学位論文要旨



No 122457
著者(漢字) 内山,憲太郎
著者(英字)
著者(カナ) ウチヤマ,ケンタロウ
標題(和) ウダイカンバ林の遺伝構造とその形成プロセスに関する研究
標題(洋)
報告番号 122457
報告番号 甲22457
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3181号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 教授 梶,幹男
 東京大学 教授 鷲谷,いづみ
 東京大学 講師 後藤,晋
 森林総合研究所 生態遺伝研究室長 吉丸,博志
内容要旨 要旨を表示する

近年、広葉樹有用資源は世界規模で伐採や生息地破壊にさらされており、森林の骨格となる木本種の遺伝的多様性も急速に失われつつある(Ledig,1988,1992)。このような状況下、木本種の遺伝資源保全は、森林生態系における生物多様性の安定的な維持ならびに将来における人類の経済活動に大きく貢献する重要な課題である(Muller-Stark,1985;Vendramin et al.,1995)。これまでの研究により、木本種の遺伝的多様性と遺伝構造はその生活史を通して大きく変動することが明らかとなってきた。特に、開花、結実、種子散布、定着という更新過程において、それらは様々な要因により変動し、また、人為による林相の改変もそれらに大きな影響を与えていると考えられる。樹木集団の遺伝的多様性と遺伝構造に配慮した森林管理を実行するためには、森林の更新ダイナミクスの中で、それらがどのように変動しているかというプロセスの理解が不可欠である。しかしながら、実際の森林の更新ダイナミクスの中でそれらを明らかにした例はほとんどない。そこで本研究では、北海道における主要な施業対象樹種であるウダイカンバについて、攪乱に伴う個体群構造の変化が集団の遺伝構造に与える影響、交配・繁殖過程における遺伝構造の変動および択伐がそれらの各過程の遺伝構造に与える影響を、マイクロサテライトマーカーを用いて評価し、ウダイカンバ集団の遺伝的構造に配慮した管理手法に対して提言を行うことを目的とした。

更新様式が地域内の遺伝構造に与える影響

 植物集団においては攪乱時の個体群変動が、遺伝的な多様性や構造に大きな影響を与える(Premoli and Kitzberger,2005)。特に、大規模更新時には、集団サイズの減少や時空間的に更新集団に寄与できる種子親数が減少することなどにより、遺伝的なボトルネックが生じる可能性がある(Sezen et al.,2005)。ウダイカンバは北海道の針広混交林内では単木的なギャップ更新により低密度に生育している一方、山火事や風害跡地などの大規模攪乱後にはしばしば一斉林を形成する。本研究の調査地である東京大学北海道演習林においても1910年代の大規模な山火事後の二次林が約1,500haにわたって広がっており、そのうち380haはウダイカンバが優占する一斉林である。これらの一斉林は将来資源として期待されているが、その遺伝的特徴については全く明らかとされていない。そこで、大規模山火事後に更新した、高密度ウダイカンバ一斉林と低密度で混交林内に存在するウダイカンバ集団の比較から、一斉更新が成木集団の遺伝的多様性や構造に与えている影響を明らかにすることを目的とし、成木10集団の遺伝的多様性を解析した。

 その結果、一斉林集団では、有効集団サイズが混交林集団に比べて小さく、集団内に連鎖不平衡の遺伝子座対が多く存在するなど、集団が過去にボトルネックを受けていることが明らかとなった。また、一斉林集団間の遺伝的分化度は混交林集団間のそれに比べて2倍以上の値を示し、局所的な遺伝構造が形成されていることを明らかにした。これは、大規模一斉更新時の侵入制限が生み出したものと考えられた。加えて、埋土種子集団には天然林と同程度の遺伝的多様性が保持されており、埋土種子集団中にのみ存在する対立遺伝子も認められ、ウダイカンバにとって埋土種子が遺伝的多様性の貯蔵庫として働いていることを明らかにした。さらに、一斉更新集団の成木で認められた集団間の遺伝的な構造は、埋土種子集団では認められず、埋土種子集団がウダイカンバにとって、遺伝構造変動に対する緩衝機能を持つことが示唆された。

成木密度が繁殖成功と次世代集団の遺伝構造に与える影響

 森林の伐採や分断化に伴う個体数の減少は、遺伝的な多様性や構造に様々な影響を与える(Young et al,1996)。また、個体密度の変化は、現在の集団以上に、繁殖や更新のプロセスを通じて将来世代により大きな影響を与えると考えられる(Aldrich & Hamrick,1998)。虫媒樹種の多い熱帯地域では、択伐や分断化が施業対象樹種の遺伝的多様性に及ぼす影響評価が進んでおり、個体密度とこれらの関係が明らかにされつつあるが(Lowe et al,2005)、風媒樹種が多い温帯林や北方林では、個体密度と繁殖の関係についての報告は少ない。そこで本研究では、伐採により個体密度が大きく減少している混交林集団と高密度一斉林集団での花粉散布様式および種子散布様式を比較することで、伐採による個体密度の減少がウダイカンバ集団の繁殖成功に与えている影響を評価した。

 密度の異なる4集団(1.9、14.3、90.6、300.0本/ha)における樹上種子およびシードトラップに捕捉された散布種子集団の有胚率、発芽率、他殖率、有効花粉親数の評価を行ったところ、最も低密度の集団において有効花粉親数の低下、散布種子の有胚率、発芽率の低下が認められ、花粉不足の影響が示唆された。一方で、最も高密度な集団の有効花粉親数も2番目に低く、個体密度の高さがかえってランダムな交配を妨げていることも明らかとなった。また、散布種子の遺伝解析より、低密度集団においては散布種子の空間的な遺伝構造が生じていることも明らかとなった。これは、低密度化によるシードシャドウの重なり合いの程度が低下したことにより作り出された構造であると考えられた。すなわちこれ以上の低密度化は将来集団の遺伝的な構造化、繁殖成功などに悪影響を及ぼすと考えられた。

更新様式および択伐が集団内遺伝構造に与える影響

 固着性である植物においてはしばしば集団内に空間的な遺伝構造が形成されるが、これらは個体群統計学的または遺伝学的な様々な要因によって変動する。集団内の遺伝構造は、遺伝的に近縁な個体との交配を促すことで二親性近交弱勢、近交弱勢などを導く可能性があり、集団の繁殖成功に大きな影響を与えると考えられる(Hamrick et al.,1993)。すなわち、集団内遺伝構造の分布とその形成のメカニズムを明らかにすることは、種の繁殖様式やその存続性の理解する上で不可欠であり、また、施業対象種の遺伝的な管理を行う上でも、必須である。そこで、ウダイカンバ一斉更新集団の非施業区(保存区)、択伐施業区(択伐区)において、更新様式および択伐が集団内の遺伝的構造に与える影響について評価した。

 その結果、一斉更新集団の保存区では集団内に遺伝子の集中分布が認められ、空間的な遺伝構造が形成されていた。またその強度は山火事の規模により異なり、規模が大きかった地域の集団でより強い集団内遺伝構造が形成されていた。混交林集団ではこれらの集団内の遺伝的構造は認められず、これらの構造は、山火事後の一斉更新集団への寄与個体数の制限が作り出したものと考えられた。また、択伐区ではいずれの集団でも集団内遺伝構造は認められず、択伐により比較的近い距離に存在する近縁個体が除かれることによって、集団内の遺伝的構造が弱まっていることが明らかとなり、一斉更新集団への択伐施業が集団内遺伝構造の解消、繁殖の健全化を促していると考えられた。

 本研究の結果より、ウダイカンバでは、断続的かつ高頻度でおこる小面積の単木的なギャップ更新により集団が維持されることで、集団間、集団内での遺伝子流動が活発に行われ、長期にわたり集団の遺伝的多様性が維持されていること。一方、大規模な撹乱に伴う一斉更新では、そうした平衡が乱され、集団間の分化および集団内の遺伝構造の形成などが生ずること。また、一斉林の埋土種子集団において集団間分化は検出されず、次世代では、一斉更新によって生じた集団下部構造は解消すること。さらに、この埋土種子による遺伝的多様性の貯蔵機能、遺伝構造変動への緩衝作用もまた、ウダイカンバ集団の遺伝的多様性の維持に寄与し、局所的な遺伝的構造化を妨げる働きを有していること、などが明らかになった。すなわち、ウダイカンバにおいては、大規模攪乱による一斉更新が集団の遺伝的平衡を乱す一方で、単木的な更新様式、種子、花粉による高い遺伝子流動能力、埋土種子による遺伝的緩衝効果、高い他殖性と自家不和合性の存在などにより集団の遺伝的構造化が妨げられ、集団の遺伝的な平衡が保たれていると考えられた。

 また、上記のような種特性から、現実の森林管理では、埋土種子の積極的利用および単木的な更新補助作業がウダイカンバの遺伝的多様性維持に有効であると考えられた。特に、現在行われている択伐は、対象集団の成木密度により、そのウダイカンバの遺伝的多様性に及ぼす影響が大きく異なり、低密度集団では、花粉不足や散布種子に遺伝構造を生じせしめることで将来世代の遺伝的構造を変化させる可能性がある一方、高密度林分においては、集団内遺伝構造を解消し、より長距離の花粉流動を促進している可能性が示された。

 以上、本研究では、ウダイカンバの更新ダイナミクスの中での遺伝的多様性の変動プロセスを明らかにし、ウダイカンバの遺伝的多様性および遺伝構造の維持形成過程の種生物学的な理解を進めただけでなく、北方林の持続的な利用を目指した施業を行う上で極めて有用な情報を提供した。ウダイカンバは、北方針広混交林内においても比較的遺伝子流動能力の高い樹種であると考えられ、同所的に生育する遺伝子流動能力のより低い他の樹種では、低密度林分における繁殖成功度の低下、散布種子の遺伝的構造化は、より顕著に現れている可能性が考えられる。今後、他の生活型を示す樹種についての研究の蓄積が進むことで、北方林および温帯林における持続的な森林利用の可能性が開けるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、世界規模で近年減衰が著しい広葉樹有用資源の保全ならびに持続的な利用に資するため、東京大学北海道演習林をフィールドとして、ウダイカンバの生活史を通した遺伝構造の変動を、マイクロサテライトマーカー多型解析に基づき集団遺伝学的に明らかにしたものである。

 まず、第1章では、森林の現況と遺伝的多様性、樹木の生活史特性と遺伝構造の関係についてレビューし、考究すべき課題を示した。

 次いで、第2章において、ウダイカンバの異なる2つの更新様式、すなわち単木的な小規模ギャップ更新と山火事による大規模一斉更新が、地域内の遺伝構造に与える影響について検討した。その結果、一斉林集団では、有効集団サイズが混交林集団に比べて小さく、集団内に連鎖不平衡の遺伝子座対が多く存在するなど、集団が過去にボトルネックを受けていることが明らかとなった。また、一斉林集団間の遺伝的分化度は混交林集団間のそれに比べて2倍以上の値を示し、一斉更新時の侵入制限により局所的な遺伝構造が形成されていることを明らかにした。加えて、埋土種子集団には天然林と同程度の遺伝的多様性が保持されているばかりか、埋土種子集団中にのみ存在する対立遺伝子も認められ、ウダイカンバにとってこれらが遺伝的多様性の貯蔵庫として働いていること、また、一斉更新集団の成木で認められた集団間の遺伝的な構造は、埋土種子集団では認められず、埋土種子集団がウダイカンバにとって、遺伝構造変動に対する緩衝機能を持つことが示唆された。

 また、第3章では、成木密度が繁殖成功と次世代集団の遺伝構造に与える影響を、伐採により個体密度が大きく減少している混交林集団と高密度一斉林集団での花粉散布様式および種子散布様式を比較することで評価した。密度の異なる4集団(1.9、14.3、90.6、300.0本/ha)における樹上種子およびシードトラップに捕捉された散布種子集団の有胚率、発芽率、他殖率、有効花粉親数の評価を行ったところ、最も低密度の集団において有効花粉親数の低下、散布種子の有胚率、発芽率の低下が認められ、花粉不足の影響が示唆された。一方で、最も高密度な集団の有効花粉親数も2番目に低く、個体密度の高さがかえってランダムな交配を妨げていること、散布種子の遺伝解析より、低密度集団においては散布種子の空間的な遺伝構造が生じていることを明らかにした。

 さらに、第4章では更新様式および択伐が集団内遺伝構造に与える影響について、ウダイカンバ一斉更新集団の非施業区(保存区)、択伐施業区(択伐区)において評価した。その結果、一斉更新集団の保存区では集団内に遺伝子の集中分布が認められ、空間的な遺伝構造が形成されていた。また、山火事の規模が大きかった地域の集団でより強い集団内遺伝構造が形成されていた。混交林集団ではこれらの集団内の遺伝的構造は認められず、これらの構造は、山火事後の一斉更新集団への寄与個体数の制限が作り出したものと考えられた。また、択伐区ではいずれの集団でも集団内遺伝構造は認められず、択伐により比較的近い距離に存在する近縁個体が除かれることによって、集団内の遺伝的構造が弱まっていることが明らかとなり、一斉更新集団への択伐施業が集団内遺伝構造の解消、繁殖の健全化を促していると考えられた。

 最後に、第5章では、本研究の結果をまとめた上で、現実の森林管理に向けての考察を行った。すなわち、埋土種子の積極的利用および単木的な更新補助作業がウダイカンバの遺伝的多様性維持に有効であるとし、また、現在行われている択伐は、対象集団の成木密度により、そのウダイカンバの遺伝的多様性に及ぼす影響が大きく異なり、低密度集団では、花粉不足や散布種子に遺伝構造を生じせしめることで将来世代の遺伝的構造を変化させる可能性がある一方、高密度林分においては、集団内遺伝構造を解消し、より長距離の花粉流動を促進している可能性が示され、それぞれの取り扱いを異にする必要性を指摘した。

 以上、本研究は、ウダイカンバの更新ダイナミクスの中での遺伝的多様性の変動プロセスを明らかにし、ウダイカンバの遺伝的多様性および遺伝構造の維持形成過程の種生物学的な理解を進めただけでなく、北方林の持続的な利用を目指した施業を行う上で極めて有用な情報を提供しており、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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