学位論文要旨



No 122391
著者(漢字) 今清水,正彦
著者(英字)
著者(カナ) イマシミズ,マサヒコ
標題(和) 酸素発生型光合成生物における基本転写装置の構造・機能解析
標題(洋) Structural and functional analyses of a basel transcription apparatus in oxygenic photosynthetic organisms
報告番号 122391
報告番号 甲22391
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3115号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 田中,寛
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 西山,真
 東京農業大学 教授 吉川,博文
内容要旨 要旨を表示する

 シアノバクテリアの基本転写装置RNA polymerase(RNAP)は、α2ββ'ωサブユニットで構成されるコア酵素と、転写開始に必要なσ因子から成るバクテリア型であるが、通常のバクテリア型RNAPとは異なる独自の構造的特徴が2点挙げられる。1つは、コア酵素のβ'サブユニットがN末端側とC末端側の2つの独立のサブユニットに分断され、そのうちC末端側のサブユニットに約70 kDaに及ぶ巨大な挿入ドメインが存在することである。この挿入ドメインはシアノバクテリアの他に葉緑体RNAPにも保存されており、サイズ縮小の進化圧がかかる葉緑体ゲノムにコードされているにも拘らず、さらに大きくなる傾向が見られるため、酸素発生型光合成代謝との繋がりが予想される。もう1つの特徴は主要σ因子(SigA)のN末端側(1.1領域)にみられ、通常のバクテリア型では酸性アミノ酸が保存されているこの領域に塩基性アミノ酸のクラスターが存在することである。これまでの研究の中で、シアノバクテリアと大腸菌のRNAPにおけるプロモーター認識の相違を示唆する結果が得られた。また、シアノバクテリアRNAPの構造予測により、上記の酸素発生型光合成生物に特有の特徴は、転写反応の多くのステップで構造的に重要な位置を占め得ることが推察された。本研究では、これらのRNAPの構造的特徴が、転写反応において、どのような役割を持つのかを明らかにすることを目的として以下に示す解析を行った。

(1)シアノバクテリアにおけるβ'サブユニットの挿入ドメインの構造・機能解析

 RNAPのβ'挿入ドメイン(β' subunit Insertion Domain, BID)は、進化系統によって分子量が大きく異なるが、葉緑体・シアノバクテリア型RNAPでは上述したように著しく大きい。大腸菌におけるBIDの機能は、転写開始や伸長反応の一部への関与が知られており、一方で、構造的にBIDに対応する真核生物RNA polymerase II(PolII)のサブユニットであるRpb9は、転写の正確性維持への寄与が知られている。また、BIDとRpb9の両者において、それぞれ転写伸長因子であるGre、TFIISとの相互作用が示されている。これらの結果は、BIDが転写開始反応、及び伸長反応において重要な役割を持つことを示唆する。

 BID解析の出発点として、葉緑体・シアノバクテリア型RNAPの全体構造を解き、巨大なBIDを持つRNAPの構造モデルを作ることを試みた。生物材料として、好熱性シアノバクテリアThermosynechococcus elongatusを用い、大量培養からの高純度のコア酵素精製系を確立した。従来、酸素発生型光合成生物のRNAP精製は、細胞内に多量に含まれるチラコイド膜成分との相互作用を外す操作が煩雑であり、長時間を要するとともに収率も悪かった。本研究では、初期精製で疎水性クロマトグラフィーとDEAE陰イオン交換クロマトグラフィーを用いることにより、細胞に多量に含まれる膜と色素タンパクを除去し、従来の超遠心とポリエチレンイミン(PEI)沈殿を使う方法に比べ、収率と時間効率を3倍以上高めることに成功した(図1)。また、精製に用いるPEIは真核生物のRNAPにおいて転写前複合体の形成を阻害することが知られているが、シアノバクテリアにおいても、PEIを用いて精製した酵素に比べ、比活性の高い酵素を得ることができた。しかし、この精製RNAPコア酵素を用いて結晶化を試みたが、反射を示す単結晶を得ることができなかった。そこで本研究では、BIDを単独で大腸菌に大量発現させ、高純度まで精製し、結晶化に成功した(図2)。発現BIDタンパク質は、単独でDNA結合能があることから、単独での構造を用いても機能的な考察が得られると考えられる。得られた単結晶は、低分解能であったため、さらにTrypsin消化によるBIDタンパク質の安定領域の探索、沈殿剤と温度条件の検討により高分解能の反射が得られるように結晶に改良を加え、得られた単結晶(図3)から、約3Åの分解能の反射を得た(図4)。構造解析の戦略として、BIDタンパク質にMetを3カ所点変異で導入し、合計7個のMetをSeMetに置換し、シンクロトロン放射光を駆使した多波長異常分散(MAD)法による解析を行った。シンクロトロンにおいて3つのSeMet置換体結晶からのMADデータセットを得ることにより、初期位相の決定に必要な情報を集めることができた。現在、MADデータによる構造解析を進めている。

(2)シアノバクテリアにおけるSigAのN末端領域(R1.1)の機能解析

 これまで、主要σ因子(SigA)は、RNAPコア酵素と結合しない限りDNAに結合しないという定説があった。その説では、酸性であるN末端領域(R1.1)がDNAの類似体のような役割をして、σ因子のDNA結合領域を不活性し、この阻害がコア酵素との結合により解除されると言われているが、未だ議論の余地が残されていた。本研究では、シアノバクテリアと葉緑体のSigAにおけるR1.1のC末端側に注目してみると、塩基性アミノ酸のクラスターが見られることから、R1.1の静電作用による働きは上記の説とは異なる可能性を予想した。

 このシアノバクテリアにおけるR1.1の機能を調べるため、T. elongatusのR1.1欠損SigAを発現・精製し、全長のSigAとDNA結合性を比較した。興味深いことに、結果は通常のバクテリアにおける結果とは逆で、R1.1はSigA単独でのDNAとの結合に必須であった。このSigAにおけるDNAの結合は、プロモーター配列特異的ではなかった。SigAには、プロモーター特異的な結合に必須な領域(R2、R4)が知られている。R1.1には直接的なDNA結合能がなく、これらのDNA結合領域を活性化することにより、SigA単独でのDNA結合を可能にしていることが示唆された。また、T. elongatusから精製したコア酵素と、これらSigAを再構成させ、in vitro転写系を構築し、転写反応におけるR1.1の機能を調べた。R1.1は、σ因子とRNAPコア酵素との再構成効率、及びDNAの開鎖複合体の安定化には影響を与えないが、最終的な転写量を1/10程度低下させた。この転写量低下の原因は転写開始反応の第一段階であるRNAPホロ酵素とDNA結合による複合体(binary compley)形成の阻害であることを明らかにした。

 今後、SigAのR1.1による転写反応の生理的意義を明確にしていく必要があるが、本研究で見出されたシアノバクテリアSigA R1.1によるDNA結合能とbinary complex形成の阻害効果は、他のバクテリアには見られない、酸素発生型光合成生物の基本転写装置の特徴となる転写反応への新たな知見を与えると思われる。

(3)シアノバクテリアRNAPの進化的位置づけと機能的特徴

 現在の植物細胞の出現の過程における重要なイベントの1つは、光化学系における水の分解機構の獲得である。この水から酸素を発生させるシステムには、光化学系IIのMnクラスターが必須であるため、酸素発生型光合成細菌のシアノバクテリアは、それ以前に誕生した紅色光合成細菌に比べ、細胞内Mg(2+)濃度が約100倍高いとされている。Mn(2+)の細胞内毒性の1つには、RNAPの活性中心Mg(2+)との交換による転写エラー(転写時における誤ったヌクレオチドの取り込み)が挙げられるが、酸素発生型光合成を行うシアノバクテリアと植物の葉緑体のRNAPは、転写エラーを抑えるべく、独自の構造的進化を遂げた可能性がある。この仮説の検証を行うため、大腸菌とシアノバクテリアのRNAPを用いて、現在in vitro転写反応溶液のMg/Mn比の変化による転写反応への影響を比較している。これまでに、両RNAP活性の至適Mg(2+)、Mn(2+)濃度を基礎データとして得ている。今後、シアノバクテリアRNAPのBID欠損型とSigA R1.1欠損型を用いて、これらのドメインと転写反応におけるMn2+濃度効果との相関を調べる予定である。

 終わりに、本研究では酸素発生型光合成生物のRNAPの特徴のうち、SigAにおけるR1.1の機能についての新しい知見と、シアノバクテリアの転写研究における幾つかの基礎データ(RNAP精製法およびin vitro転写系の改善、大腸菌RNAPによる転写機能との比較情報)を得ることができた。また、BIDタンパク質の結晶化に成功し、構造決定に必要な全情報を整えることができた。BIDの構造と機能に関する情報が得られた後、これらの情報をまとめてBIDとR1.1の転写における作用機構を類推し、酸素発生型光合成生物のRNAPに独自の機能について、新しい概念を提示したいと考えている。

参考文献1. Imashimizu M, Hanaoka M, Seki A, Murakami KS, Tanaka K. FEBS Lett. 2006, 580:3439-44.2. Imashimizu M, Fujiwara S, Tanigawa R, Tanaka K, Hirokawa T, Nakajima Y, Higo J, Tsuzuki M. J Bacteriol, 2003, 185:6477-80.

図1 RNAPコア酵素の精製過程 (SDS-PAGE)

図2 精製BIDタンパク質 (SDS-PAGE)

図3 BIDの単結晶

図4 BID結晶(図3)の回析図

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、酸素発生型光合成生物の基本転写装置RNA polymerase(RNAP)における特有の構造と機能の相関を明らかにすることを目的に行われた研究であり、3章からなる。

 第1章では、シアノバクテリアにおける主要σ因子(SigA)のN末端領域(R1.1)の機能解析について述べている。通常のバクテリアのSigAでは、R1.1は酸性であり、σ因子単独でのDNA結合を阻害することが知られているが、シアノバクテリアと葉緑体のR1.1には特異的な塩基性アミノ酸のクラスターが存在する。本研究では、シアノバクテリアT. elongatusの主要σ因子(SigA)を材料として用いてR1.1の機能解析を行った。まず、大腸菌の過剰発現系を用いてSigA、およびR1.1を欠失したsigAを組換えタンパク質として調製し、これらのDNA結合能を比較することで、R1.1がσ因子単独でのDNA結合に必須であることを明らかにした。また、SigAのN末端断片タンパク質を数種作製してDNA結合機構について解析した結果、R1.1には直接的なDNA結合能が無く、プロモーターDNA結合領域(R2、R4)を活性化することにより、sigA単独でのDNA結合を可能にしていることが示唆された。さらにin vitro転写反応においてR1.1は、RNAPホロ酵素による転写開始反応の第一段階であるDNAとのbinary complex形成を阻害することを明らかにしている。σ因子とRNAPコア酵素との再構成効率、及びDNAの開鎖複合体の安定化にはR1.1の影響がないことから、転写におけるシアノバクテリアのR1.1の役割の一つをin vitroで同定することに成功している。

 第2章では、シアノバクテリアRNAPにおけるβ'サブユニットの挿入ドメインのX線結晶構造と機能解析について述べている。RNAPのβ'挿入ドメイン(β'subunit Insertion Domain, BID)は、進化系統によって分子量が大きく異なるが、葉緑体・シアノバクテリア型RNAPでは著しく大きい。RNAPの活性中心に近接し、独立した柔軟な構造ドメインを作るBIDには転写反応における重要な役割が推察されるが、構造・機能的に未知の点が多く残されている。酸素発生型光合成生物に特有の巨大BIDの構造解析の出発点として、まず好熱性シアノバクテリアT. elongatusを用い、大量培養からの高純度のRNAPコア酵素精製系を確立し、従来の方法に比べ時間効率と収率を約3倍上げることに成功した。この精製RNAPを用いて結晶化を試みたが、反射を示す単結晶を得ることができなかったため、BIDを単独で大腸菌に大量発現させ、高純度まで精製し、結晶化に成功している。構造解析の戦略として、BIDタンパク質にMetを3カ所点変異で導入し、合計7個のMetをSeMetに置換し、シンクロトロン放射光を駆使した多波長異常分散(MAD)法による解析を行った。シンクロトロンにおいて3っのSeMet置換体結晶から、分解能3.3ÅのMADデータセットを得ることに成功し、初期位相の決定に必要な情報を集めることができた。現在、MADデータによる構造解析を進めている。

 第3章では、シアノバクテリアRNAPの機能解析から得られた新しい知見について述べている。さらに、シアノバクテリアと大腸菌RNAPの構造・機能比較から、酸素発生型光合成生物に固有のRNAPの構造的特徴と機能の繋がりについて論じている。これまで、様々な生物由来のRNAPを用いたin vitro転写反応で、転写のinitiation complexから安定なelongation complexへの移行段階における不活性な初期のoligo RNA合成が起こることが知られており、この現象はabortiveサイクルと呼ばれているる。本研究では、シアノバクテリアRNAPを用いたin vitro転写反応で、このabortiveサイクルが大腸菌RNAPと比べて極めて起こりにくいこと。そして、シアノバクテリアRNAPが大腸菌RNAPと比較して高いクリアランス能を持ち、効率良くelongation complexを形成することを示した。シアノバクテリアRNAPのpromoterとのbinary complex形成効率が、大腸菌RNAPと比較して約1桁低かったことから、申請者はPromoter DNAに対する親和性の強さがabortive RNAの合成と相関するという、転写反応における新しい概念を本章で提唱している。また、本研究では大腸菌とシアノバクテリアのRNAPの機能的違いを決定する構造因子について、BIDに基づいた議論を進めた。BIDは酵母RNAPIIやバクテリアのRNAPの結晶構造解析から、RNAPの全体構造において、活性中心から下流のDNAと相互作用する位置に存在することが推定される。本研究では、大腸菌を用いて調製した組換えBIDタンパク質が、1本鎖および2本鎖DNAと結合することを示し、この結合によりシアノバクテリアにおけるelongation complexの安定性が高められていることを示唆している。

 以上、本論文ではシアノバクテリアRNAPを用い、酸素発生型光合成生物におけるRNAPの構造的特徴(R1.1とBID)の機能についての新しい知見と、転写開始反応におけるabortiveサイクルの解釈において新しい概念を示している。また、BIDの構造解析の全データ取得に成功し、光合成生物のRNAP結晶化に必要な精製法を確立しており、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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