学位論文要旨



No 122505
著者(漢字) 河合,幹彦
著者(英字)
著者(カナ) カワイ,ミキヒコ
標題(和) 細菌のゲノム多型形成過程の再構築
標題(洋) How bacterial genomes change : attempts to reconstruct genome rearrangements through genome comparison
報告番号 122505
報告番号 甲22505
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2801号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笹川,千尋
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 助教授 堀本,泰介
 東京大学 助教授 中川,一路
 東京大学 講師 小田原,隆
内容要旨 要旨を表示する

 すべての生き物が、その個体独自の遺伝情報のセット(ゲノム)を持っている。ゆえに、ゲノム構造がどのようにできているのか、どのように変わってきたのか、どんな機構がその変化の過程を担っているのか、といった問いは、生命の理解にとっての基本的な問いである。

 ゲノム配列はある時点でのある生物のゲノムのスナップショットにすぎない。しかし、近縁のゲノム配列を比較することで、そのゲノムに特異的な領域を同定したり、逆位・転移といったゲノムの構造の違いはどのような機構で生じるのかといった、ゲノム構造の経てきた変化を、塩基配列の比較から推定することができる。本研究では、in silicoでの近縁ゲノム比較からゲノム構造の変化を探ることを目的とした。

 2006年9月末の時点で合計406(真正細菌355,古細菌28,真核生物23)のゲノムが完全解読され公開されており、そのうち、68属で同じ属の複数のゲノムが解読されている。この中から,本研究では、Neisseria属の細菌に着目した。Neisseria属は、現在、互いに近縁な3株の髄膜炎菌(N. meningitidis)とやや遠縁の淋菌(N. gonorrhoeae)1株の計4株のゲノム配列が解読されて公開されている。これらは、互いに塩基配列の一致度が高く、塩基配列での比較が可能なので、ゲノム構造がどのように変化してきたかを検討できた。大規模な逆位・転移などの多型を巨視的に把握し、多型の境界は塩基配列のアラインメントで個別に調べた。

1. 繊維状ファージのゲノムへの組み込み機構の推定

 N. meningitidis MC58株ではN. meningitidis Z2491株と比べると、ゲノムのほぼ半分にわたる大きな逆位がある。この逆位の末端には、3キロ塩基(kilo basepairs; kb)と7 kbの二組の重複配列があった。3 kbの重複と同じ配列がゲノム上の別の場所にもう一つあった。この領域にコードされる遺伝子と相同な遺伝子が同じ順序で並んだ領域が他に複数あり、それらは過去に詳しく調べられていないバクテリオファージ(ファージ)だった。コードされる遺伝子のアミノ酸配列の特徴から、このファージは繊維状ファージであることがわかり、Nf (Neisserial filamentous phage)と名付けた。

 一般に繊維状ファージは、ファージ粒子中では環状一本鎖DNAであり、細菌に感染すると環状二本鎖DNAになる。現在知られている繊維状ファージには大腸菌のM13ファージなどのようにそのまま環状ゲノムで複製するものと、宿主細菌の染色体に組み込まれるものとが知られている。組み込まれる繊維状ファージは、組み込み機構として、宿主細菌のコードする部位特異的組換え酵素を使うものと、ファージ自身がコードするチロシンタイプの組み込み酵素によるものが知られている。

 NfファージはNeisseriaのゲノム上に7から8 kbの完全長のものと断片化したものとがあり、完全長のものは4つのNeisseriaのゲノム上に11コピーあり4つのゲノムで互いにそれぞれ別の場所に入っていた。ファージの一方の端には共通してIS110ファミリーのトランスポゼースのホモログpivNM/irgがあった。このIS110ファミリーのトランスポゼースは、アスパラギン酸(D)とグルタミン酸(E)からなる4つの残基が保存されておりDDEトランスポゼースやレトロウイルスの組み込み酵素を含むタンパク質ファミリーに属し、ファージのインテグレースとしてよく見られるチロシン組換え酵素やセリン組換え酵素のモチーフは持たないことが知られている。Nfプロファージには他にインテグレースとして働きうる遺伝子はコードされておらず、また、宿主細菌の部位特異的組換え酵素が認識するシス配列もなかった。

 このファージの挿入部位を比較検討した結果、ファージの末端の数塩基が保存されており、完全長のものは両端を2塩基CTで挟まれていることがわかった。相同な遺伝子セットを持つプラスミドや、pivNM/irgトランスポゼースに相同なトランスポゼースをコードするトランスポゾンと比較検討し、このファージは末端の2塩基CTを介して環状化と組み込みを行うと推測できた。CTの2塩基で環状化するとの予測は、相同な遺伝子セットを持つプラスミドがNfファージが環状化した場合にできると予測される境界の配列と同じ数塩基の配列を持つことからも支持された。この環状化が起きた場合には、環状ファージゲノム上にプロモーター様の配列ができることを見いだした。ファージのライフサイクルの制御に関係している可能性がある。

 これらのことからファージのコードするトランスポゼースPivNM/Irgがこのファージの環状ゲノムを染色体に組み込む組み込み酵素として働いたのだろうと結論した。ゲノム上にはNfファージがさらに再編した形のコピーもあった。これらの再編成にもファージのトランスポゼースが関係していることを示した。

 ファージの組み込み酵素にトランスポゼースが働く例としてMuファージが知られている。Nfファージはファージの種類、コードするトランスポゼースのどちらもMuとは異なる。一方、Nfファージのトランスポゼースを含むIS110トランスポゼースファミリーは、過去に部位特異的な逆位を起こすinvertaseとして働くものとトランスポゾンとして働くものとが知られている。Nfファージの例と合わせ、1つのファミリーが部位特異的組換え反応の代表的な3種類の機能を含む他に例のないファミリーであることになる。繊維状ファージとIS110トランスポゼースは各々幅広い細菌から見つかっているが、この二つが組み合わさった例はNeisseria属とNeisseriaに属レベルで近縁な細菌にしか見つからなかった。このことは、これらの細菌で、両者の組み合わせが生じ、ファージが新しい染色体への組み込み機構を獲得したということを示唆する。

2. ゲノム多型の形成過程の再構築

 近縁のゲノム配列の比較から、逆位・転移といったゲノム多型がどのように生じたか考察できる。一般に、両端に逆方向反復配列がある逆位の場合、それらの間の組み換えによってその逆位が生じたと推測する。

 4つのNeisseriaゲノムの比較から見いだしたゲノムの領域の並び方に違いのあるゲノム多型について、それらがどのように生成したかの過程を再構築することを試みた。これらは逆方向反復配列を伴う一回の逆位では説明のできない複雑な構造をしている多型だった。

 ある領域がもう一方のゲノムでは別の場所に移っているように見える多型は、ISの転移に伴う2回の逆位で説明できた。3つの領域の並びが逆の順序になっている多型では、一方のゲノムにだけ、境界に同じファミリーのISが入っていた。この多型はそれらのISの転移に伴う3回の逆位で説明できた。別の多型では、隣接する2つの領域の並びが逆になるとともにゲノムの違う場所に移っていた。この多型はISが転移するのに伴って切り出された中間体の環状DNAが、ファージ同士の組み換えで別の場所に組み込まれてできたと考えられる。別の多型では、逆位の境界に一方のゲノムにだけ、株特異的な領域が入っていた。この多型は、現在では2か所に分断されている株特異的な領域がはじめは一つの環状DNAをなしていて、それが染色体に組み込まれたあとに逆位を起こしたとして説明できた。

 このように一見すると相同領域の断片化が進んで複雑な形に見える多型も、単純な逆位や挿入の数回の繰り返しで生じたと考えられることを示した。観察したゲノム多型には、特定のISやバクテリオファージが関係しており、それらの活性との関わりが示唆された。

 見たところ複雑な多型が、動く遺伝因子を介した少数の単純なステップから生じるだろうという知見は、互いに塩基配列レベルでの保存性が低いゲノムの間で、ゲノム構造の違いがどのようにできてきたかを考えるうえでも参考になると考えられる。

 以上のNeisseria属細菌におけるゲノム比較の結果から、ゲノム配列比較という手法の有効性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、近縁のゲノム配列を比較するという手法でゲノム構造の変化を探ることを目的として、計4株のゲノムが解読されて公開されているNeisseria属細菌のゲノム塩基配列を比較して得られた知見をまとめたものであり、下記の結果を得ている。

1. 過去に詳しく調べられていなかった重複配列を解析し、塩基配列の比較やコードされる遺伝子のアミノ酸配列の特徴から、それらは繊維状バクテリオファージ(ファージ)が染色体に組み込まれたプロファージであることを明らかにし、Nf (Neisserial filamentous phage)と名付けた。

 Nfファージの一方の端には共通してIS110ファミリーのトランスポゼースのホモログがあることを示した。Nfプロファージには他に組み込み酵素として働きうる遺伝子はコードされておらず、また、宿主細菌の部位特異的組換え酵素が認識するシス配列もなかった。このファージの挿入部位を比較検討した結果、ファージの末端の数塩基が保存されており、完全長のものは両端を2塩基CTで挟まれていることがわかった。相同な遺伝子セットを持つプラスミドや、このトランスポゼースに相同なトランスポゼースをコードするトランスポゾンと比較検討し、このファージは末端の2塩基CTを介して環状化と組み込みを行うと推測できた。これらのことからファージのコードするトランスポゼースがこのファージの環状ゲノムを染色体に組み込む組み込み酵素として働いたのだろうと結論した。

 ゲノム上にはNfファージが再編した形のコピーもあった。ファージのコードするトランスポゼースが行うと考えられる反応機構や逆向き反復配列がゲノム上で不安定であるという知見を組み合わせることで、これらの形成過程を推測した。

 繊維状ファージとIS110トランスポゼースは各々幅広い細菌から見つかっているが、塩基配列やアミノ酸配列のデータベース検索から、この二つが組み合わさった例はNeisseria属とNeisseriaに属レベルで近縁な細菌にしか見つからないことを示した。このことから、Neisseria属に近縁な細菌で両者の組み合わせが生じ、ファージが新しい染色体への組み込み機構を獲得した可能性を示唆した。

2. 4つのNeisseriaゲノムの比較から見いだしたゲノムの領域の並び方に違いのある複雑な構造をしているゲノム多型について、それらがどのように生成したかの過程を再構築することを試みた。

 ある領域がもう一方のゲノムでは別の場所に移っているように見える多型は、ISの転移に伴う2回の逆位で説明できた。3つの領域の並びが逆の順序になっている多型では、一方のゲノムにだけ、境界に同じファミリーのISが入っていた。この多型はそれらのISの転移に伴う3回の逆位で説明できた。別の多型では、隣接する2つの領域の並びが逆になるとともにゲノムの違う場所に移っていた。この多型はISが転移するのに伴って切り出された中間体の環状DNAが、ファージ同士の組み換えで別の場所に組み込まれてできたと考えられる。別の多型では、逆位の境界に一方のゲノムにだけ、株特異的な領域が入っていた。この多型は、現在では2か所に分断されている株特異的な領域がはじめは一つの環状DNAをなしていて、それが染色体に組み込まれたあとに逆位を起こしたとして説明できた。同じ組換え点で起きた2種類の再編で説明できた多型もあった。pilE/S遺伝子カセットがN. meningitidisではゲノム上の1か所に集まっているのに対し、N. gonorrhoeaeでは2か所にあるという過去の知見は、この多型が生じる過程で起きたとして説明できることを明らかにした。

 このように一見すると相同領域の断片化が進んで複雑な形に見える多型も、単純な逆位や挿入の数回の繰り返しで生じたと考えられることを示した。観察したゲノム多型には、特定のISやバクテリオファージが関係しており、それらの活性との関わりが示唆された。

 以上、本論文はNeisseria属細菌のゲノム塩基配列を用いて、ゲノム比較から、バクテリオファージの新しい組み込み機構やゲノム多型の形成機構を推定した。本研究は、近縁ゲノム比較という手法の有用性を実証したと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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