学位論文要旨



No 122495
著者(漢字) 趙,晶
著者(英字) Zhao,Jing
著者(カナ) チョウ,ショウ
標題(和) プロテオミクスによるマウスの網膜発生過程における膜蛋白質の網羅的同定とその機能解析
標題(洋) Comprehensive identification of mouse retinal membrane proteins by proteomic approach and functional analysis of these proteins in retinal development
報告番号 122495
報告番号 甲22495
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2791号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 客員教授 田口,良
 東京大学 助教授 金井,克光
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
内容要旨 要旨を表示する

神経網膜は7種の細胞からなる3層の層構造をなした組織であり、発生過程において,これらの網膜細胞が共通の多能性網膜前駆細胞より時間的順序に従って順に発生し、空間的に適切な位置へと配置することで形成される事が知られている。この網膜細胞分化過程において、これまでの研究により外因的シグナルとして様々な増殖因子、内因的分子機構として数多くの転写因子が各種網膜細胞への運命決定を制御する分子機構として関与することが明らかになってきた。しかし、各種網膜細胞分化過程における前駆細胞の特性の不均一性、外因的シグナルによる増殖制御、形態制御について未だよくわかっていなく神経発生学において一つの重要な研究課題と考えられている。そこで本研究では前駆細胞の単離とその特性評価を行ううえで必要となる細胞表面マーカーの同定、および前駆細胞における外因的シグナルを受容する分子環境を明らかにすることを目的とし、プロテオミクス技術を用いて胎生期と成体網膜細胞における膜タンパク質の網羅的発現プロファイルを作成、解析し機能解析を行った。

1) LC-MS/MSを用いた胎生期、成体マウス網膜における全膜タンパク質の網羅的発現プロファイルの作成と解析

胎生17日目および成体マウス網膜を摘出し液体窒素にて粉砕後、得られた細胞抽出物を遠心にて核、細胞残骸を分離しショ糖密度勾配遠心分離法を用いて膜タンパク質分画を濃縮しnanoflow LC-MS/MSにて解析した。その結果、成体マウス網膜において326個、胎生17日目マウス網膜において310個のタンパク質を同定した。続いて、これらの得られたタンパク質のうち胎生期において特異的に発現している13個のタンパク質に着目し、マウス網膜、脳、肝臓由来cDNAに対しRT-PCRを用いた発現解析を行った結果、質量分析で得られた結果どおり、これらのタンパク質は網膜の発生に伴って発現レベルが下がっていく事が確認された。また、これらのタンパク質の多くにおいて脳においても同様に発生に伴って発現減少する傾向がみられたが、biglycan,MARCKS-like protein, Connexin 50, Glycoprotein m6aの4種類のタンパク質においては脳においては発現レベルの低下が認められなかったことから、これらのタンパク質がマウス網膜発生過程において重要な役割を担っていると考え着目しMARCKS-like protein (MLP)とGlycoprotein m6aの2種のタンパク質に焦点を当て機能解析を行った。

2) マウス網膜発生過程におけるMARCKS-like proteinの機能解析

MARCKSは広範囲に存在するPKCの特異的な基質であり、このリン酸化はin vivoにおけるPKCシグナルの活性化の指標として用いられている。MARCKS-like proteinはウシMARCKSに対してアミノ酸レベルで52%の相同性を持っており、MARCKSと同様にPKCの基質として考えられている。これまでにMARCKS、MLPともに遺伝子欠損マウスが報告されており、MARCKS遺伝子欠損マウスは大脳皮質と網膜の層構造異常といった異常をきたし周産期に致死である。またMLP遺伝子欠損マウスにおいても神経管異常、脳の大きさの減少、網膜が薄くなるといった表現系を示すことが知られているが網膜において解析がなされていなかった。そこでまずMLPに対し、in situ hybridizationを用いて発生過程における発現パターンの解析を行った。その結果、胎生17日目において網膜神経芽細胞層、および神経節細胞層においてその発現が確認されたが、成体網膜での発現は認められなかった。次にマウス網膜対外培養系を用いてMLPの網膜発生過程における機能解析を行った。胎生17日目マウス網膜を摘出しレトロウイルスベクターを用いて網膜前駆細胞特異的にMLP遺伝子を導入した。この系では2週間の培養により成体網膜と同様に増殖、分化、移動し層構造を形成することが知られている。また用いたウイルスベクターにはIRES-EGFPカセットを用いているため遺伝子導入細胞はEGFPを共発現するためその分化系譜を解析できる。まずEGFP、MLP過剰発現細胞の各網膜細胞層における局在および分化系譜について解析を行った。その結果、各細胞層における局在、分化系譜には大きな変化は認められなかった。次にEGFP、MLP過剰発現細胞の増殖活性をBrdUの取り込み、抗Ki67抗体による免疫染色にて解析を行った。その結果、コントロールにおける培養3、4日目におけるBrdU取り込み細胞の割合はそれぞれ10.5%、7.5%であったのに対しMLP過剰発現細胞では有意に増加し19.2%、15.9%であった。続いてEGFP陽性の遺伝子導入された細胞における増殖能を再凝集培養法におけるコロニー形成能にて解析を行った。その結果コントロール、MLP過剰発現細胞における単一細胞のコロニーの割合はそれぞれ80%、60%であり、3細胞以上の細胞からなるコロニーはそれぞれ7.6%、21.9%であった。以上の結果から網膜体外培養系におけるMLPの過剰発現は網膜前駆細胞の分化系譜、細胞移動に影響を与えず、増殖を促進することがわかった。MLPにはMARCKSと保存された膜結合myristoylationドメイン、MH2ドメイン、calmodulin、actinとの結合に必要なeffector domainという3つのドメインを持っている。次に前駆細胞における増殖促進効果に必要なドメインを同定するためmyristoylationされないnon-myristoylation型、PKCによってリン酸化されない非リン化型、PKCによって常にリン酸化される活性型のMLP変異体を作成し解析を行った。その結果コントロール、野生型MLP過剰発現細胞においてKi67陽性細胞の割合がそれぞれ11.4%、25.2%であったのに対し、非リン酸化型MLPでは20.2%となった。一方、non-myristoylation型,活性化型のMLP変異体発現細胞においてはそれぞれ9.4%、11.4%ととなり、コントロールに対し大きな変化は見られなくなった。以上の結果よりMLPによる網膜前駆細胞の増殖の促進はeffector domainのリン酸化に依存していると考えられ、PKCによるリン酸化はMLPによる増殖促進効果を抑制すると考えられる。また、MLPによる増殖促進効果においてmyristoylationは必要であることが示唆された。

2) マウス網膜発生過程におけるGlycoprotein M6aの機能解析

Glycoprotein m6a (M6a)は中枢神経系の多くに存在する細胞膜タンパク質であり、これまでの研究により神経突起、糸状仮足、シナプス形成などにおいて重要な役割を担っていることが知られている。しかし、マウス網膜においてM6aの発現パターンの解析もこれまでなされていなくその役割について不明であった。まずM6aのマウス網膜組織に対する免疫染色を行った結果、胎生14日目網膜においてM6aは神経節細胞の軸策から構成される層である神経線維層、内網状層において発現が認められた。生後1、5、10日目網膜においては同様に内網状層において強く発現し、神経線維層、外網状層において弱い発現が確認された。また成体においても内網状層において弱く発現していることが確認された。この結果より、M6aは神経節細胞、アマクリン細胞といった細胞における神経突起の伸長、シナプス形成において寄与していることが考えられた。

次にマウス網膜体外培養系を用いてM6aのマウス網膜発生過程にいおける機能解析を行った。まずEGFP、M6a過剰発現細胞の網膜における各細胞層の局在、分化系譜についてMLPと同様に解析したが大きな差は見られなかった。続いて増殖活性について網膜体外培養系に培養3日、4日目にBrdUを加え解析を行った結果、培養3日目においてのみM6a過剰発現細胞ではBrdU取り込み細胞の割合がコントロールに比べ有意に増加した。また、再凝集培養法を用いたクローナルサイズの解析結果ではコントロールとM6a過剰発現細胞において有意差は確認できなかった。一方、M6aは神経細胞の神経突起の伸展に重要な役割を担っていることが知られていることから、M6a過剰発現細胞の細胞形態について網膜再凝集培養系を用いて解析を行った。培養8日後、EGFP陽性遺伝子導入細胞における細胞形態を観察し神経突起の長さについて解析した結果、コントロールでは神経突起の長さが30〜100μm、100〜200μmの細胞がそれぞれ4.46%、1.39%存在するのに対し、M6a過剰発現細胞においてはそれぞれ9.29%、4.76%と有意に増加することがわかった。これらの結果からM6aは網膜発生過程において一過性に増殖を促進する作用をもち網膜細胞の神経突起の伸展において重要な役割を持っていることが考えられる。

以上の結果より、プロテオミクス技術を用いた胎生期、成体網膜における膜タンパク質の網羅的解析は効率的に新規機能タンパク質を同定する有用な方法であり、本研究により同定された2つの膜タンパク質MLP、M6aは網膜発生過程においてそれぞれ細胞増殖、神経突起の伸展において重要な役割を担っていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は神経網膜細胞分化過程において重要な役割を演じていると考えられる外因的シグナルの受容による増殖制御、形態制御を明らかにするため、前駆細胞における細胞表面分子環境をプロテオミクス技術を用いたマウス胎生期と成体網膜細胞における膜タンパク質の網羅的発現プロファイルの作成から明らかにし、発現プロファイルから得られた分子の網膜発生過程における機能解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. nanoflow LC-MS/MSを用い、マウス胎生17日目、成体マウス網膜から調整した膜タンパク質分画における全膜タンパク質の網羅的発現プロファイルを作成し、RT-PCRを用いた発現解析を行うことで網膜発生と相関がある分子としてMARCKS-like protein (MLP), Glycoprotein m6aを同定した。

2. マウス網膜発生過程におけるMLPの発現パターンをin situ hybridizationを用いて発現解析を行った結果、発生期網膜前駆細胞、神経節細胞における発現が認められた。一方、Glycoprotein M6aに対して免疫染色を用いて発現解析を行った結果、発生期網膜において神経節、アマクリン細胞の神経突起で強い発現が認められた。

3. MARCKS-like proteinの機能解析を胎生17日目マウス網膜体外培養系にレトロウイルスを用いて前駆細胞特異的に過剰発現させることにて行った。その結果、遺伝子導入細胞の各網膜細胞層における局在、網膜細胞分化には影響を与えず前駆細胞の増殖を促進することが示された。膜遊離型のnon-myristoylation型、恒常的リン酸化型、膜局在型の非リン酸化型MLP変異体を作成し、胎生17日目マウス網膜体外培養系に導入し増殖に対する影響を解析した結果、恒常的リン酸化型、non-myristoylation型MLP変異体では増殖を促進できないことが示され、細胞膜に局在するMLPが網膜前駆細胞の増殖促進に関与することが考えられた。

4. Glycoprotein M6aの機能解析を胎生17日目マウス網膜体外培養系にレトロウイルスを用いて前駆細胞特異的に過剰発現させることにて行った。その結果、遺伝子導入細胞の各網膜細胞層における局在、網膜細胞分化には影響を与えず前駆細胞の増殖を一過性に促進することが示された。

5. マウス網膜再凝集培養法を用いた神経突起の解析からGlycoprotein M6aの過剰発現により神経突起の伸展が促進されることが示され、Glycoprotein M6aは前駆細胞の増殖を一過性に促進するものの神経突起の伸展に重要な役割を持つ分子であることが考えられた。

 以上、本論文はプロテオミクス技術を用いたマウス胎生期、成体網膜における膜タンパク質の網羅的解析から効率的に新規機能タンパク質を同定し、同定した2つの膜タンパク質MLP、Glycoprotein M6aは網膜発生過程において細胞増殖、神経突起の伸展において重要な役割を担っていることを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、神経網膜細胞分化過程における外因的シグナルの受容の場としての細胞表面分子環境の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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