学位論文要旨



No 122415
著者(漢字) 孫,鏞勲
著者(英字) Son,Yong-hoon
著者(カナ) ソン,ヨンフン
標題(和) 歴史的集落における集落景観の保全に果たす路上景観の役割とその管理方策
標題(洋)
報告番号 122415
報告番号 甲22415
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3139号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 助教授 斎藤,馨
 東京大学 助教授 小野,良平
内容要旨 要旨を表示する

 現在の歴史的集落における景観保全の方向は、いわゆる、「歴史性を演出」する傾向が強いと考えられる。景観保全を行うことで、歴史的集落の景観はパターン化し実際生活と関わりが弱くなって、その結果、景観が集落固有の歴史や文化を必ずしも十分に伝えることに結びつかないという問題が指摘されている。

 歴史的集落の景観に対する真正性を守ることや観光資源として活用することをも考慮し、景観保全の管理対象を明確にし、管理方策のあり方を論じる必要があると考えられる。そこで、本研究の目的は、歴史的集落における「伝えるべき情報」とその伝達媒体として重要な役割を果している景観の特徴を明確にし、その管理方策を考察することにした。

 本研究の対象は、韓国と日本の歴史的集落である。韓国と日本は、共に近代化や高度成長の過程を持ち、集落の空間秩序から建築物の材料まで欧米の集落空間と異なる類似する特徴を持っている。

 本論文における目的を達成するため、(1)韓国と日本の歴史的集落における制度と集落の空間構造に関する比較、(2)集落情報を伝える伝達媒体としての景観把握モデルの作成、(3)景観把握モデルを適用した事例研究、(4)景観管理方策のあり方に関する考察の4つの具体的な研究目的と研究内容を設定し第1章にとりまとめた。

 2章は、具体的な研究目的の(1)に関するものであり、韓国と日本における歴史的集落の景観保全に関する制度的手法と集落の空間構成を比較し、各々の特徴について論じた。

 保護制度の展開に関する比較では、初期に韓国は日本から影響を受けており、制度の内容も類似する面が多いが、日本では管理手法として伝統的な要素を直接の保護対象とし、要素間の景観的調和による景観管理を目指している一方で韓国は史跡、民俗資料などの既存の文化財カテゴリーでの原型維持という方策を行っている差が見られた。しかし、最近は両国共通に遺跡や歴史的建造物群のカテゴリーから保全対象を拡大し、環境の総合的指標になる景観を対象とする保全、管理へと関心が集まっている傾向が見られる。

 歴史的集落が属する文化財保護法の文化財カテゴリーに関する制度と管理活動の比較は、韓国の安東市河回村と日本の白川村荻町を事例にして行った。

 河回村の場合には、民俗学や歴史学上の価値を優先させた国の意志による保護指向の強い景観管理を行っているが、それは「血縁」を基盤とする住民サイドの伝統を護ろうとする意識の支えを前提にしたものであり、現在ではその意識が弱まってきており、今後、住民生活に対する配慮が重要な課題となっている。荻町の場合には、歴史的な建造物と環境物件を保護することで歴史的景観保護を目指しているが、景観を構成する要素の保護にとどまってしまい、修景と称される管理活動の過程で、歴史的景観の形骸化の問題があり、景観管理のあり方の検討が大きな課題である。

 集落の立地、空間秩序に関する比較では、韓国の歴史的集落は、集落を主導する両班階級を中心に集落形態が形成され、風水地理説による明堂に家屋が道より優先して形成された集落立地の特徴がある。しかし、日本の歴史的集落は、家屋立地の選択上、韓国の歴史的集落のような規則がなく、むしろ、立地条件や道環境で人々がどのように適応するかに関する工夫によって、集落形態の特徴が見られる。また、韓国の歴史的集落の街路は機能上、いくつかの類型に区分でき、空間を分離し階層を示す機能をも持っている特徴があると考えられるが、日本の歴史的集落の街路は、「共有」という概念で集落を一体化する機能や特徴を持ち、両国の歴史的集落の街路では相違する特徴が見られる。

 3章は、具体的な研究目的の(2)に関するものであり、集落情報の発信に関する路上景観が果たす役割を理論的に説明するために景観把握モデルを提案し、景観把握モデルに基づき、現在景観管理の問題を明らかにした。

 集落情報を伝える伝達媒体としての景観把握モデルは、見る主体に関わるものである景観像と価値観を「観者」、見られる対象に関わるものである表層景、本質景を「対象景観」に区分したものである。景観把握モデルを用いて歴史的集落における景観を観者と対象景観の関係により、集落の像(Image of Village)、集落景観(Village Landscape)、路上景観(View on the Street)の3つの相違する位相に区分した。

 本来は3つの景観の位相は非常に強い関係を持っているが、現在の歴史的集落の状況では、路上景観と集落景観が乖離する例が少なくない。それは、集落全体を保護しようとする韓国の集落や景観要素の保護と周辺環境との調和を通して集落を管理しようとする日本の集落で、共通する問題である。その原因は両国ともに路上景観の管理の中で、景観要素だけに注目し、景観要素間の関係に関心を置いていないため、集落景観を表す景観要素間の関係が見え難くなり、結果、路上景観から集落景観が認識し難くなる状況に結びついていることが分かった。

 4章では、具体的な研究目的の(3)に関するものであり、日本下郷町大内宿、日本白川村荻町、韓国慶州市良洞村、韓国安東市河回村の4つの調査対象地で、実際の景観管理における路上景観と集落景観の関係及びその変化を把握した。

 大内宿の事例では、半宿半農の暮らしを表す集落景観の特徴を表通りの両側に立ち並ぶ景観要素の規則的配置により把握できた。しかし、現在の大内宿における景観管理は、茅葺家屋群の町並みだけを保全し、オモテに見える農村としての大内宿の特徴を軽視するため、本来、伝えるべき半宿半農の大内宿の集落景観が見え難くなっている。路上景観の中で農村としての大内宿を見せるオモテの景観に注目すると、集落景観を構成する景観要素の空間的関係の変化に気付くことができるが、オモテの景観の特徴に関する理解が不十分な状況では、集落景観を構成する景観要素の空間的関係の変化に気づき難くなっていることが分かった。

 荻町の事例では、多核共同体を表す集落景観の特徴が中景の合掌造り景観と近景の合掌造り景観の反複的な表れで把握できた。しかし、荻町の景観管理の関心は合掌造りの一軒の建物に集中し、非合掌造りの建物の増加や農地の減少など土地利用の変化が見られる。その結果、荻町では多核共同体を表す集落景観の特徴を路上景観で認識し難くなっている。路上景観において、集落景観の特徴に関わる水田などの景観要素と合掌造り家屋群の関係が把握し難くなり、集落景観も変容に気づき難くなっていることが分かった。

 良洞村の事例では、階層社会の立体的空間構造を表す集落景観の特徴が中心路で見られる全景から社会構造・集落生産などの集落全体の構造を見ることができ、副路と細路で見られる仰望景や俯瞰景から住居集団の構造を見ることができた。特に、細路の路上景観は下から中心両班家屋を見上げる景観と中心両班家屋から居住集団の領域を見下ろす景観の2つの異なる景観が同時に体験でき、それを通して立体的な階層構造を認識することができる。しかし、集落全体の物理的環境を守っていても、集落内の植栽や森林に対する管理が不十分であるため、副路、細路からの仰望景や俯瞰景を見ることができなくなり、良洞村における集落景観の特徴を認識し難くしていることが分かった。

 河回村の事例では、平面的空間構造の中に社会の階層を表すという集落景観の特徴が見られた。良洞村と比較して視覚的に集落景観の特徴を把握し難い河回村では、階層レベルの高い両班住居が集まる中心部の路上景観と、階層レベルが低い庶民が居住する周縁部の路上景観で、景観要素の組み合わせの様相が相違することから集落景観の特徴を把握することができた。特に放射路では路上景観の連続的な体験を通して、集落構造を理解することができる。しかし、観光地化による民宿、食堂、お土産店などの土地利用の変化は路上景観が果たした役割を混乱させ、物理的空間構造は、原型を維持していても、人が体験する路上景観は変化し、そこから読み取る集落景観も見え難くなっていることが分かった。

 5章は、具体的な研究目的の(4)に関するものであり、2章〜4章の研究結果を総合した上で歴史的集落における路上景観の特徴を明確にし、韓国と日本における歴史的集落に関する既存の制度の問題と今後の管理方策を考察した。集落景観の認識に関わる路上景観は1つの路上景観を通して全体の集落構造を知るタイプと1つの路上景観から部分的な構造が見え、その積み重ねで、集落構造を知るタイプの2つがあることが分かった。また、両方の方法で路上景観から集落景観を認識できる複合型もある。3章で、路上景観が集落景観を正しく伝えるためには、意味を持つ景観要素(Element)と景観要素間の相互関係(Structure)を重視する必要があると指摘したが、歴史的集落の管理方策は、集落景観を読み取るような路上景観の状態を維持することが重要である。そのため、集落景観が把握できる路上景観の重要な眺望点やルートなどを定め、集落景観の特徴が路上景観で明確に読み取れるように路上景観を管理する必要がある。観光活動などによる新たな土地利用の変化に対しては、集落景観を路上景観から明確に見せるように景観構造を強調する計画を行うことが集落景観の保全につながる景観管理方策になると言える。

 6章では、論文の各章の内容をまとめた。考察では、景観保全に関する時代の要求が増加することに対し、景観管理の中で、景観要素だけではなく、対象空間の本質を表す景観要素間の関係に注目する必要があることを示した。最後に、景観保全に関する新たな制度的動きとして文化財保護法の文化的景観に注目し、その保全に関わる主な景観要素間の関係の様相を明らかにすることを今後の課題にした。

審査要旨 要旨を表示する

 現在の歴史的集落における景観保全では歴史性を演出する傾向が強く、そのため景観保全を行うことが集落景観のパターン化や景観と生活と乖離を招き、景観が集落固有の歴史や文化を住民や来訪者に十分に伝えていないという問題が指摘されている。

 そこで本研究は、韓国と日本の歴史的集落を対象とし、(1)韓国と日本の歴史的集落における制度と集落の空間構造に関する比較、(2)集落情報を伝える伝達媒体としての景観把握モデルの作成、(3)景観把握モデルを適用した事例研究、(4)景観管理方策のあり方に関する考察の4点を具体的な研究目的として設定し、第1章にとりまとめた。

 2章では、韓国と日本における歴史的集落の景観保全に関する制度的手法と集落の空間構成を比較し、各々の特徴について論じている。保護制度の展開に関する比較では、日本では伝統的な要素を直接の保護対象とし要素間の景観的調和による景観管理を目指しているのに対し、韓国では史跡、民俗資料などの既存の文化財カテゴリーでの原型維持という方策を採っていると整理している。また集落の立地、空間秩序に関する比較では、韓国では集落を主導する両班階級を中心に集落形態が形成され、風水地理説によって家屋が道より優先して形成される特徴があり、日本では選択された立地条件や道環境に人々がどのように適応するかによって集落形態の特徴が形成される点を明らかにしている。

 3章では、現状の景観管理の制度や実態の整理を踏まえ、集落情報の伝達に路上景観が果たす役割を理論的に示すための景観把握モデルを提案している。その結果、集落情報を伝える媒体としての景観把握モデルとして、見る主体に関わるものである「景観像」と「価値観」を『観者』、見られる対象に関わるものである「表層景」と「本質景」を『対象景観』に区分し、それらから構成されるモデルを提案している。そして本論文では、対象景観を、本質景である集落景観(Village Landscape)、表層景である路上景観(View on the Street)とに区分し、その両者の関係に注目して4章の事例分析を進めている。

 4章では、路上からの集落全体の視認状況と集落空間の階層性の2つの観点から、日本の下郷町大内宿、白川村荻町、そして韓国の慶州市良洞村、安東市河回村の4事例を調査対象地として抽出し、各事例毎に集落景観の路上景観への表れ方を把握するとともに、近代におけるその変容を調査している。その結果、路上景観における集落景観の表れ方としては、集落景観が認識できる要所が存在する場合、路上景観の継起的な展開や階層的な展開に集落景観が表れる場合、そして場所毎の景観要素の組み合わせの差異に集落景観が表れる場合があることを明らかにしている。また、歴史的集落を取り巻く社会的状況の変化や環境条件の変化に伴い、現在では、路上景観と集落景観が乖離するケース、つまり路上景観から集落景観を認識することが難しくなっている実態を明らかにしている。

 5章では、その原因を考察するとともに、これまでの研究結果を総合した上で韓国と日本における歴史的集落に関する既存の制度の問題と今後の管理方策を考察した。路上景観と集落景観との乖離の原因としては、両国ともに景観の管理の中で景観要素だけが注目され、景観要素間の関係に対する認識が薄いため、集落景観の有する構造性を路上景観において認識することが難しくなっていると考察している。したがって、路上景観が集落景観を正しく伝えるためには、重要な景観要素(Element)と同時に景観要素間の相互関係(Structure)を重視する必要があり、歴史的集落の管理方策において集落景観が読み取れるような路上景観の状態を維持することの重要性を指摘している。

 6章では、本研究で明らかになった成果をとりまとめ、今後の課題について論じた。

 以上、本研究は人々が環境との関わりの中で形成してきた文化性や構造性を有した集落景観と、それを住民や来訪者に伝える役割を担う路上景観とに区分して着目し、集落景観と路上景観との関係を整理するとともに、両者が乖離しないような景観管理のあり方について論じたものと評価できる。本研究で得られた知見は、今後の歴史的集落保全に関する研究および実践に大きな影響を与えるものと考えられ、学問上応用上寄与するところが少なくないと判断される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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