学位論文要旨



No 122479
著者(漢字) 関口,敏
著者(英字)
著者(カナ) セキグチ,サトシ
標題(和) 雌性生殖器系におけるユビキチン-プロテアソーム系の機能解析
標題(洋) Functional analysis of ubiquitin-proteasome system in female reproductive system
報告番号 122479
報告番号 甲22479
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3203号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 真鍋,昇
 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 久和,茂
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

 個体の発生は、精細胞・卵細胞の成熟、受精、子宮内膜への着床、胚および胎盤の分化といった現象が、ある一定期間に劇的かつ速やかに行われることで成り立っている。このような場では細胞増殖、免疫反応、内分泌のコントロールや物質輸送などが複雑に関わっているため、様々な機能蛋白の生成もさることながら、それらの速やかな処理機構が必要不可欠である。ユビキチン-プロテアソーム系は選択的な蛋白処理を行うための主要な代謝経路である。ユビキチンは標的となる蛋白質に付加、連鎖しポリユビキチン鎖を形成し、ユビキチン化された蛋白質はプロテアソームと呼ばれる蛋白分解酵素複合体に認識、分解される。Ubiquitin Carboxyl-Terminal Hydrolases(UCHs)はポリユビキチン鎖のアミド結合を切断し、ユビキチンを再利用する脱ユビキチン化酵素である。ユビキチンC末端加水分解酵素1型(UCH-L1)はUCHsファミリーの一つで、神経細胞、精巣(精粗細胞、セルトリ細胞)、卵巣(卵母細胞)および胎盤(脱落膜細胞)で特異的に発現する。

 近年UCH-L1欠失ミュータントであるgad (gracile axonal dystrophy)マウスを用いたUCH-L1の研究が盛んに行われている。これまでUCH-L1の働きとして、神経細胞におけるユビキチンの安定化や精粗細胞におけるアポトーシスの制御など、様々な役割を果たすことが明らかになってきた。本研究ではマウスの卵巣と初期胚におけるUCH-L1およびその異なるサブタイプであるUCH-L3蛋白の発現様式と、マウス卵母細胞におけるUCH-L1の機能解析を行った。また、種差を検索するため、カニクイザル胎盤におけるUCH-L1の局在を検索した。

マウス卵母細胞の成熟および着床前胚発生におけるUCH-L1およびUCH-L3の発現様式

 これまでUCH-L1が卵巣の卵母細胞に特異的に発現することは報告されているが、発現する卵母細胞を包む卵胞の成熟ステージではその存在様式は明らかではなかった。今回行った免疫組織化学的検索では、卵母細胞を包む卵胞上皮細胞の状態から卵胞を原始卵胞、一次卵胞、二次卵胞、三次卵胞および成熟卵胞のステージに大別し、マウス卵巣内におけるUCH-L1およびUCH-L3の局在を検索した。その結果、UCH-L1およびUCH-L3ともに原始卵胞、一次卵胞、二次卵胞、三次卵胞および成熟卵胞の卵母細胞で陽性像がみられた。

 しかし、UCH-L1は卵母細胞の細胞膜を中心に局在していたのに対し、UCH-L3は細胞質全体に局在していた。

 次にPMSGとhCG投与による過排卵処置と体外授精法により、排卵後の成熟卵母細胞(未受精卵)、受精卵、2細胞期胚、4細胞期胚、8細胞期胚、桑実胚および胚盤胞を得た後、それらの各ステージにおけるUCH-L1 およびUCH-L3の発現について検索を行った。その結果、両蛋白ともに成熟卵母細胞から桑実胚のステージまでほぼ一定量の発現を示したが、胚盤胞では若干の減少傾向がみられた。細胞内局在は卵巣内の卵母細胞と同様にUCH-L1が細胞膜に局在していたことに対し、UCH-L3は細胞質を中心に局在していた。以上より、卵母細胞におけるUCH-L1およびUCH-L3の発現様式とgad雌マウスの繁殖成績から、両蛋白は卵成熟、受精および胚の発生過程で重要な働きをすることが示唆された。

マウス卵母細胞におけるUCH-L1の役割

 gadマウスはUCH-L1遺伝子のエクソン7と8が欠失している自然発症神経軸索変性マウスで常染色体劣性遺伝形式をとる。臨床症状は、9週頃から後肢の動きが稚拙となり、18週頃から後肢の跛行がみられ、24週頃には衰弱死する。病理組織学的には神経細胞や精粗細胞の変性などがみられる。これらの病態はUCH-L1の機能喪失によるものとされ、gadマウスはUCH-L1ノックアウトマウスと同等と考えられている。まずUCH-L1欠損による卵母細胞への影響をみるために、gadマウスの卵巣について病理組織学的検索を行った。しかし、卵母細胞の形態学的な変化は認められず、卵巣に著変は認められなかった。また、膣垢検査でgad雌マウスの性周期の変化を観察したところ、性周期は正常な周期的変化を示した。次にgad雌マウスの排卵能および受精能を解析するため、gad雌マウスに過排卵処置を行い、総排卵数とその中に含まれる正常成熟卵子数を検索した。さらにgadマウス卵母細胞と野生型マウス精子を用いて体外授精を行い、受精率を野生型マウス卵母細胞と比較した。その結果、gad雌マウスの総排卵数、正常成熟卵子率および受精率は野生型の雌マウスのそれと有意な差はみられなかったが、gadマウス卵母細胞の多精子受精率が野生型マウス卵母細胞に比べて有意に高い値を示した。

 さらににgad雌マウスの繁殖能を解析するために、性成熟したgad雌マウスに野生型の雄マウスを交配させ、産子数を野生型の雌マウスと比較したところ、gad雌マウスの産子数が野生型に比べ有意に低いことがわかった。多精子受精は一個の卵母細胞に二個以上の精子が受精してしまう現象で、通常致死性である。すなわち、gad雌マウスの産子数の低下は多精子受精による胎生致死に起因するものと考えられ、卵母細胞におけるUCH-L1は多精拒否に関与していることが示唆された。

ユビキチン-プロテアソーム系の多精拒否機構への関与

 マウスやヒトの多精拒否機構は主に透明帯反応(zona reaction)と膜ブロック(membrane block)の二段階からなることが知られている。精子はまず卵子を囲む透明帯と結合、穿孔して、囲卵腔内に侵入する。次に精子は卵細胞膜と結合し、卵-精子融合がおこると卵細胞膜直下に存在する表層顆粒の内容物が囲卵腔内に放出される(表層反応)。放出された酵素によって透明帯の糖タンパク質は変性し、精子の透明帯への結合は阻害される(透明帯反応)。さらに受精による卵細胞膜の変化によって精子の融合は阻害される(膜ブロック)。gadマウス卵母細胞の多精拒否機構の破綻はこれらの反応がうまく作動していないことが予想された。そこで、表層顆粒内物質の一つであるLens Culinaris Agglutinin の放出と透明帯の構成成分である糖タンパク質(ZP2)の分解を指標に、gadマウスの卵母細胞の透明帯反応について検索したところ、それぞれの反応はともに正常に認められた。さらに、透明帯を除去したgadマウスの卵母細胞を用いて体外授精を行い、卵母細胞と融合した精子数を野生型のそれと比較した結果、gadマウスの卵母細胞に融合した精子数が野生型に比べ有意に高い値を示した。このことからgadマウスの卵母細胞でみられた多精子受精は膜ブロックの機能不全によるものと考えられた。

 UCH-L1はモノユビキチンを安定化させる働きがあることから、gadマウスの卵母細胞におけるモノユビキチン量を野生型マウスのそれと比較したところ、gadマウスでモノユビキチン量の著しい減少がみられた。また正常マウス卵母細胞におけるユビキチン蛋白の局在を免疫組織化学的に検索したところ、UCH-L1と同様に主に卵細胞膜に局在していた。このことから多精拒否機構、特に膜ブロックにはユビキチン-プロテアソーム系が関与している可能性が示唆された。しかし、透明帯を除去した正常マウス卵母細胞に対するプロテアソーム阻害剤の影響はみられなかった。以上のことからユビキチン-プロテアソーム系はプロテアソーム非依存性に膜ブロックに関与していることが示唆された。

カニクイザル胎盤におけるUCH-L1の局在

 これまでマウスの精巣、卵巣および胎盤においてUCH-L1の発現が報告されているが、霊長類の胎盤における発現様式については検索されていない。そこで本研究ではカニクイザル胎盤におけるUCH-L1およびユビキチン蛋白の局在とUCH-L1蛋白の発現量を検索した。UCH-L1およびユビキチン蛋白は主に絨毛膜板と絨毛膜絨毛の細胞性栄養膜細胞で認められ、さらに基底脱落膜の脱落膜細胞においても認められた。また胎盤全体のUCH-L1発現量は妊娠が進むにつれて増加した。これらの結果からカニクイザル胎盤におけるUCH-L1の発現が裏付けられ、胎児ないし胎盤の発達においてUCH-L1は重要であることが示唆された。霊長類の胚発生におけるUCH-L1の役割を明らかにし、げっ歯類と比較することは、種差を検索する上で、重要な課題である。

【総括】

 UCH-L1は卵子の細胞膜において多精拒否に関与していることが示唆され、gad雌マウスの産子数の低下は多精子受精に起因する胎生致死によるものと考えられた。さらに、UCH-L1とUCH-L3は非常に高い相同性があるにも関わらず細胞内局在が異なっていたことから、精子学におけると同様に、それぞれ別の機能を果たしていることが示唆された。また、胎盤においてはげっ歯類と霊長類とでは構造的および機能的に大きく異なることから、カニクイザルはヒトの妊娠期におけるユビキチン-プロテアソーム系の機能の研究に有用なモデルとなりうる。

 これらの結果は個体の初期発生においてユビキチン-プロテアソーム系が深く関わっていることを強く示唆するものであり、発生および繁殖学の基盤研究に重要な知見をもたらすことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 ユビキチン-プロテアソーム系は選択的な蛋白処理を行うための主要な代謝経路である。ユビキチンは標的となる蛋白質に付加、連鎖しポリユビキチン鎖を形成し、ユビキチン化された蛋白質はプロテアソームと呼ばれる蛋白分解酵素複合体に認識、分解される。Ubiquitin Carboxyl-Terminal Hydrolases(UCHs)はポリユビキチン鎖のアミド結合を切断し、ユビキチンを再利用する脱ユビキチン化酵素である。ユビキチンC末端加水分解酵素1型(UCH-L1)はUCHsファミリーの一つで、神経細胞、精巣(精粗細胞、セルトリ細胞)、卵巣(卵母細胞)および胎盤(脱落膜細胞)で特異的に発現する。本論文ではマウスの卵巣と初期胚におけるUCH-L1およびその異なるサブタイプであるUCH-L3蛋白の発現様式と、マウス卵母細胞におけるUCH-L1の機能解析を行った。

マウス卵母細胞の成熟および着床前胚発生におけるUCH-L1およびUCH-L3の発現様式

 これまでUCH-L1が卵巣の卵母細胞に特異的に発現することは報告されているが、発現する卵母細胞を包む卵胞の成熟ステージや排卵後の成熟卵母細胞および着床前胚の存在様式は明らかではなかった。そこで、マウス卵母細胞の成熟および着床前胚発生におけるUCH-L1およびUCH-L3の発現様式を検索した。その結果、卵巣内ではUCH-L1およびUCH-L3ともに原始卵胞から成熟卵胞の卵母細胞で、排卵後の発生過程では、成熟卵母細胞から胚盤胞において発現がみられた。このことから両蛋白は卵成熟、受精および胚の発生過程で重要な働きをすることが示唆された。

マウス卵母細胞におけるUCH-L1の役割

 gadマウスはUCH-L1遺伝子のエクソン7と8が欠失している自然発症神経軸索変性マウスで、UCH-L1ノックアウトマウスと同等と考えられている。本章ではgad雌マウスの排卵能および受精能を解析するため、gad雌マウスに過排卵処置を行い、総排卵数とその中に含まれる正常成熟卵子数を検索した。さらにgadマウス卵母細胞と野生型マウス精子を用いて体外授精を行い、受精率を野生型マウス卵母細胞と比較した。その結果、gad雌マウスの総排卵数、正常成熟卵子率および受精率は野生型の雌マウスのそれと有意な差はみられなかったが、gadマウス卵母細胞の多精子受精率が野生型マウス卵母細胞に比べて有意に高い値を示した。さらにgad雌マウスの繁殖能を解析するために、性成熟したgad雌マウスに野生型の雄マウスを交配させ、産子数を野生型の雌マウスと比較したところ、gad雌マウスの産子数が野生型に比べ有意に低いことがわかった。以上のことから、gad雌マウスの産子数の低下は多精子受精による胎生致死に起因するものと考えられ、卵母細胞におけるUCH-L1は多精拒否に関与していることが示唆された。

ユビキチン-プロテアソーム系の多精拒否機構への関与

 マウスやヒトの多精拒否機構は主に透明帯反応と膜ブロックの二段階からなることが知られている。そこで、表層顆粒内物質の一つであるLens Culinaris Agglutininの放出と透明帯の構成成分である糖タンパク質(ZP2)の分解を指標に、gadマウスの卵母細胞の透明帯反応について検索したところ、それぞれの反応はともに正常に認められた。次に、透明帯を除去したgadマウスの卵母細胞を用いて体外授精を行い、卵母細胞と融合した精子数を野生型のそれと比較した結果、gadマウスの卵母細胞に融合した精子数が野生型に比べ有意に高い値を示した。このことからgadマウスの卵母細胞でみられた多精子受精は膜ブロックの機能不全によるものと考えられた。

 UCH-L1はモノユビキチンを安定化させる働きがあることから、gadマウスの卵母細胞におけるモノユビキチン量を野生型マウスのそれと比較したところ、gadマウスでモノユビキチン量の著しい減少がみられた。また正常マウス卵母細胞におけるユビキチン蛋白の局在を免疫組織化学的に検索したところ、UCH-L1と同様に主に卵細胞膜に局在していた。このことから多精拒否機構、特に膜ブロックにはユビキチン-プロテアソーム系が関与している可能性が示唆された。しかし、透明帯を除去した正常マウス卵母細胞に対するプロテアソーム阻害剤の影響はみられなかった。以上のことからユビキチン-プロテアソーム系はプロテアソーム非依存性に膜ブロックに関与していることが示唆された。

 本研究結果は個体の初期発生においてユビキチン-プロテアソーム系が深く関わっていることを証明したものであり、発生および繁殖学の基盤研究に重要な知見をもたらした。よって、審査委員一同、本論文が博士(獣医学)の学位論文をして価値あるものと認めた。

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