学位論文要旨



No 122429
著者(漢字) 局,詩織
著者(英字)
著者(カナ) ツボネ,シオリ
標題(和) 魚類におけるイミダゾールジペプチド合成酵素に関する研究
標題(洋)
報告番号 122429
報告番号 甲22429
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3153号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 助教授 落合,芳博
 東京大学 助教授 岡田,茂
内容要旨 要旨を表示する

 イミダゾールジペプチドはヒスチジン関連化合物とも呼ばれ、カルノシン(β-アラニルヒスチジン)、アンセリン(β-アラニル-π-メチルヒスチジン)、バレニン(あるいはオフィジン;β-アラニル-τ-メチルヒスチジン)およびホモカルノシン(γ-アミノブチリルヒスチジン)などが挙げられる。近年、特にカルノシンを中心に、これらのジペプチドの持つヒトに対する機能性が注目されている。これらのジペプチドは脊椎動物筋肉中に広く分布し、嫌気的運動時のプロトン緩衝物質として機能することが知られている。また、動物の種類によって含有されるジペプチドの種類は大きく異なる。すなわち、カルノシンは陸上動物の筋肉中に豊富であり、魚類ではウナギ筋肉に多い。アンセリンはニワトリ胸筋および高速遊泳魚の普通筋中に高濃度に存在する。バレニンはクジラとヘビの筋肉中に特異的に多量に含まれている。一方、ホモカルノシンは筋肉中には存在せず、脳神経内に分布が限られている。このように、イミダゾールジペプチドの分布は種特異性が高く、進化的共通点を持たない。むしろ、生息環境や運動様式と関連するものと推定されている。しかしながら、なぜ動物種によって含有されるジペプチドの種類が異なるのかは、未だ解明されていない。

 そこで、本研究では動物体内におけるイミダゾールジペプチドの生合成系に着目した。カルノシンはカルノシン合成酵素によって、β-アラニンとヒスチジンとの縮合により合成されることが、陸上動物の筋肉で知られている。一方、アンセリンはカルノシン-N-メチルトランスフェラーゼによってカルノシンから合成されることが、ニワトリ胸筋で確認されている。アンセリンは、また、β-アラニンとπ-メチルヒスチジンの縮合による合成も確認されている。しかしながら、これらの酵素は未だ陸上動物でも単離されておらず、その性質もほとんど不明である。魚類ではin vivo実験でジペプチドの生合成は確認されているが、関連酵素は明らかになっておらず、合成経路は未だ不明である。

 そこで、本研究ではまず、魚類におけるカルノシン-N-メチルトランスフェラーゼによるカルノシンのメチル化およびβ-アラニンとπ-メチルヒスチジンの縮合によるアンセリン合成の確認を行なった。また、ウナギ筋肉に関しては、β-アラニンとヒスチジンの縮合によるカルノシン合成およびその他のジペプチドの合成活性を確認した。ついで、ウナギ筋肉からジペプチド合成酵素を単離精製し、精製酵素のN末端アミノ酸配列を明らかにした。さらに、このジペプチド合成酵素がジペプチドの分解をも触媒する新規酵素であることが判明した。結果の概要は以下の通りである。

1. 魚類および筋肉におけるカルノシン-N-メチルトランスフェラーゼ活性の確認

 イミダゾールジペプチドの合成は、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)を用いて確認することとし、はじめにHPLCによる各イミダゾールジペプチドの分離定量条件を確立した。ついで、コントロールとしてニワトリ雛の胸筋を用い、既に存在が知られているカルノシン-N-メチルトランスフェラーゼ活性を確認することで、酵素の抽出および反応条件の検討を行なった。

 この抽出および反応条件に基づき、メバチマグロおよびマカジキ普通筋について、カルノシンのメチル化によるアンセリン合成活性の有無を調べた。しかしながら、どちらの魚に関しても、アンセリン合成は認められなかった。また、ミンククジラの筋肉においても、カルノシン-N-メチルトランスフェラーゼによるバレニン合成は確認されなかった。したがって、イミダゾールジペプチドは本酵素によって合成されるものではないと結論された。

2. 魚類およびクジラ筋肉におけるβ-アラニンとヒスチジン関連化合物の縮合によるイミダゾールジペプチド合成活性の確認

 ウナギはカルノシンを高濃度に含有することから、カルノシン合成酵素の存在が予測された。そこで、ウナギ筋肉の硫安40-75%飽和沈殿画分を調製し、50mM Tris-HCl (pH 7.5)中でそれぞれ250mMのβ-アラニンおよび160mMのヒスチジンと37℃で1時間反応させたところ、カルノシンの合成が確認された。なお、この反応はATPの加水分解を必要としないことがわかった。また、β-アラニンとπ-メチルヒスチジンを反応させた場合には、アンセリンの合成が認められた。アンセリンはウナギ筋肉中に痕跡程度にしか検出されないにもかかわらず、アンセリン合成活性の方がカルノシン合成活性よりも10倍程度高かった。さらに、ヒスチジンの代わりにτ-メチルヒスチジンを基質としたところ、バレニンの合成も認められ、γ-アミノ酪酸とヒスチジンからは僅かながらホモカルノシンの合成が認められた。また、カルノシンおよびアンセリンの合成に対する2価金属イオンの要求性を調べたところ、カルノシンとアンセリン合成ともに、2mMのZn(2+)によって活性化された。

 ついで、メバチマグロ普通筋の硫安0-75%飽和沈殿画分を調製し、300mMのβ-アラニンおよびπ-メチルヒスチジンと反応させたところ、2mMのCo(2+)添加によってアンセリン合成が認められた。なお、マカジキのアンセリン合成については、Co(2+)あるいはMn(2+)が必要とされた。ミンククジラに関しては、金属イオン無添加でも、β-アラニンとτ-メチルヒスチジンの縮合によるバレニンの合成が確認された。また、Zn2によってその活性は約4倍に増加することが認められた。

3. ウナギ筋肉からのイミダゾールジペプチド合成酵素の精製および諸性質の検討

 ウナギ筋肉の硫安50-75%飽和沈殿画分を調製し、DEAE-Toyopearl, Ether-Toyopearl, His-Trap, Hydroxyapatite, MonoQおよびSuperdex 200の各クロマトグラフィーを用いてジペプチド合成酵素の精製を行ない、最終的におよそ1,130倍に精製した。精製酵素をSDS-PAGEに供したところ、約43kDa付近に活性に対応するバンドが認められた。Superdex 200ゲルろ過クロマトグラフィーによる結果を考慮すると、本酵素は6もしくは7量体構造をとることが推測された。精製酵素も粗酵素と同様にカルノシン、アンセリン、バレニンおよびホモカルノシン合成活性を示し、アンセリン合成活性が最も高かった。また、2mMのZn(2+)およびCo(2+)の添加によって、それぞれ5倍および4倍に活性が増大した。精製酵素の諸性質を検討したところ、最適pHは9.5付近、最適温度は60℃であった。β-アラニンとπ-メチルヒスチジンに対するKm値はそれぞれ44および89mMと高く、本酵素は基質親和性が低いことが示唆された。Vmax値はそれぞれ7.4および11μmol/min/mgであった。精製酵素のN末端アミノ酸配列の25残基LVGGSLTRNVPWQVLLQFSDSVLWGが決定され、Protein-protein BLAST (blastp)データベースによる検索の結果、精製酵素はゼブラフィッシュのハプトグロビンβ鎖の部分配列と高い相同性を示すことがわかった。

4. 精製酵素によるジペプチドの加水分解

 ハプトグロビンのβ鎖の一次構造がトリプシン様セリンプロテアーゼと類似していることから、本酵素がジペプチド分解活性を持つ可能性が示唆された。そこで、精製酵素をカルノシン、アンセリンあるいはバレニンとともにインキュベートしたところ、これらジペプチドはいずれも加水分解された。ジペプチド合成と同様に、アンセリン分解活性が最も高かった。このことから、イミダゾールジペプチド合成酵素が、ジペプチドの加水分解も触媒することがわかった。SDS-PAGEでごく僅かに認められた他のバンドのN末端アミノ酸配列が、従来知られているカルノシナーゼなどのジペプチド分解酵素と相同性を示さなかったことから、精製標品中に、合成酵素と分解酵素が別個に存在する可能性は低いと考えられた。ついで、2mMのプロテアーゼインヒビターおよび1 0 mM EDTAによるジペプチドの加水分解に対する阻害効果を調べた。ジペプチド加水分解は、金属キレーターであるo-phenanthrolineによって完全に阻害され、ジペプチダーゼの阻害剤であるbestatinによっても70%阻害された。PCMBによる阻害効果は50%程度で、PMSFおよびEDTAはほとんど阻害活性を示さなかった。これらのことから、本酵素がメタロプロテアーゼの一種である可能性が示唆された。

 以上本研究により、ウナギ筋肉より精製されたイミダゾールジペプチド合成酵素は、同一酵素が複数のジペプチドを合成することがわかった。この反応はβ-アラニンとヒスチジン関連化合物の縮合により、ATPを必要としないことから、従来陸上動物で知られていたカルノシン合成酵素とは別のものと考えられた。また、本酵素はジペプチドの合成と分解の両方の反応を行なう新規酵素であると結論された。これらの成果は今後イミダゾールジペプチドの種特異的分布を解明するための基礎となり、またジペプチドの生理機能の究明のために、カルノシン以外の入手困難なイミダゾールジペプチドを供給するための資となるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 イミダゾールジペプチドはヒスチジン関連化合物とも呼ばれ、カルノシン(β-アラニルヒスチジン)、アンセリン(β-アラニル-π-メチルヒスチジン)、バレニン(あるいはオフィジン;β-アラニル-τ-メチルヒスチジン)などが挙げられる。近年、特にカルノシンを中心に、これらのジペプチドのもつヒトに対する機能性が注目されている。これらのジペプチドは脊椎動物筋肉中に広く分布し、嫌気的運動時のプロトン緩衝物質として機能することが知られている。また、動物の種類によって含有されるジペプチドの種類は大きく異なる。しかしながら、なぜ動物種によって含有されるジペプチドの種類が異なるのかは、未だ解明されていない。

 そこで本研究では、これらジペプチドの合成系に着目し、魚類におけるカルノシン-N-メチルトランスフェラーゼによるカルノシンのメチル化およびβ-アラニンとπ-メチルヒスチジンの縮合によるアンセリン合成の確認を行なった。その結果、ウナギ筋肉において、後者のイミダゾールジペプチド合成酵素によるアンセリンおよびその他のジペプチドの合成活性を確認した。次いで、ウナギ筋肉から本酵素を単離精製し、精製酵素のN末端アミノ酸配列を明らかにした。さらに、このジペプチド合成酵素がジペプチドの分解をも触媒する新規酵素であることを明らかにしたものである。

 第1章では、高速液体クロマトグラフィーによる各イミダゾールジペプチドの分離定量条件を確立した。次いで、コントロールとしてニワトリ雛の胸筋を用い、既に存在が知られているカルノシン-N-メチルトランスフェラーゼ活性を確認することで、酵素の抽出および反応条件の検討を行なった。これに基づき、メバチマグロおよびマカジキ普通筋について、アンセリン合成活性の有無を調べた。しかしながら、両魚種ともに、アンセリン合成は認められなかった。また、ミンククジラの筋肉においても、本酵素によるバレニン合成は確認されなかった。

 第2章では、ウナギ筋肉の硫安40-75%飽和沈殿画分を調製し、β-アラニンとヒスチジンを反応させたところ、カルノシンの合成が確認された。なお、この反応はATPの加水分解を必要としない反応であった。また、同様にアンセリンの合成活性も認めた。アンセリンはウナギ筋肉中に痕跡程度にしか検出されないにもかかわらず、アンセリン合成活性の方がカルノシン合成活性よりも10倍程度高かった。さらに、バレニンおよび僅かながらホモカルノシンの合成も認めている。

 次いで、多量のアンセリンを含有するメバチマグロおよびマカジキ普通筋の硫安0-75%飽和沈殿画分を調製し、活性を測定した結果、アンセリン合成を認めた。また、バレニンの多いミンククジラに関しては、バレニンの合成を確認した。

 第3章では、ウナギ筋肉の硫安50-75%飽和沈殿画分から、各種クロマトグラフィーを用いてジペプチド合成酵素の精製を行ない、最終的におよそ1,130倍に精製した。精製酵素は分子質量約275kDaと推定され、約43kDaのサブユニットからなる6ないし7量体と推測した。精製酵素も粗酵素と同様にカルノシン、アンセリン、バレニンおよびホモカルノシン合成活性を示し、アンセリン合成活性が最も高かった。また、Zn(2+)およびCo(2+)の添加によって、それぞれ5倍および4倍に活性が増大した。精製酵素のその他の諸性質も明らかにしている。また、精製酵素のN末端アミノ酸配列の25残基を決定し、BLAST検索の結果、ゼブラフィッシュのハプトグロビンβ鎖の部分配列と高い相同性を示すことを明らかにした。

 第4章では、ハプトグロビンβ鎖の一次構造がトリプシン様セリンプロテアーゼと類似していることから、本酵素がジペプチド分解活性をもつ可能性が示唆された。そこで、精製酵素をカルノシン、アンセリンあるいはバレニンとともにインキュベートし、これらジペプチドをいずれも加水分解することを明らかにした。ジペプチド合成と同様に、アンセリン分解活性が最も高かった。プロテアーゼ阻害剤の影響から、本酵素がメタロプロテアーゼの一種である可能性が示唆された。

 最後に第5章では、これらの結果について総括的な考察を行っている。

 以上本研究により、ウナギ筋肉より精製したイミダゾールジペプチド合成酵素は、複数のジペプチドを合成し、またジペプチドの合成と分解の両方の反応を行なう新規酵素であることが明らかにされた。これらの成果は今後イミダゾールジペプチドの種特異的分布を解明するための基礎となり、またジペプチドの生理機能の解明のために、カルノシン以外の入手困難なイミダゾールジペプチドを供給するための資となるものと考えられ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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