学位論文要旨



No 122433
著者(漢字) 戸石,七生
著者(英字)
著者(カナ) トイシ,ナナミ
標題(和) 幕末百姓の養子慣行 : 江戸地廻り経済圏 : 山村における世帯と村落の再生産
標題(洋)
報告番号 122433
報告番号 甲22433
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3157号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 木南,章
 東京大学 助教授 松本,武祝
 筑波大学 助教授 加藤,衛拡
内容要旨 要旨を表示する

 序章では、本研究の目的を、養子縁組を日本特殊的な「家」制度の産物としてきた従来の解釈を見直すことに設定した。そのためには、養子縁組を個々の世帯だけではなく、世帯以外の観点から相対化することが必要である。

 よって先行研究の整理では、「家」には実態があり、その成員は「家業」「家産」「家名」を維持し、「家」の存続を図ることを至上命題とするという、従来の百姓社会の「家」観に関する通説のあり方に疑問を投げかけた。まず、史料の制約上、百姓でも上層にばかり情報が集中した結果、従来の研究でも上層に焦点があてられているという問題がある。つまり、中層・下層の姿は、上層の「家」意識を当てはめて解釈されるか、もしくは「家」が見られないという否定形を通じた上層の陰画として描写されているのである。

 これは、上層の「家」も中・下層の「家」も一様に「家」として把握しようとする支配権力の公的文書の性質に端を発する。しかし、「家」の内実についての解釈は研究者によって異なる。「家」には実態があり、上層も中・下層も同様の「家」意識を共有していたとするのが通説に対し、文書の「家」は百姓株という近世固有の制度が反映したものに過ぎず、したがって「家」理念を個々の百姓が内面化したとするのは誤りであるという立場もある。本論文では、中・下層をも分析対象とする必要性から後者の説を取り上げ、「家」を百姓株や、その背景である本百姓体制、村請制の表象する村落共同体という観点から、外在的なものとして捉え、相対化することとした。

 第I章では、分析対象である史料、主にその中心となる上名栗村古組の宗門改帳の性質について論じた。本論文での対象となるのは、学習院史料館に所蔵されている町田家文書に属する、文化元年から明治三年(1804-1870)の67年分の宗門改帳である。宗門改帳を分析に用いることの利点は、何よりも数量分析が可能であることであるが、それは世帯単位に限ったことではなく、村落共同体単位の分析にも該当する。

 家族研究のための宗門改帳の問題点については、実態との乖離という観点から様々な批判がある。主なものは、他の形式の史料との関係であり、宗門改帳における記述と他の史料における記述、特に家族単位における不一致であり、宗門改帳は実態を反映していないのではないかという批判である。本論文では世帯を「百姓株」と捉えることにより、明治以降に定着した「家族」という概念の漠然とした実態を追求するのではなく、あえて幕末の「百姓株」に議論を限定することで、分析を明解なものとした。

 第II章では、村況について述べた。提出された主な論点は産業構造、階層区分、世帯の再生産における階層性、世帯形成のルールである。まず、産業構造については、文化年間の宗門改帳における農間渡世の記述により、上名栗村古組は世帯のほとんどがその生業を林業に依存しており、米作地帯に比べ世帯単位の共同作業の必要性が著しく少ないことが判明した。その結果を踏まえ、階級区分のために各世帯の職業をさらに分析したところ、職業別の世帯の平均持高には職業による序列とセグメント化が認められた。各セグメントを持高順に上層・中層・下層としたところ、上層は炭商・材木商に、中層は炭焼き・熟練労働者(大工・鍛冶など)、下層は日雇いなどの非熟練労働者・小売業に代表された。但し、酒造業は下層に分類されていても、構造的に無高のため注意が必要である。

 世帯の再生産における階層性では、期間合計出生率(1804-1869)を計算した結果、上層では2.92、中層は2.76、下層は2.80と顕著な差はなく、下層が中層をわずかに上回った。全体的に2.8と上名栗村古組の出生率は低いと言えよう。これに対し、世帯の継続性については顕著な差があった。まず、下層では全期間を通して観察できる世帯数が圧倒的に少ない。上層と中層では3世帯に1世帯が絶家したのに対し、下層では絶家率は2世帯に1世帯に跳ね上がった。さらに、再興世帯数も非常に少なく、その代わりに新設世帯数が多い。世帯形成のメカニズムについては、同一世代に複数のカップルが属する世帯構造は非常にまれなケースであり、その継続期間も短く、養子縁組、引越しなどを通じてカップルが排出され、直系家族へと回帰することが確認された。逆に、兄弟のうち世帯主として残留したもので独身を通したものは珍しく、世帯の超世代的な存続は原則的にカップルによって担保されるという現象が確認された。このような残留一子(長子、男子とは限らない)によるカップル形成ルールを、珠を連ねる様に喩え、本論文では「数珠繋ぎ法則」と呼ぶ。

 第III章では上名栗村古組における養子縁組のハビトゥスについて分析と考察を行った。養子縁組は「数珠繋ぎ法則」に従い、カップル形成の観点から、養子縁組と同時にカップルが成立する婿養子、必ずしもカップルが成立しない養子のうち男性である普通養子、必ずしもカップルが成立しない養子のうち女性である養女に分類した。まず、年齢についての分析を行ったが、15歳以下と16歳以上では傾向が異なることが判明した。15歳以下のグループにおいては、婿養子は皆無であった。16歳以上のグループでは男性の養子が圧倒的に多いのに対し、15歳未満では男女で数が拮抗している。縁組の理由は、両親と共に移動する親子養子を除くと、男女によって差が見られた。

 15歳以上の養子については、年齢階級別養子縁組件数のピークをみると、養女が10代後半、養子が20代前半、婿養子が20代後半であることが判明した。

 さらに養子縁組のハビトゥスについて、実家におけるそれと養家におけるそれの各々を調べた。養子は家族戦略に沿って、他の兄弟の結婚や甥姪の誕生といったイベントにあわせてしかるべきタイミングで実家から放出されるとする他の先行研究に対し、上名栗村古組ではどのタイプの養子であれ、特定のイベントと縁組の関係を見出すことができなかった。養家のハビトゥスについては、受け入れる側のタイミングにも、前世帯主の死亡、家付き娘の配偶者の死亡といった特定のケース以外、イベントとの関係を見出せなかった。一方、養子のライフコースを調べてみると、離縁の大半は縁組後2年以内に行われたが、それを除くとほとんどの養子が世帯主またはその配偶者となっており、さらに養子縁組の75パーセントで結婚が縁組後1年以内に行われているため、多くの受け入れ側の世帯に取って、養子縁組は新しいカップルの成立と同義であり、「数珠繋ぎ法則」に忠実であると言える。

 総じて上名栗村古組における養子縁組は後継者確保のために行われており、特定の閾値内(養子の年齢、養子の配偶者の年齢など)で緩やかに進むプロセスであり、何かの家族イベントが引き金となって成立するものではなく、「数珠繋ぎ法則」に違反していないという以外のハビトゥスは検出できなかった。しかし、これらのハビトゥスは必ずしも「家」を存続させるという規範に従った「家族戦略」とは言えない。

 養子縁組の階層性については、上層が比較的供給する件数が多いという他、特に目立った特徴は認められなかった。

 最後に、養子縁組による跡継ぎが流出するケースについて調べた。取り上げた個別事例については、養子縁組によって次々と世帯員が入れ替わり、養子縁組が当事者に利益をもたらしたとは言えず、当事者による「家」存続規範の内面化が疑わしいものがある。これは、個人の戦略と家族戦略が一致しない場合、上名栗村古組では「家」規範が個人の戦略を抑圧できるほど強くなかったためとも考えられる。

 第IV章では村落共同体の再生産と養子縁組の関係、特に養子縁組について村落共同体が果たした理論的な可能性について整理を行った。

 まず、上名栗村古組の個々の世帯においては、一般に死亡率が高い江戸時代では、後継を実子に限れば、世帯の存続にとってかなり不利な状況であるにもかかわらず、出生力が低いことから、高死亡率の社会に見られるreplacement motiveが働いていない可能性があることを指摘した。ただし、世帯単位の協業が必要不可欠な米作地帯と違い、林業に依存する産業構造からすると、個々の世帯レベルでは跡継ぎがいないことは必ずしも個人レベルの再生産に支障が生ずるわけではない。よって、上名栗村古組では個々の世帯のレベルでは跡継ぎの確保について、比較的機会主義的であると考えられる。仮に存続を志向するという「家」規範が内面化されていなければ、出産・養育のコストが跡継ぎを確保することによって得る利益を上回った可能性も大いにある。

 一方、村落共同体はnumerus claususとしての百姓株の性質から、本百姓数を維持する必要があった。その場合、村落共同体が上名栗村古組の出生力を全体的に上昇させようとしても、出産・養育の費用は個々の世帯の負担であるので、それが限界効用を上回る限り、世帯にとっては追加して子供を生む動機はない。

そこで両者にとっての妥協策となるのが、養子縁組によって、養子を周辺農村から導入し、出産・養育のコストを外部化することである。個々の世帯にとっては、養子縁組にかかる手間、世帯員が増えるというストレスがあるが、いわば即戦力であるため、出産・養育のコストを負担しなくて済む。村落共同体にとっては、社会関係資本・文化資本・村への忠誠心(Pietat、loyalty)が劣るかもしれないが、養子縁組制度というある種の選別機能を通じて、一定の質(年齢・能力)を保った人材を確保できたのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、江戸地廻り経済圏に属する武州秩父郡上名栗村(現埼玉県飯能市)における養子慣行の実態とその特質を、幕末期に焦点をあてて分析したものである。分析にあたっては、養子縁組を特殊日本的な家制度の産物としてきた従来の解釈を批判し、養子縁組を個々の世帯だけではなく、村落共同体との関連で考察することの重要性が強調されている。

 上記の課題設定に続く第I章では、分析対象である史料(上名栗村古組宗門改帳)が吟味され、文化元(1804)年から明治3(1870)年にかけての67年分の宗門改帳が利用される。なお利用した宗門改帳は、記載内容も充実しており、数量分析にも耐える第一級の史料といってよい。

 第II章では、分析対象地域である旧上名栗村古組の社会経済状況が分析され、同地域では世帯のほとんどが林業を生業としており、米作地帯に比べて世帯員協業の必要度が小さいことが指摘される。また、世帯の階層構成も、職業の序列と密接に関連していることも明らかとなった。いずれも、養子慣行の解釈に際して重要な論点となる。世帯の再生産を階層間で比較すると、期間合計出生率(1804-1869年の全期間)は、上層(炭商、材木商)で2.92、中層(炭焼き、大工・鍛冶など熟練職人)で2.76、下層(日雇いなどの非熟練労働者、小売業)で2.80と顕著な差はみられない。しかし世帯の継続性については顕著な差がみられた。観察の全期間で、上・中層では3世帯に1世帯が絶家したのに対し、下層では2世帯に1世帯と高い絶家率を示した。分析対象地域の世帯再生産は、決して容易なものではなかったのである。また世帯のタイプについては、同一世代に複数のカップルが存在する例は非常に稀であり、存在してもごく短期間の間に直系家族へ回帰することが確認された。さらに、世帯主として残留した者が独身を通したケースも稀で、世帯の超世代的な存続は原則的にカップル形成によって担保されることが確認された。

 第III章では上名栗村古組における養子縁組の実態(ハビトゥス)が、養子を、婿養子・普通養子・養女の3類型に分類して検討される。その結果、(1)15歳以上の養子については、養女が10代後半、養子が20代前半、婿養子が20代後半に多いこと、(2)養子縁組は主として後継者確保のために行われているが、養子縁組と家族内の特定のイベント(実家における兄弟の結婚や甥姪の誕生、養家における前世帯主の死亡など)との関連はそれほど直接的ではないこと、(3)養子縁組後の離縁の大半は縁組後2年以内に行われていること、(4)離縁のケースを除けば、ほとんどすべての養子が世帯主またはその配偶者となっていること、(5)養子縁組の75パーセントで縁組後1年以内に結婚に至っていること、(6)それ故、養子の受入世帯にとっては、養子縁組が新しいカップルの成立と同義であること、などが明らかとなった。なお養子縁組の階層性については、上層から供給される件数が相対的に多いという他、とくに目立った特徴は認められなかった。

 第IV章では、村落共同体の再生産と養子縁組の関係、とくに養子縁組において村落共同体の果たした役割が検討される。まず、上名栗村古組では出生率が低いため、高死亡率の社会に見られる「跡継ぎ確保意志」(replacement motive)が働いていない可能性がある点が重視される。この点は、分析対象地域の世帯が林業関連産業に主として従事していることと関連している。すなわち、家族協業を不可欠とする水田地帯ほどには、世帯レベルで跡継ぎを確保する必要性が高くないと考えられるのである。出産・養育の費用は個々の世帯の負担であるので、それが追加的に子供を生むことによる限界効用を上回る限り、出生行動を抑制するように働くことになるわけである。これに対し村落共同体は、村請け制のもとで年貢負担を果たしていくためには、一定数の百姓株を維持する必要があった。そこで採用されたのが、養子縁組によって周辺農村から養子を迎え入れ、出産・養育コストを外部化する手法である。個々の世帯にとっては、世帯継承に不可欠な要員を出産・養育のコスト負担なしに確保できることになる。また村落共同体にとっては、養子縁組制度というある種の選別機能を通じて、一定の質(年齢・能力)を保った人材が確保できたのである。

 以上のように本論文は、江戸地廻り経済圏に属する一村落の養子慣行を、世帯の行動様式と共同体の利害関心の両面から包括的かつ実証的に明らかにした研究であり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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