学位論文要旨



No 122482
著者(漢字) 谷内,洋次郎
著者(英字)
著者(カナ) タニウチ,ヨウジロウ
標題(和) 脳心筋炎ウイルス感染後に誘導されたアポトーシスに対する正常プリオン蛋白の抑制効果に関する研究
標題(洋) Studies on suppressive effect of Prion protein to apoptosis induced by encephalomyocarditis virus infection
報告番号 122482
報告番号 甲22482
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3206号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
内容要旨 要旨を表示する

 プリオン病は、羊のスクレイピー、牛の海綿状脳症、ヒトのクールーやクロイツフェルト・ヤコブ病等が含まれる神経変性疾患で、本来生体に存在する正常プリオン蛋白(PrPc)が異常プリオン蛋白(PrP(sc))に変換し、神経細胞に蓄積することによって起こると考えられている。プリオン病は潜伏期が長く、脳萎縮、神経細胞の脱落と皮質の海綿状変化が特徴的で、致死的な経過をたどる。PrPcからPrP(sc)への変化機構は未だ明らかにされていない。また、プリオン病の発症がPrP(sc)の直接的もしくは間接的な作用によるものかも明らかになっていない。

 PrPcは細胞膜表面に存在する糖蛋白質で、種間において高度に主に保存されていることが明らかにされており、神経細胞や免疫系細胞に産生されることから神経系や免疫システムにおいて重要な役割を担っていることが予想される。PrPcの機能については未だ十分には解明されてない。PrP遺伝子欠損マウス脳海馬より樹立された不死化神経細胞株を用いた研究が行われ、無血清培養下におけるアポトーシスが、PrP欠損神経細胞に比べPrPの再発現化により抑制されること、またコクサッキーウイルスの増殖や感染後に誘導されるアポトーシスがPrP欠損神経細胞よりPrPを再発現させた神経細胞で抑制されるという報告がある。無血清培養下を含め、PrP発現細胞ではPrP欠損細胞に比べ、SOD活性が高いことや、産生されたROSの低下が報告されている。これらのことより、プリオン蛋白に抗酸化作用やアポトーシス制御など神経細胞を保護する機能が示唆されている。そこで本研究では、in vitroで感染細胞にアポトーシスを起こし、in vivoにおいて脳炎を起こすことが知られているピコルナウイルス科に属する脳心筋炎ウイルス( EMCV )を用いた解析を試みた。

 まず第1章にてPrPの有無によるEMCV感染後の細胞変性効果、細胞生存率、ウイルス力価およびアポトーシスの比較をin vitroで行った。これまでにPrPの研究のために異なるグループにより6系統のPrP遺伝子欠損マウスが作成されているが、それらのマウスはPrP遺伝子の下流にコードされPrPと相同性のあるドッペル蛋白(Dpl)の本来発現が検出されない脳内での異所発現、および加齢に伴う運動障害の現れにより、1型と2型に分類されている。すなわちDplの異所発現が見られず運動障害が起こらない1型とDplの異所発現および運動障害が観察される2型に分類されている。2型PrP遺伝子欠損マウスを用いる場合Dplの影響が懸念されている。そのため、EMCV感染には3つの組み合わせの細胞を用いた。1組目は、2型PrP遺伝子欠損マウス脳海馬由来不死化神経細胞株であるHpL3-4にPrPを再発現させたHpL3-4-PrPと、再導入のコントロールとして空ベクターのみを導入しPrPを発現しないHpL3-4-EMの組み合わせ。2組目は、野生型マウスの脳海馬から樹立された不死化神経細胞株NB3-2と、1型PrP遺伝子欠損マウス脳海馬由来不死化神経細胞株であるNpL2の組み合わせ。3組目は、NpL2にPrPを再発現させたNpL2-PrPと、再導入のコントロールとして空ベクターのみを導入しPrPを発現しないNpL2-EMの組み合わせ。以上の組み合わせを用いてin vitroの解析を行った。EMCV感染は5MOIで感染12時間後まで経時的に細胞変性効果、細胞生存率、ウイルス力価およびアポトーシスの比較を行った。その結果、EMCV感染後時間経過に伴い細胞生存率の低下が観察された。HpL3-4-PrPとHpL3-4-EMの組み合わせおよびNpL2-PrPとNpL2-EMの組み合わせでは細胞生存率の低下に違いは見られなかった。NB3-2とNpL2の組み合わせではPrPを発現しないNpL2においてより細胞生存率の低下が見られたが、NpL2およびそのトランスフェクタントは他の細胞より早くEMCV感染による細胞生存率の低下が観察され、より細胞変性が起こりやすい細胞であったことからPrPの有無による差ではないと考えられる。そのためEMCV感染による細胞死はPrPの発現の有無にかかわらず同様に起こると考えられる。EMCV感染に伴う細胞変性効果は感染6時間後から観察され、円形化と剥離を主徴していたが、PrPを発現していない細胞でより顕著な傾向が観察された。EMCV感染後の感染力を持つウイルスの増殖は、培養上清および細胞内共に感染後6時間で顕著に増加したが、PrPの有無による違いは見られなかった。DNAラダーアッセイを行いEMCV感染後のアポトーシスを比較したところ、すべての細胞の組み合わせでPrPを発現している細胞に比べ、発現していない細胞において明瞭な断片化DNAが観察された。またNpL2-PrPとNpL2-EMの組み合わせについて" cell death detection ELISA(PLUS) "を用いて、定量的にアポトーシスによるDNAの断片化を測定した結果、NpL2-PrP と比較してNpL2-EMにおいて有意に高く、アポトーシスによりDNAの断片化が強く起こっていることが示唆された。EMCVの感染性ウイルス増殖は感染後6時間から検出されるという報告があるが、本研究で用いたPrPを発現する細胞および発現しない細胞共に早期化や遅延は観察されず、PrPはEMCVの増殖には影響は与えないと考えられる。またEMCV感染後のアポトーシスによるDNAの断片化に違いはあるが細胞生存率に顕著な違いが見られないのは、アポトーシスによる細胞変性の差が現れるよりもEMCVの複製、細胞外への放出による細胞死が早く起こっていることによると考えられる。これらのことより、in vitroにおいてPrPはEMCV感染による細胞変性やウイルス増殖を抑えることはないが、誘導されるアポトーシス抑制的に働いていると考えられる。

 第2章では1型PrP遺伝子欠損マウスおよび野生型マウスの脳内にEMCVを接種し、EMCV感染時におけるin vivoでのPrPのアポトーシス抑制能を解析した。1型PrP遺伝子欠損マウス(雄、15週齢)および野生型 マウス(雄、15週齢)の右大脳半球にEMCVを600 pfu 接種し感染4、7 日目に安楽死させ、脳を採材した。脳の右半分を用いてウイルス力価を測定した。左半分を用いてHE染色およびTUNEL法による染色を行い、病理組織学的に解析した。ウイルス力価を測定した結果、EMCV感染4、7日目共に1型PrP遺伝子欠損マウスと野生型マウスに顕著な違いは見られなかった。病理組織学的解析において、EMCV感染4日目では1型PrP遺伝子欠損マウスおよび野生型マウス共に顕著な変化は見られなかった。またEMCV感染4日目においてDNAの断片化を受けた細胞を検出するためにTUNEL法による染色を行った結果、1型PrP遺伝子欠損マウスおよび野生型マウス共にTUNEL法陽性細胞はほとんど検出されなかった。EMCV感染7日目では、野生型マウスにおいて1型PrP遺伝子欠損マウスと比べ重度の細胞浸潤やグリアの増殖を伴う、より激しい炎症が観察された。1型PrP遺伝子欠損マウスでは海馬錐体細胞の脱落が多数観察された。またTUNEL法により、1型PrP遺伝子欠損マウスの脳において、海馬の錐体細胞に多数の陽性細胞が検出され、アポトーシス細胞の増加が考えられた。1型PrP遺伝子欠損マウスでは、炎症部位においても、野生型マウスに比べ炎症細胞が少ないのにも関わらず多数のTUNEL陽性細胞が観察された。

 ウイルスの増殖は第1章のin vitroでの結果と同様に、in vivoでもPrPの有無による違いが見られなかったことから、PrPはEMCVの増殖には関与していないことが示唆された。in vitroにおいてPrPがサイトカイン産生やグリアの増殖に関与しているという報告があるが、本研究の結果からin vivoでもPrPがウイルス感染後の細胞浸潤やグリアの増殖を伴う炎症反応に関与していることが示唆された。また第1章のin vitroと第2章のin vivoにおいて共にアポトーシスに対しPrPが抑制的に働いていることが示唆された。

 PrPがアポトーシスの抑制にどのような機序で関わっているかは、今後更なる研究を進める必要があるが、EMCVの増殖には関与せずにアポトーシスの抑制が観察されたことから、本研究結果は今後のPrPの機能解析、特にアポトーシス抑制機序解析の一端を担うものと考えられる。また本研究の結果より、PrP遺伝子欠損マウスはアポトーシスを伴う中枢神経系の疾患に陥りやすいことが示唆される。そのアポトーシスの起こしやすさからアポトーシスを起こす原因の特定や慢性的に進行する中枢神経系疾患の解析の早期化に寄与すると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 プリオン蛋白(PrP)は細胞膜表面に存在する糖蛋白質で、種間において高度に主に保存されていることが明らかにされており、神経細胞や免疫系細胞に産生されることから神経系や免疫システムにおいて重要な役割を担っていることが予想される。PrPの機能については未だ十分には解明されてない。PrP遺伝子欠損マウス脳海馬より樹立された不死化神経細胞株を用いた研究が行われ、無血清培養下におけるアポトーシスが、PrP欠損神経細胞に比べPrPの再発現化により抑制されるという報告がある。PrP発現細胞ではPrP欠損細胞に比べ、SOD活性が高いことや、産生されたROSの低下が報告されている。これらのことより、プリオン蛋白に抗酸化作用やアポトーシス制御など神経細胞を保護する機能が示唆されている。そこで本研究では、in vitroで感染細胞にアポトーシスを起こし、in vivoにおいて脳炎を起こすことが知られているピコルナウイルス科に属する脳心筋炎ウイルス( EMCV )を用いた解析を試みた。

 まず第1章にてPrPの有無によるEMCV感染後の細胞変性効果、細胞生存率、ウイルス力価およびアポトーシスの比較をin vitroで行った。EMCV感染は5MOIで感染12時間後まで経時的に細胞変性効果、細胞生存率、ウイルス力価およびアポトーシスの比較を行った。その結果、EMCV感染後時間経過に伴い細胞生存率の低下が観察された。EMCV感染による細胞死はPrPの発現の有無にかかわらず同様に起った。EMCV感染に伴う細胞変性効果は感染6時間後から観察され、円形化と剥離を主徴していたが、PrPの有無による顕著な違いは見られなかった。DNAラダーアッセイを行いEMCV感染後のアポトーシスを比較したところ、PrPを発現している細胞に比べ、発現していない細胞において明瞭な断片化DNAが観察された。また " cell death detection ELISA(PLUS) "を用いて、相対的にアポトーシスによるDNAの断片化を測定した結果、PrP を発現する細胞と比較して発現しない細胞において有意に高く、アポトーシスによりDNAの断片化が強く起こっていることが示唆された。EMCVの感染性ウイルス増殖は本研究で用いたPrPを発現する細胞および発現しない細胞共に早期化や遅延は観察されず、PrPはEMCVの増殖には影響は与えないと考えられる。またEMCV感染後のアポトーシスによるDNAの断片化はPrPを発現しない細胞で強く起こっていた。これらのことより、in vitroにおいてPrPはEMCVの増殖を抑えることはないが、誘導されるアポトーシス抑制的に働いていると考えられる。

 第2章では1型PrP遺伝子欠損マウスおよび野生型マウスの脳内にEMCVを接種し、EMCV感染時におけるin vivoでのPrPのアポトーシス抑制能を解析した。1型PrP遺伝子欠損マウス(雄、15週齢)および野生型 マウス(雄、15週齢)の右大脳半球にEMCVを600 pfu 接種し感染4、7日目に安楽死させ、脳を採材した。脳の右半分を用いてウイルス力価を測定した。左半分を用いてHE染色およびTUNEL法による染色を行い、病理組織学的に解析した。ウイルス力価を測定した結果、EMCV感染4、7日目共に1型PrP遺伝子欠損マウスと野生型マウスに顕著な違いは見られなかった。病理組織学的解析において、EMCV感染4日目では1型PrP遺伝子欠損マウスおよび野生型マウス共に顕著な変化は見られなかった。またEMCV感染4日目においてDNAの断片化を受けた細胞を検出するためにTUNEL法による染色を行った結果、1型PrP遺伝子欠損マウスおよび野生型マウス共にTUNEL法陽性細胞はほとんど検出されなかった。EMCV感染7日目では、野生型マウスにおいて1型PrP遺伝子欠損マウスと比べ重度の細胞浸潤やグリアの増殖を伴う、より激しい炎症が観察された。1型PrP遺伝子欠損マウスでは海馬錐体細胞の脱落が多数観察された。またTUNEL法により、1型PrP遺伝子欠損マウスの脳において、海馬の錐体細胞に多数の陽性細胞が検出され、アポトーシス細胞の増加が考えられた。1型PrP遺伝子欠損マウスでは、炎症部位においても、野生型マウスに比べ炎症細胞が少ないのにも関わらず多数のTUNEL陽性細胞が観察された。以上のことより、PrPはEMCVの増殖には関与せず、アポトーシスに対し抑制的に働いていることが示された。

 したがって、審査員一同は、本人が博士(獣医学)の資格の内容を充分に有するとの結論に達した。

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