No | 122459 | |
著者(漢字) | 角谷,拓 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カドヤ,タク | |
標題(和) | 新たに創出された生息場所へのトンボ類の移入ポテンシャルに関する空間生態学的評価 | |
標題(洋) | Spatial ecological approach to evaluating the potential of immigration of dragonflies to newly created habitats | |
報告番号 | 122459 | |
報告番号 | 甲22459 | |
学位授与日 | 2007.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第3183号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 生圏システム学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序論 人類が将来にわたって、持続的な社会活動を営むためには、生態系の健全性を維持することが欠かせない。生物多様性は、人間社会の基盤となる生態系サービスの源泉であるとともに、生態系の健全性の指標でもあり、その現状を的確に把握、監視(モニタリング)することは、生態系の健全性の変化や悪化をいち早く察知し、適確な対策をとるために必要不可欠である。 近年、農業生態系における急速な生物多様性の喪失が世界各地で問題になっている。それは、主に、化学肥料や農薬の多投入や耕作地の大規模化など農業の近代化・効率化によってもたらされたものであるが、日本のように伝統的な農業の営みによって維持される特有の生息・生育場所が、高い生物多様性の維持に寄与してきた地域では、里地・里山の管理放棄も生物多様性低下の一因となっている。各地で始まっている農業生態系の健全性の回復と生物多様性の保全をめざした実践においては、回復すべき状態にふさわしい指標種(群)と、そのモニタリング手法の開発が緊急性の高い課題となっている。 モニタリングでは、多くの場合、指標となりうる生物種の空間分布とその時間変化を把握することが求められる。しかし、生物種の広範囲における空間分布の直接的な調査にはしばしば困難が伴う。そのため、近年では、リモートセンシング技術や地理情報システムの発展とあいまって、モデルを用いて、対象種が依存していると推定される環境要因から間接的にその生物の空間分布を推定・予測する手法が、急速な発展をみせている。しかし、このような手法は潜在的な生息適地についての情報整理と地図化に寄与するとしても、個体群・群集のダイナミックな空間過程の一段面としての分布の現状を再現しうるものではない。信頼性の高い分布予測のためには、局所的な環境要因とともに生物の空間分布に影響を及ぼすと考えられる移動分散過程や生物間相互作用など、生態学的なプロセスを取り入れたモデリングが必須である。 新たな生息場所への「個体」や「種」の移入のし易さ(個体および種の移入ポテンシャル)は、それぞれメタ個体群の存続性、局所群集の動態ならびに種多様性に重要な影響を与える。したがって、移入ポテンシャルの広域空間パターンを把握することができれば、個体群・群集の分布動態のモニタリングおよび生息場所の再生に伴う個体群・群集の再生ポテンシャルの予測に寄与するところが大きい。 本研究では、伝統的な農業景観に特徴的な、ため池などの生息場所にみられる代表的な生物群であるトンボ類を対象に、個体および種の移入ポテンシャルに影響を及ぼす生息場所およびランドスケープの要因を明らかにし、その広域的予測手法を提案する。すなわち、その主要な目的は次の通りである。 (1)新たに作られた池に移入するトンボの種数や個体数に影響を与える主要な局所的環境要因を明らかにする(第2章) (2)生息場所の空間配置やトンボ種の生態的な特性が、トンボの個体の移入ポテンシャルに及ぼす影響を把握し、ランドスケープスケールでの予測のためのモデルを構築する(第3、4章) (3)新たに作られた湿地へのトンボ種の再生可能性を、地域ファウナに特有な入れ子状構造の情報を活用して予測する手法を開発し、その有効性を検討する(第5章) 研究フィールドとしては、市民、NPO、研究者および行政の協働によってすすめられている自然再生プロジェクトにおいて、造成された多数の池もしくは湿地を利用した。 第2章 トンボ成虫の種数および個体数への池の面積および植生構造の影響 茨城県霞ヶ浦流域には、市民、NPO、研究者による湖の環境再生協働プロジェクトの一環として100を超えるビオトープ池が造成されている。2001年の同時期に作られた11の池において、2001〜2002年に定期的なトンボ成虫のセンサス調査(年7〜9回)を実施し、新しく作られた池の局所的な環境要因と、その池に移入してくるトンボの種数や個体数との関係を分析した。センサス調査においては、20種、1217頭のトンボ成虫の飛来が記録されたが、その種数および個体数は、池の面積と植生構造に強く依存することが示された。 第3章 トンボ成虫の種組成へのランドスケープ構造と種の生活史形質の影響 第2章で対象とした池を含む48の池を対象に、定期的なトンボ成虫センサスを実施し、そのデータ(2003年、年3回)にもとづいて、ランドスケープスケールの要因が種組成と個体数に及ぼす影響を検討した。池の局所的な環境要因に加えて、池の周囲の樹林および水域生息場所の分布量と空間配置が種組成に影響を与えることが示された。特に、前生殖期間(羽化してから繁殖を始めるまでの期間)が長く樹林を良く使う種(長前期間種)は、前生殖期間が短く樹林をあまり使わない種(短前期間種)に比べて、近隣域の樹林の量の影響を強く受けていた。長前期間種のうち、ノシメトンボ、ナツアカネ、マイコアカネは池から3km以内の樹林の分布量が多いほど、アキアカネおよびホソミオツネントンボは600m以内の樹林の分布量が多いほど飛来個体数が増加した。 以上の結果から、ランドスケープスケールでの土地利用のあり方が、対象生物の生息場所利用特性にかかわる生活史との関連のもとに、トンボ個体の移入ポテンシャルに影響を与えることが示唆された。 第4章 ランドスケープスケールにおけるトンボ個体の移入ポテンシャルの予測 ランドスケープスケールにおける性格の異なる生息場所(樹林および水域)の空間配置と種の生態的特性(長前期間種および短前期間種)が、トンボ個体の移入ポテンシャルに及ぼす影響を定量的に把握するため、これらの要因を明示的に組み込んだ移動分散のシミュレーションモデルを構築した。モデルに用いた個体の移動分散に関するパラメーターは、モデルの予測結果と22の池(2000〜2001年の冬に造成)において2005年までに観測したトンボの移入量のパターンとを系統的に比較することによって間接推定した。 その結果、移入ポテンシャルの予測値は、樹林および水域生息場所の空間配置に強く影響をうけることが示された。また、長前期間種の移入ポテンシャルは短期前間種に比べ、より敏感に水域および樹林の空間配置に反応することが示された。さらに、同じランドスケープ上であっても、長前期間種と短前期間種では、水域生息場所間の分散成功率が大きく異なることが示された。 これらのシミュレーション結果は、第3章で得られた観察結果と矛盾せず、モデルによる予測の妥当性が示唆された。さらに、パラメーターを推定する際に実測パターンとの検証を繰り返し行うことで、対象としたランドスケープにおけるトンボ個体の移入ポテンシャルの定量的な予測が、ある程度まで可能であることが示唆された。 第5章 入れ子状になった種の供給源からトンボ種の移入ポテンシャルを予測する 再生対象地が位置する地域におけるトンボの「種」の移入ポテンシャルと、湿地再生を行った場合の種の再生順序との関係を分析するために、松浦川の氾濫原湿地の再生事業地(佐賀県唐津市相知町、約6ha)を対象に調査を実施した。 事業地におけるトンボの種の移入ポテンシャルを推測するために、九州北部地方のトンボの分布情報を自然環境保全基礎調査データベースから抽出した。その結果、トンボ種は合計で91種の記録があり、分布は有意な入れ子性を呈すること、すなわち、種数の多い地図メッシュ(10×10km)のファウナは、種数のより少ないメッシュのファウナを内包する関係が認められることが示された。このことから、出現頻度の低い種は、種数の多い(つまり質の高い)サイトにしか出現しない傾向があり、事業地への移入ポテンシャルが低い種であると判断できる。 事業地において2003年〜2005年に実施したセンサス調査(計6回)では、17種の種が確認された。 地域レベルでの種の分布の広さと、既に事業地で観察された種とを比較することで、今後、再生対象生息場所の環境の質が向上するにつれ、どの種が移入してくる可能性が高いかを予測する手法を考案した。この手法は、分布情報が整備されている場所であればどこでも、その情報を用いて地域における種の移入ポテンシャルを推測し、再生可能な種の予測および再生すべき生息場所タイプの提案ができるという意味で高い汎用性が期待できる。 結論 本研究により、トンボの分散や生活史、また生物地理スケールの種供給源からの移入などを考慮することで、新たな生息場所へのトンボ個体および種の移入ポテンシャルの予測が可能になった。このような、空間スケールに依存して作用する生態学的なプロセスを考慮する「空間生態学的アプローチ」は、ダイナミックに変化する個体群・群集の空間分布を適切に把握することを可能とし、精度の高い生物多様性や生態系のモニタリングを行うために有効であると考えられる。 | |
審査要旨 | 近年、環境政策における里地・里山の生物多様性の保全の位置づけが高まっている。里地・里山の生態系再生と生物多様性の保全のための実践においては、回復すべき「状態」を指標する指標種(群)をとりあげたモニタリングが欠かせない。モニタリングにおいては、指標となりうる生物種の空間分布とその時間変化の把握が課題となる。広範囲における空間分布の踏査による直接的把握は容易ではなく、近年では、リモートセンシング技術や地理情報システムの発展とあいまって、対象種が依存していると推定される環境要因等からモデルを用いて間接的に空間分布を推定・予測する手法が急速な発展をみせている。しかし、そのような手法は潜在的な生息適地についての情報整理と地図化に寄与するとしても、個体群・群集のダイナミックな空間過程の一段面としての分布実態を再現しうるものではない。信頼性の高い指標生物の分布予測には、局所的な環境要因とともに移動分散過程や生物間相互作用など、生態的プロセスを取り入れたモデリングが有効であると思われる。特に、新たな生息場所への「個体」や「種」の移入のし易さ(移入ポテンシャル)の空間パターンの把握・予測は、個体群・群集の分布動態モニタリング手法の開発および生息場所の再生に伴う個体群・群集の再生ポテンシャルの予測の前提として重要である。 申請者は、伝統的農業景観に特徴的なため池などの生息場所にみられる代表的な生物群であるトンボ類を対象に、個体および種の移入ポテンシャルに影響を及ぼす生息場所およびランドスケープの要因を明らかにする研究を行い、その結果にもとづいて、移入ポテンシャルの広域的予測手法を提案した。研究は、霞ヶ浦の自然再生協働プロジェクトの一環として流域一帯の学校に造成されたビオトープ池および佐賀県唐津市の松浦川氾濫原湿地再生事業地において、保全・再生の実践とも密接に関わる形で実施された。 霞ヶ浦流域においては、まず、同時期に造成された11のビオトープ池において定期的なトンボ成虫のセンサス調査(年7〜9回)を実施し、新たにつくられた池の局所的な環境要因とその池に移入してくるトンボの種数や個体数との関係を分析した。調査においては、20種、1217頭のトンボ成虫の移入が記録されたが、その種数および個体数は、池の面積および植生構造に強く依存することが認められた。 さらに、同流域の48のビオトープ池を対象に定期的なトンボ成虫センサスを実施し、ランドスケープスケールの要因がそれらのビオトープ池に移入するトンボの種組成と個体数に及ぼす影響を検討した。池の局所的な環境要因に加えて、池の周囲の樹林およびため池などの水域生息場所の量と空間配置が新たに造成された池のトンボ類の種組成に有意な影響を与えることが示された。その影響は、前生殖期間(羽化してから繁殖を始めるまでの期間)が長く樹林を利用する種(長前期間種)において顕著であることが示された。 ランドスケープスケールにおける性格の異なる生息場所(樹林および水域)の空間配置と種の生態的特性(長前期間種および短前期間種)が、トンボ個体の移入ポテンシャルに及ぼす影響を定量的に把握するため、これらの要因を明示的に組み込んだ移動分散のシミュレーションモデルを構築し、モデルの予測結果と同時期に一斉に造成された22のビオトープ池において観測されたトンボの移入量のパターンとを系統的に比較することによって、個体の移動分散に関するパラメータ値の妥当な範囲を検討した。シミュレーションの結果、移入ポテンシャルの予測値は、樹林および水域生息場所の空間配置に強く影響をうけることが示された。また、長前期間種の移入ポテンシャルは短前期間種に比べてより敏感に水域および樹林の空間配置に反応することが示された。シミュレーション結果は、適切なパラメータ値の範囲内では観察結果と矛盾せず、モデルによる予測の妥当性が確認された。 申請者は広域的なトンボ相データを活用して再生湿地に成立するトンボ相を予測する方法を考案し、松浦川の氾濫原湿地の再生事業地(佐賀県唐津市相知町、約6ha)を対象としてその有効性を検討した。広域データは自然環境保全基礎調査データベースから九州北部地方のトンボの分布情報を抽出して用いた。この地方に分布が認められる合計91種の空間分布は、有意な入れ子性を呈すること、すなわち、種数の多い地図メッシュ(10×10km)のファウナは、種数のより少ないメッシュのファウナを内包するような関係にあることが確認された。地方レベルのトンボ相とこのような入れ子性を考慮して、再生湿地に移入が期待される種を予測する手法を提案した。 申請者は、トンボの分散能力、生活史、生物地理スケールの種供給源などを考慮することで新たな生息場所へのトンボ個体および種の移入ポテンシャルを予測できることを示し、有効な予測手法を提案した。このような空間生態学的アプローチは、ダイナミックに変化する個体群・群集の空間分布の把握・予測には必須であり、精度の高い生物多様性/生態系のモニタリングの前提となる。 本研究で提案された生息場所の再生にともなって移入してくる種の予測手法は、分布情報が整備されていれば生息場所のタイプや分類群を問わず適用できるものであり汎用性が高い。そのような意味において、本研究の成果は、先駆性、および適用性において優れており、自然再生にかかわる保全生態学の研究領域において、学術面、実践面できわめて大きな成果をあげたといえる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。 | |
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