学位論文要旨



No 122472
著者(漢字) 今井,千恵子
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,チエコ
標題(和) 牛疫ウイルス株間における病原性発現と転写・複製の制御機構に関する比較解析
標題(洋) Comparative analyses of control mechanisms of pathogenecity and viral transcription/replication among rinderpest virus strains
報告番号 122472
報告番号 甲22472
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3196号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 辻本,元
 熊本大学 特任教授 小原,恭子
内容要旨 要旨を表示する

 牛疫ウイルス(RPV)は牛に致死性の全身疾患を引き起こし、現在でも一部の地域で経済的損失を与えており、FAOの根絶計画の最重要疾病にあげられている。RPVは麻疹ウイルス、イヌジステンパーウイルスなどと共にパラミクソウイルス科、モービリウイルス属に分類される。牛疫は呼吸器症状、出血性腸炎などの劇症症状のほかに激しい免疫抑制、耐過後の自己抗体産生など多様な病原性を示すが、その病原性発現機構の多くは解明されていない。我々は、ウサギ馴化によって牛での牛疫病態を再現する世界でも他に類をみない優秀な実験感染モデル系を確立してきた。リバースジェネティックス系が確立されてから、RPVの属するモノネガウイルスの研究は飛躍的に進展している。本研究ではリバースジェネティックス系を用いてRPV株間での病原性発現の比較解析と株間における転写、複製の基礎的研究を行った。本論文は以下3章より構成される。

第1章;牛疫ウイルスL蛋白の種特異的病原性発現への関与

 これまでウイルスの種を越えた病原性発現に関わる要因として、宿主細胞への侵入を担うウイルス構成蛋白が主として唱えられてきた。しかしながら近年、RPVにおいて、細胞への吸着機能をもつH蛋白はウイルスの宿主細胞への侵入には必要であるが、侵入後の増殖能には他のウイルス蛋白が必要であること、さらに病原性発現にはRNP構成蛋白であるP蛋白が大きく関ることが明らかとなった。ただし、病原性の強さを完全に再現するには他の蛋白の関与も示唆された。そこで、第1章では、牛疫ウイルスにおける、P以外の他のウイルス蛋白の病原性発現への関与を検討するため、P蛋白と複合体を形成しゲノム複製・転写を担うL蛋白に着目し解析を行った。牛のワクチン株でありウサギに病原性のないRPV-RBOK株のクローン化cDNAにウサギに強い病原性を示すRPV-L株のL遺伝子とH 、P 、N遺伝子をそれぞれ組換えた3種類のウイルス、rRPV-lapHL、rRPV-lapPHL、rRPV-lapNPHLを作製した。この3つの組換えウイルスとRBOK株、L株をウサギに接種し、病原性を比較した。RBOK株接種ウサギでは無症状であり、ウイルスの増殖も確認できなかったが、Lv株接種ウサギでは臨床症状、臓器でのウイルス増殖が顕著であり、リンパ系組織で重度な壊死像が認められた。以前の報告でlapH接種のウサギの臓器からはウイルスが分離できないことが明らかとなっているが、lapHL接種ウサギでは臨床症状は認められないものの、ウサギ体内での増殖が認められ、病理組織学的解析ではリンパ系組織で反応性変化が観察された。lapPHLおよびlapNPHL接種ウサギではLv株接種ウサギと比較し軽度ではあるが、発熱、リンパ球減少が観察され、リンパ系組織ではウイルスの増殖と広範囲な反応性変化が認められた。これらの結果より、L蛋白は病原性発現への関与は弱いものの、生体内細胞侵入後のウイルスの増殖に関わることが示唆された。また、これまでの報告と本実験結果より、種を超えた病原性には他のウイルス蛋白や非翻訳領域の関与が考えられ、更なる解析が必要であると推測された。

第2章;マーモセットB細胞を用いて樹立した牛疫ウイルス持続感染株の解析

 RPVの属するモービリウイルス属には麻疹ウイルス、イヌジステンパーウイルスが属し、これらのウイルスは宿主の中枢神経系で持続感染を起こすことが知られており、終生免疫を誘導することから中枢以外での持続感染の可能性も推測される。持続感染のメカニズムについてはこれまで多くの研究がなされているが、未だ明らかになっていない。モービリウイルスの生体内の持続感染を知るため、既に有用な実験感染モデル系が確立されているRPVを用いて持続感染株の解析を行った。全ての細胞がウイルスを産生しながら生存し続ける'真'の持続感染性を持つウイルス樹立を目指し、まず細胞障害性を示さなくてもウイルス増殖細胞を容易に検索できるようにEGFP(enhanced green fluorescent protein)を発現する組換えウイルス(rRPV-EGFP-Lv)を作出した。この組換えウイルスはin vitro、 in vivoの両方で元株であるLv株と同じ性状を示した。rRPV-EGFP-LvをB95a細胞に感染させ新しい細胞を添加しながら継代し続けクローニングを行い、培養細胞における持続感染ウイルス株(rRPV-EGFP-BP)を樹立した。このBP株はB95a細胞のみならず293SLAM、COBL細胞においても巨細胞形成を誘導しなかった。さらにウサギの感染実験を行ったところ、Lv株が感染4日で激しい病原性を誘発するのに対し、BP株は感染14日までに一過性の発熱と白血球減少が認められたのみであった。ウイルスの増殖をEGFP蛍光で観察したところ、EGFP-Lv株感染個体では、感染4日後にリンパ系組織切片において広範囲なEGFP蛍光が認められたが、BP株感染個体では4日後ではわずかな蛍光が認められたのみであり、感染7日後に全てのリンパ系組織でウイルスの増殖が確認された。この後、感染14日後には消失し、28日まで認められなかった。また病理組織学的解析からウイルスが増殖したリンパ系組織の部位では反応性変化が観察された。さらに血清中のIFNを測定したところ、EGFP-Lv株感染個体では感染2日から4日後にかけてIFNが誘導されていたが、BP株感染個体では感染28日後まで検出限界値以下であった。それぞれのウイルスに対する中和抗体価は、BP株感染個体で感染7日から上昇し始め28日後には1400倍まで上昇した。以上のことからBP株はウサギへの感染性は維持され体内での増殖も出来るが、病原性誘発能は著しく弱く、増殖性においてもEGFP-Lvより遅く産生能も低い。従って増殖過程で免疫応答により体内から排除されたと考えられた。以上よりウイルスの細胞融合能は病原性の発現機構および持続感染性獲得機構の1つであると推測された。

第3章;牛疫ウイルスの株間におけるプロモーター機能の比較解析

 第1章の結果から病原性発現にはウイルス蛋白以外の因子が関与する可能性も考えられた。そこでウイルスの転写・複製を制御する重要なプロモーターの機能をRBOK株とLv株間で比較解析した。ウイルスゲノムの3'末端から107塩基までのgenomic promoter (GP)はmRNAや全長(+)鎖RNAの合成を担い、5'末端からの109塩基はantigenome promoter (AGP)とされ、全長(-)鎖RNAの合成を担っている。3'と5'末端の塩基はモービリウイルス間で保存性が高くまた互いに相補的である。RBOK株、L株のそれぞれのGPとAGPの間にホタルルシフェラーゼの遺伝子を組込んだホモまたはキメラのプラスミドを作製し、(-)鎖のミニゲノムRNAを合成した。このRNAをウイルスの転写・複製に必要なN、P、L蛋白をT7プロモーターにより発現させるプラスミドと共に、予めT7RNA polymerase発現組換えワクチニアウイルスを感染させておいた細胞に導入し、24時間後にルシフェラーゼ活性の値を測定して各株のプロモーターの転写活性を比較した。その結果RBOK株GPは、導入した細胞の種類に関わらず高いルシフェラーゼ活性を示した。またRBOK株とL株の両方のN、P、L蛋白を使用しても同様な結果であった。L株のGPの3'末端の16塩基とAGPの5'末端16塩基とは5番目,12番目の2塩基が相補的でない。L株GPをAGPと相補的に、またRBOK株GPの同じ部位の塩基を非相補的になるように変異をいれたRNAを合成し、ゲノムの末端の相補性が転写効率に関与しているかを調べた。その結果RBOK株GPは相補性が減少してもルシフェラーゼ活性値に影響が出ないのに対し、Lv株GPでは12番目の塩基の相補的にすることにより高い活性を示した。また、L株AGPにGPと相補的に変異を入れた際も同じ結果が出たことから、L株のGPとAGPの相補性は転写複製効率に影響を与えることが示唆された。RBOK株GPのプロモーター活性の強さを決定する塩基を特定するため、5つのRPVのウイルス株の塩基配列を比較し、RBOK株特有な変異部位3箇所をL株塩基に置換した。その結果、1箇所ずつの変異ではルシフェラーゼの値はほぼ変化しなかった。そこでGPを1-52塩基と53-107塩基までの2つの領域に分割し、RBOK株とL株のキメラGPを持つミニゲノムRNAでプロモーター活性を調べたところ、全長のRBOK株GPを持つRNAだけルシフェラーゼ活性が高かった。このことより、RBOK株由来のGPの転写活性の強さは1塩基ずつでなく、プロモーターの広範囲に及ぶ塩基の組み合わせによるものであることが示唆された。また、N遺伝子の5'UTR領域の翻訳に対する影響を解析したところ、両株ともに差は認められなかったことより、これまでのルシフェラーゼ活性の強さは翻訳効率の差から生じたものではないことが考えられた。株間におけるウイルスのプロモーター活性の差と病原性との関係は不明であり、さらなる解析が必要であると思われた。

 本研究においてRPV株間の比較解析により病原性決定要素に関し様々な発見がなされた。それらの成果により、RPVを含むモノネガウイルスの病原性発現機構の解明に関して極めて有用な多くの知見が得られたと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 牛疫ウイルス(RPV)属するモノネガウイルス群により惹起されるウイルス感染症では、その強い病原性と種を超えた病原性発現が大きな問題となっているが、そのメカニズムの多くは未だ解明されていない。これまでウイルスの種を越えた病原性発現に関わる因子として、宿主細胞への侵入を担うウイルス構成蛋白が主として唱えられてきた。しかしながら近年になってRPVでは、細胞への吸着機能をもつH蛋白はウイルスの宿主細胞への侵入には必要であるが、侵入後の増殖には他のウイルス蛋白が必要であり、病原性発現にはP蛋白が関ることが明らかにされた。ただし、病原性の強さを完全に再現するには他の蛋白の関与も示唆された。本研究ではRPVにおけるP以外の他のウイルス蛋白の病原性発現への関与を検討するため、P蛋白と複合体を形成しゲノム複製・転写を担うL蛋白に着目し解析を行った。ウサギ馴化によって牛での牛疫病態を再現するウサギ強毒株のL株と牛に病原性を示さないRBOK株を用い、複数のウイルス構成蛋白を組換えたウイルスを作製し動物感染実験を行った結果、L蛋白を組換えたウイルスはリンパ系組織での増殖が促進され、感染群では軽度な臨床症状が観察された。従ってL蛋白は細胞侵入後のウイルスの増殖に関わり、病原性発現に関与することが明らかとなった。しかしながら、病原性発現に関与する程度は弱く、種を超えた強い病原性発現には、他のウイルス蛋白や非翻訳領域の検討も必要と考えられ、病原性発現に関わる因子の絞込みに繋がる結果を得ることができた。

 本ウイルス属のウイルスは、終生免疫を誘導することから持続感染の可能性も推測される。また、近縁なウイルスでは、宿主の中枢神経系で持続感染を起こすことが知られているが、そのメカニズムも未だ明らかになっていない。モービリウイルスの生体内の持続感染能を解析するため、Lv株を用いて持続感染株の作出を行いその性状を解析した。全ての細胞がウイルスを産生しながら生存し続ける'真'の持続感染性を持つウイルスを樹立するため、細胞障害性を示さなくてもウイルス増殖細胞を容易に検索できるようにEGFPを発現する組換えウイルス(rRPV-EGFP-Lv)を作出し、さらにこの組換えウイルスを親株に、培養細胞における持続感染ウイルス株(rRPV-EGFP-BP)を樹立した。このBP株は血球系細胞の他、上皮系細胞においても巨細胞を形成しなかった。感染実験の結果、EGFP-Lv株が激しい病原性を誘発するのに対し、BP株の病原性は著しく減弱しており、ウイルスの増殖もEGFP-Lv株と比較し遅く、長期にわたる持続感染は成立しなかった。BP株が増殖したリンパ系組織の病理切片からは反応性変化が認められ、また感染群の血中からは高い中和抗体価が検出された。さらに、EGFP-Lv株感染群では感染初期にIFNが誘導されたが、BP株感染群では感染28日後まで検出限界値以下であった。以上のことからBP株は、ウサギへの感染性を維持し病原性は著しく低下していたが、体内での増殖はEGFP-L株よりも遅く産生能も低いながら一定期間持続し、その後免疫応答により体内から排除された可能性が考えられた。以上よりウイルスの細胞融合能は病原性の発現機構および持続感染性獲得機構の1つであると推測された。

 病原性発現にはウイルス蛋白以外の因子が関与する可能性も考えられたことより、ウイルスの転写・複製を制御する重要なプロモーターの機能をRBOK株とL株間で比較解析した。プロモーターにはgenome promoter(GP)とantigenome promoter(AGP)がある。RBOK株、L株の各GPとAGPの間にルシフェラーゼの遺伝子を組込んだホモまたはキメラの(-)鎖ミニゲノムRNAを合成した。このRNAをN、P、L蛋白と共に細胞に導入し、ルシフェラーゼ活性の値を測定して各株のプロモーターの転写活性を比較した。その結果RBOK株GPは、導入した細胞の種類、N、P、L蛋白の株種に関わらず高いルシフェラーゼ活性を示した。またL株のGP、AGPの末端16塩基の相補性は転写複製効率に影響を与えることが示唆された。RBOK株GPの転写活性の強さを規定する塩基を絞るために、RBOK株特有な変異部位3箇所をL株塩基に置換した結果、1箇所ずつの変異ではルシフェラーゼの値は変化しなかったが、GPを2つの領域に分割し、両株のキメラGPを持つミニゲノムRNAでプロモーター活性を調べたところ、全長のRBOK株GPを持つRNAだけルシフェラーゼ活性が高かった。このことより、RBOK株GPの転写活性の強さは1塩基によるものではなく、プロモーターの広範囲に及ぶ塩基の配列によるものであることが示唆された。株間におけるウイルスのプロモーター活性の差と病原性との関係は不明であり、さらなる解析が必要であると思われた。

 本論文では、RPV株間の比較解析により病原性決定要素に関し様々な発見がなされ、RPVを含むモノネガウイルスの病原性発現機構の解明に関して極めて有用な多くの知見が得られたと考える。よって審査委員一同は本論文を博士(獣医学)の学位論文として認める。

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