学位論文要旨



No 122465
著者(漢字) 池上,浩太
著者(英字)
著者(カナ) イケガミ,コウタ
標題(和) ヒストン修飾によるDNAメチル化プロファイルの形成
標題(洋)
報告番号 122465
報告番号 甲22465
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3189号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 真鍋,昇
 東京大学 特任教授 八木,慎太郎
 東京大学 助教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

 ほ乳類のゲノム中には、組織特異的にDNAがメチル化される領域(T-DMR)が遺伝子領域に多数存在する。ゲノム全体に存在するT-DMRのDNAメチル化状態のパターンを、DNAメチル化プロファイルと呼ぶ。DNAメチル化プロファイルの形成機構を解明する為の鍵は、個々のT-DMRが、どのように、それぞれ異なるDNAメチル化状態となるか明らかにすることである。DNAのメチル化を触媒するDNAメチル転移酵素には、標的DNAの配列特異性が存在しないため、特異的なT-DMRにメチル化を誘導する仕組みに、DNAのin vivoでの環境、すなわち、クロマチンの構造が関与していると考えられる。

 クロマチン構造はヒストンの修飾状態により変化する。ヒストンH3のアミノ末端から9番目と27番目のリジン残基(H3-K9、H3-K27)のメチル化は、転写が抑制されたゲノム領域に見られる。H3-K9とK27メチル転移酵素としてG9a(Ehmt2)とGLP(Ehmt1)が同定されている。G9aとGLPはユークロマチン領域に局在するが、これまでに標的ゲノム座位としてそれぞれ数個の遺伝子が同定されているのみである。

 本研究では、ヒストンの修飾がDNAメチル化プロファイルの形成に関与するとの仮説を立てた。仮説が正しければ、ヒストン修飾酵素の欠損細胞では、特異的なゲノム座位のDNAが低メチル化状態となると考えられる。

【第一章:G9a欠損ES細胞のゲノムワイドDNAメチル化解析】

 本章では、G9a欠損がDNAメチル化プロファイルの形成に与える影響を解析した。Restriction Landmark Genomic Scanning(RLGS)法を用いて、約2,000箇所のゲノム座位におけるG9a欠損ES細胞のDNAメチル化状態を解析した結果、野生型ES細胞のRLGS像に存在しない、35個のスポットが、G9a欠損ES細胞のRLGS像に出現し、35箇所のゲノム座位が、G9a欠損により低メチル化状態となったことが示された。In silicoのVirtual image RLGSソフトウェアを用いて、その中から10箇所のG9a標的ゲノム座位を同定した。これらのゲノム座位では、G9a遺伝子を欠損細胞に再導入した株において、DNAメチル化レベルが回復していることが確認された。G9aはH3-K9/K27メチル転移酵素なので、標的座位ではG9aの欠損によりH3-K9もしくはK27が低メチル化状態となるはずである。クロマチン免疫沈降(ChIP)法を用いて、G9a欠損ES細胞のH3-K9とK27のメチル化状態を解析し、全10箇所においてH3-K9あるいはK27が低メチル化状態となることを確認した。これらのG9a標的座位では、欠損下でも数%から50%程度のDNAメチル化は残るが、低メチル化状態となる領域は数キロ塩基対を超える範囲にも及ぶことが示された。

 本章によって、多数のG9a標的座位を明らかにすることができた。ゲノム中の遺伝子の総数に基づくと、少なくとも240のG9a 標的遺伝子が存在すると見積もることができる。DNAメチル転移酵素の欠損ES細胞を用いたRLGS解析では247座位が低メチル化状態となることが知られている。一方、G9a欠損により低メチル化状態となったのは35のゲノム座位だった。従って、G9aが特異的なゲノム座位のDNAメチル化の維持に関与することが明らかとなった。

【第二章:GLP欠損ES細胞のゲノムワイドDNAメチル化解析】

 G9aの欠損よりも、DNAメチル転移酵素の欠損で低メチル化状態となるゲノム座位の方が、7倍程度多かったことを考えると、G9a以外のヒストンメチル転移酵素もDNAメチル化プロファイルの形成に寄与していると考えられる。G9aと同様にユークロマチン領域に存在するH3-K9/K27メチル転移酵素としてGLPが同定されている。GLPはG9aと優先的にヘテロ二量体を構成するとの報告がある。GLPの欠損は、G9aの欠損と同じゲノム座位のDNAメチル化に影響を与えているのだろうか、それとも異なるゲノム座位のDNAメチル化に影響を与えるのか?

 RLGS法を用いてGLP欠損ES細胞のDNAメチル化状態をゲノムワイドに解析したところ、46箇所でGLP欠損により低メチル化状態となることが示された。G9a欠損では35箇所だったので(第一章)、GLPの欠損では、G9a欠損よりも多数の座位で低メチル化を引き起こすことが示された。GLP欠損およびG9a欠損により低メチル化状態となるゲノム座位を比較すると、両方で共通のものが16座位、GLP単独で30座位、G9a単独で17座位だった。従って、ゲノム上にはGLPとG9aが協調して作用する領域と、お互いに独立して作用する領域が存在することが示された。さらに、DNAメチル化状態の変化を、タイリングアレイを用いて解析すると、GLP欠損だけで低メチル化状態となる領域は、G9aのそれに比べて範囲が広いことが示された。第一章で記したように、G9a標的座位ではG9a欠損下でも完全に脱メチル化されなかった。同様に、GLP標的座位でもGLP欠損により完全な脱メチル化は観察されなかった。これらの酵素の単独欠損下における部分的脱メチル化は、それぞれが相補的に作用している結果かも知れない。そこで、GLPとG9aの各単独欠損で共通して低メチル化状態となるゲノム座位に注目してG9a・GLP両欠損ES細胞のDNAメチル化レベルを解析した結果、GLPあるいはG9a単独欠損ES細胞と差がなかった。従って、G9aとGLPのヘテロ二量体においても相乗的なDNAメチル化が起こらないことが示唆された。

 本章は、DNAメチル化を指標として、GLPの標的ゲノム座位をゲノムワイドに探索することで、GLPがG9aよりも多くの領域を標的とし、さらにG9aまたはGLPが単独で作用する領域が多数存在することを明らかにした。

【第三章:G9a/GLP欠損ESd細胞・胚様体のゲノムワイドDNAメチル化解析】

 DNAメチル化領域が凝縮型のクロマチン中に見られるヒストン修飾を誘導することが報告されている。一方、第一章、第二章で示したように、これらのヒストン修飾はDNAメチル化状態に影響を与える。このことから、DNAメチル化とヒストン修飾の相互依存によって細胞の安定なエピジェネティック状態が保たれていると考えられる。従って、ヒストン修飾状態が変化しなければ、DNAメチル化プロファイルは変化し得ないと考えられる。しかし、細胞の分化過程ではDNAメチル化プロファイルが変化し、これにより細胞種固有のDNAメチル化プロファイルが形成される。事実、ES細胞と、これを分化させることで得られる分化ES細胞および胚様体は異なるDNAメチル化プロファイルを持つ。では、G9aとGLPの標的座位はES細胞の分化に伴って変化するのか、それとも一定なのだろうか?

 最初に野生型について、ES細胞、分化ES(ESd)細胞、胚様体のDNAメチル化状態をRLGS法によりゲノムワイドに解析し、分化過程において新たにDNAメチル化される領域が存在することを確認した。次にG9a欠損ES細胞からもESd細胞および胚様体を作製し、野生型ES細胞で見られた新規のメチル化に対するG9a欠損の影響をRLGS法により解析した。その結果、通常ESd細胞への分化過程で新規のメチル化が生じる45箇所のゲノム座位の内、2箇所ではG9a欠損下の分化過程で新規メチル化が生じなかった。さらに、胚様体への分化過程では42箇所で通常新規メチル化が生じるが、G9a欠損下では6箇所において起こらなかった。このことはG9aの標的座位が分化に伴い変化し、DNAメチル化領域の新たな形成に関与することを示唆した。タイリングアレイにより、RLGS法での解析対象であるNotI部位以外のゲノム領域について同様の解析を行なった。その結果、イントロン内や遺伝子間の特定の領域においても、分化に伴い、新規のG9aとGLP標的座位が生じることが示された。これらの新たなG9aとGLPの標的領域の範囲は数100塩基対の限局された領域であった。

 本章の結果により、G9aとGLPの標的座位が分化に伴い変化することが分かった。G9aとGLPが分化に伴い新たにDNAメチル化を誘導することは、DNAメチル化プロファイルの変化に寄与していることを意味する。

【総括】

 本研究では、細胞種に固有のDNAメチル化プロファイルの形成にヒストン修飾が関与するとの仮説を立てた。この仮説の検証には、ヒストン修飾酵素の標的座位を多数明らかにする必要があった。しかし、ヒストン修飾の解析は、DNAメチル化解析に比べて方法論的に定量性・正確性で劣る。本研究では、DNAメチル化を指標としG9aとGLPの標的領域をゲノムワイドに探索した。第一章、第二章ではG9aおよびGLP欠損ES細胞のDNAメチル化解析により標的遺伝子座を多数同定した。このことにより、G9aとGLPが特異的な遺伝子領域のDNAメチル化状態の維持に関与することを明らかにすることができた。これらの領域ではG9aとGLPがH3-K9とK27のメチル化を触媒していたことから、クロマチン構造の変化によりDNAメチル化が誘導されると考えられる。第三章では、G9aとGLPの標的座位は分化に伴い変化し、細胞の種類によって異なることを明らかにした。これらのことより、ヒストン修飾が細胞の種類に固有のDNAメチル化プロファイルの形成と維持に関与していることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 ほ乳類のゲノム中には、組織特異的にDNAがメチル化される領域(T-DMR)が遺伝子領域に多数存在し、細胞の種類により異なったDNAメチル化模様(DNAメチル化プロファイル)が形成される。本論文は、ヒストン修飾酵素の欠損がDNAメチル化に与える影響をゲノムワイドに解析したもので、T-DMRの領域特異的なDNAメチル化機構を知ることを目的にしている。ヒストンメチル化酵素G9a(Ehmt2)は、ヒストンH3のアミノ末端から9番目と27番目のリジン残基(H3-K9、H3-K27)をメチル化する。また、GLP(Ehmt1)も同様にH3-K9、H3-K27メチル化活性を有している。

 第一章では、G9a欠損マウス胚性幹細胞(ES細胞)のゲノムワイドDNAメチル化解析が行われた。Restriction Landmark Genomic Scanning(RLGS)法を用いて、約2,000箇所のCpG配列が豊富に存在する遺伝子領域に焦点をあて、DNAメチル化状態を解析した。その結果、G9a欠損により35箇所のゲノム座位が低メチル化状態となることが分かった。クロマチン免疫沈降法により、これらの領域ではH3-K9あるいはK27が脱メチル化されることが確認された。G9a遺伝子を再導入したES細胞ではDNAメチル化レベルが回復していたことから、G9aは特異的ゲノム領域のDNAメチル化に関与することが明らかとなった。全ゲノム中では約240領域でG9a標的遺伝子が存在しDNAメチル化に影響を与えていることになる。この時、G9a欠損によるDNA脱メチル化は領域により数%〜50%程度のメチル化は残るが、脱メチル化領域は数キロ塩基対を超える範囲において起きていることも分かった。

 第二章では、GLP欠損およびGLP/G9a両欠損ES細胞のゲノムワイドDNAメチル化解析が行われた。G9aと同様にユークロマチン領域に存在するH3-K9/K27メチル転移酵素としてGLPが同定されている。GLP欠損ES細胞でもRLGSを行い、脱メチル化領域を検出した。興味深いことに、GLP欠損で脱メチル化された領域の総数(46)は、G9a欠損により脱メチル化された領域総数(35)よりも多かった。したがって、GLP単独でDNAメチル化を支持している領域が存在することになる。GLP単独欠損とG9a単独欠損により脱メチル化された領域を比較すると、両者で共通するものが16領域、GLP単独で30領域、G9a単独で17領域であった。したがって、ゲノム上にはGLPとG9aが協調して作用する領域と、お互いに独立して作用する領域が存在することになる。DNAメチル化状況を、タイリングアレイで解析したところ、GLP単独欠損により脱メチル化される領域はG9aのそれに比べて範囲が広いことも明らかになった。さて、GLPとG9aは細胞内でヘテロ二量体を形成することが報告されている。一章で記したように、G9a欠損で見られる領域特異的なDNA脱メチル化は完全ではなかった。同様に、GLP単独欠損でも完全な脱メチル化は観察されなかった。これら酵素の単独欠損による部分的脱メチル化は、それぞれが相補的に作用している結果かもしれない。そこで、GLPとG9aの各単独欠損で共通して脱メチル化される領域に注目して、GLP/G9両欠損ES細胞でDNAメチル化レベルを調べたところ、GLPあるいはG9a単独欠損ES細胞と差が無かった。したがって、DNAメチル化の程度は、G9aとGLPヘテロ二量体でも大きくは変わらないと考えられる。

 第三章ではG9a欠損あるいはGLP欠損ES細胞のゲノムワイドDNAメチル化解析が行われた。DNAメチル化領域はクロマチン凝縮型のヒストン修飾を誘導することはすでに多くの報告があり、逆に、ヒストン修飾がDNAメチル化に影響を与えることは上記の第一章と第二章で明らかにした。DNAメチル化とヒストン修飾は互いに依存関係にあり、そのため、細胞特有の安定したDNAメチル化プロファイルが維持できると考えられる。したがって、ヒストン修飾が不変であれば、DNAメチル化情報は変化しようがない。ところが、分化前後ではDNAメチル化プロファイルは大きく変化する。事実ES細胞分化前後でDNAメチル化プロファイルは異なるし、胚様体のそれも未分化状態とは大きく異なることが確認された。DNAメチル化情報とヒストン修飾に支えられたエピジェネティクス情報が、未分化型から分化型にエピジェネティクズ相の転移が起きるのである。そこで、新たな疑問は、G9aとGLPの関与は分化の前後で変わるか否かである。野生型ES細胞とG9a欠損ES細胞について、分化誘導前後と胚様体のDNAメチル化状態を解析した結果、G9a欠損下では、野生型ES細胞の分化により新たにメチル化される45領域中で非メチル化状態のままの2領域が見つかった。さらに、胚様体への分化過程では42箇所で新規メチル化が生じるが、G9a欠損下では6箇所において起こらなかった。したがって、G9aの関与するゲノム領域は、新たな領域で起きるDNAメチル化に関与し分化の一翼をなしていることが明らかになった。

 以上、本研究では、ヒストンメチル化酵素(G9a、GLP)の機能に焦点を当て、ヒストン修飾がT-DMRの領域特異的なDNAメチル化に影響を与えることを明らかにした。しかも、分化に伴うDNAメチル化プロファイル形成にもヒストン修飾が関与していることも重要な発見である。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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