学位論文要旨



No 122460
著者(漢字) 陳,鍾善
著者(英字) Chen,Zhong Shan
著者(カナ) チン,ショウゼン
標題(和) 中国・吉林省の森林管理に関する研究 : 戦後の日本における森林管理の展開との比較研究
標題(洋)
報告番号 122460
報告番号 甲22460
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3184号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石橋,整司
 東京大学 教授 山本,博一
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 教授 白石,則彦
 東京大学 教授 永田,信
内容要旨 要旨を表示する

 1949年の中華人民共和国(以下中国)建国以来,社会主義工業化実現の需要に追われ,森林資源は激しく消費された。一方で,森林の過少状況を脱するために国家主導で人工林造成を続けてきたが,森林資源総量は著しく不足しており,近年では,経済の発展や人口の増加に伴う自然環境の悪化,木材供給力の低下なども深刻となっている。そのため,森林管理においてもこれまでの国家主導を改め,社会各層からの林業経営への参入を積極的に推進する政策をとっている。このように中国の森林・林業経営は大きな転換期に向っており,過去の林業政策と森林管理を検証し,今後の森林管理のあり方を検討することが非常に重要であると考えられる。なかでも吉林省は,中国の重点国有林区であり,最も重要な木材生産地域の一つとして,中国の林業で非常に重要な位置を占めると同時に,吉林省の経済にも大きな影響を与えてきた。吉林省の林業の動きは,中国の林業,吉林省の経済にとって大変重要であると判断されるのである。

 ところで,終戦直後の日本の森林や木材生産を取り巻く状況はけっして豊かなものではなかった。しかし,現在の日本は世界的に見ても森林資源の豊かな国であり,昭和20年代から続けられてきた森林育成政策の成果を見ることができる。一方,現在では豊かな森林資源を有しているものの,国内林業経営の停滞,森林管理の担い手の不足などの課題も多く抱えている。いいかえれば,日本が終戦後に展開してきた森林管理政策は,中国および吉林省の今後の森林管理を考える上で,参考になる点,教訓を得られる点が多いと考えられるのである。そこで,本研究では,統計資料,文献調査により中国および吉林省における森林管理がどのように展開してきたのか,またどのような問題点を抱えているのかを明らかにし,日本の戦後の森林管理と対比させつつ,吉林省における今後の森林管理のあり方とその方向性を探った。

 まず第1章では以上のような問題の背景について既往の文献のレビューを含めて論じた。続いて第2章では,中国と日本の林野所有近代化過程について概観して,中国と日本の森林所有制度および経営管理構造の相違点と類似点とを明らかにした。

 第3章では,中国における林業政策の変遷を整理すると同時に,林業政策の変化が吉林省の森林管理の展開にどのような変化をもたらしてきたかについて考察した。考察の結果、中国の林業政策は大きく3つの時期に分けられることがわかった。第I期(1949〜1983年)は採取的林業経営体制の確立期である。林業政策は営林より木材生産を重視し,森林管理は木材採取が中心であった。吉林省の木材生産量は大幅に増加し,造林は資金不足のため"大衆動員"によって行われたが,成林率はわずか22%であった。続く第II期(1984〜1997年)は採取的経営の成熟から森林資源の合理的利用への移行期である。林業政策は木材生産を重視すると同時に,森林資源の合理的利用を図っていた。吉林省の木材生産量は依然として高い水準のまま維持されていたが,重視されつつあった営林事業は進まず造林面積は減る一方であった。最後の第III期(1998年以降)は採取的林業経営の終焉と森林資源の保護,持続可能な経営への移行期である。人口の増加,経済の発展に伴う自然環境の悪化につれ,林業政策は木材生産より森林資源の保護,生態環境保護を重視するようになり,天然林の全面的な保護が始まると同時に,木材生産を天然林から人工林へと移行させようとしている。吉林省の木材生産量は大幅に減少したが,増加をめざした造林の成績も減少に転じてしまっており,人工林育成という点に大きな問題があることがわかった。

 第4章では,日本における森林・林業政策の変遷を整理すると同時に,森林・林業政策の変化が森林管理にどのような変化をもたらしたかを考察した。日本は終戦後,補助金制度,融資制度を強化して森林所有者に資金支援を行うと同時に,森林育成を計画的に推進するために森林伐採規制の緩和,補助金,融資,税制上のさらなる優遇措置を採ってきた結果,今日の森林資源の整備ができたと考えられた。しかし,現在の林業経営では生産活動の停滞とそれに伴う森林管理の担い手問題をも抱えている。

 第5章では,吉林省の今後の森林管理における問題点,特に「森林育成」,「林業経営」,「担い手」における問題点を提起した。まず「森林育成」の国家からの支援制度である補助金制度(一般造林に対して制度化されてない),融資制度(償還期間3〜5年)は森林育成の特質を十分にカバーできる制度,そして今後の担い手の有力候補者である農家の経済状況を十分に考慮した制度ではない点を挙げた。つぎに「林業経営」に関わる税金制度(粗収入×34.8%以上),伐採制度(厳しい許可制),木材経営制度(厳しく規制)については,いずれも経済利益の発生を多く制限する性格が強く,個人のインセンティブを抑制する制度として働いていることを指摘した。さらに森林管理の「担い手」についてみると,国有林では近年における木材生産の減少に伴う国有林経営の不況によって賃金の増加が伸び悩んだうえに,他産業従業者賃金と格差の拡大や賃金未払いもしばしばあって労働者の林業離れが起きている。また集体有林の担い手である農家は,農業収入や低下に戸籍制度による制限の緩和の影響で,脱農村化が著しく,今後もこの傾向がさらに進むと考えられた。農家の収入構造からみて林業経営より収入の増加が期待できると考えられたが,現在の農家の収入水準では多額の資金が必要である森林育成に手を出すことは困難であることが明らかとなった。

 第6章では,吉林省における今後の森林管理のあり方について具体的な検討を行った。まず林業経営者にとっては生活が維持できて,継続的に経営を続けられ,国にとっては税金収入を得られる方策として,農業税率,農家の収入などを総合的に考慮して,現在林業経営者の費用負担となっている「育林基金」を必要経費として控除した上,分離10分10乗方式を林業税制に適用することを提案した。また従来の行政命令による森林育成の推進をやめ,日本の森林計画制度を参考とした支援策を講ずることを提案した。まず補助金制度において一般の造林者に対する苗木補助と,森林計画制度に従って経営を行う造林者に対する全額補助の2つの方法を導入することが有効と考えられた。ここで造林地の途中放棄を防ぐため,「全額補助」も造林段階でまず50%支給,成林後に20%,下刈り,撫育等の適切な管理が行われたら30%を支給する「段階的金額補助」が適切であると考えられた。つぎに融資制度において吉林省の造林樹種を考慮して間伐の収入が得られる30年程度まで償還期間を延長することが必要と考えられた。利息の発生時期において一般経営者には20年から,森林計画制度に従って経営を行う者には25年からとする上で,年利を内部収益率と等しくする方策が考えられた。さらに中国の森林所有制度のもとでは今後立木の譲渡が少なくないことを考慮して立木価値の評価や立木の取引ができる「立木取引センター」の構築が必要であると提案した。また,森林計画制度に従って経営を行う者が譲渡を望んだ場合,適当な譲渡相手がいなくても,国家が経営を受け入れ,伐採収入が得られたら個人経営者に還元する制度を導入し,経営者にさらなる安心感を与えると同時に,森林計画制度のメリットを経営者に認識させる必要性も指摘した。一方,森林伐採制度については,伐採の自由度を高めつつ、伐採行為を事前に制約する制度から行為の発生に責任を持たせる制度に転換していくことが考えられた。最後に「担い手」問題については,国有林業経営部門では将来の必要性を考慮した技術者を養成,確保すること,今後は農家との提携が必要であること,集体有林と非公有林業では「担い手」である農家を確保するために「林業経営」を確立すること,また「林業経営」が確立できる「森林育成」を行える環境を整備することなどが重要と考えられた。

 第7章では,以上を総括し,吉林省におけるこれからの森林管理の方向性を考察した。本研究で論じた方策によって,今後,吉林省では毎年約9万人規模の農家が森林育成に参加し,約9万haの造林が可能となることを示した。農家を森林管理の真の「担い手」として登場させることによって,農村地域の経済発展に貢献できるだけではなく,過疎化しつつある農村地域の歯止めにも効果があると考えられた。中国の農家は森林に対して,「自然に出来上がる」ものであり,「ただで利用すればよい」という意識が強く,森林の「由来」,「機能」に対する関心は薄かった。しかし,森林管理に直接関わることによって,森林育成の長期性と森林管理の重要性を実感して,森林を継続して有効に利用する考えを身につけることができると考えられた。同時に農家を「担い手」とする場合,農家の教育レベルに適した「分かりやすい」技術普及・指導制度の整備も不可欠であることを指摘した。本研究で論じてきた方策の実行にあたっては国と地方行政の取り組みが不可欠である。そして,森林管理は社会経済の発展状況,国民のニーズの転換などによって,つねにそのあり方が問われると考えられる。そのため,社会経済の発展状況,国民のニーズに合う森林管理の探求をつねに続いていく必要があると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 中華人民共和国(以下中国)では建国以来、社会主義工業化実現の需要に追われ森林資源は激しく消費された。一方で,森林の過少状況を脱するために国家主導で人工林造成を続けてきたが,森林資源総量は著しく不足しており,経済の発展や人口の増加に伴う自然環境の悪化,木材供給力の低下なども深刻となっている。そのため,森林管理においても国家主導を改め,社会各層からの林業経営への参入を積極的に推進する政策をとっている。このように中国の森林・林業経営は大きな転換期に向っており,過去の林業政策と森林管理を検証し今後の森林管理のあり方を検討することが非常に重要である。ところで、現在の日本は世界的に見ても森林資源の豊かな国であり,昭和20年代から続けられてきた森林育成政策の成果を見ることができる一方,林業経営の停滞,森林管理の担い手の不足などの課題も抱えている。いいかえれば,日本が終戦後に展開してきた森林管理政策は,中国および吉林省の今後の森林管理を考える上で,参考点や教訓を得られる点が多い。そこで,本研究では,統計資料,文献調査により中国および吉林省における森林管理がどのように展開してきたのか,どのような問題を抱えているのかを明らかにし,日本の戦後の森林管理と対比させつつ吉林省における今後の森林管理のあり方とその方向性を探った。

 まず,中国における林業政策の変遷を整理すると同時に,林業政策の変化が吉林省の森林管理の展開にどのような変化をもたらしてきたかについて考察し大きく3つの時期に分けられることがわかった。第I期(1949〜1983年)は採取的林業経営体制の確立期である。営林より木材生産を重視し,木材採取が中心であった。吉林省の木材生産量は大幅に増加し,造林は資金不足のため"大衆動員"によって行われたが,成林率はわずか22%であった。続く第II期(1984〜1997年)は採取的経営の成熟から森林資源の合理的利用への移行期である。木材生産を重視すると同時に,森林資源の合理的利用を図っていた。吉林省の木材生産量は依然として高い水準のまま維持されていたが,営林事業は進まず造林面積は減る一方であった。最後の第III期(1998年以降)は採取的林業経営の終焉と森林資源の保護,持続可能な経営への移行期である。人口の増加,経済の発展に伴う自然環境の悪化につれ,木材生産より森林資源の保護,生態環境保護を重視するようになり,天然林の全面的な保護が始まると同時に,木材生産を天然林から人工林へと移行させようとした。吉林省の木材生産量は大幅に減少したが,増加をめざした造林の成績も減少に転じてしまっており,人工林育成という点に大きな問題があることがわかった。

 次に,吉林省の今後の森林管理における問題点,特に「森林育成」,「林業経営」,「担い手」における問題点を提起した。まず「森林育成」の国家からの支援制度である補助金制度,融資制度は森林育成の特質を十分にカバーできる制度,そして今後の担い手の有力候補者である農家の経済状況を十分に考慮した制度ではない点を挙げた。つぎに「林業経営」に関わる税金制度,伐採制度,木材経営制度は,いずれも経済利益の発生を多く制限する性格が強く,個人のインセンティブを抑制する制度として働いていることを指摘した。さらに森林管理の「担い手」についてみると,国有林では賃金の伸び悩みや他産業従業者賃金との格差の拡大や賃金未払いなどが原因で労働者の林業離れが起きている。また集体有林の担い手である農家は,農業収入や低下に戸籍制度による制限の緩和の影響で,脱農村化が著しく,今後もこの傾向がさらに進むと考えられた。農家の収入構造からみて林業経営より収入の増加が期待できると考えられたが,現在の農家の収入水準では多額の資金が必要である森林育成に手を出すことは困難であることが明らかとなった。

 次に,日本における森林・林業政策の変遷やその変化が森林管理にどのような影響をもたらしたかを考慮しつつ、吉林省における今後の森林管理のあり方について具体的な検討を行った。まず林業経営者にとっては経営を続けられ,国にとっては税金収入を得られる方策として,林業経営者の負担となっている「育林基金」を控除した上,分離10分10乗方式を林業税制に適用することを提案した。また従来の行政命令による森林育成の推進をやめ,日本の森林計画制度を参考とした支援策を講ずることを提案した。まず補助金制度において造林者に対する苗木補助と,森林計画制度に従って経営を行う造林者に対する全額補助の2つの方法を導入することが有効と考えられた。ここで造林地の途中放棄を防ぐため,「段階的全額補助」が適切であると考えられた。つぎに融資制度において吉林省の造林樹種を考慮して間伐の収入が得られる30年程度まで償還期間を延長することが必要と考えられた。利息の発生時期において一般経営者には20年から,森林計画制度に従って経営を行う者には25年からとする上で,年利を内部収益率と等しくする方策が考えられた。さらに今後立木の譲渡が少なくないことを考慮して立木価値の評価や立木の取引ができる「立木取引センター」の構築が必要であると提案した。一方,森林伐採制度は,伐採行為を事前に制約する制度から行為の発生に責任を持たせる制度に転換していくことが考えられた。最後に「担い手」問題については,国有林業経営部門では将来の必要性を考慮した技術者を養成,確保すること,集体有林と非公有林業では「担い手」である農家を確保するために「林業経営」を確立すること,また「林業経営」が確立できる「森林育成」を行える環境を整備することなどが重要と考えられた。

 最後に,以上を総括し,吉林省におけるこれからの森林管理の方向性を考察した。本研究で論じた方策によって,今後,吉林省では毎年約9万人規模の農家が森林育成に参加し,約9万haの造林が可能となることを示した。農家を森林管理の「担い手」として登場させることで農村地域の経済発展に貢献できるだけではなく,過疎化しつつある農村地域の歯止めにも効果があると考えられた。また農家を「担い手」とする場合,農家の教育レベルに適した「分かりやすい」技術普及・指導制度の整備も不可欠であることを指摘した。

 以上のように,本論文は今後中国の森林管理に重要な役割を果たすと考えられる農民による林業経営の可能性を北方林業地である吉林省をモデルに検討し、これまで成果の上がらなかった中国の人工林造成に関していかなる政策が必要か考察したものである。本研究の成果は今後の中国における森林管理のあり方について一石を投じたものとして評価できる。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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