学位論文要旨



No 122426
著者(漢字) 黒木,真理
著者(英字)
著者(カナ) クロキ,マリ
標題(和) ウナギ属レプトセファルスの分布と回遊に関する生態学的研究
標題(洋)
報告番号 122426
報告番号 甲22426
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3150号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学科専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 大竹,二雄
 東京大学 教授 木村,伸吾
内容要旨 要旨を表示する

 外洋の産卵場から淡水の成育場に至るウナギ属魚類の接岸回遊は,レプトセファルスと総称される特異な形態の仔魚が重要な役割を担っている.レプトセファルスの著しく側扁した体形と高い水分含量は,海洋表層の海流による輸送に適応して,長期間の浮遊生活を可能にしている.ウナギ属魚類の成育場は熱帯から寒帯まで広範囲に亘るが,産卵場はすべて熱帯海域にある.また,本属18種・亜種の3分の2は熱帯域に成育場をもつことから,ウナギ属魚類の起源は熱帯海域にあると推察される.しかし,これまでウナギ属魚類の研究は,中・高緯度域に分布する温帯種を中心に進められ,低緯度域に分布する熱帯種に関する知見は極めて少ない.複数種が同所的に生息する熱帯域では,そもそも形態学的に種を同定することさえ難しく,これは形態的特徴が未発達な仔魚において,さらに顕著である.ウナギ属魚類の回遊生態の特徴と多様性,ならびにその進化の過程を理解するためには,熱帯種を中心としてウナギ属魚類全体について詳細な比較研究を行うことが重要である.

 本研究では,インド-太平洋で広くウナギ属仔稚魚を採集し,分子遺伝学的手法を用いて正確に種同定した後,まず(1)12種・亜種のレプトセファルスの形態学的特徴を記載することを目的とした.これに基づいて分類形質の再検討を行うとともに,仔稚魚の発育に伴う形態変化を明らかにする.次に(2)耳石の微細構造解析と微量元素分析から,日齢,成長,変態などの初期生活史過程を明らかにし,これらの種間比較を行う.さらに(3)各種仔稚魚の分布情報に海流データと数値シミュレーション結果を加えて,産卵場の位置と仔魚の回遊経路を推定する.併せて,各種の孵化日組成に基づいて,産卵生態を論じる.以上,総合して(4)ウナギ属魚類の接岸回遊の特徴をまとめ,回遊生態の多様性と進化の過程を明らかにすることを目的とした.

1. 形態

 1995-2006年のインド-太平洋(26°N-67°S,98°E-170°W)で実施された計13航海において採集したウナギ属仔魚753個体(プレレプトセファルスとレプトセファルスを含む),変態期レプトセファルス4個体,海洋シラス2個体の計759個体について,mtDNA16SrRNA遺伝子の部分塩基配列約500塩基を決定した.これらを既報のウナギ属全種の相同領域の塩基配列データと比較したところ,755個体はA. australis,A. bicolor bicolor,A. bicolor pacifica,A. borneensis,A. celebesensis,A. interioris,A. japonica,A. marmorata,A. megastoma,A. nebulosa nebulosa,A. obscura,A. reinhardtiiの計12種・亜種に同定できた.しかしほぼ同じ塩基配列を示した残り4個体は,いずれの既報塩基配列とも一致せず,ウナギ属の未記載種と考えられた.一方で,これまでレプトセファルスの有用な分類形質とされていた全筋節数は100-123の範囲にあり,各種間で大きく重複した. 肛門-背鰭始部間筋節数に着目すると,短鰭型(0-6)と長鰭型(7-19)に二分することはできるが,種レベルまで同定することはできず,形態形質のみを用いて本属レプトセファルスを種同定することは困難であることが明らかとなった.

 レプトセファルスは成長に伴い,全長に対する尾部の占める割合が大きくなり,逆に頭部の割合は小さくなった.これに伴って背鰭と臀鰭が発達し,体表面積が増加した.これは,長い浮遊生活への形態的適応と考えられた.また,レプトセファルスの全長が一定に達する最大伸長期の全長と体高は種によって異なった.一般に熱帯種は最大伸長期全長が小さく(約50mm),体高が高いのに対し(全長の19.3-22.9%),高緯度に分布する温帯種は,大きな最大伸長期全長(約60-75mm)と低い体高(17.6-18.9%)をもつ傾向が認められた.

 1999-2006年に世界各地の7地点の河口・汽水域で採集したA. anguilla,A. australis,A. bicolor bicolor,A. celebesensis,A. dieffenbachii, A. interioris,A. japonica,A. marmorata,A. rostrataの9種・亜種のシラスウナギ計653個体の全長(45.9-78.0mm)は,高緯度域で採集された種ほど大きく,色素発達段階が進むにつれて減少する傾向がみられた.

2. 初期生活史  

 9種・亜種の河口シラス235個体の耳石微細構造を観察したところ,耳石中心から縁辺に向かって,孵化輪(0日齢),摂餌開始輪(8-16日齢),輪幅の急増する第1ピーク(20-70日齢),第2ピーク(80-360日齢),および淡水加入輪(98-459日齢)が認められた.変態に対応する第2ピークの高さは,温帯種に比べ,熱帯種でより顕著であった.

 12種・亜種のレプトセファルス計258個体について日齢と体長の関係をみたところ,最大伸長期に達する日齢は80-140日の範囲にあり,種間で大きな差がみられた.成長率は,A. celebesensisやA. borneensisなど熱帯に局所的に分布する種では高く(0.53-0.57mm/日),A. marmorataやA. bicolor pacificaなど熱帯種ながら温帯まで広域に分布する種では低い値を示した(0.40-0.53mm/日).北大西洋のA. anguillaとA. rostrataの成長率はさらに低値と推定されており(0.38mm/日),成育場が高緯度にまで広がっている種ほど仔魚期の成長は遅い傾向が認められた.

 9種・亜種の河口シラスの変態日齢と接岸日齢は種により大きく異なり,短いものから順に,A. interioris(それぞれ,平均91.0日,108.5日),A. celebesensis(93.2日,110.7日),A. bicolor bicolor(107.5日,142.5日),A. marmorata(126.9-151.5日,147.1-194.4日),A. japonica(162.7日,203.0日),A. australis(183.7日,237.5日),A. dieffenbachii(204.4日,264.5日),A. rostrata(254.0日,319.3日),A. anguilla(254.4と280.0日,336.3日と351.2日)となった.これらの日齢は種間で最大3倍以上の差が認められ,高緯度に分布する種ほど外洋で過ごす仔魚期間と接岸回遊に要する期間が長い傾向にあった.成長率と最大伸長期全長で示される変態のタイミングが,レプトセファルスの海流による輸送距離とシラスウナギの加入場所を決定する主要因と考えられた.また,分布域が広い種ほど接岸回遊期間の種内変異が大きく,これがウナギ属各種の分布域の広さを決める要因のひとつと考えられた.

3. 産卵と回遊

 13種・亜種のレプトセファルスの分布,体長組成,日齢組成,および海洋物理環境に基づいて,各種の産卵場と回遊経路を推定した.北太平洋には3種・亜種と未記載種が出現した.A. marmorataは,全長6.2mmの最小個体を含む全長20mm未満の小型個体が多数出現したことから,A. japonicaと同様にマリアナ諸島西方海域に産卵場をもつことが明らかとなった.しかし両種の分布と産卵のタイミングは異なり,A. japonicaの産卵が主に夏の新月に同期して起こるのに対して,A. marmorataの産卵は必ずしも新月とは同期せず,長期間に亘って散発的に起こるものと考えられた.海洋物理データを基に輸送水深を50-100 mとして数値シミュレーションを行ったところ,産卵場の緯度が14°Nの場合は,放流された粒子は北赤道海流から黒潮へ入り,本来の分布域の東アジアに接岸した.これに対し,13°Nの場合には,北赤道海流から主にミンダナオ海流へ取り込まれて南方へ加入した.前者はA. japonica,後者はA. marmorataの実際の地理分布をよく反映し,両種の予想された回遊経路と一致した.

  インドネシア多島海域には5種・亜種が出現した.このうち,小型個体が採集されたA. bornensisの産卵場はセレベス海に,またA. celebesensisの産卵場はセレベス海とトミニ湾にあることがわかった.これらの淡水成育場と産卵場は数十km程度しか離れておらず,局地的な小規模回遊をしていることが明らかとなった.セレベス海においてA. celebesensisとA. bornensisの最小個体が出現した地点からそれぞれ粒子を放流して,数値シミュレーションを行った.その結果,どちらも遊泳水深を50 mとした場合に,最も多くの粒子が放流点付近に100日以上滞留することが示された.これは実際の成魚の地理分布と接岸したシラスウナギの日齢査定結果によく一致した.

 南太平洋には6種・亜種が出現し,これらの体サイズの解析からいずれの種も南赤道海流中に産卵場があるものと推測された.しかし成魚の分布域と回遊経路は種によって異なり,A. australisとA. reinhardtiiは,東オーストラリア海流を利用してオーストラリア東岸に接岸回遊し,A. australisはさらにニュージーランドやタスマン海沿岸にまで長距離回遊するものと考えられた.一方,A. marmorata, A. bicolor pacifia,A. megastoma,A. obscuraは,赤道近くの産卵場付近に留まり,主に南太平洋の熱帯島嶼に接岸するものと考えられた.

 東部インド洋には4種・亜種が出現した.このうちA. interiorisは,本来の分布域のニューギニア島から遠く離れたインド洋のスマトラ島沖で,全長12.4mmの小型個体が発見された.本種は太平洋の他に東部インド洋にも産卵場をもつものと考えられた.

 以上により推定されたウナギ属魚類の産卵場は,すべて約3,000 m以上の水深をもつ熱帯海域にあることがわかった.これはウナギ属魚類が熱帯の中深層性のウナギ目魚類から派生したことと関係しているものと考えられた.またレプトセファルスとシラスウナギの孵化日組成の解析から,熱帯種の産卵期は一般に長く,ほぼ周年に亘ることがわかった.これと比べて温帯種の産卵期は短く,種特有の産卵期をもつ傾向があった.これは温帯種の分布する高緯度域には明瞭な季節性があり,産卵親魚の降海回遊時期が限定されるためと考えられた.

 本研究の結果を総合的に考察して,現在のウナギ属魚類の回遊生態と地理分布は,レプトセファルスの形態的特徴,ならびに成長,変態のタイミングなどの初期生活史特性と密接に関連して成立していることを明らかにした.ウナギ属魚類の祖先種が熱帯に起源したとする分子系統学の知見から,本属魚類の回遊は熱帯の局地回遊にその原型があり,これが海流,気候変動,海進・海退などの環境変動を受け,回遊生態に変異が生じたものと推測される.この中からやがて高緯度域や複数の大洋にまたがる大回遊が出現し,分布域は拡大する方向へと進化した.こうした回遊生態の多様化は種分化を生み,レプトセファルスの形態と初期生活史特性にも多様性をもたらしたと考えられた.

審査要旨 要旨を表示する

 外洋の産卵場から淡水の成育場に至るウナギ属魚類Anguilla spp.の接岸回遊は,レプトセファルスと総称される特異な形態の仔魚が重要な役割を担っている.本研究では,ウナギ属魚類のレプトセファルスの形態的特徴,初期生活史,および産卵・回遊特性を調べて,回遊生態の多様性と進化の過程を明らかにすることを目的とした.第1章の緒言に続き,第2章から第5章において,以下の結果を得た.

 第2章では,1995-2006年のインド-太平洋で実施された計13航海において採集したウナギ属仔稚魚759個体について,分子遺伝学的手法を用いて種同定し,その形態学的特徴を記載した.ウナギ属仔稚魚の標本について,mtDNA16S rRNA遺伝子の部分塩基配列約500塩基を決定し,既報のウナギ属全種の相同領域の塩基配列データと比較したところ,755個体は12種・亜種に同定できた.残りの4個体はいずれの既報塩基配列とも一致せず,ウナギ属の未記載種と考えられた.レプトセファルスは,成長に伴って全長に対する尾部の占める割合が大きくなり,逆に頭部の割合は小さくなる傾向を示した.また,一般に熱帯種はレプトセファルスの最大伸長期全長が小さく体高が高いのに対し,高緯度に分布する温帯種は最大伸長期全長が大きく体高が低い傾向が認められた.1995-2005年に世界各地の9地点の河口・汽水域で採集した9種・亜種のシラスウナギ計653個体を解析したところ,全長は高緯度域で採集した種ほど大きく,色素発現段階が進むにつれて減少することがわかった.

 第3章では,前章で用いた全標本の耳石の微細構造解析と微量元素分析から,日齢,成長,変態などの初期生活史過程を明らかにし,種間比較を行った.熱帯種の最大伸長期に達する日齢は温帯種に比べて有意に小さかった.成長率は,低緯度域に局所的に分布する熱帯種では高く,成育場が高緯度にまで広がっている種ほど低い傾向が認められた.9種・亜種の変態日齢(仔魚期間)と接岸日齢(接岸回遊期間)は種間で最大3倍以上の差があり,高緯度に分布する種ほど接岸に要する期間が長い傾向にあった.成長率と最大伸長期全長で決まる変態のタイミングが海流によるレプトセファルスの輸送距離とシラスウナギの加入場所を決定する主要因と考えられた.また,分布域が高緯度域まで広がっている種ほど接岸回遊期間の種内変異が大きく,これがウナギ属各種の分布域の広さを決める要因のひとつと考えられた.

 第4章では,13種・亜種のレプトセファルスの分布と海洋物理環境に基づいて,各種の産卵場と回遊経路を推定した.北太平洋には3種・亜種と未記載種が出現した.A. marmorataは小型個体が多数出現し,A. japonicaと同様にマリアナ諸島西方海域に産卵場をもつことが明らかとなった.しかし両種の分布と産卵のタイミングは異なり,A. japonicaの産卵が主に夏の新月に同期して起こるのに対し,A. marmorataの産卵は長期間に亘って散発的に起こるものと考えられた.さらに数値シミュレーションの結果,産卵地点の緯度と輸送水深が仔魚の回遊経路と稚魚の加入場所(分布域)に大きな影響を及ぼすことが示唆された.インドネシア多島海域には5種・亜種が出現した.このうち,小型個体が採集されたA. bornensisの産卵場はセレベス海に,A. celebesensisの産卵場はセレベス海とトミニ湾にあることがわかった.これらの種の淡水成育場と産卵場は数十km程度しか離れておらず,局地回遊を行うことが明らかとなった.セレベス海においてA. celebesensisとA. bornensisの最小個体が出現した地点から輸送水深をそれぞれ,50,100,150mとして数値シミュレーションを行ったところ,両種とも輸送水深が浅い50mの場合に最も多くの粒子が放流点付近に滞留することが示された.南太平洋には6種・亜種が出現し,いずれの種も南赤道海流中に産卵場があるものと推測された.東部インド洋には4種・亜種が出現した.このうちA. interiorisは本来の分布域のニューギニア島から遠く離れたインド洋のスマトラ島沖で小型個体が発見され,本種は太平洋の他に東部インド洋にも産卵場をもつと考えられた.また,熱帯種の産卵期は一般に長いが温帯種の産卵期は短く,種特有の産卵期をもつ傾向があった.これは温帯種の分布する高緯度域には明瞭な季節性があり,産卵親魚の降海時期が限定されるためと考えられた.

 第5章では,本研究の結果を総合的に考察して,ウナギ属魚類のレプトセファルスの体高や最大伸長期全長などの形態的特徴,成長率や変態のタイミングなどの初期生活史特性ならびに各種の地理分布との関連性について考察した.ウナギ属魚類の祖先種が熱帯に起源したとする最近の分子系統学の知見から,本属魚類の回遊は熱帯の局地回遊にその原型があり,これが海流や環境変動を受け,回遊生態に変異が生じたものと推測された.このなかからやがて複数の大洋にまたがる広域分布種や高緯度域まで分布する大回遊種が出現してきたものと推察された.すなわち,ウナギ属魚類においてこうした回遊生態の多様化が種分化を生んだものと結論された.

 以上,本研究は現在のウナギ属魚類の回遊生態と地理分布がレプトセファルスの形態的特徴と初期生活史特性によって成立していることを明らかにし,ウナギ属魚類の回遊生態とその進化過程の理解を大きく進めたもので,水産学・海洋科学の基礎として大きく貢献するものと考えられる.よって審査委員一同は,本論文が学術上,応用上寄与するところが少なくないと判断し,博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた.

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