学位論文要旨



No 122403
著者(漢字) 船本,林太郎
著者(英字)
著者(カナ) フナモト,リンタロウ
標題(和) アーバスキュラー菌根菌のリン酸代謝に関する研究
標題(洋)
報告番号 122403
報告番号 甲22403
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3127号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 助教授 藤原,徹
内容要旨 要旨を表示する

 アーバスキュラー菌根菌(AM菌)は、植物根内に感染し、宿主から光合成産物を受け取る一方で、土壌から吸収したリン酸を宿主に与える共生菌として知られている。AM菌はリン酸欠乏土壌などにおいて植物の生育を維持・促進するため、荒廃地の植性回復や低リン酸施肥型農業への応用が期待されているが、AM菌-宿主植物の共生機構については不明な点が多い。

 AM菌から植物へのリン酸供給機構は、現在のところ次のように考えられている。AM菌は、植物根外に伸長した外生菌糸を介して土壌からリン酸を吸収し、菌糸内でポリリン酸を合成する。ポリリン酸は植物根内部の内生菌糸まで輸送され、分解される。遊離したリン酸は、植物根細胞内に陥没するように形成された樹枝状体と呼ばれる器官において菌糸外へ放出され、植物へと供給される。

 現在までに、AM菌外生菌糸による土壌からのリン酸吸収機構、および植物によるAM菌由来のリン酸吸収機構については、リン酸輸送体の存在が示されある程度明らかにされてきた。しかし、リン酸の輸送を含め植物へのリン酸供給機構に関しては解明が進んでおらず、特に、リン酸の供給器官と予想されている樹枝状体におけるAM菌のリン酸代謝についてはほとんど不明である。そのため本研究では、AM菌による植物へのリン酸供給機構の理解のために、リン酸の菌糸内輸送および樹枝状体における代謝について研究を行った。

<リン酸の菌糸内輸送について>

液胞の構造およびpH解析

 AM菌には隔壁がなく、菌糸内には菌糸に沿って長い管状の液胞が存在している。また、菌糸内を活発に移動する小胞が存在することも報告されている。AM菌の菌糸内にはリン酸の重合体であるポリリン酸が大量に蓄積しているが、酵母ではポリリン酸が液胞に蓄積しているということから、AM菌においてもポリリン酸が液胞もしくは小胞に存在していると推測され、ポリリン酸は管状液胞内で、もしくは移動小胞により長距離輸送されると予想した。そこで初めに、ポリリン酸が液胞に存在することを示すため、AM菌感染根を蛍光プローブで標識し、ポリリン酸の局在観察を行った。その結果、ポリリン酸が管状液胞様構造体中に蓄積していることを確認した。

 次に、ポリリン酸の合成場所に関する知見を得るため、ポリリン酸合成場所の有力候補である液胞の性質に注目した。酵母では、液胞へのプロトン取り込みに伴いポリリン酸が合成される可能性が示唆されており、AM菌においても、ポリリン酸合成は外生菌糸内の液胞を含む酸性の細胞小器官で行われている可能性が高いと予想した。しかし、AM菌の細胞小器官は存在が示されているのみで、その性質についての報告はなかった。そこで、pH特異的に蛍光波長が変化する3種の蛍光プローブを用いて液胞と小胞の内部pH測定を行った。

 その結果、発芽菌糸と外生菌糸内に存在する小胞、および液胞とも酸性であることが明らかとなった。小胞および液胞が酸性であったことから、これらの内部でポリリン酸が合成されている可能性が示唆された。また、ポリリン酸は液胞全体で観察され、構造も物質輸送に適した管状であることから、合成されたポリリン酸は液胞内で貯蔵・輸送されていると考えられた。ただし、ポリリン酸が分解されると考えられている内生菌糸については、根の切片化に伴う小器官への損傷と植物根バックグラウンドのため測定できなかった。

<樹枝状体におけるリン酸代謝について>

樹枝状体におけるリン酸代謝解析のための2重標識法の開発

 樹枝状体はAM菌-植物間におけるリン酸と糖の交換場所であると長い間考えられてきた。最近では、AM菌感染により誘導される植物のリン酸トランスポーターやH+-ATPaseが、成熟した樹枝状体を包む植物細胞膜に局在することが報告され、宿主植物は成熟樹枝状体からリン酸を吸収していると推測されている。また、樹枝状体には高いアルカリフォスファターゼ(ALP)活性があることが知られており、この活性がポリリン酸の分解に何らかの機能を持ち、宿主へのリン酸供給に関与すると推測されてきた。しかし、実際にAM菌が樹枝状体からリン酸を供給しているかは不明である。

 本研究では、植物へのリン酸供給に関わると予想される樹枝状体におけるリン酸代謝に注目し、ポリリン酸分解へのALPの関与を示すために樹枝状体におけるALP活性とポリリン酸の局在関係の調査を行った。しかし、ポリリン酸とALP活性を同時に検出する手法はなかったため、まず、蛍光プローブを用いた二重標識法を開発した。そして、開発した二重標識法により樹枝状体を標識・観察した結果、非成熟樹枝状体ではALP活性が弱くポリリン酸は多く検出された。一方、成熟した樹枝状体では強いALP活性が検出され、ポリリン酸量はほとんど検出されなかった。これは、成熟樹枝状体においてポリリン酸が分解されてリン酸が放出され、その過程にALPが関与することを示唆している。

AM菌にリン酸供給調節機構が存在する可能性の検証

 上述の実験結果と、植物が樹枝状体周辺にAM共生特異的に発現するリン酸トランスポーターをもつことなどから、AM菌は成熟樹枝状体においてポリリン酸分解によりリン酸を遊離させて植物細胞との境界領域(ペリアーバスキュラースペース)に放出し、それを植物が吸収するというモデルが考えられた。ただし、これらの情報は、AM菌と植物それぞれについて別々に得られたものであり、AM菌からのリン酸放出と植物によるリン酸吸収の関係を明らかにするためには、時期や場所の同調性など、両者の問を埋める情報が必要であった。すなわち、植物のリン酸吸収関連因子が変化した場合に、AM菌のリン酸代謝関連因子も変化するかどうかを解析する必要があった。そこで本研究では、植物のリン酸吸収関連因子として最も重要と考えられるAM共生時に成熟樹枝状体特異的に発現するリン酸トランスポーター遺伝子LjPT3の発現をRNAi法により抑制し、AM菌への影響を解析した。

 AM菌のリン酸代謝への影響を検出するための指標として、成熟樹枝状体におけるポリリン酸およびALP活性の存在率を二重標識法により測定し、抑制区と対照区間で比較を行った。抑制区は対照区と比べ、成熟樹枝状体においてポリリン酸は増加し、ALP活性は低下した。このことから、植物のリン酸トランスポーター遺伝子の発現抑制がAM菌のリン酸代謝系に影響を与えることが明らかとなった。また、抑制区では、AM菌由来のリン酸を植物が吸収できないことから、膜間のリン酸濃度が高まると予想される。この時、ALP活性が低下したことから、AM菌が樹枝状体内外のリン酸濃度に応じてリン酸代謝を制御する機構をもっている可能性が考えられた。

 また、酵母では、ALP遺伝子(PHO8)を含むリン酸代謝関連遺伝子群の発現がリン酸濃度により制御されるPHO regulonと呼ばれる機構が知られている。AM菌でもALP遺伝子(GiALP)が単離されており、上述のLjPT3抑制株におけるALP遺伝子の発現解析を行った。その結果、LjPT3抑制株においてはGiALPの発現が抑制されていたことから、植物の樹枝状体からのリン酸吸収能の低下により生じたと予想されるリン酸濃度の変化により、ALPが遺伝子発現レベルで制御されていることが示唆された。さらに、GiALPタンパク質の局在をペプチド抗体を用いたウエスタンブロッティングにより解析した結果、膜画分に局在することが確認されたことから、GiALPは酵母のPHO8と同様に、液胞膜に局在するタンパク質であることが推察された。

 以上のことから、AM菌がPHO regulon様制御機構をもつこと、およびGiALPがその制御下にある可能性の高いことが示された。

まとめ

 土壌から取り込んだリン酸を液胞または小胞などの酸性小器官でポリリン酸に重合し、内生菌糸までポリリン酸を管状液胞内輸送し、成熟樹枝状体で分解している可能性が改めて示された。そして、樹枝状体におけるポリリン酸分解にはALPが関与しており、それらは植物のリン酸トランスポーターを介したリン酸吸収により一部制御されていることが示された。さらに、AM菌にも酵母のPHO regulon様リン酸代謝制御機構の存在することが示唆された。

 さらに研究が進められ、菌根共生を介した植物へのリン酸供給機構を理解することにより、AM菌による効率の良いリン酸供給条件が明らかになり、荒廃地の植生回復や低リン施肥型農業へのAM菌の応用が可能になると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 アーバスキュラー菌根菌(AM菌)は、植物根内に感染し、宿主から光合成産物を受け取る一方で、土壌から吸収したリン酸を宿主に与える共生菌として知られている。AM菌はリン酸欠乏土壌などにおいて植物の生育を維持・促進するため、荒廃地の植生回復や低リン酸施肥型農業への応用が期待されているが、AM菌―宿主植物の共生機構については不明な点が多い。これまでに、AM菌外生菌糸による土壌からのリン酸吸収機構、および植物によるAM菌由来のリン酸吸収機構については、リン酸輸送体の存在が示されある程度明らかにされてきた。しかし、リン酸の輸送を含め植物へのリン酸供給機構に関しては解明が進んでおらず、特に、リン酸の供給器官と予想されている樹枝状体におけるAM菌のリン酸代謝についてはほとんど不明である。本論文は、AM菌による植物へのリン酸供給機構の理解のために、リン酸の菌糸内輸送および樹枝状体における代謝について研究を行ったもので、5章より成っている。

 序論に続く第2章では、AM菌におけるリンの貯蔵形態であるポリリン酸とポリリン酸の分解に重要な役割を果たすと考えられるアルカリフォスファターゼ(ALP)について、同時に染色して観察する二重標識法の開発を試みた。その結果、ポリリン酸とALPを同時に観察する手法が確立された。開発された二重標識法により樹枝状体を標識・観察した結果、非成熟樹枝状体ではALP活性が弱くポリリン酸は多く検出された。一方、成熟した樹枝状体では強いALP活性が検出され、ポリリン酸量はほとんど検出されなかった。これは、成熟樹枝状体においてポリリン酸が分解されてリン酸が放出され、その過程にALPが関与することを示唆している。

 第3章では、根内のAM菌菌糸におけるリン酸代謝制御機構を解明するため、植物側のAM菌のリン酸取り込みに用いられていると報告されているリン酸トランスポーター(LjPT3)の発現の制御をRNAi法で行い、これがAM菌のリン酸代謝にどのように影響するか調べた。AM菌のリン酸代謝への影響を検出するための指標として、成熟樹枝状体におけるポリリン酸およびALP活性の存在を二重標識法により観察し、抑制区と対照区間で比較を行った。抑制区は対照区と比べ、成熟樹枝状体においてポリリン酸は増加し、ALP活性は低下した。このことから、植物のリン酸トランスポーター遺伝子の発現抑制がAM菌のリン酸代謝系に影響を与えることが明らかとなった。また、抑制区では、AM菌由来のリン酸を植物が吸収できないことから、植物とAM菌の間の膜間のリン酸濃度が高まると予想される。このような条件下でALP活性が低下したことから、AM菌が樹枝状体内外のリン酸濃度に応じてリン酸代謝を制御する機構をもっている可能性が示唆された。

 第4章では、ポリリン酸の合成場所に関する知見を得るため、ポリリン酸合成場所の有力候補である液胞に注目した。酵母では、液胞へのプロトン取り込みに伴いポリリン酸が合成される可能性が示唆されており、AM菌においても、ポリリン酸合成は外生菌糸内の液胞を含む酸性の細胞内小器官で行われている可能性が高い。しかしながら、AM菌の細胞小器官は存在が示されているのみで、その性質についての報告はない。そこで、pH特異的に蛍光波長が変化する3種の蛍光プローブを用いて液胞と小胞の内部pH測定を行った。その結果、発芽菌糸と外生菌糸内に存在する小胞および液胞とも酸性であることが明らかとなった。小胞および液胞が酸性であったことから、これらの内部でポリリン酸が合成されている可能性が示唆された。また、ポリリン酸は液胞全体で観察され、構造も物質輸送に適した管状であることから、合成されたポリリン酸は液胞内で貯蔵・輸送されていると推定した。

 以上、本論文はアーバスキュラー菌根菌のリン酸代謝について新しい知見を得たものであり、審査委員一同は学術上、応用上価値あるものと認め、博士(農学)の学位論文として十分な内容を含むものと認めた。

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