測定した結果、YFPの蛍光の極大波長にピークが見られ、FRET効率が高いことが分かった。これはncdストークドメインN末端同士が近接していることを意味し、コイルドコイル構造が形成されていることを示唆するものである。一方、微小管添加およびAMP-PNPあるいはATP添加時にも顕著なFRET効率の変化は観測されなかった。これらの結果から、ncdストークドメインN末端のコイルドコイル構造はATP加水分解サイクルと同期して形成-解離しておらず、一定の構造を保っていることが分かった。

まとめ

 本研究により結晶構造で見えないストークドメインの領域が柔軟な構造をとりうることが示唆された。またストークの柔軟性がncdの運動に重要な要因であることが明らかになり、ncdの運動機構がこれまでに提唱されている単純なレバーアーム様の運動モデルには当てはまらない可能性が示唆された。本研究の進展により、微小管をマイナス端方向に進むキネシンの運動の詳細な解明が期待される。

図1. 本研究で用いたncdストークドメイン断片のコンストラクト

図2. ncdストークドメイン断片のCD熱変性プロファイル

図3. FRETによるストーク構造変化の検出

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では,細胞分裂期にはたらくキネシン分子モーターであるncdのstalk領域の構造的特性の解析と,その特性と運動機能との相関について解析を行い,その運動のメカニズムについて述べている.本論文は第一章の序論,第五章の総合考察を含む全5章からなる.

 第一章の序論では,ATP加水分解のエネルギーを力学的エネルギーに変換して微小管の上を一方向に運動するキネシンについて説明し,ショウジョウバエ由来ncdが典型的なキネシンとは異なる,ユニークな運動特性を示すことを述べている.また,本研究の背景となるこれまでの先行研究から,その構造と機能に関しての問題点について説明している.その中で,ncdの二量体形成は分子の中間位置に存在するstalk領域のコイルドコイル構造によって達成されると予想されていたが,典型的なキネシンであるキネシン-1とは異なり,局所的にコイルドコイル形成をできる領域はなかったという報告を挙げ,より長い領域の構造的解析の必要を述べるとともに,上記の報告からわかるncdのstalk領域の「不安定な」構造的特徴がその運動性とどのように関わるのかという問題提起をしている.

 第二章ではncdの約160アミノ酸残基からなるstalk領域について様々な領域欠失ポリペプチド鎖を調製し,そのコイルドコイル形成能の解析について述べている.CDスペクトル解析と超遠心沈降速度法分析によってコイルドコイル二量体形成部位を特定し,ncdのstalk領域のコイルドコイル形成は局所的には安定に形成されないが,隣接する領域間で協同的に形成されることを示している.その協同性により約110アミノ酸残基におよぶ領域において長いコイルドコイル構造が形成されていることを実証している.また,stalk領域内の温度耐性の異なる二つの領域の存在を明らかにしており,それぞれが熱変性に対して,可逆的および不可逆的に変性することを示している.可逆的な変性を示す領域はC末端側のおよそ80残基におよび,その長い領域が常温付近において協同的に変性することを示している.また不可逆的な変性を示す領域はN末端側のおよそ20残基程度であり,その領域は60℃までの熱処理に耐えうる安定な構造を保持することを示している,その安定性について,一部明らかになっているncdの結晶構造から水素結合や塩橋のネットワークによるものと考察を与えている.さらにこの安定な構造も隣接する領域の支援によってはじめて構造形成が可能であるということを示している.

 第三章ではncdのstalkの「不安定」な構造特性とその運動機能との相関について述べている.ncdのstalk領域にはコイルドコイル構造の両親媒性heptadのa,d位の疎水性コアが親水性残基によって分断され構造の不安定性を与えているという考察を行い,このa,d位の親水性残基を疎水性に変換したncdのstalk領域安定化変異体を作成し,その運動機能を野生型と比較解析を行っている.その結果,上述の安定性のより低い可逆コイルドコイル形成領域の安定化は速度の低下をもたらすことが明らかになり,ncdの不安定性あるいは可逆性が運動機能に重要な意義を持つことを示した.

 第四章ではncdのstalk領域の不安定性や可逆性に着目し,その構造形成-解離がC末端に存在するモータードメインのヌクレオチド状態によって制御されているという仮説を立て,その検証を行っている.その中でstalk可逆コイルドコイル形成領域のN末端に二種類の異なる蛍光タンパク質を融合させたncdを設計し,その蛍光タンパク質間でのFRET(蛍光共鳴エネルギー転移)効率の変化から可逆コイルドコイルの形成-解離を調べるという独自の検出系を用いている.その検出系を用い,温度変化測定によって25-37℃の温度上昇において,FRET効率が著しく低下することを示した.その転移は第二章で示した可逆コイルドコイルの解離を示すものであると考えられるが,モータードメインにATPが結合している状態では,ヌクレオチドフリー状態に比べて,その転移温度が高温側にシフトしていることを明らかにした.このことからモータードメインのヌクレオチド状態に応じて,stalk領域の安定性が変化していることを見出している.

 第五章ではこれらの知見により,ncdの多分子での運動について考察し,ヌクレオチドフリー状態では他の分子によってもたらされる輸送微小管からの応力によってstalk領域が解離し抵抗を緩和しているという合理的なモデルを提唱している.

 以上のように本研究で得られた知見は,学術上貢献するところ大であると考えられる.よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク