学位論文要旨



No 122450
著者(漢字) 本田,裕紀郎
著者(英字)
著者(カナ) ホンダ,ユキオ
標題(和) ギャップ検出および埋土種子集団形成の発芽戦略に関する生態学的研究
標題(洋)
報告番号 122450
報告番号 甲22450
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3174号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,和弘
 東京大学 教授 鷲谷,いづみ
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 教授 嶋田,正和
 明治大学 助教授 川上,直人
内容要旨 要旨を表示する

1章 研究の背景と目的

 植物種の中には、競争相手の存在しない空間であるギャップで発芽するためのメカニズム(ギャップ検出機構)を備えたものがあることが知られている。ギャップ検出機構は、ギャップ以外の場所での発芽を抑制することにもつながり、従って永続的埋土種子集団(以下、単に埋土種子集団と表記)の形成にも寄与し得ると考えられている。埋土種子集団を形成することの意義としては、時間的に変動する環境においても植物の個体群が生き残ることが可能になることがこれまで指摘されてきた。一方で、攪乱を頻繁に被り時間的な変動が大きいと考えられる場所に生育する植物においても、ギャップ検出機構をもたない種が存在することも報告されている。

 これまで多くの理論的な先行研究により、埋土種子集団を形成することの適応的意義が論じられてきたものの、その際にギャップを検出して発芽することはほとんど考慮されてこなかった。そこで本研究では、ギャップ検出機構を通じて埋土種子集団が形成される場合における、埋土種子集団を形成することの意義を検討するとともに、その意義がギャップ形成の確率の変化に伴ってどのように変わるかの検証を試みることを、第一の目的とした。

 ギャップを検出して発芽するためのシグナルとしては、植物種によって様々なものが報告されており、ギャップ検出機構が期待どおりの働きをするための植物側の対応の一つとして、複数のギャップ検出機構を保持することが考えられる。そのような植物は実際に少なからず存在するが、複数のギャップ・シグナルをどのように利用しているのか、なお不明な点が残っている。そこで、普遍的なギャップ検出機構である光要求性、緑陰効果感受性、変温要求性に着目し、それらが相互にどのように関係しながら発芽に影響するかを検討することを第二の目的とした。

2章 絶滅危惧植物フジバカマの種子発芽特性および埋土種子集団の形成可能性

 河川氾濫原に生育する絶滅危惧植物については個別に埋土種子集団の形成可能性が試験されており、いくつかの種は埋土種子集団を形成する性質をもたないことが明らかにされている。これらの種と、生活史には異なる点は多いものの、河川氾濫原に生育するという点では共通しているフジバカマが、埋土種子集団を形成する性質をもつかどうかを発芽試験および土壌の捲き出し試験により検証した。その結果フジバカマは、少なくとも対象とした個体群においては、埋土種子集団を形成する性質をもっていないことが示唆された。

 河川氾濫原は増水による攪乱頻度の高い空間である。そこで攪乱頻度に着目し、攪乱頻度の増加とともに埋土種子集団を形成することの意義がどう変化するかが、次に検討すべき課題として浮かび上がった。

3章 時間的に変動する環境における最適発芽戦略モデル-bet-hedging モデルとギャップ検出モデルの違い

 埋土種子集団に関する数多くの理論的な先行研究の大半には、共通した一つの前提が存在する。それは、植物の種子は発芽後の環境条件を指標する何らかの刺激に反応するなどして発芽するわけではなく、種子の一部を埋土種子集団に配分することで予測不能な不適な生育条件の悪影響を緩和する、というものである。発芽におけるこのような戦略はbet-hedging strategyと称されてきた。しかし、ギャップ検出機構により植被下や土壌中の深い位置で埋土種子集団が形成されるという状況を考慮した場合、この前提は十分なものとはいえない。

 そこで、環境変動として、実生の定着率が低下する不適な生育条件に加えて、生育個体を消失させギャップを形成する攪乱が確率的に発生する状況下で、1. bet-hedging strategy、2. gap-detecting strategy、3. gap-detecting and bet-hedging strategyに従って発芽する種子を想定したシミュレーションを実施し、それぞれの状況において最適な埋土種子への配分比率、もしくはギャップ検出機構をもつ種子の最適比率を計算した。

 その結果、不適な生育条件と攪乱の発生頻度が高い状況下では、bet-hedging strategyを採択する場合は埋土種子集団を形成する傾向にあるものの、ギャップを検出して発芽する種子を想定した場合はギャップ検出機構をもつ種子の最適比率がむしろ低下した。そのため、bet-hedging strategyに従った場合にはこれまでの知見を支持する結果が得られたものの、ギャップ検出機構を通じた埋土種子集団の形成を考慮した場合には、攪乱頻度が高い場合に埋土種子集団を形成する性質をもつことの意義が低下する可能性が存在することが示唆された。

4章 種子発芽における複数のギャップ検出機構の相互関係

 前章では、ギャップ検出機構をもつ場合、形成されたギャップを確実に検出して発芽すると仮定されていたものの、その仮定がどこまで正しいかについては検討の必要がある。ギャップ検出の確実性を増すために、複数のギャップ検出機構を備え、異なる種類のギャップ・シグナルを利用することが考えられる。実際に複数のギャップ検出機構を備える植物は知られているが、こうした植物におけるギャップ検出機構同士の関係については、なお不明な点が残っている。そこで、普遍的なギャップ検出機構である光要求性、緑陰効果感受性、変温要求性に着目し、それらが相互にどのように関係しながら発芽に影響するかを検討するために、20種の草本植物の発芽特性を試験した。発芽試験における光条件は明条件、暗条件、緑葉透過光下条件とした。それぞれの条件下に置いた種子に、途中の低温湿潤処理を挟んで5段階の温度条件(Phase I: 20℃恒温条件、Phase II: 15/25℃変温条件、低温湿潤処理、Phase III: 20℃恒温条件、Phase IV: 15/25℃変温条件、およびPhase V: 10/30℃変温条件)を順に経験させた。各Phase、およびPhase IIとPhase IIIの間の低温湿潤処理は、それぞれ30日間とした。その結果、供試した植物の中で、緑陰感受性と光要求性の一方または両方を示した植物種では、変温要求性もまた認められた。これらの植物種はまた、緑葉透過光下条件および暗条件下であっても、変温条件下であれば高い発芽率を示した。そのため、今後さらなる知見の蓄積が必要であるものの、植物は光に対してのみではなく、温度変動に対しても反応した方がより適切な発芽に至るものと考えられた。

5章 種子が経験する光条件の履歴と発芽に要する温度の日較差の関係

 前章で示したように、発芽に際して変温要求性に加えて光要求性や緑陰効果感受性を兼ね備えた植物種が少なからず存在する。本章では、野外において種子が散布されてから土壌中に取り込まれるまでの過程に着目し、種子が受ける光の履歴が異なることが、発芽における変温要求性にどのように影響するかを検討した。すなわち、光要求性と緑陰感効果受性の両方をもつ植物種は、野外において種子が散布されてから土壌中に取り込まれるまでの過程に応じて、ギャップ・シグナルとしての変温の程度(変温幅)に対する要求性を変化させている、という仮説を立てて、これを試験した。

 材料として、前章において光要求性、緑陰効果感受性、変温要求性を全てもつことが示唆されたコウゾリナを用いた。光条件として、明条件、暗条件、緑葉透過光を受けた後の暗条件、および連続した緑葉透過光下条件を用意した。このうち、緑葉透過光を受けた後の暗条件は、散布された種子が一度植被下にあった後、土壌中に取り込まれた状態に対応し、暗条件は、植被下に置かれた履歴がないまま土壌中に取り込まれた種子の状態に対応する。

 用意した仮説が正しいならば、発芽に要求される温度変化の幅は、明条件<暗条件<緑陰光を受けた後の暗条件<連続した緑葉透過光下条件となるであろう。発芽試験の結果、明条件と同等の最終発芽率に到達するには、暗条件で4℃幅、緑陰光を受けた後の暗条件で8℃幅、緑葉透過光下条件で12℃幅の変温が必要であり、仮説を支持する結果となった。

6章 総合考察

ギャップ検出機構を通じた埋土種子集団形成の意義

 ギャップ検出機構をもつ種子がギャップに位置しなかったために発芽できず、そのまま土壌中に残って埋土種子集団を構成するという過程を想定した場合には、攪乱頻度が低い場合にはほぼ全ての種子にギャップ検出機構をもたせることが最適と考えられた。これは、確率的に埋土種子集団が形成される場合と比べて、ギャップ検出機構がある場合には、植被下や土壌深部での発芽の結果無駄になる種子が少ないことが理由であろう。加えて、攪乱頻度が高い場合にはむしろギャップ検出機構をもたない種子の割合を増やすほうが有利になることが示唆された。攪乱頻度以外の環境条件が同じであれば、攪乱頻度が高い方が発芽季節には高い確率でギャップが存在することになり、ギャップ検出機構に依存する度合いは小さくなる。ギャップ検出機構の確実性や、土壌中の比較的深い場所での発芽が地表に到達する確率、土壌中での種子の移動の確率次第では、埋土種子集団を作ることでかえって無意味に発芽を抑制してしまう機会が増えることにもなりかねない。こうしたことから、ギャップ検出機構を備えることが有利ではなくなるという、一見して考えにくい結果が得られる背景にあったものと思われる。

複数のギャップ・シグナルに反応することの意義

 光および温度の日較差の両方に対して反応する植物と、一方に対してのみ反応する植物が存在する。両方を利用する植物種の場合、光量が乏しいというようにいずれかのシグナルが弱くとも、種子が他のギャップ・シグナルを強く経験した場合に発芽するという具合に、複数のギャップ・シグナルに対する発芽反応は相補的に発現すると考えられる。従って、一方だけを検出して発芽するよりも確実にギャップを検出可能になるだろう。しかも、光量、光質および温度の日較差に反応してギャップを検出可能である場合、より確実にギャップを検出するために、過去に緑葉透過光にさらされた履歴があるか否かによって、温度の日較差に対する要求性が変化する植物種が存在する。この効果も相補的に作用し、ギャップをより確実に検出して発芽することに寄与するであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 植物の個体群や群落の動態を考える上で、発芽能力を維持したまま一年を超えて土壌中に存在し続ける永続的埋土種子の集団(以下、埋土種子集団)の果たす役割は、見逃すことができない重要なものである。と同時に、近年注目を浴びている植生復元、あるいは今後重要性を増すであろうと予想される絶滅危惧植物の個体群復元において、対象となる群落や植物種によっては、埋土種子集団の活用が事業の成否を左右する決定的な役割を担うと考えられている。とはいえ、埋土種子集団のありようについては、今なお未解明の部分が少なくない。申請者によるこの論文は、埋土種子集団の形成について課題を設定し、それらの解明を通じて埋土種子集団に関する包括的な理解を深めることを目指した一連の研究の成果をまとめたものである。

 研究にあたり、まず申請者は、埋土種子集団の形成メカニズムに寄与する発芽生態学および発芽生理学の知見を整理した。それにより、発芽後の生育の見込みの低い環境における発芽を回避する仕組みと捉えられるギャップ検出機構は、埋土種子集団の形成メカニズムとしても重要なものであるとの視点を提示した。その上で申請者は、全体的な研究目的として次の二つを提示した。一つは、ギャップ検出機構を通じて埋土種子集団が形成される場合における、埋土種子集団を形成することの生態的な意義はどのようなものであるか、またそれは環境の変化によってどう変わるのか、明らかにすることである。もう一つは、ギャップ検出機構が期待どおりの働きをするための植物側の対応の一つとして、複数のギャップ検出機構を保持することが考えられるが、その場合に複数のギャップ・シグナルをどのように使い分けて利用しているのか、明らかにすることである

 第一の問題に取り組むにあたり、申請者は、河川氾濫原に生育する絶滅危惧植物のいくつかの種は埋土種子集団を形成する性質をもたないことに着目した。これらと類似する生育分布を示すフジバカマについて、埋土種子集団を形成する性質をもつかどうかを検証し、少なくとも対象とした個体群においては、同種は埋土種子集団を形成する性質をもっていないと判断されることを示した。この結果を踏まえ、河川氾濫原の特徴である増水による撹乱が高頻度で起こることが、埋土種子集団の形成の必要性を低下させているという仮説を設定し、次のシミュレーションによる研究を行った。

 埋土種子集団形成に関する従来の主要な考え方であるbet-hedging strategyに立脚したモデル、本研究で提示したギャップ検出機構を通じた埋土種子集団形成を想定したモデル、両者の複合的なモデルのそれぞれによって、モデル植物の個体群成長のシミュレーションを実施した。その結果、攪乱の発生頻度が高い状況下では、bet-hedging strategyに従ったモデルでは埋土種子集団が形成されやすくなるものの、ギャップを検出して発芽する種子を想定した場合はギャップ検出機構をもつ種子を形成する最適比率がむしろ低下した。ギャップ検出機構を通じた埋土種子集団の形成を考慮した場合、攪乱頻度が高い場合に埋土種子集団を形成する性質をもつことの意義が低下する可能性が存在することが示唆された。

 第二の問題については、まず20種の草本植物の発芽特性を試験した。その結果、緑陰効果感受性と光要求性の一方または両方を示した植物種では、変温要求性もまた認められた。これらの植物種はまた、緑葉透過光下条件および暗条件下であっても、変温条件下であれば高い発芽率を示した。そのため、植物は光に対してのみではなく、温度変動に対しても反応した方がより適切な発芽に至るのではないかと考えた。

 この実験において、光要求性、緑陰効果感受性、変温要求性を全てもつことが示唆されたコウゾリナを用い、種子が受ける光の履歴が異なることが、発芽における変温要求性にどのように影響するかを検討した。すなわち、光要求性と緑陰感効果受性の両方をもつ植物種は、野外において種子が散布されてから土壌中に取り込まれるまでの過程に応じて、ギャップ・シグナルとしての変温の程度(変温幅)に対する要求性を変化させている、という仮説を立てて試験した。用意した仮説が正しいならば、発芽に要求される温度変化の幅は、明条件<暗条件<緑陰光を受けた後の暗条件<連続した緑葉透過光下条件となるであろう。実験の結果は、この仮説を支持するものであった。

 最後に、ギャップ検出機構を通じた埋土種子集団形成の意義と、複数のギャップシグナルに反応することの意義について考察を行った。ギャップが高頻度で形成される環境においては、ギャップ検出機構の確実性や、土壌中の比較的深い場所での発芽が地表に到達する確率、土壌中での種子の移動の確率次第では、埋土種子集団を作ることで無意味に発芽を抑制する機会が増えかねないことをまず指摘した。加えて、複数のギャップ・シグナルに対する発芽反応は相補的に発現し、より確実なギャップ検出を可能にすると思われること、過去に緑葉透過光にさらされた履歴があるか否かによって、温度の日較差に対する要求性を変化させる植物種では、そのことがギャップをより確実に検出することに寄与するであろうことを指摘した。

 本論文では、一連の野外調査、数値シミュレーション、実験的研究を必要に応じて組み合わせて行った結果に基づき、埋土種子集団形成の生態的な意義について新たな知見を提示することに成功した。これらの成果は学術的にはもちろん、今後応用面においても活用されるものと期待される。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としての価値を有するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク