学位論文要旨



No 122398
著者(漢字) 正路,淳也
著者(英字)
著者(カナ) ショウジ,ジュンヤ
標題(和) 麹菌Aspergillus oryzaeの液胞機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 122398
報告番号 甲22398
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3122号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 堀内,裕之
 東京大学 助教授 有岡,学
内容要旨 要旨を表示する

 液胞は植物や真核微生物の有する酸性コンパートメントであり、物質の分解と貯蔵、細胞質イオンの恒常性維持に重要とされている。真核微生物のモデルである出芽酵母では、液胞へのタンパク質輸送に欠損を持つ50以上の変異体の解析から、液胞への小胞輸送の詳細な機構が明らかにされてきた。これらの研究における重要なタンパク質の一つが、液胞膜上のSNARE(soluble N-ethylmaleimide sensitive factor attachment protein receptor)タンパク質Vam3pである。Vam3pは液胞への小胞輸送及び液胞同士の同型融合を仲介することで、液胞形成において中心的役割を果たす。またVam3pおよび他の生物におけるその相同タンパク質は恒常的に液胞膜に存在することから、液胞のマーカータンパク質として、また液胞膜を可視化するために用いられている。

 一方ここ十数年の菌根菌における研究から、糸状菌における液胞の特徴的な側面が明らかになってきた。その一つは極めて動的なチューブ状液胞が恒常的に存在することである。その特異な形態と運動性から、チューブ状液胞は菌根菌において宿主植物と菌糸先端間での栄養輸送を行っている可能性が示唆されている。しかし菌根菌は分子生物学的な手法の適用が難しいことから、この仮説はその後検証されないまま今日に至っている。また菌根菌以外の糸状菌においても同様のチューブ状液胞が存在することが分かっているが、その生理的意義に関しても未解明のままである。つまり糸状菌の液胞に関しては興味深い現象が見いだされているにも関わらず、主に分子レベルでの解析の遅れから、液胞機能の大部分は未解明のままであった。

 このような理由から、糸状菌における液胞機能の解明には、まず実験手法の充実を図ることが先決であると考えられた。そこで糸状菌Aspergillus oryzaeにおけるVAM3相同遺伝子Aovam3を単離し、EGFP (enhanced green fluorescent protein)とAoVam3pの融合タンパク質を用いることで液胞膜観察系の確立を行うとともに、Aovam3条件発現株作製のためのプロモーター候補としてA. oryzae thiAプロモーターの解析を行った。また、確立された液胞膜観察系を活用し、分生子発芽や気中菌糸といった発達段階における液胞形態の観察を行った。この過程で、基部の菌糸において細胞質成分の分解が起こっている可能性が示唆されたため、さらに基部菌糸におけるオルガネラの液胞による取り込みについても解析を行った。

1. A. oryzae thiAプロモーターによる発現の解析(1))

 A. oryzaeにおいて遺伝子の条件的発現による解析はこれまでなされていなかった。これに対しA. nidulansでは、アルコールデヒドロゲナーゼをコードするalcAのプロモーターを用いた条件発現株作製が行われている。しかしalcAプロモーターのように、糸状菌にとって重要な栄養である炭素源を置換して制御しなくてはならないプロモーターは、本来遺伝子の条件制御において望ましくない。そこで炭素源に依存しないプロモーターの候補として、A. oryzaeにおいてthiamine生合成に関わるthiAのプロモーター(PthiA)に着目し、EGFPを用いたレポーターアッセイによりその発現を解析した。その結果、thiamine濃度が1nM以下の時にPthiA下流のEGFPの発現がみられたが、100nM以上のthiamine存在時に発現は基底レベルまで低下し、10nMのthiamineを含む条件では中間程度の発現がみられた。このことからPthiAは遺伝子の条件発現に有効であることが分かった。実際当研究室において、複数の遺伝子の条件発現株がPthiAを用いて作製され、成功を収めている。

2. EGFP-AoVam3p融合タンパク質の局在解析

 A. oryzaeにおいて発現させたEGFPとAo Vam3pの融合タンパク質(EGFP-Ao Vam3p)は主に液胞膜上に存在した。しかし液胞内腔を染色するCMACを用いてEGFP-Ao Vam3p発現株を染色すると、一部のEGFP蛍光はCMACによって染色されない粒状の構造体に観察された。これら粒状構造体は液胞近傍に存在し、エンドサイトーシス経路を染色するFM4-64によって染色された。これらの特徴は出芽酵母のclass E vps変異体における肥大した後期エンドソームと一致していることから、この構造体が糸状菌の後期エンドソーム構造であることが考えられる。従ってEGFP-Ao Vam3pは液胞に加え、後期エンドソーム構造にも局在することが示唆された(2))。出芽酵母においてはゴルジ体から液胞膜への小胞輸送において後期エンドソーム上のPep12p及び液胞膜上のVam3pという二つのt-SNAREが必要である。A. oryzaeを含む糸状菌においてはPep12pをコードする遺伝子が存在しないことから、Ao Vam3pが後期エンドソーム、液胞の両方に局在することによってPep12p、Vam3p両者の機能を果たしているのかもしれない。しかしA. oryzaeにおいてこれまで後期エンドソームは厳密に定義されておらず、有効なマーカータンパク質も存在しない。そこでAo Vam3pが実際に後期エンドソームにも局在するか調べるため、出芽酵母Vps23pの相同タンパク質を用いた後期エンドソームの可視化を行った。Ao Vps23pとEGFPの融合タンパク質はEGFP-Ao Vam3pにより可視化された後期エンドソーム様構造に類似したコンパートメントに局在した。現在EGFP-Ao Vam3pが同じ構造体に局在するか解明を行っている。

3. EGFP-Ao Vam3pを用いたA. oryzae液胞形態の解析(2))

 共焦点レーザー顕微鏡を用いた観察を行うことにより、EGFP-Ao Vam3pが液胞の膜上に局在することがはっきりと観察できる。しかし2日乃至3日培養した菌糸体の基部の菌糸においては、EGFP蛍光が発達した液胞の内腔に見られた。融合タンパク質においてEGFPは細胞質側に露出するように設計されているため、このようなEGFPのトポロジーの変化には液胞膜の内腔への陥入および出芽が必要である。これらの菌糸において、液胞は細胞の大半を占める程に発達していた。このことから、菌糸基部においては細胞質成分がオートファジーにより液胞内腔へ取り込まれ、それに伴って液胞膜も内腔へと取り込まれていることが示唆された。

 さらにEGFP-Ao Vam3pによる液胞観察系を利用し、様々な発達段階にある菌糸の液胞を観察した。分生子において液胞は小さな粒状構造として存在していたが、分生子の膨潤、発芽に伴って次第に大きく発達し、直径5μm近くにまで達した。これは分生子発芽において、液胞が細胞の肥大化に必要な膨圧を提供するなど何らかの役割を担っている可能性を示唆している。また、ガラス表面に伸長した菌糸(ガラス表面菌糸)と気中菌糸という限られた栄養下におかれた菌糸の液胞観察を試みたところ、ガラス表面菌糸、気中菌糸ともに、液体培地中で培養した菌糸と比べチューブ状液胞が発達していることを見出した。特にガラス表面菌糸においてチューブ状液胞は、極めて密な網目状構造をとっていた。このことから、A. oryzaeにおいてチューブ状液胞は、限られた栄養しか得られない菌糸への栄養輸送に関わっている可能性が示唆された。

 以上の結果を合わせて、糸状菌の液胞が菌糸の部位に応じて特化した役割を持っている可能性が考えられる。基底部の生長を停止した領域において、液胞は細胞質成分をオートファジーによって取り込み、分解する。分解産物である低分子化合物はチューブ状の液胞によって、菌糸の生長先端、特に栄養と直接接していない菌糸へと輸送される、というモデルを提案した。(3))

4.菌糸基底部における細胞質成分、オルガネラの分解

 上述のモデルの妥当性を検討するため、基部菌糸における細胞質成分の分解についてより詳細な解析を行った。当研究室で作製された、ヒストンH2B、ペルオキシソーム局在シグナル、クエン酸還元酵素にそれぞれEGFPを融合して発現することで核、ペルオキシソーム、ミトコンドリアを可視化した株を用い、顕微鏡観察を行った。1日培養の時点でEGFP蛍光はそれぞれ核、ペルオキシソーム、ミトコンドリアに対応する丸い球状構造、粒状構造、チューブ状構造に局在していた。しかし2日培養後の基部菌糸においては、いずれの株においても液胞内腔にもEGFP蛍光が見られた。さらにオートファジーに必須なAoatg8を破壊した株において同様の実験を行ったところ、いずれのオルガネラマーカーも液胞内へ取り込まれなくなった。以上の結果から、A. oryzaeの基部菌糸においてはペルオキシソーム、ミトコンドリア、核といったオルガネラのオートファジーによる取り込みが起こっていることが示唆された。さらにEGFPは液胞内腔に拡散して観察されたことから、取り込まれたオルガネラが分解を受けていることも示唆された。

まとめ

 糸状菌の液胞研究はこれまで、染色試薬などで液胞内腔を可視化し顕微鏡を用いた観察を行うという方法で進展してきた。しかしEGFP-Ao Vam3pを用いた液胞観察系を確立させたことにより液胞膜の簡便で高解像度の観察が可能となり、基部の菌糸における液胞膜の取込みといった新規の知見ももたらされた。また従来の方法では観察できなかった気中菌糸などを観察できるようになったことから、糸状菌の液胞がこれまで考えられてきたよりもさらに多型な構造であり、菌糸の部位に応じて特化した役割を担っている可能性も示唆された。このように本研究は液胞の糸状菌特異的な側面を明らかにし、今後の研究の道筋を示したという点で大きな意義を持っていると考えている。また様々なオルガネラを可視化した株の利用など現在A. oryzaeにおいて適用可能な系を駆使することで、糸状菌の液胞機能に関して提示したモデルの検証を十分行えることが分かった。本研究を草分けとして、今後液胞研究のモデル糸状菌としてのA. oryzaeが確立されることを期待したい。

参考文献1) Shoji, J. Y., et al., 2005. Development of Aspergillus oryzae thiA promoter as a tool for molecular biological studies. FEMS Microbiol. Lett., 244(1):41-62) Shoji, J. Y., et al., 2006. Vacuolar membrane dynamics in the filamentous fungus, Aspergillus oryzae. Eukaryot. Cell, 5(2):411-4213) Shoji, J. Y., et al., 2006. Possible involvement of pleiomorphic vacuolar networks in nutrient recycling in filamentous fungi. Autophagy, 2(3):226-227
審査要旨 要旨を表示する

 液胞は植物や真核微生物の有する酸性コンパートメントであり、物質の分解と貯蔵、細胞質イオンの恒常性維持に重要とされている。真核微生物のモデルである出芽酵母では、液胞へのタンパク質輸送に欠損を持つ50以上の変異体の解析から、液胞への小胞輸送の詳細な機構が明らかにされてきた。一方ここ十数年の菌根菌における研究から、糸状菌における液胞の特徴的な側面が明らかになってきた。その一つは極めて動的なチューブ状液胞の存在であるが、その特異な形態と運動性から、チューブ状液胞は菌根菌において宿主植物と菌糸先端間での栄養輸送を行っている可能性が示唆されている。しかし菌根菌は分子生物学的な手法の適用が難しいことから、この仮説はその後検証されないまま今日に至っている。

 本研究では、糸状菌Aspergillus oryzaeにおけるVAM3相同遺伝子Aovam3を単離し、EGFP-AoVam3融合タンパク質を用いることで液胞膜観察系の確立を行うとともに、Aovam3条件発現株作製のためのプロモーター候補としてA. oryzae thiAプロモーターの解析を行った。また、確立された液胞膜観察系を活用し、分生子発芽や気中菌糸といった発達段階における液胞形態の観察を行った。この過程で、基部の菌糸において細胞質成分の分解が起こっている可能性が示唆されたため、さらに基部菌糸におけるオルガネラの液胞による取り込みについても解析を行った。

 第1章ではA. oryzae thiAプロモーターによる発現の解析を行った。炭素源に依存しないプロモーターの候補として、A. oryzaeにおいてthiamine生合成に関わるthiAのプロモータ(PthiA)に着目し、EGFPを用いたレポーターアッセイによりその発現を解析した。その結果、thiamine濃度が1nM以下の時にはPthiA下流のEGFPの発現がみられたが、100nM以上のthiamine存在時に発現は基底レベルまで低下し、10nMのthiamineを含む条件では中間程度の発現がみられた。このことからPthiAは遺伝子の条件発現に有効であることが分かった。

 第2章ではEGFP-Ao Vam3融合タンパク質の局在解析を行った。EGFP-Ao Vam3は主に液胞膜上に存在したが、液胞内腔を染色するCMACを用いて染色すると、一部のEGFP蛍光はCMACによって染色されない粒状の構造体に観察された。これら粒状構造体は液胞近傍に存在し、後期エンドソーム構造であることが考えられた。そこでAo Vam3pが実際に後期エンドソームにも局在するかを調べるため、出芽酵母Vps23pの相同タンパク質を用いた後期エンドソームの可視化を行った。その結果、AoVps23-EGFP融合タンパク質はEGFP-Ao Vam3により可視化された後期エンドソーム様構造に類似したコンパートメントに局在した。

 第3章ではA. oryzae液胞形態の解析をより詳細に行った。EGFP-Ao Vam3は液胞の膜上に局在したが、2日ないし3日培養した菌糸体の基部の菌糸においては、EGFP蛍光が発達した液胞の内腔に見られた。融合タンパク質においてEGFPは細胞質側に露出するように設計されているため、このようなEGFPのトポロジーの変化には液胞膜の内腔への陥入および出芽が必要である。また、ガラス表面に伸長した菌糸(ガラス表面菌糸)と気中菌糸という限られた栄養下におかれた菌糸の液胞観察を試みたところ、ガラス表面菌糸、気中菌糸ともに、液体培地中で培養した菌糸と比べチューブ状液胞が発達していることを見出した。特にガラス表面菌糸においてチューブ状液胞は、極めて密な網目状構造をとっていた。このことから、A. oryzaeにおいてチューブ状液胞は限られた栄養しか得られない菌糸への栄養輸送に関わっている可能性が示唆された。

 第4章では菌糸基底部における細胞質成分、オルガネラの分解について検討した。EGFP融合タンパク質を用いて核、ペルオキシソーム、ミトコンドリアを可視化した株を観察したところ、1日培養の時点でEGFP蛍光はそれぞれのオルガネラに局在していた。しかし2日培養後の基部菌糸においては、いずれの株においても液胞内腔にもEGFP蛍光が見られた。さらにオートファジーに必須なAoatg8を破壊した株において同様の実験を行ったところ、いずれのオルガネラマーカーも液胞内へ取り込まれなくなった。以上の結果から、A. oryzaeの基部菌糸においてはペルオキシソーム、ミトコンドリア、核といったオルガネラのオートファジーによる取り込みが起こっていることが示唆された。

 以上本研究では、EGFP-Ao Vam3を用いた液胞観察系を確立させ、液胞膜の簡便で高解像度の観察を行った。それにより、従来の方法では困難だった気中菌糸の観察が可能になるとともに、基部の菌糸における液胞膜の取込みといった新規の知見も得られ、糸状菌の液胞がこれまで考えられていたよりもさらに多型な構造であり、菌糸の部位に応じて特化した役割を担っている可能性も示唆された。このように本研究は液胞の糸状菌特異的な側面を明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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