学位論文要旨



No 122503
著者(漢字) 山下,貴之
著者(英字)
著者(カナ) ヤマシタ,タカユキ
標題(和) ラット脳幹シナプスにおける伝達効率の決定・調節機構
標題(洋) Mechanisms Determining and Regulating Transmission Efficacy at the Brainstem Synapse of Rats
報告番号 122503
報告番号 甲22503
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2799号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河西,春郎
 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 助教授 尾藤,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

 化学シナプスにおいては、神経終末端内カルシウム濃度の上昇がシナプス小胞内伝達物質の開口放出の引き金となる。伝達物質放出の量子(小胞)仮説によれば、単一入力当たりの伝達効率(I)は神経終末端における放出可能シナプス小胞数(N)、各小胞の放出確率(p)および単一小胞当たりのシナプス応答(素量子)サイズ(q)によってI=N・p・qと定義される。これらパラメータのうちqは、小胞内伝達物質量、後シナプス受容体存在密度および小胞放出部位から後シナプス受容体までの距離の影響を受けて変化しうる。これらパラメータの変化は神経回路の開閉を通じて中枢神経系の機能に大きな影響を与え得る。したがって、脳機能をより良く理解するためには、これらパラメータの調節メカニズムを明らかにすることが必須である。本研究では、ラット脳幹のグルタミン酸作動性シナプスcalyx of Heldを用いてNとqの決定・調節機構について検討した。

1.放出可能小胞数Nの維持機構の検討

 神経伝達物質は神経終末端のシナプス小胞から開口放出(エキソサイトーシス)される。開口放出を終えたシナプス小胞膜は神経終末端の細胞膜に融合した後、エンドサイトーシスによって小胞を形成し再利用される。このシナプス小胞リサイクルシステムはNの維持に不可欠であるが、そのメカニズムの詳細には不明な点が多い。そこで私は脳幹の巨大シナプスcalyx of Held(生後7-9日齢)にホールセル・パッチクランプ法を適用して神経終末端の膜容量を測定することにより、シナプス小胞のエンドサイトーシスの速度と分子メカニズムについて検討した。

 まず、神経終末端の膜容量変化のすべてがシナプス伝達と関連しているか否かを検討するため、神経終末端とシナプス後細胞からの同時記録を行いながらボツリヌス毒素Eを神経終末端内に投与したところ、シナプス伝達は完全に停止し、神経終末端の膜容量変化の大部分は消失したが、時定数1秒以下の速い膜容量変化が残存した。この膜容量成分は、従来"kiss-and-run"型のエンドサイトーシスを反映するとされていたものであるが、この実験結果からシナプス伝達に関わらないことが明らかとなった。また、シナプス伝達に関連する膜容量成分の減衰時定数は10〜25秒であった。シナプス小胞エンドサイトーシスの平均時定数に相当するこの値は膜容量変化量に比例して大きい値を示した。

 Calyx of Heldの小胞リサイクルにはGTPの加水分解が必須である(Takahashi et al., 2000)が、リサイクルのどのステップに必要であるかは明らかでない。そこでエンドサイトーシスのGTP 結合(G)タンパク質依存性を検討した。Gタンパク質の活性を抑えるGDPアナログGDPβSを神経終末端内に投与するとエンドサイトーシスの速度が約2倍遅くなった。また、非加水分解性のGTPアナログGTPγSを神経終末端内に注入し、Gタンパク質によるGTPの加水分解を遮断すると、エンドサイトーシスはほぼ完全に阻害された。GTPγSは開口放出に対する即時的な効果を示さなかったが、GTPγS存在下では刺激回数に依存して開口放出量が減少し、約40回刺激後にシナプス伝達が完全に停止した。これらの結果から、小胞エンドサイトーシスおよびリサイクルにはGタンパク質によるGTPの加水分解が必要であると結論された。

 ショウジョウバエ神経筋接合部ではGタンパク質ダイナミン1が小胞エンドサイトーシスに必須とされているが、脊椎動物シナプスにおけるダイナミン1の役割は明らかでない。そこで、ダイナミン1のアンフィファイジンとの結合部位に相当しダイナミン1の機能を阻止するペプチドを神経終末端内に投与したところ、GTPγSと同様にエンドサイトーシス阻害と開口放出の使用依存性抑制が認められた。したがって、calyx of Held神経終末端における小胞エンドサイトーシスとリサイクルによるNの維持にはダイナミン1によるGTPの加水分解が必要不可欠であると結論された。

2.素量子サイズqの決定機構の検討

 単一シナプス小胞から放出される伝達物質は後シナプス受容体を飽和するため、qは専ら後シナプス受容体の密度および感度によって決定されるという考え(飽和仮説)が長い間支持されてきたが、近年、これに対立する不飽和仮説を支持する結果が報告されるようになってきた。最も直接的な証拠はcalyx of Heldにおいて神経終末端にグルタミン酸を注入して濃度を上昇させるとqが増大するという実験結果である(Ishikawa et al., 2002)。しかしながら、この結果は14-15日齢の未成熟動物から得られたものであって、生後発達を経た成熟シナプスにおいても不飽和仮説が成立するかは明らかでない。そこで、私は様々な日齢のラットのcalyx of Heldシナプスから記録を行って生後発達に伴うqの変化と、成熟動物における飽和仮説の再検討を行った。

 はじめに、自発性微小後シナプス電流(mEPSC)を解析したところ、生後発達に伴いmEPSCの発生頻度と平均振幅(q)が増大し、mEPSCの時間経過が短縮し、生後20-21日齢で安定することが明らかになった。

 次に、生後発達に伴うqの増大の原因が、後シナプス受容体の単一チャネルコンダクタンス(γ)の増大である可能性を検討した。mEPSCを構成するAMPA受容体のγをチャネルノイズ解析法(non-stationary fluctuation analysis)によって解析したところ、シナプスの成熟段階に関わらずγの測定値は一定であった。そこで、次に、生後発達に伴う単一小胞内グルタミン酸量の増加によってqが増大する可能性を検討した。AMPA受容体の低親和性拮抗阻害薬であるキヌレン酸によるシナプス応答の阻害効果は、シナプス間隙内グルタミン酸量が多いほど弱いことが知られている。そこで、13-14日齢と28-29日齢のラットのmEPSCに対するキヌレン酸の阻害効果を比較したところ、28-29日齢においてqの増大に伴ってキヌレン酸の阻害効果が弱くなることが観察された。これらの結果は生後発達に伴うシナプス小胞内伝達物質量の増加がq増大の一因であることを示唆する。

 そこで、増加した小胞内伝達物質が後シナプス受容体を飽和するか否かを成熟シナプスにおいて検討した。生後4週齢のラットのcalyx of Held神経終末端とシナプス後細胞から同時記録を行い、パッチ電極を介して高濃度グルタミン酸を終末端内に注入したところ、mEPSCの平均振幅qが約1.5倍に増加した。この結果から、成熟シナプスにおいても単一シナプス小胞から放出される伝達物質は後シナプスAMPA受容体を飽和しないと結論された。

 次に、生後発達を通じて不飽和仮説が成り立つか否かを、幼若ラット(生後7-8日齢)のcalyx of Heldを用いて検討した。この日齢のシナプスでは、小胞の放出確率(p)を上昇させても神経刺激によって誘発されるAMPA受容体を介する興奮性後シナプス応答(evoked EPSC)の振幅が増大しないことが知られている(Iwasaki et al., 2001)。シナプス前末端と後細胞から同時ホールセル記録を行い、前末端に高濃度のグルタミン酸を注入したところ、qが約1.4倍に増大し、calyx of Heldでは発達期を通じて後シナプスAMPA受容体が単一小胞由来のグルタミン酸によって飽和しないことが示された。

 一方、高濃度グルタミン酸注入によってevoked EPSCの振幅は増大しなかった。細胞外Ca(2+)/Mg(2+)濃度比を下げてpを減少させた後に同様の実験を行うとevoked EPSCの増大が観察された。これらの結果は複数の小胞に由来する伝達物質の重複によって受容体が飽和に達することを示唆する。

 しかし、この見かけ上の飽和にはAMPA受容体の脱感作が関与している可能性が考えられる。そこでcyclothiazide(CTZ)によってAMPA受容体脱感作をブロックした後、前末端に高濃度グルタミン酸を注入したところ、正常細胞外液においてもevoked EPSCの増大が観察され、見かけ上の飽和はAMPA受容体の脱感作による可能性が示唆された。そこでoutside-out patchへの急速投与法を用いてAMPA受容体の脱感作に必要な最低グルタミン酸濃度を検討したところ、1μM以上のグルタミン酸の持続投与によってAMPA受容体の脱感作が観察された。0 mM Mg(2+)液下で後シナプス細胞から記録されるNMDA受容体電流ノイズを解析したところ、後シナプス細胞周囲のグルタミン酸の定常濃度は55nMと推定され、定常的に存在するグルタミン酸は受容体飽和には関わらないことが示唆された。

 幼若calyx of HeldにおいてCTZはevoked EPSCの振幅を増大させるが、同時にAMPA受容体のグルタミン酸に対する親和性も高めることが知られている。そこで、outside-out patchへの急速投与法によりAMPA受容体電流の振幅に対するCTZの効果を検討したところ、CTZは飽和濃度のグルタミン酸投与によるAMPA受容体電流の振幅を増大させたことから、CTZによるevoked EPSCの増大はAMPA受容体の親和性向上によるものではないことが示唆された。これらの結果から、幼若calyx of Heldにおいては、小胞由来のグルタミン酸によってAMPA受容体が即座に脱感作し、飽和に達すると結論された。

 本研究により、神経終末端におけるダイナミン依存的シナプス小胞エンドサイトーシス・シナプス小胞内伝達物質量及び後シナプス受容体の脱感作と飽和は、シナプス伝達効率を調節・決定する重要因子であることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は化学シナプスにおける伝達効率の調節メカニズムを明らかにするため、ラット脳幹のグルタミン酸作動性シナプスcalyx of Heldを用いて放出可能小胞数と素量子サイズの決定・調節機構について検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.ボツリヌス毒素Eの神経終末端内に投与し、神経終末端およびシナプス後細胞から同時パッチ・クランプ記録を行うことにより、従来"kiss-and-run"型のエンドサイトーシスを反映するとされていた時定数1秒以下の速い膜容量変化がシナプス伝達に関わらないことが示された。一方、シナプス伝達に関連する小胞エンドサイトーシスの時定数は10~25秒でありエキソサイトーシス量に比例することが示された。

 2.GTPアナログGTPγSおよびダイナミン1ペプチドの神経終末端内への投与により、小胞エンドサイトーシスの停止と使用依存的シナプス抑圧が引き起こされることが示された。したがって、calyx of Held神経終末端における小胞エンドサイトーシスとリサイクルによる放出可能小胞数の維持にはダイナミン1によるGTPの加水分解が必要不可欠であると結論された。

 3.自発性微小後シナプス電流(mEPSC)の平均振幅が生後発達に伴い増加することが示された。また、mEPSCの発生頻度・時間経過も生後発達に伴い変化するが、これらパラメータの変化はすべて生後20-21日齢で安定することが示された。

 4.mEPSCを構成するAMPA受容体のチャネル・ノイズ解析により受容体の単一チャネル・コンダクタンスは生後発達によって変化しないことが示された。また、キヌレン酸のmEPSCの振幅に対する効果が発達変化を示したことから、単一小胞内伝達物質量が発達に伴って増加すると結論された。

 5.生後28-29日の成熟シナプスにおいて、神経終末端内に100 mMグルタミン酸を投与することにより、mEPSCの平均振幅が増大することが示された。したがって、単一小胞内伝達物質量が増加していると結論された成熟シナプスにおいても後シナプス受容体は飽和していないと考えられた。

 6.幼若calyx of Heldにおいて、神経終末端内に100 mMグルタミン酸を投与することによりmEPSCの平均振幅が増大する一方、神経刺激誘発性後シナプス電流(eEPSC)の振幅には変化がないことが示された。細胞外Ca(2+)/Mg(2+)濃度比を下げて放出確率を減少させた後に同様の実験を行うとeEPSCの増大が観察されたことから、複数の小胞に由来する伝達物質の重複によって受容体が飽和に達すると考えられた。

 7.幼若calyx of Heldにおいて、cyclothiazide(CTZ)によってAMPA受容体脱感作をブロックした後、前末端に高濃度グルタミン酸を注入したところ、正常細胞外液においてもeEPSCの増大が観察され、AMPA受容体の飽和に受容体脱感作が関与することが示された。

 8.幼若ラットにおけるoutside-out patchへの急速投与法およびNMDA受容体チャネル・ノイズ解析により、細胞周囲に定常的に存在するグルタミン酸濃度は受容体を脱感作するには不十分であることが示された。さらに、CTZは飽和濃度のグルタミン酸投与によるAMPA受容体電流の振幅を増大させることから、幼若シナプスにおいては小胞由来のグルタミン酸によってAMPA受容体が即座に脱感作し、飽和に達すると結論された。

 以上、本論文は、ラット脳幹シナプスcalyx of Heldにおいて、ダイナミン依存的シナプス小胞エンドサイトーシス・シナプス小胞内伝達物質量及び後シナプス受容体の脱感作と飽和が、シナプス伝達効率を調節・決定する重要因子であることを明らかにした。本研究は、神経回路の開閉を通じて中枢神経系の機能に大きな影響を与え得るシナプス伝達効率の調節メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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