学位論文要旨



No 122430
著者(漢字) 中庭,真基子
著者(英字)
著者(カナ) ナカニワ,マキコ
標題(和) メダカ・ヘモペキシン様タンパク質Wap65の発現調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 122430
報告番号 甲22430
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3154号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

 魚類などの水棲生物は変温動物で、環境水温の変化はその代謝に大きな影響を及ぼすことが容易に想像できる。しかしながら、魚類は日周的あるいは季節的に絶えず変化する水温中、温度適応して代謝調節を行うことで恒常性を保ち、生命を維持している。例えば、季節的に水温が大きく変動する温帯域の淡水魚は、数週間から数ヶ月間にわたって生ずる水温の大きな変化に適応し馴化する。これら広温域性魚類に属するコイCyprinus carpioおよびキンギョCarassius auratusは、高温馴化に伴って65 kDaの水溶性タンパク質、warm temperature acclimation-related 65 kDa protein(Wap65)の発現量を特異的に増大させる。一次構造解析の結果、Wap65は哺乳類のヘム結合性血漿糖タンパク質、ヘモペキシンと類似することが示された。同じ広温域性淡水魚のメダカOryzias latipesおよび海産魚トラフグTakifugu rubripesでは2種類のWap65の存在が明らかにされた。さらに、Wap65の発現には環境温度の変化のみならず、生体防御系因子や他の環境因子の関与が示唆された。しかしながら、その発現調節機構については未だ不明な点が多い。

本研究ではこのような背景の下、メダカ成体を対象に温度馴化過程におけるWap65の転写産物量およびタンパク質量の変化を調べた。次に、メダカ胚発生における転写産物量の変化および発現部位の解析を試みた。さらに、メダカWap65遺伝子(mWap65)の5'上流域につき、転写活性の解析を行ったもので、得られた研究成果の概要は以下の通りである。

1. メダカ成体の温度馴化過程におけるWap65遺伝子およびタンパク質の発現変動

 メダカ成体を5℃に充分馴化させた後、水温を2日間で35℃に上昇させ、その後、同温度で21日間飼育した。この間、2種類のmWap65、mWap65-1およびmWap65-2の転写産物量および発現タンパク質量の経時的な変動を、それぞれ定量的リアルタイムPCRおよび特異的抗体を用いたイムノブロッティング法を用いて調べた。その結果、mWap65-1転写産物量は水温が35℃に到達した直後に大きく増大した後、35℃で3日目には減少し、21日目には水温5℃のときのレベルに戻った。一方、mWap65-2転写産物量は水温上昇を始めて20℃に到達した1日目および35℃に到達した当日にかけて大きく減少したが、21日目には5℃のときのレベルに回復するなど、2種類のmWap65は相補的な発現変動パターンを示した。次に、タンパク質レベルではmWap65-1およびmWap65-2ともその発現量は転写産物量より数日から1週間ほど遅れて変化したが、転写産物量の経時的な変動パターンと同様の傾向を示した。

2. メダカWap65遺伝子の胚発生期における遺伝子発現様式

 mWap65の胚発生期における遺伝子発現様式を明らかにするため、種々の発生段階のメダカ胚を採取し、各段階における転写産物蓄積量を定量的リアルタイムPCRにより調べた。mWap65-1は実験開始時の後期桑実胚期より転写産物が検出され、後期嚢胚期で最高値が観察された。その後、蓄積量は一度減少したが30体節期で再び上昇し、その値は孵化期まで維持された。一方、mWap65-2の転写産物は後期嚢胚期で最初に検出され、以降、孵化期まで急速に蓄積量が増大した。次に、体節完成期のメダカ胚をホールマウントin situハイブリダイゼーションに供し遺伝子発現部位を調べた。その結果、mWap65-1の転写産物は胸鰭の縁辺部および尾部の正中膜鰭に沿って検出された。一方、mWap65-2の転写産物は肝臓原基にのみ観察された。

 次に、mWap65の発現様式をin vivoで明らかにするため、mWap65プロモーターの制御下、green fluorescent protein(GFP)を発現するトランスジェニック魚の作出を試みた。まず、メダカBACライブラリーのスクリーニングにより、mWap65-1を含むクローン182O24およびmWap65-2を含むクローン107E17を単離し、その全配列を決定した。次に、両遺伝子の5'上流域をGFP 遺伝子の上流に連結したコンストラクトを作製し、1細胞期のメダカ受精卵に顕微注入した。いずれのコンストラクトを導入した場合でも中期嚢胚期にはGFPの発現がみられた。その後、mWap65-1プロモーター由来のGFPは孵化期には肝臓および耳石付近に観察され、孵化後は肝臓にのみみられた。一方、mWap65-2プロモーター由来のGFPは心臓発達期には卵黄嚢で観察され、孵化後は消化器官に局在した。以上の結果から、mWap65両遺伝子は胚発生の初期に発現するが、その時期や部位は相違することが明らかになった。

3. メダカWap65遺伝子ゲノム構造の解析

 mWap65-1およびmWap65-2のエクソン-イントロン構造を解析した。次に、全ゲノムデータベースが利用できるトラフグWap65、fWap65-1およびfWap65-2、さらにはWap65との相同性が知られているヒト・ヘモペキシン遺伝子についてもエクソン-イントロン構造を解析して比較した。その結果、これら遺伝子のエクソン-イントロン構造は一致し、魚類Wap65はヒト・ヘモペキシン遺伝子のオーソログであることが示された。

 次に、mWap65の翻訳領域およびその近傍の塩基配列をヒト・ヘモペキシン遺伝子のものと比較したところ、遺伝子5'上流域の相同性はほとんどみられなかった。しかしながら、mWap65-1の第5および第6エクソンはmWap65-2およびヒト・ヘモペキシン遺伝子の対応する領域と明らかな相同性を示した。そこで、mWap65-1およびmWap65-2の第5および第6エクソンにつき、演繹一次構造を哺乳類ヘモペキシンのそれと比較したところ、ヘモペキシンのレセプター結合部位に相当することが示された。ヘモペキシンのヘム結合部位の立体構造の安定化に重要と考えられる8個の疎水性アミノ酸については、mWap65-1では5個、mWap65-2では7個が該当し、それらはほぼ第6エクソンに局在した。

 さらに、mWap65の5'上流域を転写因子の結合部位予測プログラムに供したところ、肝臓に豊富に存在し、脂肪の代謝と分化に関与するHNF-3βの結合部位が含まれたほか、消化管の形成に重要なCdx1や心臓の発達に重要なNkx-2.5、心臓および前脳の発生に関係するPrx-2など発生に重要な転写因子の結合配列が存在し、これらが両mWap65の転写調節に関与することが考えられた。

4. ルシフェラーゼアッセイによるメダカWap65遺伝子転写調節領域の機能解析

 前節のようにmWap65の5'上流域、すなわち転写調節領域に様々なシスエレメントの存在が示唆されたため、レポーターアッセイにより同域の機能解析を試みた。mWap65-1およびmWap65-2の5'上流約-3 kbpを対象に、種々の長さのDNA断片を調製し、ルシフェラーゼ遺伝子の上流に連結してレポーターコンストラクトを構築した。これらをメダカ肝癌由来培養細胞DIT29株に導入して33℃で24時間培養し、ルシフェラーゼ活性を測定した。その結果、mWap65-1の5'上流-218 bpから-131 bpの領域およびmWap65-2の-442 bpから-234 bpの領域が転写活性に重要であることが示された。これら領域につき、さらに5'側を欠損した変異体を構築しルシフェラーゼアッセイを行った結果、mWap65-1の発現には-184から-154 bpの領域が、mWap65-2では5'上流-442 bpから-367 bpおよび-305 bpから-234 bpの領域が重要であることが示された。したがって、mWap65-1の転写調節にはこれら領域に含まれる前節で述べたHNF-3βまたは赤血球の産生と成熟に必須の転写因子GATA-1の結合部位が関与することが示唆された。一方、mWap65-2では前節のCdx1やサイトカインやストレスシグナルに応答する遺伝子の発現調節を行ったり細胞増殖や分化に関与する転写因子AP-1が転写調節に関わることが考えられた。

 さらにmWap65に免疫応答性があるかどうかを調べるため、5'上流域-3kbpを連結したレポーターコンストラクトを上述の培養細胞に導入して炎症性サイトカインの一種インターロイキン-6(IL-6)で刺激した。しかしながら、mWap65-1およびmWap65-2の転写活性に変化は認められなかった。

 以上、本研究により、メダカ成体ではmWap65-1の転写産物量およびタンパク質量は温度馴化過程の初期に上昇し、一方mWap65-2のそれらは減少し、相補的な発現変動を示すことが明らかになった。また、両遺伝子は胚発生の初期に発現するが、それらの発現部位は明らかに異なることが示された。さらに5'上流域の解析により、両遺伝子の転写調節には胚発生、器官形成、脂質代謝、免疫系に働く転写因子の関与が示唆された。これらの成果は、魚類の温度馴化分子機構の一端を明らかにしたもので、比較生理生化学的に資するところが大きいと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 魚類などの水棲生物は絶えず変化する水温中、温度適応して代謝調節を行うことで恒常性を保ち、生命を維持している。一方、広温域性魚類に属するコイおよびキンギョは高温馴化に伴って65 kDaの水溶性タンパク質、Wap65の発現量を特異的に増大させ、このWap65の一次構造は哺乳類のヘム結合性血漿糖タンパク質、ヘモペキシンと類似する。同じ広温域性淡水魚のメダカおよび海産魚トラフグでは2種類のWap65の存在が明らかにされたが、その発現調節機構については未だ不明な点が多い。本研究ではメダカを対象に温度馴化過程およびメダカ胚発生期におけるWap65の発現解析を行い、さらに、転写調節機構の解析を試みた。

 まず、メダカ成体を5℃に馴化させた後、水温を2日間で35℃に上昇させた。その後、同温度で21日間飼育した。この間2種類のメダカWap65、mWap65-1およびmWap65-2の転写産物量および発現タンパク質量の経時的な変動を調べた。mWap65-1転写産物量は水温が35℃に到達した直後に増大する傾向がみられ、一方、mWap65-2は水温上昇後、直ちに減少した。いずれの遺伝子も21日目には5℃のときのレベルに回復し、2種類のmWap65は相補的な発現変動パターンを示した。次に、タンパク質レベルではmWap65-1およびmWap65-2とも転写産物量の変動パターンと同様の傾向を示した。

 次に、mWap65の胚発生期における遺伝子発現様式をリアルタイムPCRで調べた。mWap65-1は後期桑実胚期より転写産物が検出され、後期嚢胚期で最高値が観察された後、蓄積量は減少した。mWap65-2の転写産物は後期嚢胚期で最初に検出され、以降、孵化期まで急速に蓄積量が増大した。次に、体節完成期のメダカ胚をホールマウントin situハイブリダイゼーションに供した。mWap65-1の転写産物は胸鰭の縁辺部および尾部の正中膜鰭に沿って検出され、mWap65-2は肝臓原基にのみ観察された。さらに、mWap65の挙動をin vivoで明らかにするため、mWap65プロモーターの制御下、GFPを発現するトランスジェニック魚の作出を試みた。まず、メダカBACライブラリーよりmWap65を含むBACクローンを単離した。次に、両遺伝子の5'上流域をGFP 遺伝子の上流に連結したコンストラクトを作製し、1細胞期のメダカ受精卵に顕微注入した。いずれの遺伝子も中期嚢胚期にはGFPの発現がみられた。孵化後はmWap65-1由来のGFPは肝臓にのみみられ、mWap65-2は消化器官に局在した。以上、両遺伝子は胚発生の初期に発現するが、その時期や部位は相違することが明らかになった。

 次に、ゲノム構造を解析した。2種類のmWap65のエクソン-イントロン構造はトラフグWap65およびヒト・ヘモペキシン遺伝子のそれと一致した。次に、mWap65の翻訳領域およびその近傍の塩基配列をヒト・ヘモペキシン遺伝子のものと比較したが、5'上流域の相同性はほとんどみられなかった。さらに、mWap65の5'上流域を転写因子の結合部位予測プログラムに供したところ、脂肪の代謝と分化に関与するHNF-3βの結合部位が含まれたほか、消化管の形成に重要なCdx1など発生に重要な転写因子の結合配列が存在し、これらがmWap65の転写調節に関与することが考えられた。

 そこで、レポーターアッセイにより転写調節領域の解析を試みた。mWap65の5'上流域をルシフェラーゼ遺伝子の上流に連結したコンストラクトを構築し、メダカ肝癌由来培養細胞DIT29株に導入して33℃で24時間培養し、ルシフェラーゼ活性を測定した。その結果、mWap65-1の転写調節には前述のHNF-3βまたは造血に必須の転写因子GATA-1の結合部位が関与し、mWap65-2では前述のCdx1やサイトカイン応答性の遺伝子の発現調節を行うAP-1が関わることが示唆された。さらに、mWap65の免疫応答性を調べるため、上述の培養細胞を炎症性サイトカインの一種IL-6で刺激して転写活性を調べた。しかしながら、2遺伝子の転写活性に変化は認められなかった。

 以上、本研究により、メダカ成体ではmWap65-1の転写産物量およびタンパク質量は温度馴化過程の初期に上昇し、一方mWap65-2のそれらは減少することが明らかになった。また、両遺伝子は胚発生の初期に発現するが、それらの発現部位は明らかに異なることが示された。さらに両遺伝子の転写調節には胚発生、器官形成、脂質代謝、免疫系に働く転写因子の関与が示唆された。これらの成果は、魚類の温度馴化分子機構の一端を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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