学位論文要旨



No 122425
著者(漢字) 可児,祥子
著者(英字)
著者(カナ) カニ,ヨウコ
標題(和) イカ類のエキス成分組成および呈味有効成分に関する研究
標題(洋)
報告番号 122425
報告番号 甲22425
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3149号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京学芸大学 教授 福家,眞也
 東京大学 助教授 岡田,茂
内容要旨 要旨を表示する

 日本におけるイカ類の消費量は世界一であり、生鮮イカはもちろんのこと様々な加工品が存在し、イカ類は昔から日本人に最も親しまれている食品の一つである。イカ類のおいしさには遊離アミノ酸やヌクレオチドなどのエキス成分が大きく関わっているが、従来のイカのエキス成分に関する研究は全国的に多獲されているスルメイカに偏っていた。最も美味だといわれるアオリイカやケンサキイカなどのジンドウイカ科イカ類に関する研究例は少なく、また肝臓のエキス成分についても多くは知られていない。

 そこで本研究では、スルメイカをコントロールとし、ジンドウイカ科の3種のイカ類について、筋肉および肝臓のエキス成分組成を明らかにした。また、その分析値を基に合成エキスを調製し、官能検査によりアオリイカ筋肉の呈味有効成分の決定を行った。さらに、アオリイカの呈味有効成分が他のイカにおいても有効成分か否かを官能検査により確認した。結果の概要は以下の通りである。

1. ジンドウイカ科イカ類のエキス成分組成

 3種のジンドウイカ科のイカ類、すなわちアオリイカSepioteuthis lessoniana、ヤリイカLoligo bleekeri、ケンサキイカLoligo edulisと、コントロールとしてスルメイカTodarodes pacificusの筋肉および肝臓から過塩素酸エキスを調製し、遊離アミノ酸、核酸関連化合物、有機酸、グルコース、メチルアミン類、無機イオンおよびエキス窒素の分析を行った。

 4種のイカ筋肉の遊離アミノ酸総量を比較すると、アオリイカはスルメイカの2倍近い高い含量を示した。また、筋肉中の個々のアミノ酸では、タウリン(Tau)、グリシン(Gly)、アラニン(Ala)、プロリン(Pro)およびアルギニン(Arg)が主要なアミノ酸であり、これらのアミノ酸はジンドウイカ科の3種では遊離アミノ酸総量の95%およびスルメイカでは71%を占めていた。また、これらの含量はジンドウイカ科のイカでスルメイカよりもはるかに高かった。特に、甘味アミノ酸のGly、AlaおよびPro含量はスルメイカのそれと比べて2〜3倍高い値であり、アオリイカで最も高かった。したがって、これら3種の甘味アミノ酸がイカ類の甘味を決定する主要要素であることが予測された。

 一方、肝臓では筋肉で多かったGly、Ala、ProおよびArg含量はかなり低い値に止まり、Tau含量が肝臓中の遊離アミノ酸総量の36〜65%を占めていた。特に、ジンドウイカ科のイカ類ではTauが1000mg/100g前後含まれており、スルメイカのそれの倍近い含量であった。また、肝臓には筋肉よりも多量のグルタミン酸(Glu)が検出された。さらに、苦味を呈するリシンおよび分岐鎖アミノ酸のバリン、イソロイシンおよびロイシン含量は筋肉に比べてはるかに多かった。

 核酸関連化合物は、筋肉および肝臓共に遊離アミノ酸と比べると種間で大きな差はなかった。ヌクレオチド総量は肝臓よりも筋肉に多く、これらのイカ類筋肉でアデノシン5'-モノリン酸(AMP)がそのほとんどを占めていた。有機酸含量には、筋肉中においては種による大きな差異は認められなかった。いずれの種においてもリンゴ酸が主要な有機酸であり、アオリイカで最も含量が高く、スルメイカで最も低かった。一方、コハク酸とプロピオン酸は肝臓の主要な有機酸であった。メチルアミン類では、これらの種の筋肉には多量のトリメチルアミンオキシド(TMAO)が存在し、ヤリイカおよびスルメイカでは、TMAO含量はアオリイカおよびケンサキイカのそれの2倍以上であった。肝臓にはトリメチルアミンがかなり検出された。グリシンベタインは種によらず筋肉にも多量に検出されたものの、肝臓中で筋肉の1.5〜3倍と高い含量であった。

 エキス窒素に関しては、筋肉中の含量は従来の分析値と大差がなく、580〜800mg/100gの範囲であった。一方、肝臓では種間で2倍以上の有意な差が認められ、スルメイカが最も低かった。窒素回収率は筋肉では91〜94%ときわめて高かったものの、肝臓では56〜75%と低い値であった。

 以上の検討により、3種のジンドウイカ科のイカ類およびコントロールのスルメイカの、筋肉および肝臓中のエキス成分組成をほぼ明らかにできた。また、肝臓は筋肉と比べてうま味アミノ酸のGluおよび苦味アミノ酸に富み、コハク酸やプロピオン酸も多く、TMAOおよびグリシンベタイン含量が高いため、筋肉と比べて甘味は弱く、より複雑な味を呈するものと考えられた。

2. アオリイカ筋肉エキス中の呈味有効成分の決定

 以上のエキス成分組成の分析結果から、最も成分含量が多く美味とされているアオリイカについて、呈味有効成分を決定することとした。アオリイカ筋肉の分析値に基づき全合成エキスを作製し、pHは7.0に調整した。官能検査に用いるエキスの濃度は全て2.5倍希釈したものを使用した。官能検査パネルは、味の識別テストに合格した11名(男性8名、女性3名、20代から50代)で三点識別テストにより行い、2回繰り返した(n=22)。また、味質の評価は甘味、酸味、塩味、苦味、うま味、'えぐみ'、先味、後味、'生臭み'および'まろやかさ'について7段階評価で行った。危険率5%未満の正答数を有効とした。まず、全合成エキスが天然エキスの味を再現しているか否かの比較評価を行った。その結果、全合成エキスは'まろやかさ'、'生臭み'および後味で天然エキスと比べて弱いものの、甘味、酸味、塩味、苦味および'えぐみ'は天然エキスとほぼ近い評価が得られ、全合成エキスは天然エキスの味をほぼ再現していると考えられた。

 この全合成エキスについて、オミッションテストおよびアディションテストによりアオリイカ筋肉エキスの呈味有効成分を決定した。その結果、オミッションテストではGly、Ala、Pro、Arg、AMP、TMAO、K+、Na+およびCl-の9成分が決定された。次に、オミッションテストにより有効とされた成分のみからなる呈味有効成分エキスを調製し、これにオミッションテストで無効となった成分を添加し、アディションテストを行った。その結果、Gluおよびグリシンベタインにおいて有意差が認められた。したがって、アオリイカ筋肉の呈味有効成分は最終的にGly、Ala、Pro、Glu、Arg、AMP、TMAO、グリシンベタイン、K+、Na+、Cl-の11成分と決定された。これら成分の内、正答率が高かったものはGly、AMP、K+、Na+およびCl-であり、全合成エキスからGlyを除くと甘味、うま味および'まろやかさ'が有意に低下し、酸味、苦味および'えぐみ'が上昇し、全体的な味のまとまりがなくなった。AMPを除くとうま味、先味、後味、甘味、塩味および'まろやかさ'が有意に低下し、味の厚みが低下した。K+を除くと酸味が有意に上昇し、塩味、苦味、うま味、'まろやかさ'、'生臭み'、先味および後味が低下した。Na+を除くと甘味、塩味、苦味、うま味、'えぐみ'および'まろやかさ'が有意に低下した。 Cl-を除くと酸味および'えぐみ'が有意に上昇し、甘味、塩味および'まろやかさ'が有意に低下した。

3. アオリイカの呈味有効成分の他のイカ類における確認

 アオリイカの呈味有効成分が他のイカ類、すなわちヤリイカ、ケンサキイカおよびスルメイカにおいても、呈味有効成分であるか否かを確認するために、それぞれのイカの全合成エキスと、アオリイカで呈味有効成分であった11成分をそれぞれのイカの含量になるように混合した合成エキスとの比較評価を行った。その結果、ヤリイカおよびスルメイカでは両合成エキスは官能検査で有意差は認められず、ケンサキイカにおいては有意差が認められたものの僅かな差であったため、他のイカ類においても、アオリイカで明らかになった呈味有効成分が少なくとも有効成分となっていると考えられた。

 次に、各イカの呈味有効成分エキスを調製し、比較評価を行った。すなわち、アオリイカ、ヤリイカ、ケンサキイカおよびスルメイカの呈味有効成分エキスを2つずつ組み合わせ、3点識別テストにより官能検査を行った。また、その2種についてどちらがより好ましいのかを回答させた。その結果、それぞれのイカの合成エキスの味は容易に識別され、アオリイカエキスが最も好まれ、次いでケンサキイカ、ヤリイカ、スルメイカの順であった。そこで、アオリイカエキスを基準として、アオリイカと比べてケンサキイカ、ヤリイカおよびスルメイカに不足している成分を添加し、添加したエキスとアオリイカエキスの比較評価を行った。添加した成分の量は全てアオリイカの成分量と等しくなるように調製した。その結果、ケンサキイカエキスにNa+とGlyを添加し、ヤリイカエキスにNa+とArgを加え、またスルメイカエキスにCl-、GlyおよびArgを添加することによりアオリイカの呈味有効成分エキスと識別できなくなり、アオリイカエキスに近づくことが分かった。これらの結果から、本研究で用いた4種のイカ類の呈味有効成分は、少なくともアオリイカエキスの呈味有効成分を含むことが明らかになった。

 以上、本研究により4種のイカ類、すなわちアオリイカ、ヤリイカ、ケンサキイカおよびスルメイカの筋肉および肝臓のエキス成分組成が明らかになった。また、アオリイカ筋肉の11種の呈味有効成分が決定され、これらはヤリイカ、ケンサキイカおよびスルメイカにおいても共通な有効成分であることが判明した。これらの結果は、今後他のイカ類の味を判定するための基準になり、食品学的に活用されるものと期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

 日本におけるイカ類の消費量は世界一であり、生鮮イカはもちろんのこと様々な加工品が存在し、イカ類は昔から日本人に最も親しまれている食品の一つである。イカ類のおいしさには遊離アミノ酸やヌクレオチドなどのエキス成分が大きく関わっているが、従来のイカのエキス成分に関する研究はスルメイカに偏っていた。最も美味だといわれるアオリイカやケンサキイカなどのジンドウイカ科イカ類に関する研究例は少なく、また肝臓のエキス成分についても多くは知られていなかった。

 このような背景の下、本研究はスルメイカをコントロールとし、ジンドウイカ科の3種のイカ類について、筋肉および肝臓のエキス成分組成を明らかにし、またその分析値を基に合成エキスを調製し、官能検査によりアオリイカ筋肉の呈味有効成分の決定を行ったものである。さらに、アオリイカの呈味有効成分が他のイカにおいても有効成分か否かを、官能検査により確認している。

 第一章では、3種のジンドウイカ科のイカ類、すなわちアオリイカ、ヤリイカ、ケンサキイカと、コントロールとしてスルメイカの筋肉および肝臓からエキスを調製し、網羅的にエキス成分の分析を行った。その結果、4種のイカ筋肉の遊離アミノ酸総量では、アオリイカはスルメイカの2倍近い高い含量を示した。また、筋肉中の個々のアミノ酸では、タウリン(Tau)、グリシン(Gly)、アラニン(Ala)、プロリン(Pro)およびアルギニン(Arg)が主要なアミノ酸であり、これらのアミノ酸はジンドウイカ科の3種では遊離アミノ酸総量の95%およびスルメイカでは71%を占め、ジンドウイカ科のイカでスルメイカよりもはるかに高いことを認めた。一方、肝臓では筋肉で多かったアミノ酸の含量はかなり低い値に止まり、Tau含量が肝臓中の遊離アミノ酸総量の36〜65%を占めており、グルタミン酸(Glu)も筋肉より高い含量であった。

 ヌクレオチド総量は肝臓よりも筋肉に多く、これらのイカ類筋肉ではアデノシン一リン酸(AMP)がそのほとんどを占めていた。メチルアミン類では、筋肉には多量のトリメチルアミンオキシド(TMAO)が存在し、グリシンベタインは種によらず筋肉にも多量に検出されたが、肝臓中でより高い含量であった。窒素回収率は筋肉では91〜94%ときわめて高かったものの、肝臓では56〜75%と低い値であった。以上の検討により、3種のジンドウイカ科のイカ類およびスルメイカの、筋肉および肝臓中のエキス成分組成をほぼ明らかにし、それぞれの呈味について予測している。

 第二章では、エキス成分の分析結果に基づき、最も美味とされているアオリイカについて、全合成エキスを調製し、官能検査による呈味有効成分の決定を行っている。まず、全合成エキスが天然エキスの味をほぼ再現していることを確認した。この全合成エキスについて、官能検査を駆使し、Gly、Ala、Pro、Arg、Glu、 AMP、TMAO、グリシンベタイン、K+、Na+およびCl-の11成分がアオリイカ筋肉の呈味有効成分であることを決定している。また、これらの成分の味への寄与についても明らかにした。

 第三章では、アオリイカの呈味有効成分が他のイカ類、すなわちヤリイカ、ケンサキイカおよびスルメイカにおいても、呈味有効成分であることを官能検査により明らかにしている。次に、各イカの呈味有効成分エキスの比較評価を行った結果、それぞれのイカの合成エキスの味は容易に識別され、アオリイカエキスが最も好まれることを明らかにした。そこで、アオリイカエキスを基準として、他のイカに不足している成分を添加し、アオリイカエキスとの比較評価を行い、ケンサキイカエキスにNa+とGlyを添加し、ヤリイカエキスにNa+とArgを加え、またスルメイカエキスにCl-、GlyおよびArgを添加することによりアオリイカエキスに近づくことを確認した。これらの結果から、これらのイカ類の呈味有効成分は、少なくともアオリイカの呈味有効成分を含むことを明らかにした。

 最後に第四章では、これらの結果について総括的な考察を行っている。

 以上、本研究により4種のイカ類、すなわちアオリイカ、ヤリイカ、ケンサキイカおよびスルメイカの筋肉および肝臓のエキス成分組成が明らかにされた。また、アオリイカ筋肉の11種の呈味有効成分が決定され、これらはヤリイカ、ケンサキイカおよびスルメイカにおいても共通な有効成分であることが判明した。これらの結果は、今後他のイカ類の味を判定するための基準になり、食品学的に活用されるものと期待され、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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