学位論文要旨



No 122475
著者(漢字) 岡田,太郎
著者(英字)
著者(カナ) オカダ,タロウ
標題(和) マウス毛包の発生と維持におけるserum/glucocorticoid regulated kinase 3 (SGK3)の役割
標題(洋) Critical roles of serum/glucocorticoid regulated kinase 3 (SGK3) in the murine hair follicle morphogenesis and homeostasis
報告番号 122475
報告番号 甲22475
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3199号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 九郎丸,正道
 岡山大学 教授 国枝,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 哺乳類の毛包は、毛周期と呼ばれる再生・退縮のプロセスを生涯にわたり繰り返す特異な器官である。毛包の原基は胎生期に外胚葉と中胚葉との相互作用により形成され、出生前から出生後にかけて成長し、成熟した毛包が形成される。この時期を形成期morphogenesisと呼ぶ。成熟した毛包は外側から外毛根鞘(ORS)、内毛根鞘(IRS; 更に3層に細分される)、毛軸(hair shaft; 更に3層に細分される)からなるシリンダー状構造をとる。成長した毛包はやがて退縮をはじめ(退行期catagen)、休止期telogenを経て再生する(成長期anagen)。

 serum/glucocorticoid regulated kinase 3 (SGK3)は、AKT1やSGKなどと同じくAGC kinase familyに属する細胞質内kinaseタンパクで、AKT1と同様に、phosphatidylinositol 3-kinase (PI3K)の制御下にある3-phosphoinositide-dependent kinase 1 (PDPK1)の基質であり、endosomeに局在している。SGK3は、IGF1およびEGFとそれぞれのレセプターの結合によるPI3K活性化によりリン酸化・活性化されると考えられている。また、SGK3の基質としてはglycogen syntase kinase 3 beta (GSK3β)などが知られている。SGK3の細胞内機能については不明な点が多いが、おそらくcell survival、anti-apoptosisあるいはmembrane traffickingなどの役割を果たしていると考えられている。

 YPCマウスは国立予防衛生研究所において樹立された、常染色体劣性遺伝の貧毛形質を有する近交系である。最近、貧毛の原因がSgk3の変異にあることが明らかにされ(YPC-Sgk3(ypc)/Sgk3(ypc))、これとほぼ同時期に被毛異常を示すSgk3ノックアウト(KO)マウスも2例報告された。これらのことから、SGK3が哺乳類の毛包において重要な役割を果たす新規因子であることが明らかになった。本研究では主にYPCマウスを形態学的・分子生物学的に解析し、SGK3の毛包形成と毛周期制御における役割の解明を試みた。

第一章:発育期毛包におけるSGK3のmRNAおよびタンパク発現検索と、YPCマウスにおけるSGK3タンパクの機能不全

 第一章では、RT-PCR、in situ hybridization、およびN末を認識する抗SGK3抗体を用いたWestern blotと免疫組織化学により、YPCと同じくSwiss Albino由来であるICR(以降wild type: WTと表現)マウスにおけるSGK3 mRNA・タンパク発現を検索した。また、YPCマウスにおいてもWestern blotと免疫組織化学を行い、変異Sgk3遺伝子によるタンパク産生の有無を検討した。さらに、SGK3の基質の一つであるGSK3βのSerin9 (Ser9)位のリン酸化を検索し、YPCの産生するSGK3タンパクの機能を検討した。

 WTマウスの背部全層皮膚より抽出したmRNAを用いて行ったRT-PCRでは、生後3日(P3)よりSgk3 mRNAの発現上昇が認められた。また、in situ hybridizationにおいてもP3以降morphogenesis〜早期catagenに至るまでIRSに明瞭なシグナルが認められた。背部全層皮膚より抽出したタンパクを用いたWestern blotでは、P0以降に明瞭なバンドが認められ、免疫組織化学的検索でも、P0以降の主にhair matrix部の毛包keratinocyteに陽性像が認められた。YPCマウス皮膚全層より抽出したタンパクおよびYPCマウスの皮膚組織切片に対して上記の抗SGK3抗体を用いてそれぞれWestern blotと免疫組織化学を行ったところ、明瞭なバンドと陽性像がそれぞれ認められた。GSK3βのSerin9位のリン酸化を、WTマウスとYPCマウス各々の背部皮膚より抽出したタンパクサンプルについて検索したところ、とくにP0とP3でGSK3βリン酸化の低下が見られた。

 以上のことから、SGK3はmRNAとタンパクの両方がWTマウスのmorphogenesis期の毛包に発現していることが示された。また、YPCマウスにおいても変異Sgk3遺伝子に起因する欠損型SGK3タンパクの発現が示唆された。また、このSGK3タンパクは機能的に不完全であることが示唆された。

第二章:Sgk3 mutant YPCマウスの特徴と毛包形成異常

 第二章では、Sgk3 mutantであるYPCマウスの被毛と毛包について詳細な形態学的検索を行い、さらにWNT pathwayで重要な役割を占めるβ-cateninを中心とする毛包形成関連因子の発現検索を行った。

 成熟YPCマウスは、前述の通り極端な貧毛形質を示すが、YPCをC57BL/6J (B6)系統にcongenic交配して作製した変異ホモ個体(B6. YPC-Sgk3(ypc)/Sgk3(ypc))においても、成熟個体は同様の貧毛形質を示した。成熟WTおよびYPCの被毛を走査型電子顕微鏡で観察したところ、YPCの被毛は明らかに径が細く、cuticleも小さかった。更に、光学顕微鏡下で被毛のタイプ分けと観察を行ったが、B6. YPC-Sgk3(ypc)/Sgk3(ypc)では同日齢のB6と比較し、いずれのタイプの被毛も湾曲し、径が細く、長さも短かった。

 次に、P5までのWTとYPCの毛包について組織切片を作製し、光学顕微鏡下で観察した。P0ではWTとYPCの毛包に形態学的な差異は認められなかったが、P3では、YPCの毛包はWTよりもhair bulbが小さく、毛乳頭の入り込みも短く、毛包の全長も短かった。P5ではこの差はさらに顕著になった。また、YPCの毛包はWTと比較してORSが肥厚しており、WT毛包でみられた均一な方向性も欠いていた。hair medullaマーカー抗体のAE15を用いて免疫組織化学を行ったところ、P5のYPCマウスの毛包ではmedullaが殆ど形成されていないことが明らかとなった。このことは電顕検索の結果によっても裏付けられた。抗phospho-histone H3抗体を用いて免疫組織化学的に毛包keratinocyteの増殖活性を比較したところ、YPCではP3とP5における毛包基部のhair matrix keratinocyteの増殖活性がWTよりも有意に低かった。また、免疫組織化学的に、β-cateninの核内移行がWTマウスにくらべてYPCマウスで少ないことが示された。第一章でSgk3 のmRNAがIRSに特異的に発現していたことから、IRSに特異的に発現する毛包形成関連因子であるGATA3とphospho-SMAD1/3/5の発現を検索したが、WTマウスとYPCマウスの間で差は認められなかった。

 以上のことから、YPCにおけるSgk3の点突然変異はマウス毛包の生後morphogenesisに障害を引き起こし、その結果として被毛が貧弱になることが示された。これらの所見は、第一章におけるSGK3 mRNAおよびタンパクの発現検索の結果と矛盾せず、SGK3が特に生後の毛包形成に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。また、β-cateninはSGK3の基質であるGSK3βの下流でも働くことから、毛包形成におけるSGK3とWNT pathwayとの相互作用の可能性も示唆された。

第三章: Sgk3(ypc)/Sgk3(ypc)マウスにおける毛周期異常

 第三章では、YPCマウスの毛周期を詳細に検索した。

 初めにWTとYPCで毛包の長さの変動を記録した。WTではP14まで毛包が成長し続け、P18ごろにcatagen、P21にtelogenの極期となり、P23に次のanagenへと移行した。これに対し、YPCマウスではP5までは全ての毛包がmorphogenesisにあったが、P7では一部の毛包がcatagenに入り、P9ではcatagen毛包の比率はさらに上昇するとともに一部の毛包はtelogenに入っていた。P11およびP14ではcatagenの毛包は減少し、anagenの毛包が増加した。P21には再び退縮が始まった。これらのことからYPCにおいてはmorphogenesisとanagenの長さが短いことが明らかとなった。また、B6 congenicマウス((B6. YPC-Sgk3(ypc)/Sgk3(ypc))でもYPCと同様のmorphogenesisおよびanagenの短縮が認められた。

 以上から、YPCにおけるSgk3変異がマウス毛包におけるmorphogenesisおよびanagenの維持を障害している可能性が考えられた。このようにSGK3は毛包形成だけではなく、毛周期の維持においても重要な因子であることが明らかとなった。

結語

 本研究では、YPCマウスの解析により、SGK3がマウスの毛包形成および毛周期の制御において重要な因子であることを明らかにした。

 Sgk3 mutantマウスには緒言で述べたとおりノックアウト(KO)マウスが2系統報告され、どちらもB6を背景としているが、YPCマウスをB6にcongenicしたB6. YPC-Sgk3(ypc)/Sgk3(ypc)よりも成熟個体における被毛が長い。これは成熟してから毛を伸張させる期間、すなわちanagenの維持機構に違いによると推測される。この違いは、Sgk3のnull mutantであるKOマウスと3'末寄りに点突然変異を有するYPCマウスのSgk3アリルの差に起因すると考えられる。さらに本研究で、YPCマウスにおける不完全なSGK3タンパクの産生が示されたことから、SGK3タンパクの構造によって毛周期が微妙にコントロールされうるものと考えられる。

 SGK3は毛包形成および毛周期の維持に多面的に関わっており、今後種々のSgk3 mutantマウスのさらなる解析およびヒトを含めた他の動物種でのSGK3の機能を明らかにしていくことで、生物学・医学領域においてきわめて有用な知見が得られるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 serum/glucocorticoid regulated kinase 3(SGK3)は、AKT1やSGKなどと同じくAGC kinase familyに属する細胞質内kinaseタンパクで、AKT1と同様に、phosphatidylinositol 3-kinase(PI3K)の制御下にあり、endosomeに局在している。SGK3は、IGF1およびEGFとそれぞれのレセプターの結合によるPI3K活性化によりリン酸化・活性化されると考えられている。また、SGK3の基質としてはglycogen syntase kinase 3 beta(GSK3b)などが知られている。SGK3の細胞内機能については不明な点が多いが、おそらくcell survival、anti-apoptosisあるいはmembrane traffickingなどの役割を果たしていると考えられている。

 YPCマウスは国立予防衛生研究所において樹立された、常染色体劣性遺伝の貧毛形質を有する近交系である。最近、貧毛の原因がSgk3の変異にあることが明らかにされ(YPC-Sgk3(ypc)/Sgk3(ypc))、これとほぼ同時期に被毛異常を示すSgk3ノックアウト(KO)マウスも2例報告された。これらのことから、SGK3が哺乳類の毛包において重要な役割を果たす新規因子であることが明らかになった。本研究では主にYPCマウスを形態学的・分子生物学的に解析し、SGK3の毛包形成と毛周期制御における役割の解明を試みた。

 第一章では、RT-PCR、in situ hybridization、およびN末を認識する抗SGK3抗体を用いたWestern blotと免疫組織化学により、YPCと同じくSwiss Albino由来であるICR(以降wild type:WTと表現)マウスにおけるSGK3 mRNA・タンパク発現を検索した。また、YPCマウスにおいてもWestern blotと免疫組織化学を行い、変異Sgk3遺伝子によるタンパク産生の有無を検討した。さらに、SGK3の基質の一つであるGSK3bのSerin9(Ser9)位のリン酸化を検索し、YPCの産生するSGK3タンパクの機能を検討した。SGK3はmRNAとタンパクの両方がWTマウスのmorphogenesis期の毛包に発現していることが示された。また、YPCマウスにおいても変異Sgk3遺伝子に起因する欠損型SGK3タンパクの発現が示唆された。また、このSGK3タンパクは機能的に不完全であることが示唆された。

 第二章では、Sgk3 mutantであるYPCマウスの被毛と毛包について詳細な形態学的検索を行い、さらにWNT pathwayで重要な役割を占めるb-cateninを中心とする毛包形成関連因子の発現検索を行った。YPCにおけるSgk3の点突然変異はマウス毛包の生後morphogenesisに障害を引き起こし、その結果として被毛が貧弱になることが示された。これらの所見は、第一章におけるSGK3 mRNAおよびタンパクの発現検索の結果と矛盾せず、SGK3が特に生後の毛包形成に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。また、YPCのmorphogenesisでは、hair matrix keratinocyteにおけるb-cateninの核内移行が抑制されていた。

 第三章では、YPCマウスの毛周期を詳細に検索し、YPCにおけるSgk3変異がマウス毛包におけるmorphogenesisおよびanagenの維持を障害している可能性が考えられた。このようにSGK3は毛包形成だけではなく、毛周期の維持においても重要な因子であることが明らかとなった。

 本研究は、YPCマウスの解析により、SGK3がマウスの毛包形成および毛周期の制御において重要な因子であることを明らかにした。Sgk3 mutantマウスには上で述べたとおりノックアウト(KO)マウスが2系統報告され、どちらもB6を背景としているが、YPCマウスをB6にcongenicしたB6.YPC-Sgk(ypc)/Sgk3(ypc)よりも成熟個体における被毛が長い。これは成熟してから毛を伸張させる期間、すなわちanagenの維持機構に違いによると推測される。この違いは、Sgk3のnull mutantであるKOマウスと3'末寄りに点突然変異を有するYPCマウスのSgk3アリルの差に起因すると考えられる。さらに本研究で、YPCマウスにおける不完全なSGK3タンパクの産生が示されたことから、SGK3タンパクの構造によって毛周期が微妙にコントロールされうるものと考えられた。

 本研究の結果は、毛包の生物学・医学領域において極めて有用な情報を提供すると考えられる。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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