学位論文要旨



No 122498
著者(漢字) 村田,千恵
著者(英字)
著者(カナ) ムラタ,チエ
標題(和) 脂質修飾タンパク質のプロテオーム解析
標題(洋) Proteomics approach for characterization of lipid-modified proteins
報告番号 122498
報告番号 甲22498
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2794号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 服部,成介
 東京大学 助教授 金井,克光
 東京大学 助教授 尾藤,晴彦
 東京大学 教授 矢冨,裕
内容要旨 要旨を表示する

 生体内の種々の機能の多くはタンパク質レベルで制御されており、病気の発症のメカニズムやその病態の把握においても、疾患特異的なタンパク質を解析するプロテオーム解析が重要である。プロテオーム解析法の一つに質量分析(Mass Spectrometry, MS)を用いる方法がある。MSは、プロテアーゼ等を用いて得られるペプチドの分子量やMS/MSによって生成されるペプチドのフラグメントイオンから配列の解析を行うことによって、タンパク質の同定や定量、翻訳後修飾の解明が可能なため、盛んに利用されている。

 現在、翻訳後修飾の一つである脂質修飾が注目され始めている。脂質修飾基は、主に脂肪酸アシル型(ミリストイル基、パルミトイル基)、イソプレニル型(ファルネシル基、ゲラニルゲラニル基)、glycosylphosphatidylinositol (GPI)アンカー型に分類される(Table)。脂質修飾基の多くは、不可逆的な結合で、修飾するアミノ酸やコンセンサス配列は決まっているが、パルミトイル基の修飾のみ可逆的な結合で、コンセンサス配列は未だに不明である。脂質修飾は、細胞膜への局在化だけでなく膜タンパク質の機能にも重要な役割を果たしており、特にパルミトイル基の可逆的な修飾によって、タンパク質立体構造の安定性、細胞膜間の移動やタンパク質間相互作用に関与することが報告されている。これまで、脂肪酸の安定同位体標識法、脂質修飾と予測されるアミノ酸部位の変異、パルミトイル基のビオチン置換標識法、脂質修飾の有無によるタンパク質の活性や分子量の測定によって、脂質修飾解析が行われてきた。しかし、これらの方法は、標的としているタンパク質の脂質修飾や一種類だけの脂質修飾の同定は可能だが、未知の脂質修飾タンパク質の同定や多種類の脂質修飾基を同時に解析することは困難である。また、MSを用いて脂質修飾タンパク質を同定した報告はあるが、脂質修飾ペプチドは修飾されていないペプチドと比べて疎水性が高く、イオン化効率が低いため、MSIMSによる修飾部位の同定は殆ど行われず、未だに有効な脂質修飾解析法が確立されていない。

 私は、脂質修飾ペプチドと修飾されていないペプチドの疎水性の違いに注目し、それぞれLCでの溶出時間が異なると予想し、それらを分離することによってタンパク質の同定と同時に脂質修飾の解析が可能ではないかと考えた(Fig. 1)。そこで、脂質修飾された標準ペプチド、オクタノイル基、ミリストイル基、ファルネシル基、パルミトイル基が修飾されたペプチドと脂質修飾されていないBovine serum albumin (BSA)ペプチドの混合溶液を調製し、C18逆相カラムを用いて、LCQ(Thermo)のdata dependent scan modeで測定を行い、脂質修飾されていないペプチドと脂質修飾ペプチドの分離条件の検討を行った(Fig. 2)。その結果、脂質修飾されていないペプチドは43分(溶媒B 80%)までに溶出され、39分(溶媒B 75%)以降から脂質修飾ペプチドが溶出されたことがわかった。オクタノイル基が修飾されたペプチドは、炭素数8の脂質修飾基で疎水性が低いため、脂質修飾されていないペプチドの溶出時間と重なったが、オクタノイル基以外の脂質修飾ペプチドは脂質修飾されていないペプチドより遅く溶出することができた。また、MS/MSのデータからMASCOT検索でそれぞれのペプチド配列や脂質修飾部位を同定することができた。脂質修飾ペプチドのフラグメントイオンは、脂質がアミノ酸に付加したままの分子量で検出されていることから、今後の脂質修飾の解析に有効であると思われる。さらに、脂質修飾ペプチドは逆相カラムに長時間保持され、有機溶媒を多く含む移動相(アセトニトリル;メタノール:水=6:7:2)で溶出されたことから、一回の測定で脂質修飾されていないペプチドと脂質修飾ペプチド両方の同定が可能になると考えられる。この方法は、複数の脂質修飾ペプチドの配列同定や修飾部位の決定ができ、既知だけでなく未知の脂質修飾タンパク質の解析も可能になると思われる。

 この方法を用いて、ラット脳内の脂質修飾タンパク質の解析を行った。脂質修飾タンパク質は、細胞膜、特にスフィンゴリン脂質やコレステロールを豊富に含む微小ドメイン(ラフト)に局在しているので、ショ糖密度勾配法でラフト画分のタンパク質を回収した。まず、タンパク質の高次構造を破壊するため、Dithiothreitol (DTT)とアクリルアミドで還元アルキル化した後、エンドプロテアーゼ(Lys-C)とトリプシンで酵素処理を行い、MS (LCQ)で測定を行った。その結果、133個のタンパク質をMASCOT検索で同定することができ、その中に三量体Gタンパク質などの既知の脂質修飾タンパク質が26個含まれていた。次に、脂質修飾ペプチドの解析を行った。脂質修飾タンパク質は合成された後、プロセッシングされて脂質が修飾されるため、既存のデータベースでは脂質修飾解析ができない。そこで、同定されたタンパク質の配列を調べ、脂質修飾が可能な配列に直したものを登録し、新しいデータベースを作成した。このデータベースを用いて脂質修飾を解析したところ、有機溶媒を多く含む移動相の溶出時間にミリストイル基が修飾された三量体Gタンパク質由来のペプチド(Giα-1,2 subunits、Gk α subunit、Go α subunits-1,2)を同定することができた。しかし、Gi α-1 subunit以外はN末端のミリストイル基の他に、N末端から二番目のCysにパルミトイル基が修飾されることがこれまでの論文で報告されているが、これらのペプチドのMS/MSデータから、Cysにアルキル基が修飾されていることがそれぞれのペプチドの分子量やフラグメントイオンからわかった。

 これは還元アルキル化の工程中に、パルミトイル基が脱離したため、そこにアルキル基が修飾されたと予想し、パルミトイル基が修飾された標準ペプチドを用いて原因を調べた。その結果、アルカリ性の溶媒によってパルミトイル基のチオエステル結合が不安定になり脱離されることがわかった。そこで、酸性条件下で還元アルキル化を行うことができるTris(2-carboxyethyl)phosphine hydrochloride (TCEP・HCI)を用いて脂質修飾解析の検討を行った。パルミトイル基などの脂質が修飾された標準ペプチドとBSAの混合溶液を調製し、TCEPを用いて還元アルキル化後、酵素処理を行い、MSで測定した。その結果、BSAのペプチドは還元アルキル化され、パルミトイル基などの脂質修飾ペプチドは、脂質が修飾された状態で検出された。パルミトイル基でなくアルキル基が修飾されたペプチドも僅かに検出されたが、これは還元アルキル化処理前からパルミトイル基が付いていないペプチドや還元アルキル化によってパルミトイル基が脱離したペプチドにアルキル基が修飾されたためと思われる。

 また、ラット脳のラフト画分をTCEPで還元アルキル化を行い、同様に酵素分解した後、MS (LCQ、LTQ)で測定を行った(Fig. 3)。LTQはLCQと比べ、ペプチドイオンをより多くトラップできるため高感度で、またイオン検出器が二カ所あることによりスキャンスピードが速くなったため、266個のタンパク質をMASCOT検索で同定することができ、その中に既知の脂質修飾タンパク質は53個含まれていた。この同定された266個のタンパク質だけを含むデータベースを作成し、脂質修飾解析を行ったところ、有機溶媒を多く含む移動相の溶出時間にミリストイル基やパルミトイル基やゲラニルゲラニル基が修飾されたペプチド(VILIP1、Gi α-1 subunit、Gk α subunit、Go α subunits 1,2、MARCKS、Rab-3A)を同定することができた。さらに、脂質修飾の報告のないSyntaxin binding protein 1 (Sec1)由来のパルミトイル基が修飾されたペプチドも同定することができた。Sec1は細胞質に局在しているが、細胞膜で膜タンパク質と結合することが報告されており、どのように膜へ移動するのかまだわかっていなかった。この結果から、Sec1は脂質修飾によって細胞膜へ移行する可能性が示唆された。

 脂質修飾タンパク質は、病気の発生や進行に関与することや病気のバイオマーカーとしての使用できる可能性を持つという報告から大きく注目されているが、未だに脂質修飾タンパク質として同定されていないものも多い。この脂質修飾解析法は、一回のMS測定によって、複数の脂質修飾タンパク質を同定することができ、同時に多種類の脂質修飾基や修飾部位を特定することが可能である。これまで多種類の脂質修飾基を包括的に同定した報告はないことから、この解析法は非常に有効であると思われる。さらに、この方法は、これまで脂質修飾の報告がないタンパク質の同定や脂質修飾が予測できないアミノ酸部位の同定も可能であると考えている。本研究の結果から、今後この手法が脂質修飾解析において有効な方法となりうることを確信している。

Table Biochemistry of lipid modifications

Fig. 1 Strategy

Because the most different physico-chemical property between lipidated peptide and non-lipidated peptide is hydrophobicity, lipidated peptide is postulated to elute after non-lipidated peptide by use of RPLC. I assumed that LC-MS method enables the identification of many peptides in both non-lipidated and lipidated proteins from the MS/MS data in early eluted range and the specification of lipidated peptides and their sites from MS/MS data in lately eluted range.

Fig. 2 Each elution time of non-lipidated and lipidated peptides by LC-MS

Total ion chromatography (TIC) of a peptide mixture of tryptic BSA peptides and 5 lipidated test peptides. The black downward arrows indicate the elution times for the tryptic BSA peptides, and the red arrows indicate those of the 5 lipidated test peptides. The MS profiles for each peptide are shown in (a-e). The lipidated peptide eluted as follows: octanoylated peptide (a), G-S-S (n-octanoyl)-FLSPEHQR, eluted at 39min; myristoylated peptide (b), myristoyl-KRTLR, eluted at 45min; palmitoylated peptide (c), KGLAGLPAS-C(palmitoyl)-LR, eluted at 56min; famesylated peptide (d), C(famesyl)-VIS, eluted at 57min; and myristoylated peptide (e), myristoyl-GQLARFFFSR, eluted at 65min.

Fig. 3 MS analysis of peptide mixture from lipid raft fraction of a rat brain and each elution time of lipidated peptides by LC-MS

TIC of peptide mixture from lipid raft fraction of a rat brain. Proteins were reduced with TCEP HCI, alkylated with acrylamide at acidic pH, and digested with Lys-C and trypsin. The black downward arrows indicate the elution times of the lipidated peptides (a)-(g) respectively. The lipidated peptides eluted as follows: syntaxin binding protein 1 (a), VILIP1 (b), Gi, alpha-1 subunit and/or Gk, alpha subunit (c), Go, alpha subunit 1 and/or 2 (d) and (f), MARCKS (e), ras-related protein Rab-3A (g).

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、タンパク質の機能調節に重要な役割を果たしている翻訳後修飾の一つである脂質修飾の網羅的な解析方法を確立するために、ラット脳のラフト画分を質量分析(Mass Spectrometry, MS)を用いて様々なタンパク質の同定や脂質修飾の解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. 脂質修飾されたテストペプチドと脂質修飾されていないテストペプチドの混合溶液を、C18の逆相カラムを用いたLC (Liquid Chromatography)-MS/MSで測定することにより、脂質修飾されたテストペプチドと脂質修飾されていないテストペプチドの分離が示された。さらに、脂質修飾解析のためのデータベースを作成し、検索を行ったところ、それぞれのペプチドを同定することが可能であることが示された。

2. 脂質修飾されたテストペプチドのMS/MSスペクトルの解析から、脂質修飾基はペプチドに結合したフラグメントイオンで検出された。この結果から、脂質修飾基の解析には脂質修飾基+アミノ酸の分子量のフラグメントイオンを探索することが有効であることが示された。

3. アルカリ性条件下で行う還元アルキル化方法では、パルミトイル基が脱離されることが示された。そのため、酸性条件下で脂質修飾解析を行う必要があることが示された。

4. MSを用いてタンパク質解析を行ったところ、ラットの脳のラフト画分から、266個のタンパク質を同定することができ、その中に既知の脂質修飾タンパク質は53個含まれていることが示された。

5. MSを用いて脂質修飾解析を行ったところ、ラットの脳のラフト画分から、既知の脂質修飾タンパク質のミリストイル基やパルミトイル基、ゲラニルゲラニル基が修飾されたペプチド、さらに、脂質修飾の報告がなかったSyntaxin binding protein1からパルミトイル基が修飾されたペプチドを同定することが示された。

6. MSで同定したタンパク質を翻訳後修飾される成熟タンパク質のアミノ酸配列に変えて登録した新しいデータベースを作成し、そのデータベースを用いて脂質修飾を解析することにより、多種類の脂質修飾ペプチドの同定が可能になり、包括的な脂質修飾タンパク質解析方法を確立することができた。

 以上、本論文は脂質修飾において、LC-MS/MSを用いた解析方法から、複数の脂質修飾タンパク質の同定と同時に脂質修飾基や脂質修飾部位の同定が可能になった。さらに、既知の脂質修飾タンパク質だけでなく、脂質修飾されると報告がなかったタンパク質の脂質修飾も解析する包括的な方法を確立することができた。本研究は、脂質修飾の生理的な役割やタンパク質の機能解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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