学位論文要旨



No 122380
著者(漢字) 森,直紀
著者(英字)
著者(カナ) モリ,ナオキ
標題(和) 高効率的合成デザインに基づく生物活性天然有機化合物の合成研究
標題(洋)
報告番号 122380
報告番号 甲22380
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3104号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,秀典
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 助教授 鈴木,義人
 東京大学 講師 石神,健
内容要旨 要旨を表示する

 天然には有用な生物活性物質が数多く存在し、医薬・農薬の分野などで大いに利用されている。そのような有用物質を簡便にかつ大量に供給することは有機合成化学者の役割の一つである。近年、遷移金属を用いる合成法が数多く開発され、複雑な化合物も比較的容易に合成することが可能となったが、その分「効率的な合成」の重要性が軽視される傾向にあるように思われる。効率的合成法の確立は経済、環境の面から見ても望ましいものであり、筆者はその観点に基づいて生物活性天然有機化合物の合成研究を行った。

1) 光学活性リグナン類の合成研究(1,2))

 リグナンはフェニルプロパノイド二分子がC-8位同士で結合した化合物群の総称であり、多様な生物活性を有するため古くから新薬開発のリード化合物として注目を集めてきた。リグナンはその多様かつ有用な生物活性に加え、構造的にも多彩であることから合成化学の分野でも数多くの研究がなされている。しかし、その多くはラセミ体合成であり、工程数の点からも簡便な合成法が確立されているとは言えない。このような背景のもと、筆者は光学活性なリグナンを合成するための新規不斉反応の開発および天然物合成への応用を目的とし研究を行った。

 本研究を開始するにあたり、筆者はリグナンの生合成経路に注目し、中でもけい皮酸誘導体の二量化反応に着目した。二量化はけい皮酸誘導体の一電子酸化により生じたラジカルが二分子間でカップリングすることにより起こると考えられている。合成の分野においてはこれまでにけい皮酸誘導体の二量化反応として、塩化鉄、トリフルオロ酢酸タリウム、二酸化鉛、過ヨウ素酸ナトリウムを酸化剤として用いる四つの方法が報告されているが、いずれもラセミ体を与えるものであった。また、光学活性体合成に関しては植物由来の酵素を用いる方法が近年報告されているが、化学、光学収率の低さ、酵素の入手難などの問題が残されている。そこで新たなアプローチとして、けい皮酸誘導体に不斉補助基を導入して酸化的二量化反応を行い、光学活性なビスラクトンを得ようと考えた。

 不斉補助基としてはL-プロリンを選択し、けい皮酸誘導体と縮合させ1を調製した。1(Ar=3,4,5-trimethoxyphenyl)に対して酸化的二量化反応を試した結果、二酸化鉛を用いた場合に二量化反応が進行することを見出した。さらに本反応は低温下で反応を行うと、化学収率、光学収率ともに飛躍的に向上するという結果が得られた。また、他のけい皮酸誘導体に関しては電解酸化反応が利用できることを見出した。収率、光学純度にばらつきはあるものの、芳香環上の酸素原子の数が変わっても電流、電圧を調節することで様々な基質に応用が可能であることが判った。

 続いて本反応の天然物合成への応用を検討した。光学活性な2(Ar=3,4,5-trimethoxyphenyl)からはフロフランリグナンやジアリールブタンリグナンが合成可能であると考え、以下の四つの天然物を標的化合物とした。フロフランリグナンであるYangambin(PAFアンタゴニスト)及びCaruilignan A(Meth-A細胞に対する毒性物質)は2からそれぞれ2工程71%、3工程71%で合成を達成した。ジアリールブタンリグナンであるSauriol AおよびB(ザリガニに対する摂食阻害物質)も同様に2からそれぞれ6工程50%、6工程17%で合成を達成した。

 当初の目的どおり、工程数、収率の点において非常に優れた光学活性リグナンの合成法を開発し、生物活性天然物の「効率的な合成」を示すことができたと考えている。

2) 昆虫摂食阻害物質アザジラクチンの合成研究(3))

 アザジラクチン(3)は1968年Morganらによってインドセンダン(Azadirachta indica A. Juss(Meliaceae))の種子から単離されたC-seco-リモノイドであり、様々な草食昆虫に対して強力な摂食阻害活性と変態阻害活性を有する。また、そのユニークな構造から合成化学的にも大きな関心がもたれており、多くの合成化学者によって全合成研究が行われているが未だ全合成の報告はなされていない。筆者はアザジラクチンの強力な活性、構造、それらの相関に興味を持ち、効率的な全合成を目的として研究を行った。

 以下に合成計画を示す。A環の骨格形成は7の分子内ディールスアルダー反応により行うこととした。これまでの研究から6位にメチル基を有するピロンの分子内ディールスアルダー反応では速やかに脱炭酸反応が進行することが判っていた。そこで7についてもその性質を逆手にとって、脱炭酸した化合物をクライゼン転位させることにより6を得ようと考えた。アザジラクチン4位の立体反転は5のアルドール反応により行うこととした。B環の構築には当研究室で開発されたラジカル環化反応を用い、その際のラジカルのアクセプターはα,β-不飽和ラクトンを用いることとした。

 実際の合成法を以下に示す。7をDMF中120℃に加熱するとディールスアルダー反応及び脱炭酸反応が進行した。TMS基を除去してさらにトルエン中加熱還流するとクライゼン転位が進行した6が得られた。末端アルキンをTMS基で保護したのは、ディールスアルダー反応と競合して起こるピロンの段階でのクライゼン転位を防ぐためである。6に対しα,β-不飽和ケトンの二重結合の酸化的開裂、アレンの減炭反応によるアルデヒドへの変換の後、Sn(OTf)2を用いたアルドール反応によりA環の立体反転に成功し8を単一生成物として得ることができた。続いて8から4工程を経て左側部分となるアルデヒド9を得た。ラジカル環化はアレンを利用するタンデム型の方法を用いることとし、右側部分に相当するモデル化合物で検討した。アルデヒド9に対してプロパルギルアセテート10から調製するアセチリドの付加およびSN2'反応によるメチル基導入を行い、その後3工程を経てヨウ化物へと変換しラジカル環化前駆体である11を得た。11に対してラジカル環化反応を行ったところ速やかに反応が進行しモデル化合物12を収率よく得ることに成功した。

 現在は光学活性体としてのアザジラクチンの全合成を目指し研究を行っている。左側部分にはCarreiraらの方法を用いて不斉を導入した。すなわち不斉誘起剤として15を用い、プロパルギルアセテート13とアルデヒド14を反応させると98%e.e.の高光学純度で16を得ることができた。16のアセテートを除去したアルコールはラセミ体合成の中間体であり、それ以降は同様の方法を用いて光学活性な9を得ることができた。右側部分はイソアスコルビン酸より誘導した既知化合物17を用いて合成した。Wittig反応、クライゼン転位などによって8工程でラクトン18へと導いた。その後、ラクトンの還元、Wacker酸化などによって5工程で右側部分に相当するプロパルギルアセテート19を合成することができた。

 9と19はLHMDSを用いてカップリングさせ、続くSN2'反応によるメチル基導入によってアレン20への変換まで完了した。今後はヘミアセタール部をセレノアセタールなどへと変換し、ラジカル環化反応によって22を得たいと考えている。本合成法によりアザジラクチンの全合成が達成されれば、他の競合グループと比較してはるかに短工程の極めて効率的な合成になると考えている。

1) N. Mori, H. Watanabe, T. Kitahara, Synthesis 2006, 400-404.2) N. Mori, H. Watanabe, T. Kitahara, Biosci. Biotechnol. Biochem. 2006, 70, 1750-1753.3) H. Watanabe, N. Mori, D. Itoh, T. Kitahara, K. Mori, Angew. Chem. Int. Ed. in press.
審査要旨 要旨を表示する

 近年、有機合成化学の分野では遷移金属や不斉触媒などを用いる多くの有用な合成法が開発され、複雑な化合物も比較的容易に合成することが可能となっているが、その分「効率的な合成」の重要性は軽視される傾向にある。効率的合成は経済、環境の面から見ても望ましいものである。本論文では「効率的な合成」の重要性を視野に入れた生物活性天然有機化合物の合成研究に関して論じたものであり、二部より構成されている。

 第一部では、光学活性リグナン類の合成研究を行っている。リグナンと称される化合物群は天然に数多く存在し、多様な生物活性を有することから、これまでに数多くの合成研究がなされている。しかしその多くはラセミ体合成であり、光学活性リグナン類の簡便な合成法が確立されているとは言えない。そこで光学活性なリグナン類を合成するための新規不斉反応の開発および天然物合成への応用を目的として研究を行った。新規不斉反応の開発にあたり、けい皮酸誘導体に不斉補助基としてL-プロリンを導入し、不斉二量化反応を試みたところ、二酸化鉛を用いた酸化反応、あるいは電解酸化反応を用いて光学活性なビスラクトンを得ることに成功している。続いて本反応の天然物合成への応用を検討し、PAFアンタゴニストであるYangambin、Meth-A細胞に対する毒性物質であるCaruilignan A、さらにはザリガニに対する摂食阻害物質であるSauriolAおよびBを短工程で光学的に純粋に合成している。これにより非常に優れた光学活性リグナン類の合成法を開発し、生物活性天然物の「効率的な合成」を示すことができた。

 第二部では昆虫摂食阻害物質アザジラクチンの合成研究を行っている。アザジラクチンはインドセンダンの種子から単離されたC-seco-リモノイドであり、様々な草食昆虫に対して強力な摂食阻害活性と変態阻害活性を有する。また、そのユニークな構造から合成化学的にも大きな関心がもたれているが、その複雑な構造のために未だ全合成は達成されていない。そこでアザジラクチンの効率的な全合成を目的として研究を行った。

 ピロンとα,β-不飽和ラクトンを有する化合物の分子内ディールス・アルダー反応、脱炭酸、クライゼン転位反応によってA環部の基本骨格を構築し、その後、α,β-不飽和ケトンの酸化的開裂、アルドール反応などを経て正しい立体化学を有するアザジラクチンA環部を構築している。B環部の構築にはラジカル環化反応を用いており、アレンを利用したタンデム型ラジカル環化反応によりメチルシクロペンテン環を有するモデル化合物の合成に成功した。全23工程、総収率0.63%でモデル化合物の合成を達成し、他のグループと比べて約半分と非常に短工程でC8-C14結合を有する形でのデカリン骨格の構築に成功している。

 また、光学活性体を用いてのアザジラクチンの全合成研究においては、左右両部分を光学活性な出発原料より合成することに成功し、さらに両者のカップリングおよびSN2'反応ににより、タンデム型ラジカル環化反応前駆体であるアレンへの変換まで完了している。本合成法によりアザジラクチンの全合成が達成できれば、他の競合グループと比較してはるかに短工程の極めて効率的な合成になる。

 以上本論文は、「高効率的合成デザインに基づく生物活性天然有機化合物の合成研究」を基盤として、光学活性リグナン類の新規不斉合成法の確立および天然物合成への応用と、昆虫摂食阻害物質アザジラクチンの効率的な合成に関する研究をまとめたものであり、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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