学位論文要旨



No 122400
著者(漢字) 関,麻子
著者(英字)
著者(カナ) セキ,アサコ
標題(和) シアノバクテリアにおけるグループ1/2シグマ因子群による環境応答機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 122400
報告番号 甲22400
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3124号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 田中,寛
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 助教授 野尻,秀昭
 東京大学 特任助教授 西田,洋巳
内容要旨 要旨を表示する

序章

 バクテリアの転写装置、RNAポリメラーゼのプロモーター認識特異性を決定するサブユニットはシグマ因子である。バクテリアは様々な環境変化やストレスに応じて遺伝子発現をダイナミックに変化させるが、この際にはシグマ因子の置換によるRNAポリメラーゼ特異性の変化が大きな役割を果たすことが知られている。その構造から、シグマ因子はシグマ70型及びシグマ54型に大別される。前者に含まれるグループ1シグマ因子は一つの細胞内に一種類しか存在せず、生育に必須なハウスキーピングな役割を果たしている。当研究室において、グループ1と相同性の高いグループ2シグマ因子群が、様々なバクテリアに普遍的に存在することが見出されてきた。中でもシアノバクテリア群は4-5種類と、特に多くのグループ2シグマ因子群をそのゲノムにコードしている。シアノバクテリアは太古から存続している生物であり、現在も海、湖、緑地、砂漠に至るあらゆる環境下に生存している。本研究は、シアノバクテリアにおけるグループ2シグマ因子の解析を中心に、シアノバクテリアのもつ優れた環境適応能力を明らかにすることを目的として行ったものである。

第一章 シアノバクテリアにおけるグループ1/2シグマ因子群のin vitro転写特異性

 シアノバクテリアSynechococcus sp. PCC7942 (以下 Synechococcus)は、グループ1シグマ因子(RpoD1)と5種のグループ2シグマ因子群(RpoD2、RpoD3、RpoD4、RpoD5(SigC)、RpoD6)を持つ。これらグループ1/2シグマ因子は、特にプロモーター認識ドメインにおいて相同性が高い。本研究ではSynechococcus細胞から精製したRNAポリメラーゼコア酵素、および大腸菌を用いて過剰発現させたRpoD1、RpoD3及びRpoD4によりRNAポリメラーゼホロ酵素を再構成し、in vitro転写系を用いてプロモーター認識特異性を調べた。その結果、RpoD1、RpoD3及びRpoD4は共にtac, rrnA等のコンセンサス型-プロモーターから転写を開始することができた。しかし、シグマ因子の違いによる転写活性の強弱が見られることから、これらシグマ因子の認識特異性は類似しているが同一ではない。アミノ酸配列を用いた系統解析の結果は、シアノバクテリアのそれぞれのグループ1/2シグマ因子が多様なシアノバクテリアの間で広く保存されていることを示す。従って、それぞれのグループ1/2シグマ因子は互いにプロモーター認識において重複性を持ちつつ、保存性の高い機能を分担していると考えられた(1)。

第二章 シアノバクテリアにおけるグループ2シグマ因子の環境応答機構

 シアノバクテリアのグループ1/2シグマ因子群はどの様に機能を分担しているのであろうか。

実験室培養条件(30℃、2%CO2、30μE(-1)s(-2))で培養したSynechococcus細胞を、塩(0.5M塩化ナトリウム)、浸透圧(0.5Mソルビトール)、強光(1,500μE(-1)s(-2))、暗、高温(42℃)及び低温(22℃)で30分間処理した後、グループ1/2シグマ因子群の発現をmRNAレベルで調べた。その結果、6種のシグマ因子は各刺激に応答して異なる発現パターンを示し、特にRpoD3は強光処理によって特異的に発現誘導されることが明らかになった。この際のシグマ因子群の発現を蛋白質レベルで解析した結果、RpoD1、RpoD2及びRpoD4が一定の発現量を示すのに対し、RpoD3蛋白質の顕著な増加が見られた。また、rpoD3破壊株は光高感受性を示すことが明らかになったことから、RpoD3は強光ストレスへの環境適応に関与することが示唆された。

第三章 シアノバクテリアにおけるrpoD3光発現誘導に関わるシグナル伝達因子

 第二章で述べた、RpoD3の光発現誘導機構を調べるため、rpoD3遺伝子の転写開始点を決定してその周辺領域の構造を解析した。その結果、rpoD3は単一の転写開始点及びシグマ70型-10配列を有するプロモーターを持ち、その近傍に光応答性エレメント(HLR1)様配列が存在することが明らかになった。HLR1は、光応答シグナル伝達に寄与する二成分制御系センサーキナーゼであるNblS依存的に発現誘導される遺伝子群、hliABC, psbAI, nblA, cpcBのプロモーター領域に見出されたコンセンサス配列((G/T)TTACA(TT/AA)nn(T/G)TACA(TT/AA))である(Kappell ら, Arch. Microbiol. 186: 403-413 (2006))。従ってrpoD3は、光に応答してNblS依存的に発現誘導される可能性が強く示唆された。NblSは、シアノバクテリアにおいて生育に必須なセンサーキナーゼの一つであるが、対応するレスポンスレギュレーターはこれまで知られていない。現在、RpoD3の過剰発現株におけるマイクロアレイ解析により、RpoD3支配下にある遺伝子群の特定を進めている。また、rpoD3プロモーターの転写活性化に直接に関わると考えられるレスポンスレギュレーターを特定するため、候補となるレスポンスレギュレーター蛋白質抗体を用いたクロマチン免疫沈降解析を行っている。

第四章 シアノバクテリアにおけるFe-Sクラスターの生合成に関わるsufBCDSオペロンの光応答性転写制御

 sufBCDS遺伝子群は、広くバクテリアに保存されているFe-Sクラスター生合成システムの一つをコードしており、酸化ストレスや鉄欠乏により発現誘導される。強光(1,500 μE(-1)s(-2))照射4時間後におけるsufBCDSオペロンの発現を調べた結果、二つのプロモーターのうち、P2からの転写産物は一定であったが、P1からの転写産物が著しく増加していた。強光によるsufBCDSオペロンの発現誘導はSynechococcusのrpoD3欠損株でも消失しないことから、別の転写因子による制御機構が考えられた。sufBCDSオペロン上流域には、逆向きにORFsll0088が存在する。sll0088は転写因子様ドメインを持ち、その欠損株ではsufBCDSオペロンの発現が著しく上昇することから、同オペロンの負の制御因子であろうと報告されている(Wang ら, J. Bacteriol. 186:956-967 (2004))。SynechocystisのP1及びP2についてin vitro転写解析した結果、共にグループ1シグマ因子(sigA)によって認識された。また、大腸菌過剰発現系により調製されたSll0088を同反応系に加えたところ、in vivo解析と同様にP2には影響を及ぼさなかったが、P1からの転写を濃度依存的に抑制した(2)。

第五章 シアノバクテリアにおけるRNAポリメラーゼ結合蛋白質

 RNAポリメラーゼの特異性調節は、シグマ因子以外にもRNAポリメラーゼに結合する調節因子群によってもなされることが多い。このような観点から、本研究ではシアノバクテリアRNAポリメラーゼに結合している蛋白質因子について検討した。RNAポリメラーゼコア酵素を構成するサブユニットのうち、β'のC末端にヒスチジンタグを付与したSynechocystis変異株を用い、この株からニッケルアフィニティーカラムとグリセロール密度勾配を用いてRNAポリメラーゼを精製した。その結果、同画分に数種の低分子量蛋白質を見出した。これらの蛋白質は質量分析により、リボソーム蛋白質(Rps2、Rps3、Rps11)、集光アンテナサブユニット(CpcC1、CpcC2)及びヒスチジン合成酵素(HisB)と同定された。リボソーム蛋白質及び集光アンテナサブユニットとの相互作用は、各々転写と翻訳のカップリング、及び光依存的な転写装置の制御機構を示唆している可能性が考えられる。

総括

 本研究では、バクテリアの中でも特に多様性に富んだシアノバクテリアの環境適応機構を転写レベルで解明する目的で、RNAポリメラーゼのシグマ因子群に注目した。In vitro転写の結果から、グループ1/2シグマ因子におけるプロモーター認識特異性の重複を示したが、各シグマ因子は、塩、浸透圧、強光、暗、高温及び低温の刺激に応答して、異なる発現パターンを示した。中でも、RpoD3は強光特異的に発現誘導され、rpoD3欠損株は光高感受性を示した。また、rpoD3のプロモーター領域にはHLR1様エレメントが存在し、NblSシグナル伝達系の制御下にあることが強く示唆された。一方で、同様に強光によって発現誘導されるsufBCDSオペロンは、RpoD3ではなくグループ1シグマ因子及び負の転写因子Sll0088依存的な転写制御を受けていた。これらの結果から、シアノバクテリアはあらゆる光環境に適応するため、グループ1/2シグマ因子や他の転写因子及びシグナル伝達因子を含む、複数システムによる転写レベルの制御機構を持つことが示された。

(1) Goto-Seki. A. et al. Mol Microbiol 34: 473-484 (1999)(2) Seki. A. et al. FEBS Lett 580: 5044-5048 (2006)
審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、シアノバクテリアにおけるグループ1/2シグマ因子群の基本的な機能について解析を行うとともに、これらシグマ因子群によるストレス応答、特に光環境応答について明らかにすることを目的として行われた研究であり、6章からなる。

 序章では、真正細菌及びシアノバクテリアの転写装置RNAポリメラーゼ及びシグマ因子の分類、構造的特徴及び機能について、また、光合成生物であるシアノバクテリアの光合成装置や、光に応答した遺伝子発現制御について詳細に記述し、本研究の背景を解説している。

 第一章では、シアノバクテリアSynechococcus elongatus PCC 7942(以下Synechococcus)におけるグループ1/2シグマ因子のプロモーター認識特異性についてin vitro転写解析を行っている。申請者はまず、Synechococcus細胞からRNAポリメラーゼコア酵素を精製し、大腸菌の過剰発現系を用いて発現精製したレコンビナントシグマ因子RpoD1、RpoD3、RpoD4と合わせて3種類のRNAポリメラーゼホロ酵素を再構成した。これらホロ酵素とコンセンサス型プロモーターtac、RNA I、rrnAプロモーターを用いたin vitro転写解析より、グループ1/2シグマ因子の認識特異性が類似しているが同一ではないことを明らかにしている。さらにこの結果から、シグマ因子とプロモーターが1対1の関係であるというこれまでの概念とは異なり、異なる環境条件下において発現する複数種のシグマ因子が1つのプロモーターの制御に関わる可能性を示した。

 第二章では、Synechococcusのグループ1/2シグマ因子群のストレス応答性発現について検討を行った。まず、Synechococcus細胞に塩、浸透圧、強光、暗、高温及び低温ストレスを与え、これらに応答したグループ1/2シグマ因子群の発現をmRNA及び蛋白質レベルで解析した。その結果、RpoD3を除くシグマ因子のmRNA量はこれら条件で大きく変動するが、蛋白質量は一定に保たれていること。そしてRpoD3について、強光ストレス特異的にmRNA、タンパク質レベルで発現誘導されることを明らかにしている。そして、rpoD3遺伝子破壊株が強光ストレスに感受性をもつことから、RpoD3が強光ストレス時に発現、機能するシグマ因子であることを提唱している。

 第三章では、rpoD3遺伝子の強光ストレスによる発現誘導機構について解析を試みている。まずrpoD3遺伝子の転写開始点の同定を行い、周辺領域の構造解析から、光応答性エレメント(HLR1)様配列が存在することを明らかにした。HLR1は、光応答性のシグナル伝達に寄与する二成分制御系センサーキナーゼであるNblS依存的に発現誘導される遺伝子群のプロモーター領域に見出されたコンセンサス配列である。このことから、rpoD3遺伝子の強光応答性発現もNblSに依存している可能性が示唆された。

 第四章では、強光ストレスに応答してRpoD3非依存的に発現誘導されるsufBCDSオペロンの発現誘導機構について、Synechocystis sp. PCC 6803 (以下 Synechocystis)の in vitro転写系を用いた解析を行っている。まず、RNAポリメラーゼコア酵素のβ'サブユニットにヒスチジンタグを付与したSynechocystis変異株を用いて、ニッケルアフィニティーカラムによる簡便なRNAポリメラーゼ精製法を確立した。この方法で精製したコア酵素と、大腸菌過剰発現系を用いて発現精製したグループ1シグマ因子SigAからホロ酵素を再構成し、sufBCDSオペロンのP1、P2プロモーターからの転写がSigA依存的であることを示している。さらに、遺伝学的な解析から同オペロンの負の制御因子であることが報告されているSufR蛋白質がP2には影響を及ぼさず、P1からの転写を濃度依存的に抑制することを示した。これにより、強光ストレス時においてP1の抑制が解除されることが、細胞内での発現誘導のメカニズムであることが考えられた。

 第五章では、RNAポリメラーゼの特異性調節がシグマ因子以外にもRNAポリメラーゼに結合する調節因子群によってもなされることを考慮し、シアノバクテリアRNAポリメラーゼの結合蛋白質について検討している。その結果、RNAポリメラーゼを更にグリセロール密度勾配法によって分画することで、RNAポリメラーゼと共精製される数種の低分子量蛋白質を見出した。これらは質量分析法によりリボソーム蛋白質、集光アンテナサブユニットであることが同定され、この結果から転写と翻訳のカップリング、及び光依存的な転写装置の制御機構について示唆している。

 以上、本論文はシアノバクテリアの環境適応機構を転写レベルで解明する目的でRNAポリメラーゼのシグマ因子群に注目し、特に強光ストレスに関与するシグマ因子の機能と遺伝子発現制御機構について明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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