学位論文要旨



No 122383
著者(漢字) 菊間,隆志
著者(英字)
著者(カナ) キクマ,タカシ
標題(和) 麹菌Aspergillus oryzaeのオートファジーに関する研究
標題(洋)
報告番号 122383
報告番号 甲22383
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3107号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 堀内,裕之
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 助教授 有岡,学
内容要旨 要旨を表示する

 真核細胞にはオートファジーと呼ばれる分解系が存在し、ユビキチン-プロテアソーム系と並び細胞内の主要な分解機構として機能している。オートファジーは自身の細胞内成分を液胞/リソソーム内の加水分解酵素によって分解する系の総称であり、哺乳動物細胞では1)マクロオートファジー、2)ミクロオートファジー、3)シャペロン介在性オートファジーの3つのタイプが知られている。この中で最も分解活性が高いと考えられているのがマクロオートファジーであり、通常オートファジーと表現した場合、マクロオートファジーを意味する。マクロオートファジー(以下オートファジー)の最も重要な機能は、栄養飢餓に対する適応である。オートファジーは栄養飢餓に応答して顕著に誘導され、隔離膜により細胞内成分を囲い込み、液胞/リソソームに輸送し再利用する。近年では、オートファジーが栄養飢餓に対する生存戦略としてだけではなく、通常時の細胞内浄化、抗原提示、病原性細菌に対する防御、発生および分化、細胞死、癌を含む疾患などにも関与することも報告されている。

 オートファジーの分子機構については、酵母Saccharomyces cerevisiaeにおいて多数のオートファジー不能変異株が取得されたことにより研究が始まり、その原因遺伝子はATG(autophagy-related)と命名されている。その中で、ATG8がコードするAtg8は、ホスファチジルエタノールアミン(PE)と結合し、オートファジーにおいて観察される構造体(preautophagosomal structure(PAS), 隔離膜, オートファゴソーム, オートファジックボディー)の膜上に存在することから、これらのマーカーとして利用されている。しかし、オートファジーの機能多様性から考えると、単細胞生物である酵母による研究には限界がある。そこで、本研究では多細胞真核微生物である糸状菌A. oryzaeを用いて解析を行った。

1. A. oryzaeにおけるオートファジーの可視化(1), 2), 3))

 A. oryzaeにおいてオートファジーを可視化するため、ATG8のA. oryzaeにおけるホモログ遺伝子をA. oryzaeゲノムデータベースより検索し、クローニングした。この遺伝子は推定118アミノ酸残基からなるタンパク質をコードし、S. cerevisiae Atg8と79%の相同性を示した。さらに、C末端にPEとの結合に必須なグリシン残基も保存されていたことから、この遺伝子をAoatg8と命名した。

 次に、蛍光タンパク質EGFPおよびDsRed2とAoAtg8の融合タンパク質(EGFP-AoAtg8, DsRed2-AoAtg8)を発現する株を取得し、蛍光顕微鏡により観察した。富栄養条件下の菌糸においては、EGFP-AoAtg8およびDsRed2-AoAtg8の蛍光は細胞質または液胞近傍のドット状の構造体に観察された。この構造体はS. cerevisiaeにおけるPASであると考えられた。さらに、窒素源枯渇培地に置換し4時間後の菌糸を観察した結果、蛍光は液胞内に観察された。これは、オートファジーによってAoAtg8が液胞内に輸送されたものであると予想された。また、共焦点レーザー顕微鏡により、オートファゴソーム形成中の隔離膜であると思われるカップ状の構造体や、隔離膜が細胞質成分を隔離して形成されたオートファゴソーム様のリング状の構造体にEGFP-AoAtg8の蛍光が観察された。これらの結果は、A. oryzaeにおいてもS. cerevisiaeと同様のオートファジー機構が保存されていることを示唆した。

 オートファジーは酵母、細胞性粘菌、線虫、ショウジョウバエなどにおいて分化や発生にも関与するという報告があることから、A. oryzaeの分化におけるオートファジーの関与を検討した。富栄養条件下においてEGFP-AoAtg8およびDsRed2-AoAtg8の蛍光を観察したところ、膨潤した分生子や発芽中の分生子および発芽管では、蛍光が液胞内に観察された。さらに、富栄養条件下における気中菌糸および分化中の分生子柄を観察したところ、分生子柄の頂嚢やフィアライドに強い蛍光が検出された。これらの結果により、A. oryzaeにおいてオートファジーが分生子発芽や分生子形成に関与することが示唆された。

 さらに、オートファジーが基本的に非選択的な分解系であることに着目し、細胞質中に発現させた蛍光タンパク質の液胞への取り込みを観察することによって、オートファジーを検出することを試みた。細胞質中にDsRed2を発現する株を窒素源枯渇条件下にシフトし蛍光顕微鏡で観察した。その結果、DsRed2の蛍光は液胞内で観察された。一方、富栄養条件下においては、液胞への局在は観察されなかった。分生子発芽時や分生子柄においては、EGFP-AoAtg8の蛍光と同様に、富栄養条件下においても液胞への局在が観察され、オートファジーの分生子発芽や分生子形成への関与がさらに強く示唆された。

2. A. oryzaeにおけるオートファジー機能の解析(1), 2))

 AoAtg8の機能およびA. oryzaeにおけるオートファジーの生理的意義を明らかにするために、Aoatg8遺伝子破壊株を作製した。この破壊株を寒天培地上に生育させたところ、気中菌糸および分生子の形成に欠損が見られた。最小培地においては、野生株と比較して、若干の生育阻害が観察された。また、実際にオートファジーが欠損しているかどうかを検討するために、この破壊株の細胞質中にDsRed2を発現する株を作製した。この株を窒素源枯渇培地に置換したところ、DsRed2の液胞への取り込みは観察されなかった。このことから、Aoatg8破壊株はオートファジーを欠損していることが分かった。これらの結果から、AoAtg8はオートファジーに必須のタンパク質であり、オートファジーが気中菌糸形成および分生子形成に関与していることが示唆された。

 EGFP-AoAtg8の局在解析により、オートファジーが分生子発芽時にも誘導されていることが示唆された。そこで、分生子発芽時におけるオートファジーの関与を検討するため、Aoatg8破壊株にthiAプロモーター制御下でAoAtg8を発現させるプラスミドを導入し、Aoatg8条件発現株を作製した。この条件発現株は、発現が誘導されるチアミン非存在下では表現型が回復し、気中菌糸および分生子形成が観察された。一方、発現が抑制される100 nM以上のチアミン存在下では破壊株と同様の表現型を示した。分生子を回収し、窒素源枯渇培地で分生子発芽を観察した結果、チアミン存在下において発芽に遅れが生じた。しかし、植菌から16時間以上経過すると野生株と変わらない発芽率を示すことから、オートファジーは少なくとも部分的に分生子発芽の初期の段階で機能していることが示唆された。

3. DNAマイクロアレイを用いたAoatg8破壊株の網羅的発現解析

 Aoatg8破壊株においてどのような遺伝子発現の変動があるかをDNAマイクロアレイにより検討した。Aoatg8破壊株および野生株を、破壊株の表現型が最も顕著に現れるPD寒天培地に植菌し、50時間培養した菌体およびPD液体培地において24時間培養した菌体から回収したRNAを用いてDNAマイクロアレイ解析を行った。その結果、A. oryzaeゲノムデータベース上に存在するS. cerevisiaeの18個のATG遺伝子と高い相同性を示す遺伝子の中で、PD寒天培地上に生育した破壊株において発現量が減少したものは存在せず、特にATG1, ATG9, ATG13のホモログは2.6〜4.0倍の上昇を示した。Atg13はTorの制御を受けAtg1と複合体を形成しオートファジーを誘導する。従って、オートファジーの欠損によりシグナルがこの複合体で停止し、発現が上昇したものと考えられた。また、PD寒天培地において顕著に発現が減少した遺伝子として分生子柄形成の中心的な制御因子であるbrlA、hydrophobinをコードする遺伝子hypA (rolA)、hypBが検出された。これらは、気中菌糸および分生子形成の欠損というAoatg8破壊株の表現型に一致した。また、PD寒天培地とPD液体培地では破壊株において窒素源および炭素源利用に関する遺伝子の発現パターンが相反していた。以上の結果より、オートファジーを介した気中菌糸形成や分生子形成および栄養源獲得のための遺伝子発現変動の全体的な傾向が明らかとなったと考えている。

まとめ

 本研究では、産業上重要な麹菌A. oryzaeにおけるオートファジーの可視化および破壊株、条件発現株の観察により、Aoatg8の気中菌糸、分生子形成と分生子発芽への関与という新たな知見を得た。また、Aoatg8破壊株のDNAマイクロアレイ解析により、オートファジー欠損によるATG遺伝子群のマクロの視点での発現制御が示され、さらに気中菌糸形成に関する遺伝子群の発現制御の一端が明らかになった。A. oryzaeは古来より日本の発酵産業に利用されてきたという事実とともに、有用タンパク質生産の宿主としての機能も期待されている。しかしながら、A. oryzaeにおける生命現象の分子レベルでの解析は最近になって始まったばかりである。オートファジーは真核生物における生存に関して重要な機能を果たしており、A. oryzaeはそのモデルとしての役割に留まらず、分子レベルでの解析は産業利用にも応用できるものと期待している。

1) Kikuma, T., Ohneda, M., Arioka, M., Kitamoto, K. (2006) Functional analysis of the ATG8 homologue Aoatg8 and role of autophagy in differentiation and germination in Aspergillus oryzae. Eukaryot. Cell, 5, 1328-1336.2) Kikuma, T., Arioka, M., Kitamoto, K. (2006) Autophagy during conidiation and conidial germination in filamentous fungi. Autophagy, 3, in press.3) Mabashi, Y., Kikuma, T., Maruyama, J., Arioka, M., Kitamoto, K. (2006) Development of a versatile expression plasmid construction system for Aspergillus oryzae and its application to visualization of mitochondria. Biosci. Biotechnol. Biochem., 70,1882-1889.
審査要旨 要旨を表示する

 真核細胞にはオートファジーと呼ばれる分解系が存在し、ユビキチン-プロテアソーム系と並び細胞内の主要なタンパク質分解機構として機能している。オートファジーの最も重要な機能は、栄養飢餓に対する適応である。オートファジーは栄養飢餓に応答して顕著に誘導され、隔離膜により細胞内成分を囲い込み、液胞/リソソームに輸送し再利用する。本研究は糸状菌A. oryzaeを用いて多細胞真核微生物のオートファジーに関して解析したものであり、序章に続く3章からなる。

 第一章では、A. oryzaeにおけるオートファジーの可視化について述べている。ATG8のA. oryzaeにおけるホモログ遺伝子(Aoatg8)をゲノムデータベースより検索し、クローニングした。次に、蛍光タンパク質EGFPおよびDsRed2とAoAtg8の融合タンパク質を発現する株を取得し、蛍光顕微鏡により観察した。富栄養条件下の菌糸においては、発現株の蛍光は細胞質または液胞近傍のドット状の構造体に観察された。この構造体はS. cerevisiaeにおけるPAS (preautophagosomal structure)であると考えられた。さらに、窒素源枯渇培地に置換し4時間後の菌糸を観察した結果、蛍光は液胞内に観察された。これは、オートファジーによってAoAtg8が液胞内に輸送されたものであると想定された。これらの結果は、A. oryzaeにおいてS cerevisiaeと同様のオートファジー機構が保存されていることを示したものである。次に、A. oryzaeの分化におけるオートファジーの関与を検討した。富栄養条件下においてEGFP-AoAtg8発現株の蛍光を観察したところ、膨潤した分生子や発芽中の分生子および発芽管では、蛍光が液胞内に観察された。さらに、富栄養条件下における気中菌糸および分化中の分生子柄を観察したところ、分生子柄の頂嚢やフィアライドに強い蛍光が検出された。これらの結果により、A. oryzaeにおいてオートファジーが分生子発芽や分生子形成に関与することが示唆された。

 第二章では、AoAtg8の機能およびA. oryzaeにおけるオートファジーの生理的意義を明らかにするために、Aoatg8遺伝子破壊株を作製し、解析している。破壊株を寒天培地上に生育させたところ、気中菌糸および分生子の形成に欠損が見られた。また、実際にオートファジーが欠損しているかどうかを検討するために、この破壊株の細胞質中にDsRed2を発現する株を作製した。この株を窒素源枯渇培地にシフトしたところ、DsRed2の液胞への取り込みは観察されなかった。このことから、Aoatg8破壊株はオートファジーを欠損していることが明らかになった。EGFP-AoAtg8の局在解析により、オートファジーが分生子発芽時にも誘導されていることが示唆された。そこで、分生子発芽時におけるオートファジーの関与を検討するため、Aoatg8破壊株にthiAプロモーター制御下でAoAtg8を発現させるプラスミドを導入し、Aoatg8条件発現株を作製した。この条件発現株は、発現が誘導されるチアミン非存在下でのみ、野生株と同様に気中菌糸および分生子形成が観察された。分生子を回収し、窒素源枯渇培地で分生子発芽を観察した結果、チアミン存在下において発芽に遅れが生じたことから、オートファジーは分生子発芽の初期の段階で機能していることが示唆された。

 第三章では、Aoatg8破壊株においてどのような遺伝子発現変動があるかを調べるため、DNAマイクロアレイを用いた網羅的発現解析結果について述べている。Aoatg8破壊株および野生株を、PD寒天培地に植菌し、50時間培養した菌体から回収したRNAを用いてDNAマイクロアレイ解析を行った。その結果、A. oryzaeゲノムデータベース上に存在するS.cerevisiaeの18個のATG遺伝子と高い相同性を示す遺伝子の中で、破壊株において発現量が減少したものは存在せず、特にATG1, ATG9, ATG13のホモログは2.6〜4.0倍の上昇を示した。Atg13はTorの制御を受けAtg1と複合体を形成しオートファジーを誘導する。従って、オートファジーの欠損によりシグナルがこの複合体で停止し、発現が上昇したものと考えられた。また、PD寒天培地において顕著に発現が減少した遺伝子として分生子柄形成の中心的な制御因子であるbrlAなどが検出された。これらは、気中菌糸および分生子形成の欠損というAoatg8破壊株の表現型に一致した。

 以上、本研究は、産業上重要な麹菌A. oryzaeにおけるオートファジーに関しての初めての研究であり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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