学位論文要旨



No 122407
著者(漢字) 山崎,智
著者(英字)
著者(カナ) ヤマサキ,サトシ
標題(和) 分子動力学シミュレーションを用いたDNAミニヘアピン分子の折れ畳み及び熱安定性の解析
標題(洋)
報告番号 122407
報告番号 甲22407
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3131号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,謙多郎
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 北尾,彰朗
 東京大学 特任助教授 寺田,透
 東京大学 助教授 中村,周吾
内容要旨 要旨を表示する

1.序

 核酸は生体内で様々な構造を取り、遺伝子の複製、転写、調節などに関わっていると考えられる。そのような核酸の構造の中で最も基本的なものの一つに核酸ヘアピン構造がある。核酸ヘアピン構造は、二本鎖のステム領域と、3〜5ヌクレオチド長ほどの一本鎖のループ領域からなる構造である。このようなヘアピン構造は、RNAではより高次の立体構造を構成する基本的な要素の一つとして様々な分子に見られ、そのフォールディング過程や、タンパク質との相互作用に深く関わっていると考えられている。また、ヘアピン構造はDNAにおいてもしばしば観察されており、とりわけ複製開始点やプロモーター領域付近に、安定なヘアピン構造をとる配列が存在する事が様々な生物種において明らかになっている。

これらのヘアピン構造は、DNAの複製・転写などの際に核酸結合タンパク質が認識し結合する部位であると考えられている。このヘアピン構造の安定性を左右する要因として、ステム領域の長さ・配列組成などが挙げられるが、それだけでは無く、ループ領域の配列によってもその安定性に大きな差が現れる事が知られている。このようなヘアピン構造の中で、配列長が短くかつ安定性の高いものは特にミニヘアピン構造と呼ばれている。

 このDNAミニヘアピン構造を切り出したような短いDNA断片はDNAミニヘアピン分子と呼ばれている。DNAミニヘアピン分子は、溶液中で同様のヘアピン構造をとり、やはりステム領域の長さ・配列組成だけでなく、ループ領域の配列によってもその安定性に差が現れる。このようにDNAミニヘアピン分子は、DNAヘアピン構造の構造的・熱力学的性質を非常によく現す小分子であるので、ヘアピン構造、ひいては核酸全般に関する構造的・熱力学的性質を知るための系として広く研究されている。DNAミニヘアピン分子のうち、単体で構造をとる最小のものは、2塩基対のステムと3ヌクレオチド長のループから成る分子である。YohizawaらによるdGC(NNN)GC分子の網羅的解析によると、ループ部分の配列がGNAのものは他のものに比べて熱安定性が高く、その中でもGAAは特に熱安定性が高い、という事実が知られている。

 本研究では、この安定なDNAミニヘアピン分子dGC(GNA)GCに特に着目し、分子動力学法に基づく種々の手法を用いて、この分子の熱力学的特性、また折れ畳み過程を明らかにする事を試みた。

2.拡張アンサンブル法を用いたdGC(GAA)GC分子のシミュレーション

 任意の温度における正しい構造分布が得られれば、その自由エネルギー地形から熱力学的特性、折れ畳み過程等様々な知見が得られる。その目的で、まず本研究ではdGC(GAA)GC分子に対して、レプリカ交換法及びマルチカノニカル法を用いた分子動力学シミュレーションを試みた。伸長構造からシミュレーションを開始して、長時間にわたるサンプリングを行ったものの、所々で局所構造にトラップされてしまい、十分に正確な構造分布は得られなかった。そのシミュレーションの中で、一度だけ天然構造に非常に近い構造が得られたため、その構造に至るまでの過程を解析したところ、まず全体が球状に丸まったのちに、ループ領域のG3・A5がペアを作り、その後ステム領域が正しくペアを作っていく、という過程が見られた。Sorinらは、核酸ミニヘアピン分子の折れ畳み過程について、ループ領域側から構造が形成されていくzippingと、ステム領域側から構造が形成されていくcompactionの2つの過程を挙げており、本研究で見られた過程はこのzipping過程に近いものであると考えられる。

3. Locally Enhanced Sampling法を用いたdGC(GNA)GC分子の解析

 拡張アンサンブル法を用いたシミュレーション結果では、伸長構造から天然構造に至ったもの以外に、ステム領域は天然構造と同じく正しいペアを作っているが、ループ領域は全く正しくない、といった構造もいくつか観察出来た。このような構造は、前述したcompaction過程の中間構造ではないかとも考えられる。このようなステム側から安定した構造を形成していく過程を追うために、ループ領域のサンプリングに非常に有効であるLocally Enhanced Sampling(LES)法を用いて、更なるサンプリングを行った。GNAヘアピン分子の中で唯一構造既知であるdGC(GAA)GC分子にっいては、NMR構造に非常に近い構造(全原子RMSD 1.49Å)が得られた。ヘアピン分子単体として実験的に構造が解かれていないその他3種のdGC(GNA)GC分子についても、GAAヘアピン分子の構造を元に作成したモデル構造を用いて、同様のLES法を用いたシミュレーションを行ったところ、GAAと同様の"side by side Ganti-Aanti pair"を持ったヘアピン構造が得られた。これらの分子の巻き戻り過程を詳細に解析した結果、正しく巻き戻った系のうち大多数で、A5、G3、N4の順に正しい位置に配置するという、非常に類似した過程を経由して天然構造に至っている事が分かった。このように巻き戻りの経路が限られる理由に関して、単純なトポロジーによる制約も考えられる。また、N4の塩基部分がwide-grooveにあたる部分と相互作用し、そこに捕らわれてしまうといった過程が、収束に至らなかったもののいくつかで見られたが、このA5の主鎖二面角の一部に天然構造と同じ構造をとるような拘束を与えてシミュレーションを行ったところ、それまで見られたlocal minimum構造へとは向かわず、天然に非常に近い構造が得られた。これらの事から、A5がまず安定してG6とスタックする事がこの過程にとって非常に重要であると考えられる。

4.同法によるdGC(GAN)GCの解析

 Yoshizawaらの結果によると、dGC(GAN)GC分子はdGC(GNA)GC分子ほどの高い安定性を示さない。よって、dGC(GAN)GC分子に同様のLES法を用いた分子動力学シミュレーションを適用すれば、dGC(GNA)GC分子の場合とは異なる結果が得られる事が期待され、安定性の差とループ領域の構造・配列の差の関連性を明らかにすることが出来る。本研究ではGAA以外のdGC(GAN)GC分子に対して、同様のLES法を用いた分子動力学シミュレーションを行い、その最安定構造の探索を試みた。その結果、dGC(GNA)GC分子の場合とは異なり明確な安定構造は得られなかった。GAC、GATでは短期間ではあるが収束した構造が得られたものの、それらはどれも不安定なものであった。GACループを持つ分子としては、dGCATC(GAC)GATGC(PDB:1P0U)が構造既知であり、これはsheared-type Ganti-Csynペアを取っているが、本研究ではそのCの向きが反転した構造しか得られなかった。1P0Uと同様のループ構造を持つdGC(GAN)GC分子をモデリングし、explicit water環境での分子動力学シミュレーションを行う事で、その構造の安定性を確かめてみたところ、GNAヘアピン分子ほどでは無いが、GAT、GAGヘアピン分子と比較すると非常に安定と言える結果となった。GACヘアピン分子はYoshizawaらの結果においてもGAT、GAGヘアピン分子と比較すると熱安定性が高い事が示されており、それはループ領域がこのようなある程度安定なループ構造をとっている事によるものであると考えられる。一方、GAT、GAGヘアピン分子のループ領域は一定の安定した構造をとらないため、ヘアピン分子全体の安定性に対して何らプラスの寄与をしないものと考えられる。

5.自由エネルギー解析

 LES法を用いたシミュレーションの結果、4種のdGC(GNA)GCヘアピン分子については非常に安定な構造が得られ、3種のdGC(GAN)GCヘアピン分子についてはGNAほど安定な構造は得られなかった。これらの構造の溶液中での安定性、エネルギー差をより詳細に見積もるために、LES法によって得られた安定構造を元に、explicit water環境での分子動力学シミュレーション、およびMM-GB/SA法によるエネルギー計算を行った。dGC(GNA)GCヘアピン分子は4種ともほぼ同様の安定性を示し、ループ部分がunfoldingした状態と比較してΔH=23〜40kcal/molの安定化が見られた。一方、3種のdGC(GAN)GCヘアピン分子では、ループ構造はやはり不安定であり、ΔH=14〜22kcal/molと、GNAヘアピン分子と比較してenthalpy面での安定化の程度は小さい事が示された。

6.まとめ

 本研究では、拡張アンサンブル法やLES法を用いた分子動力学シミュレーションを、核酸分子の中では単独で構造をとるものとしては最小と考えられるミニヘアピン分子に対して適用し、その折れ畳み過程や溶液中での安定性に関して詳細な解析を行った。拡張アンサンブル法の結果からは、その折れ畳み過程のうちzippingに近い過程が観察出来た。また、LES法の結果からは、ステム領域、次いでループ領域の順で折れ畳みが起きるような、compactionに近い過程も確認出来、それらの多くは非常に似通った過程を経ていた。4種のGNAヘアピン分子の間の安定性の差ははっきりとは見積もれなかったものの、それらより安定性が低いとされるGANヘアピンとの間にはenthalpy面での差がある事が確認出来た。

[発表論文]

Satoshi Yamasaki, Shugo Nakamura, Tohru Terada, and Kentaro Shimizu.

Mechanism of the difference in the binding affinity of E. coli tRNA(Gln) to glutaminyl-tRNA

synthetase caused by noninterface nucleotides in variable loop.

Biophys. J. (in press)

図.LES法によるdGC(GAA)GC分子のrefolding過程

審査要旨 要旨を表示する

 核酸ヘアピン構造は、数塩基対の二本鎖ステム領域と、3〜5ヌクレオチド長ほどの一本鎖のループ領域からなる構造である。このようなヘアピン構造は、RNAではより高次の立体構造を構成する基本的な要素の一つとして様々な分子に見られ、そのフォールディング過程や、タンパク質との相互作用に深く関わっていると考えられている。また、DNAにおいても複製開始点やプロモーター領域付近に、安定なヘアピン構造をとる配列が存在する事が様々な生物種において明らかになっており、核酸の構造・機能の両者に関わる重要な構造単位だと考えられている。このようなヘアピン構造の性質を調べる目的で、DNAミニヘアピン分子を用いて多くの研究がされており、その安定性に関して、ステム領域の長さ・配列組成だけでなく、ループ領域の配列にも依存することが知られているが、その機構については十分に明らかにはなっていない。また、近年折れ畳み過程に関しても多くの研究がされているが、伸長構造から天然構造へと至る過程はまだ完全には明らかにはなっておらず、また折れ畳み過程の配列依存性も解析されていないのが現状である。申請者は、安定なDNAミニヘアピン分子dGC(GNA)GCに特に着目し、分子動力学法に基づく種々の手法を用いて、この分子の熱安定性、及び折れ畳み過程の配列依存性を明らかにし、6章にまとめた。

 第一章では、核酸ヘアピン構造及び核酸ミニヘアピン分子に関して、その安定性の配列依存性、及び折れ畳み過程に関するこれまでの知見をまとめ、本研究の意義について記している。

 第二章では、7ヌクレオチド長トリループDNAミニヘアピン分子の中で最も安定性が高いとされるdGC(GAA)GC分子を対象とし、拡張アンサンブル法に基づく分子動力学シミュレーションを行い、その正しい構造分布を得ることで、熱力学的特性、折れ畳み過程等様々な知見を得ることを試みている。その結果では、所々で局所構造にトラップされてしまい、十分に正確な構造分布は得られなかったものの、一度だけ天然構造に非常に近い構造が得られている。その構造に至るまでの過程を、カノニカル分子動力学法による方法も併せて用いて更に解析したところ、ループ側から構造形成するzipping過程であることが示唆された。また、ステムの構造のみが天然と同じく形成されたような構造も得られており、これはcompaction過程の中間構造ではないかと示唆された。このような2つの過程は様々な先行研究とも合致しており、非常に尤もらしい結果である事が示された。

 第三章では、前章でのシミュレーションの結果、ループ領域の構造探索が不十分であることが示唆されたため、ループ領域のサンプリングに非常に有効であるLocally Enhanced Sampling(LES)法を用いて、更なるサンプリングを行っている。その結果GNAヘアピン分子の中で唯一構造既知であるdGC(GAA)GC分子については、NMR構造に非常に近い構造(全原子RMSD 1.49Å)を得ている。また、ヘアピン分子単体として実験的に構造が解かれていないが、GAA並みに安定性の高いその他3種のdGC(GNA)GC分子についても、GAAヘアピン分子の構造を元に作成したモデル構造を用いて、同様のLES法を用いたシミュレーションを行い、GAAと同様の"side by side Ganti-Asati pair"を持ったヘアピン構造を得ている。更に、これらの分子の巻き戻り過程を詳細に解析することで、正しく巻き戻った系のうち大多数で、A5、G3、N4の順に正しい位置に配置するという、非常に類似した過程を経由して天然構造に至っている事を明らかにしている。このように同様の過程を経る理由についていくつかの考察も行っており、これらのヘアピン分子の安定性の高さにも関わるのではないかと示唆している。

 第四章では、dGC(GNA)GC分子ほどの高い安定性を示さない、dGC(GAN)GC分子について、同様のLES法を用いた分子動力学シミュレーションを行い、その最安定構造を得て、熱安定性の差や折れ畳み過程とループ領域の配列の差の関連性を明らかにすることを試みている。その結果、dGC(GNA)GC分子の場合とは異なり明確な安定構造は得られていない。また、このシミュレーション中に見られた短期間ではあるが収束した構造や、既知構造の中に見られるループ構造を比較することでその安定性を確かめている。その結果によると、GACヘアピン分子は、GNAヘアピン分子ほどでは無いが、GAT、GAGヘアピン分子と比較すると安定と言える結果を得ている。GACヘアピン分子はYoshizawaらの結果においてもGAT、GAGヘアピン分子と比較すると熱安定性が高い事が示されており、これはその結果と合致するものであると言える。一方、GAT、GAGヘアピン分子のループ領域は一定の安定した構造が得られておらず、ヘアピン分子全体の安定性に対して何らプラスの寄与をしないと述べている。このように、安定性が低いとされるヘアピン分子ほど安定構造が得られにくい、という結果は、既存の実験結果とよく合致しており、確かな結果であるといえる。

 第五章では、第三、四章の結果得られた最安定構造に対しexplicit water環境でのシミュレーション、及びMM GBSA法による自由エネルギー解析を行い、それらの構造間の自由エネルギー差を調べ、実験との比較を行っている。その結果、定性的には実験とよく合致する結果が得られており、本研究の意義をよりよいものとしていると考えられる。

 第六章では、これらの結果をまとめ、今後の展望について述べている。

 以上、本論文はDNAミニヘアピン分子の熱安定性、及び折れ畳み過程のループ配列依存性について、分子動力学シミュレーションを用いて原子解像度の解析を行ったものであり、特にその折れ畳み過程について新たな知見が得られた。これらの知見は、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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