学位論文要旨



No 122451
著者(漢字) 右田,千春
著者(英字)
著者(カナ) ミギタ,チハル
標題(和) コナラの林冠における葉の分布と生産の時空間的変動に関する生理生態学的研究
標題(洋)
報告番号 122451
報告番号 甲22451
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3175号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 教授 梶,幹男
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 講師 益守,眞也
 森林総合研究所 物質生産研究室長 千葉,幸弘
内容要旨 要旨を表示する

 森林の物質生産が環境変動によってどのような影響を受けるかを知るためには、個葉の光合成特性の環境応答だけではなく、葉の林冠内での配置が環境によってどのように規定されているかを明らかにする必要がある。特に、針葉樹に比べて林冠構造がより複雑な広葉樹では、林冠内の葉の空間配置およびその解析法に不明な点が多い。そこで本研究では落葉広葉樹を対象に、光合成生産、窒素動態、林冠内の葉面積密度の分布構造やシュート動態等の構造的特徴を明らかにするとともに、環境条件の影響を受ける光合成生産やそれに関与する窒素動態に関する林冠の機能的特徴を解明することによって、林冠レベルでの生理的諸過程に基づいた森林の成長および生産に影響を与え得る要因を解明することを目的とした。

 調査林分は、茨城県つくば市の27年生コナラ(Quercus serrata Thunb. cx. Murray)人工林で、立木密度は1700本/ha、平均樹高は14.3m、平均胸高直径は14.8cmである。平均気温は13.6 ℃、平均年降水量は1386 mmである。地上高12mから15mにかけて林冠層が存在し、林冠下に幹から萌芽した後生枝が見られた。林分内に観測用タワーを設置し、タワー内の5個体を供試木とした。

 葉の空間配置と光環境との関係を明らかにするため、6m×6mの範囲の林冠を一辺50cmの立方体(キューブ)に区切り、キューブごとに葉量と相対光強度(全天空写真から推定)を測定し、葉面積密度(m2 m(-3))および光環境の林冠内での変動を調べた。当年生シュートの90%が林冠上層から中層にかけて分布し、林冠中層付近に最も多く葉が分布していた。葉面積密度には、針葉樹で報告されている幹や樹冠との相対的位置による規則性は認められなかった。樹高成長によって2004年から2005年にかけて林冠は50cm上方に拡大したが、林冠内の相対光強度と葉面積指数との相関関係には、両年で違いが認められなかった。林内の光環境は、上層よりも下層の方が、葉面積指数の増加に対する光の減衰が大きく、葉の傾きの違いや枝・幹による光の遮蔽の影響がみられた。一方、各キューブの相対光強度と葉面積密度との間には明瞭な関係が見られなかった。これは、光だけではなく葉を支持する枝そのものの分布が制限要因となって、葉群の空間分布が規定されているためと考えられた。2004年から2005年にかけての葉面積密度の変化をキューブごとに比較すると、葉が減少あるいは葉が含まれなくなったキューブの相対光強度は、前年に比べて低下している場合が多かった。葉面積密度の高いキューブでは個葉間の光獲得競争が激化し、相互被陰などにより個葉あたりの光合成生産が減少している可能性が考えられた。下層だけでなく中層や上層にも葉が減少もしくは含まれなくなったキューブが見られ、相対光強度の大きいキューブにおける葉の減少は、風等による枝の折損等、物理的な原因による葉の脱落も考えられた。林分全体の葉現存量は3.35Mg ha-1であり、その内、林冠下の後生枝の着葉量が全体の11%を占めていた。

 コナラは前年の当年生シュート(当年の1年生シュート)のみに冬芽が形成される。林冠上層、中層、下層の1年生シュートについて、冬芽形成、開芽、シュート伸長、葉の展開という葉群動態に関わる一連の成長を光環境との関係から解析した。本調査林分では4月上旬に後生枝および林冠下層の冬芽の開芽が始まった。上層の冬芽はそれより約2週間遅れて開芽した。未開芽の冬芽および花序は、シュートおよび葉身の伸長中に落下した。成長期間に枯死するシュートは認められなかったことから、シュートの枯死は落葉期以降に起こるものと推定された。葉身伸長の完了後に葉の肥厚が見られ、葉面積重(葉面積あたりの乾重量)は5月から6月にかけて急激に増大した。6月以降は葉面積重の変化は見られず、葉の形質は展葉後1ヶ月程度で光環境に適応していた。

 1年生シュートに着生する冬芽の個数、サイズおよび開芽率について林冠内の位置ごとに調べた結果、冬芽形成時の相対光強度が高い方がシュートあたりの冬芽個数が多く、冬芽サイズも大きかった。開芽率は60-70%程度であり、形成位置や相対光強度による違いは見られなかった。当年生シュートの伸長は4月下旬に完了した。シュート伸長完了後のシュート長は冬芽サイズが大きいほど大きく、シュート長が大きいほど葉枚数と葉面積が大きかった。このことは、前年の光環境によって冬芽サイズが決まり、冬芽サイズによって当年の開芽時の枝量および葉量が決定されることを示している。着葉密度(当年生シュート長あたりの葉枚数)は相対光強度の高いシュートほど低く、葉の着生間隔が広かった。以上の結果をもとに当年生一次シュートの伸長に伴う葉面積増大の経時変化をモデル化し、キューブごとの葉面積の増大経過のシミュレートを可能にした。林冠上層のシュートは、光の捕捉よりも林冠の上方へ拡大を優先していることが示唆された。コナラの場合、4月に開芽したシュート(当年生1次シュートと呼ぶ)に形成された新芽の一部は土用芽として開芽し、ラマスシュート(当年生2次シュート、3次シュート)を6月から8月にかけて伸長する。土用芽に由来する2次、3次シュートの着葉量は優勢木では、樹冠上層葉量の40%、樹冠全葉量の32%に達していた。平均シュート長は、ラマスシュートの方が1次シュートよりも大きい傾向にあった。上層林冠ほど土用芽の割合が大きく、光環境に応答した林冠の上方への拡大やギャップの修復に果たす土用芽の役割が大きいことが示唆された。

 光合成機能と密接な関係にある窒素は、林冠内の光環境に応じて林冠全体の光合成生産が最大となるように分配される傾向にあることが知られていることから、林冠上層、中層、下層の葉の窒素含有率の季節変化を調べた。葉乾重量あたりの窒素含有率は展葉途中である4月に最大値(約40mg g(-1))を示し、葉の肥厚とともに低下し、6月から8月までの成長期間中は一定の値(樹冠層の葉は21mg g(-1)前後)で推移した。葉面積あたりの窒素含有率は相対光強度と密接な関係が見られ、相対光強度が80%以上の葉では約2.7 g m(-2)、20%前後の葉では約1.7g m(-2)であった。本調査林分全体の葉に含まれる窒素量は7月に最大値84.1kg ha(-1)に達すると推定された。10月になると窒素含有率が徐々に低下し始め、11月中下旬の約2週間で急激に低下し、落葉直前には、すべての林冠層で葉面積ベースの窒素含有率が約0.8g m-2(最低窒素含有率)まで低下した。夏期の展葉後の葉量を一定とみなすと、林冠全体での窒素回収量は46.8kg ha-1と推定された。この値は7月の最大値の56%に相当した。林冠上層の葉ほど窒素の回収率が高かったことから、上層ほどより多くの窒素がRubisco等の光合成酵素に使われていることが示唆された。季節ごとの葉面積あたりの窒素含有率は(1)式で近似できた。

Na= A (1-exp( - B /A・RI )) + N0

(1)

(Na:葉面積あたりの窒素含有率、B、A:季節ごとの定数、RI:相対光強度、N0:最低窒素含有率)

(1)式により、林冠各所の葉の窒素含有率の季節変化が、相対光強度を変数として推定可能になった。

 キューブ単位での葉量の増減やシュートの枯死を光合成生産から評価することを目的として、林冠上部、中部、下部の葉の光合成特性の季節変化を測定し、光合成の生化学的過程に基づくFarquharのモデルを用いて、異なる光環境にある林冠各所の葉の着葉期間の剰余生産量の推定を試みた。光合成速度−葉内CO2濃度曲線から得られる光合成特性値は、葉面積あたりの窒素含有率と高い相関が認められた。光・CO2飽和光合成速度には、窒素含有率によって約2倍の差があった。葉の窒素含有率の季節変化は相対光強度から推定できることから、林冠各所の葉の光合成特性の季節変化は、相対光強度と葉の窒素含有率の季節変化との関係式を用いて推定可能となった。林冠各所の光強度の日変化、気温と相対湿度から、着葉期間における林冠各所の葉の剰余生産量を推定した。剰余生産量は、相対光強度が20%以下になると急激に減少すると推定された。また、現存する林冠葉のRIの最低値は11%であり、その付近で剰余生産がマイナスに転じており、キューブ単位の葉群の存在を左右する光条件と考えられた。林分あたりの年剰余生産量(葉の剰余生産量)は、8.0Mg C ha(-2) yr(-1)と推定された。

 本研究では、光環境に応じた冬芽の開芽からシュート伸長までのフェノロジーを詳細に調べ、林冠内における冬芽形成から開芽、シュート展開による葉群動態を定量的に解明した。林冠におけるラマスシュートについては、その分布量や林冠動態の果たす意義について定量的に明らかにした。また、光合成モデルを用いて3次元的な剰余生産量を推定し、葉量の空間分布およびその変動や葉(シュート)が生残できる光条件など、葉群の3次元構造や動態を巡るプロセスを解明した。光合成モデルは、光強度や温度、湿度、CO2濃度などの物理的環境を変数としており、環境変動にともなう光合成生産の変化のシミュレーションにも適用可能である。以上の成果は、森林の物質生産の環境応答を予測するために、林冠構造を含めてモデル化する際に重要な知見を与えるものであり、環境変動の森林生態系への影響予測に貢献するものである。

審査要旨 要旨を表示する

 温暖化や乾燥化などの気候変動の森林生態系への影響が危惧されている。森林の物質生産が環境変動によってどのような影響を受けるかを知るには、個葉の光合成特性の環境応答だけではなく、光合成器官である葉の林冠内での配置が環境によってどのように規定されているのかを明らかにする必要がある。本論文は、針葉樹に比べて複雑な分枝様式のために林冠構造の形成に関する知見の少ない広葉樹のコナラを対象に、林冠内での葉の配置と動態が林冠各所の光環境によってどのように規定され、光合成生産が行われているかを明らかにすることを目的としたものである。

 つくば市にある27年生人工林を調査林分とし、6m×6m×3.5mの範囲の林冠を一辺50cmの立方体(キューブ)に区切り、キューブごとの葉量と相対光強度を2年間にわたり測定し、林冠における葉の配置と葉群動態の実際を詳細に記載した。葉の75%以上が相対光強度40%以上の光環境にあり、相対光強度20%以下の葉は5%程度であった。林冠上層において葉の傾きが大きく葉面積指数の増加に対する光の減衰が小さいため、多くの光が林冠内に進入していることを指摘した。最も多く葉が分布する林冠中層で、相対光強度のばらつきが大きいことを示した。2年間での葉面積密度の変化をキューブごとに比較すると、葉が増加したキューブは減少したキューブよりも前年の相対光強度が大きい傾向にあり、前年の光環境が当年の葉の展開量に影響を与えていることを指摘した。

 続いて冬芽の開芽、シュート伸長、葉の展開という葉群動態に関わる一連の成長と光環境との関係を解析した。林冠内での位置や前年の相対光強度による冬芽の開芽率に違いはみられなかったが、相対光強度が大きいほど冬芽から展開する当年生1次シュートが長く、シュートあたりの葉枚数と葉面積が大きいことを示した。コナラの場合、4月に開芽した当年生1次シュートに形成された新芽の一部は土用芽として開芽し、ラマスシュート(当年生2次シュート、3次シュート)を6月から8月にかけて伸長する。優勢木の2次、3次シュートの着葉量は、樹冠上層の葉量の40%、樹冠全葉量の32%に達していた。林冠上層ほど、また優勢木ほど土用芽の割合が大きく、光環境に応答した林冠の上方への拡大やギャップの修復に果たすラマスシュートの役割が大きいことを示唆した。

 葉の窒素含有率は相対光強度と密接な関係が見られ、最も高くなる夏期には相対光強度が80%以上の葉では約2.7g m(-2)、20%前後の葉では約1.7g m(-2)と大きな差があることを示した。10月になると窒素含有率が徐々に低下し始め、11月中下旬の約2週間で急激に低下し、落葉直前には相対光強度によらず約0.8g m(-2)まで低下することを示し、相対光強度が大きいほど窒素含有率の低下が大きく、回収率が高いことを明らかにした。相対光強度の大きい葉ほど窒素の回収率が高かったことから、林冠上層の明るい光環境にある葉ほどより多くの窒素が配分され、Rubisco等の光合成酵素に使われていることを示唆した。また窒素含有率と相対光強度との関係式を季節ごとに示し、相対光強度から葉の窒素含有率を推定できることを示した。

 キューブ単位での葉量の増減やシュートの枯死を光合成生産から評価することを目的として、林冠上部、中部、下部の葉の光合成特性の季節変化を測定し、光合成の生化学的過程に基づくFarquharの光合成モデルを用いて、異なる光環境にある林冠各所の葉の着葉期間の剰余生産量の推定を試みた。この光合成モデルは、光強度や温度、湿度、CO2濃度などの物理的環境を変数としており、環境変動にともなう光合成生産の変化の予測も可能である。モデルに用いる電子伝達能やカルボキシレーション効率などの光合成特性値が窒素含有率と高い正の相関があり、林冠各所の葉の光合成特性の季節変化も、窒素含有率を介して相対光強度を用いて推定できることを明らかにした。光合成モデルを用いて、着葉期間における単位葉面積あたりの剰余生産量は、相対光強度が50%以上でほぼ頭打ちになり、20%以下で急激に減少し、7%以下でマイナスになると推定した。

 以上のように本論文は、光環境に応じたシュート伸長や葉の展開・配置の実態を定量的に示すとともに、林冠における葉の光環境と窒素含有率、光合成特性の相互関係の時空間的変異を明らかにし、光合成モデルによって剰余生産量の林冠内変異の推定を試みたものである。これらの成果は、広葉樹林の物質生産の環境応答を林冠構造を含めてモデル化する際の重要な知見を与えるものであり、学術面、応用面において寄与するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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