学位論文要旨



No 122382
著者(漢字) 谷川,美頼
著者(英字)
著者(カナ) タニガワ,ミライ
標題(和) 酵母の浸透圧応答における膜タンパク質Sho1pとWASPホモログLas17pの機能解析
標題(洋)
報告番号 122382
報告番号 甲22382
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3106号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 斎藤,春雄
 東京大学 助教授 前田,達哉
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 細胞は絶えず変化する環境に適応し生き抜くための多様な適応応答機構を備えている。外界からの刺激は、その刺激に対するセンサーを活性化させ、細胞内へ情報を伝達し、適切な応答反応を引き起こす。本研究では、酵母Saccharomyces cerevisiaeのストレス応答について解析している。第一章では、WASPホモログであるLas17pの解析からストレス時のアクチン骨格制御について考察する。第二章では、Las17pとストレス応答性MAPK経路の構成因子Sho1pとの結合解析から、MAPK経路の特異性の保持機構について考察する。

第一章 浸透圧ストレス依存的なLas17pのリン酸化とアクチン骨格制御

<序論> 酵母は、高浸透圧、低浸透圧、過酸化水素、熱などの刺激をうけると、アクチンが脱局在する。しかし、実際にどのような分子メカニズムで脱局在が引き起こされるのか、またその生理的な意義については不明である。そこでわれわれは、アクチン重合を制御する分子、Las17pのストレス時の振る舞いを解析することで、アクチン骨格制御についての知見を得ることを試みた。Las17pはS. cerevisiaeにおける唯一のWASPホモログである。WASPははじめヒト遺伝性免疫疾患であるWhiscott-Aldrich syndromeの原因遺伝子産物として同定された。その機能は、アクチン重合の核となる分子Arp2/3複合体を活性化してアクチン重合を活性化することである。Las17pもWASPと同様にArp2/3複合体を活性化する。Las17pはエンドサイトーシスや細胞極性の維持などアクチン重合を必要とする細胞内の様々なプロセスに重要な役割を果たしていることが明らかにされているが、Las17p自身の活性制御に関する知見は乏しい。本章では、Las17pがストレス依存的にリン酸化されることを見出し、その生理的意義について考察する。

<結果>1)Las17pは浸透圧ストレス依存的にGSK-3によってリン酸化される

 Las17pが浸透圧ストレスによってリン酸化されることを見出した。このリン酸化は、浸透圧刺激後直ちに観察され、且つ一過的な現象であった。

 次にLas17pのリン酸化を担うキナーゼの同定を試みた。その結果、GSK-3(glycogen synthase kinase 3)のホモログをコードするMCK1, MDS1(RIM11), MDK1, YOL128cを四重破壊したgsk-3Δ株において浸透圧依存的なLas17pのリン酸化が低下することを見出した。GSK-3は、進化的に広く保存されたプロテインキナーゼで、様々な分子をリン酸化し、多くの経路を制御していることが知られている。実際に、GSK-3がLas17pを基質とするのかを検討するために、in vitro キナーゼアッセイを行った。その結果、Las17pはGSK-3によってリン酸化された。この実験において、浸透圧刺激の有無でGSK-3のキナーゼ活性に影響はなかったが、Las17pが浸透圧刺激に依存してGSK-3以外のキナーゼにより予めリン酸化されることにより、GSK-3によるリン酸化効率が上昇することが示された。一般にGSK-3は、基質認識に他のキナーゼによる基質のリン酸化を必要とすることが多い。Las17pの場合も、未知のキナーゼによるLas17pのリン酸化が引き金となりGSK-3のリン酸化が引き起こされるようである。

2)浸透圧刺激はLas17pの脱局在を引き起こす

 次にLas17pの局在を免疫染色により観察した。ストレスを与えない細胞では、これまでの報告通りLas17pはbud tipやbud neckといった細胞伸長部に局在していた。しかし、細胞を浸透圧で刺激するとLas17pの脱局在が観察された。さらに、この脱局在におけるLas17pの刺激依存的なリン酸化の関与を検討するために、gsk-3Δ株でLas17pの局在を観察した。その結果、gsk-3Δ株では刺激後の脱局在する細胞の割合が有意に低下していた。このことはGSK-3のリン酸化が、Las17pの細胞伸長部からの脱局在を引き起こしていることを示唆している。

4)gsk-3Δ株ではアクチンの脱局在は野生株より遅れて起こる

 浸透圧刺激後、直ちにLas17pの脱局在が観察されるのに対して、アクチンの脱局在はそれよりもかなり遅れて起こる。このことからアクチンの脱局在は、Las17pのようなアクチン重合を制御する分子の脱局在によって引き起こされるのではないかと考えた。そこで、浸透圧刺激後もLas17pが局在を維持し続けるgsk-3Δ株のアクチンを観察した。その結果gsk-3Δ株では、アクチンの脱局在は野生株よりも遅れて起こることがわかった。この結果は上に述べた仮説を支持しており、GSK-3が浸透圧ストレス下でのアクチン骨格制御に関与していることを示唆している。今後、Las17pのリン酸化部位を同定し変異を導入することで、gsk-3Δ株と同様にアクチンの脱局在が遅延するか否かを検討したい。

第二章 浸透圧応答における膜タンパク質Sho1pとWASPホモログLas17pの結合解析

<序論> 膜タンパク質Sho1pは二つのMAPK経路の構成因子である。一つは高浸透圧によって活性化されるHOG経路で、もう一つは栄養源飢餓によって活性化される擬菌糸形成経路である。どちらの経路においてもSho1pは遺伝学的に最上流に位置しており、センサーの一部であると考えられている。Sho1pはC末端側の細胞質領域にSH3ドメインをもつ。浸透圧ストレス時には、このSH3ドメインを介してHOG経路のMAPKK Pbs2pと結合して経路を活性化する。擬菌糸形成経路においては、どのようにSho1pが経路の活性化に関わっているのかについては不明である。また、Sho1pがもしセンサーであるとしたら、実際に何を感知し、二つの異なる経路を制御しているのかについても不明である。

 近年、S. cerevisiaeの各々のSH3ドメインに対して結合するコンセンサスモチーフを同定した解析により、Sho1pのSH3ドメインがLas17p上の配列、311RPLPQLP317、と結合する可能性が報告された。Sho1pはアクチン近傍に局在することが知られており、アクチンの制御因子であるLas17pとの結合を示唆するこの報告は興味深い。そこで第二章では、Las17pとSho1pの関係を明らかにすることを目標に行った。

<結果> 1)Las17pはSho1pと浸透圧依存的に結合する

 ホルマリンを用いたin vivo クロスリンク法により、生理的な条件下でのタンパク質間結合を検出する技術を確立した。これにより、Sho1pがPbs2pのみならず、Las17pとも浸透圧刺激依存的に結合することを明らかにした。Sho1pとLas17pの結合はSho1pとPbs2pの結合と比較して、刺激後より早い時間の一過的なものであった。また、Las17p上のSho1pとの結合が予想された配列のPro314に変異を導入したLas17p(P314A) 変異体はSho1pと結合できないことを示した。

2)las17(P314A)変異株では、浸透圧刺激によってHOG経路のみならず擬菌糸形成経路の活性化がおこる

 次に、las17(P314A)変異株のHOG経路に与える影響を検討した。その結果、この変異株においても、野生株と同様に浸透圧依存的にHOG経路は活性化され、高浸透圧培地での生育も可能であった。ただし、刺激直後は野生株より強くHog1pがリン酸化されていた。

 前述したように、Sho1pは擬菌糸形成経路の構成因子でもある。よって、この経路へのlas17(P314A)変異の影響も検討した。その結果、変異株では浸透圧刺激によって擬菌糸形成経路のMAPK Kss1pが強く活性化された。この結果は、Las17pはSho1pと結合することで、擬菌糸形成経路へのクロストークを押さえていることを示唆している。

総合討論

 第一章では、Las17pの浸透圧依存的なGSK-3によるリン酸化と、Las17pの脱局在について述べた。gsk-3Δ株で浸透圧刺激によるLas17pの脱局在が観察されないことは、GSK-3のリン酸化がLas17pの脱局在を引き起こしていることを示唆している。Las17pは細胞伸長部でのアクチン重合の起点となっているという報告があり、Las17pのbud tipへの局在により極性成長が促されていると考えられている。浸透圧刺激によって引き起こされるLas17pの脱局在の生理的意義とは、ストレス環境下での極性成長をキャンセルすることではないかと考えている。また、Las17pのリン酸化はin vitroでSho1pとの結合の低下をもたらしたが、Las17pの脱局在にSho1pは必要ではなかった。従って、Las17pのリン酸化はSho1pのみならず、他の局在を決定している分子との結合も阻害していることが予想される。今後はLas17pのリン酸化部位、及びGSK-3によるリン酸化を引き起こすプライミングキナーゼの同定が課題であろう。

 第二章ではLas17pと Sho1pが浸透圧によって結合することを明らかにし、それが経路の特異性の保持に寄与している可能性を示した。HOG経路にはSho1pによらないもう一方の上流経路、Sln1p経路が存在するが、Sln1p経路欠損株においてはKss1pの強いリン酸化が観察された。つまりSln1p経路には、擬菌糸形成経路を積極的に抑制する機構が存在するようである。またこの結果は、Sho1pが浸透圧ストレスによってHOG経路のみならず擬菌糸形成経路も活性化しうることも示唆している。Sho1pとLas17pの結合の意義とは、刺激直後にHOG経路、擬菌糸形成経路、双方の活性化を抑制し、Sln1p経路の活性化によりHOG経路の特異性が確保されるための時間的猶予を与えることなのではないかと考えている。実際に野生株ではSho1p経路はSln1p経路より遅れて活性化される。このことは、HOG経路の特異性を確保する上で、その時間的要素もまた厳密に制御されていることを示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

 細胞は絶えず変化する環境に適応し生き抜くための多様な適応応答機構を備えている。外界からの刺激は、その刺激に対するセンサーを活性化させ、細胞内へ情報を伝達し、適切な応答反応を引き起こす。本論文は、酵母Saccharomyces cerevisiaeのストレス応答について解析したものである。第一章では、WASPホモログであるLas17pの解析からストレス時のアクチン骨格制御について考察し、第二章では、Las17pとストレス応答性MAPK経路の構成因子Sho1pとの結合解析から、MAPK経路の特異性の保持機構について考察している。

 第一章では浸透圧ストレス依存的なLas17pのリン酸化について述べている。酵母は、高浸透圧、低浸透圧、過酸化水素、熱などの刺激をうけると、アクチンが脱局在する。しかし、実際にどのような分子メカニズムで脱局在が引き起こされるのか、またその生理的な意義については不明であった。そこで本論文では、アクチン重合を制御する分子、Las17pのストレス時の振る舞いを解析することでアクチン骨格制御についての知見を得ることを試みている。Las17pはS. cerevisiaeにおける唯一のWASPホモログで、WASPと同様にアクチン重合の核となる分子Arp2/3複合体を活性化してアクチン重合を活性化する分子である。まず、Las17pがストレス依存的にリン酸化されることを見出している。そして、そのリン酸化はGSK-3が担うことを明らかにしている。GSK-3は、進化的に広く保存されたプロテインキナーゼで、様々な分子をリン酸化し、多くの経路を制御していることが知られている。in vitroキナーゼアッセイを行い、Las17pがGSK-3によって実際にリン酸化されることを示している。この実験において、浸透圧刺激の有無でGSK-3のキナーゼ活性に影響はなかったが、浸透圧刺激に依存してLas17pがGSK-3以外のキナーゼにより予めリン酸化されることにより、GSK-3によるリン酸化効率が上昇することを報告している。この実験からLas17pが未知のキナーゼによりリン酸化され、それが引き金となりGSK-3のリン酸化を引き起こすという機構について論じている。

 さらに、浸透圧刺激は極性成長部からLas17pの脱局在を引き起こすという現象について、Las17pの脱局在がgsk-3破壊株では観察されないことから、Las17pのリン酸化がLas17pの脱局在を引き起こしている可能性について論じている。

 浸透圧刺激後、直ちにLas17pの脱局在が観察されるのに対して、アクチンの脱局在はそれよりもかなり遅れて起こることから、アクチンの脱局在は、Las17pのようなアクチン重合を制御する分子の脱局在によって引き起こされる可能性について検討している。本論文ではgsk-3Δ株のアクチンを観察し、アクチンの脱局在は野生株よりも遅れて起こることを述べている。この結果から、GSK-3がLas17pのリン酸化を介して浸透圧ストレス下でのアクチン骨格制御に関与している可能性について考察している。

 第二章では、浸透圧応答におけるLas17pのSho1p制御機構について述べている。膜タンパク質Sho1pは二つのMAPK経路の構成因子である。一つは高浸透圧によって活性化されるHOG経路で、もう一つは栄養源飢餓によって活性化される擬菌糸形成経路である。どちらの経路においてもSho1pは遺伝学的に最上流に位置しており、センサーの一部であると考えられている。本論文ではホルマリンを用いたin vivoクロスリンク法により、生理的な条件下でのタンパク質間結合を検出する技術を確立し、これにより、Sho1pがPbs2pのみならず、Las17pとも浸透圧刺激依存的に結合することを明らかにしている。さらにSho1pとLas17pの結合は、Sho1pとPbs2pの結合と比較して、刺激後より早い時間の一過的なものであることを報告している。また、Las17p上のSho1pとの結合が予想された配列のPro314に変異を導入したLas17(P314A)p変異体はSho1pと結合できないことを示している。続いて、las17(P314A)変異株のHOG経路に与える影響を検討し、この変異株では、刺激直後に野生株より強くHog1pがリン酸化されることについて報告している。さらにlas17(P314A)変異の擬菌糸形成経路への影響も検討し、変異株では浸透圧刺激によって擬菌糸形成経路のMAPK Kss1pが活性化されることを述べている。これらの結果を受けて、考察ではLas17pがSho1pに結合し、刺激直後のSho1pを不活性化することで擬菌糸形成経路へのクロストークを抑制する機構について論じている。

 以上、本論文は、酵母の浸透圧ストレス応答の新しい分子機構を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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