学位論文要旨



No 122416
著者(漢字) 池田,紘士
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,ヒロシ
標題(和) ヒラタシデムシ亜科における食性、飛翔形質、繁殖形質の進化
標題(洋)
報告番号 122416
報告番号 甲22416
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3140号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 富樫,一巳
 東京大学 教授 寳月,岱造
 東京大学 助教授 久保田,耕平
 東京大学 助教授 鎌田,直人
 京都大学 助教授 曽田,貞滋
内容要旨 要旨を表示する

 昆虫の進化史のなかで,飛翔能力の退化は様々な分類群において生じており,近縁な分類群において飛翔能力を持つ種と持たない種が存在する例や,同一種においても飛翔多型を示す例は少なくない。一般に飛翔能力の退化は,ハビタットの時空間的変動とその予測性が変化することで生じると説明されてきた。飛翔能力の退化した種では,飛翔能力を維持している種と比較して,雌の繁殖形質に様々な進化的変化が生じうる。

 第一に,飛翔能力の退化は,獲得エネルギーの繁殖に対する投資配分を増加させると考えられる。飛翔に関わる器官の形成及び維持には,飛翔筋のように多くのエネルギーが必要とされるものがある。飛翔能力の退化した種では,飛翔器官へのエネルギー投資は減少または消失する。

 第二に,飛翔能力の退化とともに,繁殖に対するエネルギー投資中の1卵あたり投資配分は変化する可能性がある。1回繁殖の昆虫における雌の繁殖に対するエネルギー投資量は,一般に1卵あたりエネルギー投資量と産卵数の積で表され,エネルギーの最適配分決定においてこれらへの投資の間にはトレードオフの関係がある。孵化時の幼虫における最適なサイズは,幼虫の生活様式や生息環境によって規定されるが,親の飛翔能力の有無は幼虫の生活様式や生息環境を左右すると考えられる。そのため,親の飛翔能力の有無によって,幼虫サイズに対する選択圧は異なり,1卵あたり投資量と産卵数の形質セットに対する選択圧は異なる可能性がある。

 甲虫目シデムシ科ヒラタシデムシ亜科にこれまでの観察事例から飛翔能力を持たない種が少なくないと予想される。一般にシデムシ科は,脊椎動物の死骸を食物とする腐肉食者であると認識されているが,脊椎動物の死骸は時空間的予測性の低い希少な資源であり,これを食物や産卵場所として利用するには,比較的高度な探索能力が必要とされる。そのため,飛翔能力を持たない種の成虫や幼虫は,脊椎動物の死骸を利用することは困難であると考えられる。既往研究の結果を考え合わせると,これらは土壌無脊椎動物を食物とする肉食者である可能性が高い。

 本研究では,ヒラタシデムシ亜科における各種の飛翔能力,食性,繁殖形質を明らかにし,これらの対応関係を検討した上で,分子系統解析によりこれらの生態形質の祖先復元を行い,以下の仮説を検討する:ヒラタシデムシ亜科では,成虫,幼虫ともに脊椎動物の死骸を食物としていた腐肉食の祖先種から,土壌無脊椎動物を食物とする肉食の種が進化し,それに伴って飛翔能力の退化が生じ,雌の繁殖に対するエネルギーの投資配分が増加するとともに,1卵あたりエネルギー投資量と産卵数の関係を決める繁殖戦略が変化した。

 2章では,78地点より採集されたヒラタシデムシ亜科21種の成虫について,解剖によって飛翔筋の有無を調べるとともに,安定同位体比を用いて食性を推定した。その結果,全個体とも飛翔筋を持たない種が5種確認された。また,オオヒラタシデムシは,飛翔筋を持つ個体と持たない個体が共に存在し,飛翔筋2型を示すことが明らかにされた。成虫の窒素安定同位体比を,モンシデムシ亜科の腐肉食種,オサムシ科の肉食種,土壌無脊椎動物のそれらと比較した結果,飛翔筋を持つ種の大半は,主に脊椎動物の死骸を食物とする腐肉食者であると推定されたのに対し,飛翔筋を持たない種及び飛翔筋2型の種は,主に土壌無脊椎動物を食物とする肉食者であると推定された。

 3章では,75地点より採集されたヒラタシデムシ亜科15種の卵サイズ,産卵数を評価し,繁殖への総投資量,卵サイズと産卵数の関係,及び卵サイズについて,飛翔筋を持つ種と持たない種における相違を検討した。ここでは,産卵数は卵巣小管数により評価するとともに,卵サイズと産卵数の積を繁殖投資量として定義した。体長には,飛翔筋を持つ種と持たない種の間で相違は認められなかった。各種の繁殖投資量,1卵あたりへの繁殖投資配分,卵サイズについて,体長を共変量とした共分散分析を行った結果,体サイズを同一とした場合,飛翔筋を持たない種のほうが繁殖投資量は大である(1.3〜1.4倍)とともに,大卵少産型の傾向を示し,卵体積は大きい(2.1倍)ことが明らかにされた。この結果から,ヒラタシデムシ亜科における卵サイズに対する正の選択圧は,腐肉を巡る競争が考えられる飛翔筋を持つ種よりも,探索型捕食者である飛翔筋を持たない種において大きいことが示唆された。飛翔形質の有無により,繁殖形質の種間変異のうち,体長では説明できない部分の多くを説明可能であった。オオヒラタシデムシでは,繁殖形質に飛翔筋2型間での違いは認められず,体サイズを考慮すると,いずれの繁殖形質も飛翔筋を持たない種に近いと考えられる値を示した。

 2,3章の結果は,ヒラタシデムシ亜科において,腐肉食性の祖先型から肉食性への進化とそれに相関した飛翔能力の退化,これらに相関した雌の繁殖投資量の増加,及び大卵少産型への変化が生じたことを示唆している。これらの進化的変化が実際に生じ,2,3章で示されたパターンが相関進化によって生じたかを明らかにするには,各種の系統関係に基づいて各形質の祖先復元を行い,系統的影響を除去して種間比較を行う必要がある。

 4章では,分子系統樹を構築してヒラタシデムシ亜科各種の系統関係を明らかにすることで,これらの検討を行った。祖先復元の結果,ヒラタシデムシ亜科において飛翔筋の退化は2回生じ,完全な消失と飛翔筋2型への進化が異なる系統で1回ずつ生じたと推定された。食性は,推定結果が不明瞭な分岐点が多かったものの,腐肉食性の祖先型から肉食性への進化が確認されるとともに,飛翔筋退化は食性変化に相関して生じたことが有意に支持された。さらに,飛翔筋2型を生じた系統では,食性変化後に飛翔筋が退化したことが高い信頼度で推定された。食性変化及び飛翔筋退化に伴った体サイズの進化的変化は認められなかった。祖先復元の結果,飛翔筋の退化前から退化の際にかけて,及び完全な退化後に,退化する方向への繁殖投資量の増加が認められたが,退化の際の増加のほうが大きかった。また,飛翔筋退化前及び退化の際に,1卵あたり繁殖投資配分が大卵少産型へ変化したと推定された。卵サイズは,飛翔筋の退化前から退化の際にかけて,及び完全な退化後に,退化する方向に大卵化したと推定された。独立比較法の結果,大卵少産型への変化は,飛翔筋退化前のみに生じていたと推定された。以上より,飛翔筋を持つ種と持たない種における繁殖形質の相違は,繁殖投資量及び卵サイズに関しては,飛翔筋退化前から退化後にかけての変化が重要な要因となって生じたが,1卵あたり繁殖投資配分に関しては,退化前の変化が重要な要因となったと判断された。飛翔筋退化前に生じた絶対的な大卵化と投資配分における大卵少産型への変化は,腐肉食から肉食への漸次的食性変化や,腐肉食の祖先種において食物を巡る競争が激しくなるような状況が生じたことによると推察される。腐肉食種において絶対的な大卵化が生じていたならば,それは幼虫が探索型捕食者へ進化する上で前適応として作用した可能性がある。

 本研究の結果を要約すると以下のとおりである:(1)ヒラタシデムシ亜科には,飛翔筋を持たない成虫が5種で確認され,それらは土壌無脊椎動物を食物とする肉食者であると推定された。(2)ヒラタシデムシ亜科では,成虫,幼虫ともに脊椎動物の死骸を食物としていた腐肉食の祖先種から肉食の種が派生したこと,この食性変化に伴って飛翔能力が退化したことが強く支持された。(3)飛翔能力の退化した種における大きな繁殖投資量は,退化前から退化後にかけて生じた雌の繁殖に対するエネルギー投資配分の増加によって生じたと推定された。(4)飛翔能力の退化した種が示す大卵少産型の繁殖戦略は,飛翔筋退化前における大卵少産型への変化によって生じたと推定された。明瞭な食性の祖先復元結果は得られなかったため,食性変化と大卵少産型への変化の相関進化については検討できなかった。大卵少産型への変化は,腐肉食から肉食への漸次的な食性変化に加え,祖先種における腐肉をめぐる競争の激化によって生じた可能性がある。

 本研究の結果は,飛翔能力の退化に関する従来の知見とは異なり,ハビタットの環境特性変化の有無に関わらず,種の食性の進化的変化により飛翔能力の退化が生じる可能性を示唆するものである。ヒラタシデムシ亜科における腐肉食から肉食への進化的変化には,様々なレベルの雑食の段階が存在すると推察される。食性変化と飛翔能力の退化の進化的関係を明らかにするには,この漸次的推移過程を推定する必要がある。しかしながら,本研究で用いた食性推定法では雑食性について十分に検討することは不可能であった。今後は,食性の進化的変化を伴うと考えられる分岐点に関わる種を,より多く含めて系統解析を行うとともに,安定同位体分析以外の方法を併用して食性推定を行う必要がある。

 本研究では,飛翔能力の評価は飛翔筋の有無のみで行った。しかし,飛翔筋を持つ種間でも,飛翔筋への投資量や飛翔頻度など,他の飛翔形質には変異がある可能性がある。飛翔形質と繁殖形質の相関進化を明らかにするためには,これらの変異についても検討する必要がある。

 従来シデムシ科は,森林生態系において腐肉食者であると考えられてきたが,本研究の結果は,一部の種は土壌無脊椎動物を摂食する捕食者として機能するものであることを示している。これらの種は土壌無脊椎動物群集において優占種となることが少なくなく,本研究の結果は,森林生態系の構造と機能におけるシデムシ科の役割について,再検討が必要であることを示唆するものである。

審査要旨 要旨を表示する

 飛翔能力と繁殖の関係は昆虫の生活史進化学における重要な課題である。昆虫の進化史のなかで,飛翔能力の退化は様々な分類群において生じた。一般に飛翔能力の退化は,ハビタットの時空間的変動とその予測性が変化することで生じると説明されてきた。飛翔能力の退化した種では,飛翔能力を維持している種と比較して,雌の繁殖形質に様々な進化的変化が生じうる。第一に,飛翔能力の退化は,獲得エネルギーの繁殖に対する投資配分を増加させると考えられる。第二に,飛翔能力の退化とともに,幼虫の生活様式や生息環境が変化するならば,幼虫サイズに対する選択圧は変化し,繁殖に対するエネルギー投資中の1卵あたり投資配分は変化する可能性がある。

 鞘翅目シデムシ科ヒラタシデムシ亜科には,飛翔能力を持たない種が少なくないと予想されていた。一般にシデムシ科は,脊椎動物の死骸(腐肉)を食べると認識されているが,脊椎動物の死骸は時空間的予測性の低い希な資源であり,その利用には比較的高度な探索能力が必要とされる。そのため,飛翔能力を持たない種は生きた土壌無脊椎動物を食べる可能性(肉食者の可能性)が既往研究から指摘されていた。本論文は,ヒラタシデムシ亜科の各種の飛翔能力,食性,および繁殖形質を明らかにし,これらの対応関係を検討した上で,分子系統解析によりこれらの生態形質の祖先復元を行い,生態形質の相関進化の過程を示したものである。

 本論文は5章からなる。1章の序論では飛翔能力と繁殖の関係についての研究とヒラタシデムシ亜科の生態学的特徴を概説した。そして,本論文で証明すべき仮説を提示している。その仮説は,「ヒラタシデムシ亜科では,成虫,幼虫ともに腐肉食性の祖先種から,土壌無脊椎動物を食べる肉食性の種が進化し,それに伴って飛翔能力の退化が生じ,雌の繁殖に対するエネルギーの投資配分が増加するとともに,1卵あたりエネルギー投資量と産卵数の関係を決める繁殖戦略が変化した」というものであった。

 2章では,ヒラタシデムシ亜科21種の成虫の飛翔筋の有無を調べるとともに,安定同位体比を用いて食性を推定している。その結果,5種が飛翔筋を持たず,オオヒラタシデムシは飛翔筋二型であることを明らかにした。また,飛翔筋を持つ種の大半は,脊椎動物の死骸を食べる腐肉食者であると推定されたのに対して,飛翔筋を持たない種と飛翔筋二型の種は,生きた土壌無脊椎動物を食べる肉食者であると推定された。

 3章では,ヒラタシデムシ亜科15種の卵サイズ,産卵数を評価し,繁殖への総投資量,卵サイズ,及び卵サイズと産卵数の関係について,飛翔筋を持つ種と持たない種の間の相違を検討している。その結果,同じ体サイズでは,飛翔筋を持たない種の繁殖投資量は大きく(1.3〜1.4倍),卵体積も大きく(2.1倍),大卵少産型の傾向を示すことを明らかにした。この結果から,ヒラタシデムシ亜科では,卵サイズに対する正の選択圧は飛翔筋を持つ種よりも持たない種で大きいことが示唆された。オオヒラタシデムシの飛翔筋二型の間で繁殖形質に違いは認められず,体サイズを考慮すると,飛翔筋を持たない種の繁殖形質に近いことが示された。

 4章では,飛翔,繁殖および食性の間の相関進化の過程を検討するために,分子系統樹の構築,それを用いた各形質の祖先復元,系統的影響を除去した種間比較を行っている。その結果,飛翔筋を持つ種と持たない種の間の繁殖形質の相違に関して,繁殖投資量と卵サイズの増加は主に飛翔筋の退化によって生じたが,繁殖エネルギーの投資配分の増加はそうではなかったと結論づけた。絶対的な大卵化と投資配分における大卵少産型への変化は飛翔筋退化前に生じていた。このことは,腐肉食性から肉食性への漸次的な食性変化や,腐肉食性の祖先種における食物を巡る激しい種間競争によって生じたと推察している。腐肉食性の種で絶対的な大卵化が起こったならば,それは幼虫が探索型捕食者へ進化する上で前適応として作用した可能性についても言及している。

 5章は総合考察である。その中で,ハビタットの環境特性変化の有無に関わらず,種の食性の進化的変化によって飛翔能力の退化が生じる可能性を本論文は初めて実証的に示唆したことを述べている。さらに,シデムシ科昆虫は森林生態系内の腐食者と捕食者を含むことから,森林生態系の構造と機能におけるシデムシ科の役割について,再検討が必要であることに言及した。

 このように,本論文は,シデムシ科ヒラタシデムシ亜科を材料にして,飛翔,繁殖および食性の間の相関進化の過程を解き明かし,生活史学に大きな貢献をなした。また,研究の過程でシデムシ科昆虫の一部が捕食者であることを明らかにした。以上のことから,審査委員一同は,本論文が学術的にも応用的にも価値が高く,博士(農学)の学位論文に値すると認めた。

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