学位論文要旨



No 122462
著者(漢字) 新垣,奈々
著者(英字)
著者(カナ) アラカキ,ナナ
標題(和) 急性マラリア脾腫および脳性マラリアに関する病理学的研究
標題(洋) Pathological studies on acute malarial splenomegaly and cerebral malaria
報告番号 122462
報告番号 甲22462
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3186号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 小川,和夫
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 松本,安喜
内容要旨 要旨を表示する

 マラリアは、マラリア原虫によってひきおこされる疾患である。ヒトに感染するマラリア原虫は4種あり、その1つである熱帯熱マラリア原虫(Plasmodium falciparum)は、原虫血症(Parasitemia)やマラリアの三大徴候である発熱、貧血、脾腫に加え、しばしば脳性マラリアをはじめとする様々な合併症を引き起こし、短期間のうちに重症化することが知られている。意識障害や昏睡などの脳症状を来す脳性マラリアの場合、適切な処置が施されなければ致死的である。しかし、これら様々な症状および合併症の病態形成機序についてはほとんどわかっていない。マラリア脾腫の主要な病理像として、マラリアピグメント(MP)の組織沈着が古くから知られているが、マラリア脾腫、特にマラリア原虫の増殖に伴っておこる急性期の脾腫の形成機序は明らかにされていない。また、脳性マラリアの病理像として、感染赤血球の栓塞像(seqestration)や脳実質での輪状出血像(ring haemorrhge)が古くから知られているが、これらの病理像と脳性マラリア発症機序についての関係はほとんどわかっていない。そこで第1章では、マラリア原虫感染においてみられる急性期の脾腫、および第2章では、致死に至る主要な合併症である脳性マラリアに着目し、これらの発症機序の一端を病理学的観点から明らかにした。これらの病態の発症機序を解析するうえで実験動物は重要である。マラリア原虫は宿主特異性が強く、熱帯熱マラリア原虫の場合、リスザル(Saimiri sciureus)およびヨザル(Aotus trivigatus)の2種の新世界ザルが実験動物として知られているのみである。また、ネズミマラリアモデルは、病原種は異なるものの、マラリア原虫感染において発現する原虫血症、脾腫、貧血等の病態を再現でき、種々の既知の細胞マーカーに対する抗体を用いて免疫組織化学的解析を可能とする。よって、ネズミマラリアモデルおよび熱帯熱マラリアリスザルモデルを用いて研究を行い、更に、得られた知見がヒトに外挿できるかを実証するためにヒト由来試料を用いて解析を行った。

 第1章では、急性マラリア脾腫の形成機序の一端を明らかにすることを目的とした。まず、Plasmodium berghei ANKA株感染赤血球106個を腹腔内接種することによりBALB/cA Jclマウスに致死的な感染を起こし、急性マラリア脾腫の形成に関わるマクロファージポピュレーションを解析した。感染3日目(parasitemia 0.5%)にすでに軽度の脾臓の腫大が認められたため、脾臓のHE染色による病理組織学的解析を行った結果、赤脾随に散在性にMPの沈着および単核細胞の集簇が認められた。これらの細胞は形態学的に主にマクロファージであると考えられた。脾臓マクロファージの多様性を解析するため、マクロファージマーカーであるF4/80、MOMA1、MOMA2、MRP (migration inhibitory factor-related protein) 8およびMRP14に着目し、各々に対する抗体を用いて免疫組織化学的解析を行った。その結果、各々の抗体で認識される陽性細胞が主に赤脾髄で認められた。すべての陽性細胞で局在および増加の程度に違いが認められたため、陽性細胞のスコアリングを行った結果、赤脾髄において特にMRP8およびMRP14陽性マクロファージに有意な増加が認められた。これらのマウスモデルで得られた知見をもとに、熱帯熱マラリアにおける急性脾腫の病態形成について解析するため、リスザル3頭にP. falciparum Indochina-I CDC株新鮮感染赤血球2×107個を静脈内接種し、感染5、14、30日目に1頭ずつ剖検を行った。その結果、感染5日目(parasitmeia 0.4%)に軽度の脾腫がみられ、14日目に最も高い感染率を示し(parasitmia 30.2%)、長軸で約2倍に伸張した暗褐色の顕著な脾腫がみられた。23日目に原虫は末梢血より消失し、30日目には脾腫の退縮が認められた。病理組織学的解析の結果、感染5日目の脾臓の赤脾髄で単核系細胞の増加が認められた。14日目には脾臓の赤脾髄および白脾髄で単核系細胞の増加が認められ、赤脾髄の広範囲にMPの沈着がみられた。赤脾髄で増加した細胞は主にマクロファージであると考えられた。30日目には赤脾髄の細胞の減少がみられたとともに、MPの集塊がみられた。抗ヒトMRP8/14抗体(MAC387)を用いて免疫組織化学的解析を行った結果、非感染個体では脾臓の辺縁部にのみ局在したMRP8/14陽性マクロファージが、感染5、14日目には赤脾髄全体で認められた。さらに、MRP8/14は分泌タンパクとして血中に放出されることが知られていることから、感染後1週おき(0、7、14、21日目)の血中MRP8/14レベルをサンドイッチELISA法により測定した。その結果、血中MRP8/14レベルはparasitemiaの増加および脾腫の形成に伴って増加し、原虫の消失とともに減少した。実験的P. falciparum感染リスザルより得られた知見が熱帯熱マラリア患者でも認められるかを検証するため、脳性マラリアで死亡したタイ人患者から得られた脾臓のパラフィン切片を用いて、HE染色およびMAC387を用いて免疫組織化学染色を行った。その結果、赤脾髄の広範囲に顕著なMPの沈着が認められるとともに、MRP8/14陽性マクロファージの蓄積が認められた。また、タイのマラリア患者から得られた血漿を用いてMRP8/14の血中濃度の測定をサンドイッチELISA法により行った。熱帯熱マラリア患者は、WHOの基準 (1991)に準じた合併症を伴うグループと伴わないグループに分け、対照群として三日熱マラリア患者および日本人健常者の血漿を用いた。その結果、熱帯熱マラリア患者の血中MRP8/14濃度は、三日熱マラリア患者や日本人健常者に比べ高い値を示し、また、合併症を伴う熱帯熱マラリアグループは他のグループと比較して有意に高い値を示した。第1章の総括として、主にMRP8/14陽性脾臓マクロファージの増加が急性マラリア脾腫の形成に関与していることが示唆され、また、血中MRP8/14濃度が熱帯熱マラリアの重症度に関連していることが示唆された。

 第2章では、脳性マラリア発症機序の一端を明らかにすることを目的とした。まず、リスザル6頭にP. falciparum Indochina-1 CDC株新鮮感染赤血球109個を静脈内接種し、実験的に脳性マラリアを発症させた。リスザルは感染8日目〜12日目にかけてparasitemiaが25%〜50%と高値を示し、その後すべてのリスザルが昏睡を来し、3頭が死亡し、3頭は剖検を行った。6頭から採取された脳のHE染色標本を用いて病理学的解析を行った結果、ヒトでみられたと同様の輪状出血像に加え、数個から十数個程度の小規模な赤血球漏出像が多くの血管周囲に認められた。輪状出血像では、血管外赤血球に感染赤血球が認められるのに対して、小規模な血管外漏出においては漏出した赤血球に感染赤血球は認められなかった。血漿成分の血管外浸出を伴うことが予想されたため、フィブリノーゲンおよびIgGを指標に免疫組織化学的解析を行った結果、血管内腔のみならず血管壁や血管周囲に広く拡散した反応像が観察された。また、切片標本上漏出赤血球がみられない血管周囲にも陽性反応が認められた。透過型電子顕微鏡による超微形態学的解析の結果、血管内には感染赤血球が認められるものの漏出赤血球はすべて非感染赤血球であった。さらに、漏出した赤血球に隣接した血管の内皮細胞に変性が認められた。非感染赤血球は感染赤血球と比較して可塑性に富むことから、内皮細胞の変性や透過性の亢進が非感染赤血球の漏出の原因となることが考えられた。また、非感染リスザルの脳および脳性マラリアを来さず一過性の感染を経たリスザル(感染14日目、parasitemia 30.2%)の脳では、微小出血は認められず、また、血管からの血漿成分の浸出を示唆するような陽性反応は認められなかった。脳性マラリア発症リスザルモデルにおいて認められた所見が脳性マラリアを発症した患者にも認められるかを検証するため、タイにおいて脳性マラリアで死亡した患者の脳組織を用いて解析を行った。その結果、リスザルで観察されたと同様の数個から十数個程度の小規模な赤血球の血管外漏出が認められた。ヒトにおいても、漏出赤血球はすべて非感染赤血球であった。また、フィブリノーゲン、IgGに対する抗体を用いて免疫組織化学的に解析した結果、リスザルと同様に、切片標本上漏出赤血球がみられない血管の周囲に血管からの浸出を示唆する陽性反応が認められた。よって第2章の総括として、非感染赤血球の血管外漏出像は、脳性マラリアにおける特徴的な病理組織学的所見の一つであると考えられた。また、おそらくは内皮細胞の変性等、血液脳関門の破綻による血清成分の脳実質への浸出が脳性マラリアの発症に深くかかわることが示唆された。

 本研究により、急性マラリア脾腫や脳性マラリアの病態形成機序の一端が明らかとなり、これらの病態形成機序論に新たな一説を提供するとともに、実験動物が病態発症機序を病理学的に解析するうえで有用であることを示した。また、本研究で得られた知見は、MRP8/14を標的とした重症度の判定や、CT、MRI等を用いた脳内の血漿成分を検出する早期診断法の可能性を示唆するとともに、内皮細胞の変性を阻害することにより病態の重症化を阻止する新たな治療法の開発に結びつくと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 熱帯熱マラリアは熱帯熱マラリア原虫(Plasmodium falciparum)の感染により引き起こされ、原虫血症やマラリアの三大徴候である発熱、貧血、脾腫に加え、しばしば脳性マラリアをはじめとする様々な合併症を伴い重症化する。しかし、熱帯熱マラリアに見られる様々な症状および合併症の発症機序はほとんどわかっていない。本研究では、熱帯熱マラリアにおける急性期脾腫及び脳性マラリアの発症機序の一端を明らかにすることを目的とし、マウス、および熱帯熱マラリア原虫感染に感受性を有するリスザルを用いた動物実験を行ない(東京大学農学部動物実験委員会承認番号1818S0013)、得られた知見につきマラリア患者由来試料を用いて検証した(東京大学農学部ヒトを対象とする研究倫理審査委員会承認番号18-2、18-3)。

 第一章では、急性期マラリア脾腫の形成に赤脾随におけるMRP(migration inhibitory factor-related protein)8/14陽性マクロファージ(MΦ)が深く関与することを明らかにした。まず致死的経過を示すP.berghei感染BALB/cAマウスモデルにおいて、感染3日目に既に軽度の脾腫が認められた。病理組織学的解析により、赤脾随に単核細胞の増加を認めた。これらの細胞は形態学的にMΦであると考えられたため、様々なMΦマーカーを標的抗原として免疫組織化学染色を行った。半定量的解析により、特にMRP8およびMRP14陽性MΦに著しい増加が認められた。これらのマウスモデルで得られた知見をもとに、熱帯熱マラリアにおける急性期脾腫の病理像を解析するため、リスザルに対してP.falciparumを用い感染実験を行った。感染5日目に軽度の脾腫がみられ、病理組織学的にマウスモデルで観察されたと同様赤脾髄で単核系細胞の増加が認められた。抗ヒトMRP8/14抗体(MAC387)を用いて免疫組織化学染色を行ったところ、陽性細胞が赤脾髄全体に増加していた。以上の動物実験で得られた知見をヒトで実証するため、熱帯熱マラリア患者から得られた脾臓試料を用いてMAC387による免疫組織化学染色を行った。その結果、赤脾髄の広範囲に多数の陽性細胞が認められた。MRP8/14は血漿に分泌されることが知られているため、タイ、マヒドン大学熱帯医学部附属病院で診察初日に得られたマラリア患者血漿を用いて血中MRP8/14濃度をサンドイッチELISA法により測定した。その結果、熱帯熱マラリア患者の血中MRP8/14濃度は、対照群である三日熱マラリア患者や日本人健常者のMRP8/14濃度に比べ高値を示し、中でも合併症を伴うグループは最も高値を示した。以上の結果から、主にMRP8/14陽性MΦの増加が急性期のマラリア脾腫の形成に関与していることが示唆され、また、血中MRP8/14濃度は熱帯熱マラリアの重症度に関連していることが示唆された。

 第二章では、脳性マラリアの発症に脳実質における血漿成分の浸出が関係していることを明らかにした。リスザルにP.falciparum ICH-1株原虫新鮮感染赤血球109個を接種し、実験的に昏睡を来す脳性マラリアを発症させた。脳の病理組織学的解析の結果、輪状出血像に加え、数個から十数個が漏出した小規模な赤血球漏出像が多くの血管周囲に認められた。輪状出血像では、血管外赤血球に感染赤血球がみられるのに対し、小規模な漏出像ではすべて非感染赤血球であった。赤血球の漏出は血漿成分の浸出を伴うと予想されたため、血漿成分としてフィブリノーゲンおよびIgGを指標に免疫組織化学的解析を行った結果、血管内腔のみならず血管壁や血管周囲に広く拡散した反応像が観察された。また、切片標本上漏出赤血球がみられない血管周囲にも陽性反応が認められた。透過型電子顕微鏡による解析の結果、血管内には感染赤血球が認められるものの漏出赤血球はすべて非感染赤血球であり、漏出した赤血球に隣接した血管の内皮細胞に変性が認められた。以上の、熱帯熱マラリアリスザルモデルで得られた知見をヒトで実証するため、タイ、マヒドン大学熱帯医学部附属病院にて脳性マラリアで死亡した患者より得られた脳を用いて解析を行った。その結果、リスザルと同様の数個から十数個程度の小規模な非感染赤血球の漏出像が認められ、フィブリノーゲンおよびIgGを指標とした免疫組織化学的解析においても、切片標本上赤血球が漏出した血管のみならず漏出赤血球がみられない血管の周囲にも陽性反応が認められた。以上の結果より内皮細胞の変性等、血液脳関門の破綻による血漿成分の脳実質への浸出が脳性マラリアの発症に深くかかわることが示唆された。

 本研究により、急性マラリア脾腫や脳性マラリアの病態形成機序の一端が明らかとなり、人類の健康にとって最大の脅威の一つであるマラリアの発症機序の理解に大きく貢献したと考える。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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