学位論文要旨



No 122506
著者(漢字) 米田,光宏
著者(英字)
著者(カナ) ヨネダ,ミツヒロ
標題(和) 細胞増殖抑制ファミリータンパク質ANAの発現と機能解析
標題(洋)
報告番号 122506
報告番号 甲22506
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2802号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 渡邊,すみ子
 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 助教授 三木,裕明
 東京大学 助教授 宮澤,恵二
内容要旨 要旨を表示する

 TGF-β(transforming growth factor-beta)シグナルは肺癌を含む癌の発生および進展に関与していることが明らかとなっている。TGF-βは、腫瘍発生の初期には腫瘍細胞の増殖を抑制し、ある程度進行した癌細胞になると増殖抑制作用が失われ、浸潤・転移を促進する。実際に、ある種の腫瘍細胞においては、TGF-β受容体はしばしば発現が抑制されるか、もしくはTGF-β受容体自身に遺伝子変異が起きており、TGF-βによる細胞増殖制御に異常が生じている例がある。TGF-βで伝達されるシグナルの多くはSmadと呼ばれる分子を介する。特異型SmadであるSmad2, Smad3は活性化されたI型受容体に結合し、I型受容体によって直接リン酸化を受ける。リン酸化されたSmad2, Smad3はI型受容体から離れ、共有型SmadであるSmad4と複合体を形成し核内に移行する。この複合体は核内で種々の転写因子やp300などの転写共役因子と結合することによって、標的遺伝子の転写を調節する。

 ANA/BTG3は、Tob, Tob2, BTG1, PC3/TIS21/BTG2, PC3B/BTG4と細胞増殖抑制タンパク質ファミリー(Tob/BTGファミリー)を形成している。ANA/BTG3は、Tob/BTGファミリーに相同性のある分子として同定され、胎生期の脳のneuroepithelial areaによく発現していることから、ANA(Abundant in Neuroepithelium Area)とも呼ばれている(以降はANAと呼ぶ)。Tob/BTGファミリータンパク質は、以下に示す3つの類似点を有している。(I)N末端側約110アミノ酸からなる領域がファミリー間で高い相同性を示し、各分子の細胞増殖抑制活性に必須な領域である。(II)培養細胞に強制発現させると細胞増殖を抑制する。(III)Smad, Cnot7, HoxB9などの転写因子、及び転写調節因子と相互作用する。特にANA, Tob, Tob2, PC3B/BTG4に関しては、細胞周期のG0/G1期からS期への進行を阻害することが示されている。これまでにTob/BTGファミリータンパク質の機能が細胞の増殖・癌化に与える影響について、いくつかの知見が得られている。PC3/TIS21/BTG2は癌抑制遺伝子Rbやp53と協調しあうことで、活性化型Rasによる細胞の形質転換を抑制することが示された。TobについてはErk1, 2によるTobのリン酸化がTobの増殖抑制活性を制御し、tob遺伝子欠損マウスは高頻度に腫瘍を形成するという報告がなされている。このようなTob/BTGファミリータンパク質の分子機能の異常は、実際にヒト癌の発症においても関与している可能性が示唆されている。Tobは肺癌で発現低下が認められ、予後の悪い甲状腺乳頭癌や肺腺癌では不活性化したTobに相当するリン酸化の亢進が確認され、甲状腺未分化癌ではTobの発現が検出できない程度にまで低下していた。BTG2の発現低下も乳癌、腎細胞癌や腎細胞癌由来細胞株などで観察されている。このようにTob/BTGファミリー分子は、細胞増殖・腫瘍形成・癌と密接に関係していると考えられるが、その分子メカニズムやヒト癌の発症への具体的な影響については、まだ不明な点が多い。

 日本人の肺癌による年間死亡者数は約6万2千人であり(癌で亡くなった方は約33万人)、1993年からは肺癌は男性の臓器別癌死亡数の第1位となり、女性では胃癌に次いで第2位となっている。肺癌は、組織学的に小細胞癌と非小細胞癌の2つの型に大きく分類される。非小細胞肺癌は、さらに腺癌、扁平上皮癌、大細胞癌、腺扁平上皮癌などの組織型に分類される。中でも、腺癌は我が国で最も発生頻度が高く、男性の肺癌の40%、女性の肺癌の70%以上を占めている。世界的にも肺癌を発症する人は増加傾向にあり、従来の外科手術や化学療法および放射線治療に加え、分子標的治療薬が新たに開発されたにもかかわらず、肺癌患者の5年生存率は25〜30%といわれている。喫煙は、K-ras, p53などの遺伝子変異をもたらすため、肺癌との関連がいわれているものの、喫煙者のせいぜい15%くらいにのみ肺癌は発症する。また、発癌にはRbタンパク質やp53タンパク質の活性調節機構の破綻が重要であり、肺癌においてもp53遺伝子の変異は小細胞癌のおよそ90%、非小細胞癌の約半数に、Rb遺伝子の不活性化は小細胞癌の90%、非小細胞癌の15%にみられ、Rb経路の一つと考えられるp16遺伝子の不活性化は小細胞癌では稀だが、非小細胞癌ではおよそ70%に認められる。しかし、これらp53・Rb経路の不活性化が全ての肺癌検体で認められるわけではない。このように、肺癌発症の分子機構は未だ不明な点が多く、新たな治療法の確立が待望されている。

 本研究では、Tob/BTG増殖抑制因子ファミリーに属するANAの個体、細胞レベルでの解析を行った。個体レベルでの解析のために、ANA遺伝子座のTob/BTGファミリータンパク質に相同性の高い領域をコードするエクソンをNLS-LacZ遺伝子およびネオマイシン耐性遺伝子と置換することにより、ANA遺伝子欠損(ANA-/-)マウスを作製した。ANA-/-マウスは、メンデルの法則に従った割合で生まれ、見かけ上、正常に生育する。このマウスについて、野生型マウスとの全身組織構造の比較検討を網羅的に行なったが、ANA-/-マウスにおいて、肺を含む種々の組織に特に目立った異常は見られなかった。しかし、長期飼育したANA-/-マウスでは、高頻度に腫瘤形成が観察され、肺の腫瘤については組織学的に腺腫および腺癌であると診断された。肺において、BTG2, Tob, Tob2が気管支上皮細胞に限局、もしくは気管支上皮細胞優位に発現していた。一方でANAは、I型肺胞上皮細胞や気管支上皮細胞には発現は認められず、腺癌の主な由来と考えられている、II型肺胞上皮細胞に特異的に発現していることが明らかになった。ANAの発現量と肺癌の関連を調べるために発現解析を行ったところ、ANA遺伝子は正常肺組織に高い発現を示す一方で、ヒト肺癌由来細胞株および肺癌組織、特に肺腺癌組織において、発現が低下していることが分かった。これらのことはANAがマウス個体において腫瘤、及び腫瘍形成を抑制する作用を持っていることを示しており、ヒトの癌発症にも関わる可能性を示唆している。肺癌以外でもANA遺伝子そのものが発現低下している例が口腔の扁平上皮癌由来細胞株の88.9%(8/9)、口腔の扁平上皮癌の60.0%(12/20)ですでに確認されている。ANA遺伝子のホモ欠失の例も、本研究で用いた肺癌由来2細胞株(Ma17細胞とHCC366細胞)および、口腔の扁平上皮癌の1症例で同定されている。以上のように、ANA遺伝子の発現低下は肺癌を含む複数の癌で認められており、実際に腫瘍形成や癌発症の原因となっていることを明らかにしていくことが重要と考えられる。

 TGF-β刺激後に誘導される、サイクリン依存性キナーゼ阻害分子であるp21(CIP1)やp15(INK4B)の発現には、Smad2が主要な役割を果たしており、Smad2変異と癌細胞の異常増殖との関わりが深いことを示す報告が数多く存在する。一方、TGF-βによる腫瘍進展を有利にする働き、すなわち細胞外マトリックス・プロテアーゼなどの発現誘導はSmad3依存性であり、Smad2の関与は小さい。本研究により、ANAはSmad2とは結合せず、Smad3と特異的に結合することが明らかになった。また、TGF-β response elementでの転写活性をみるLuciferase assayにおいて、Smad3を共発現させた場合でも、転写の活性化を抑制していた。さらに、肺癌由来細胞株にANAを強制発現させると、増殖にはあまり大きな影響はないにもかかわらず、浸潤・転移に関わると考えられているTGF-β標的分子のMMP2やPAI-1の発現量が減少することを見いだした。従って、ANAは癌細胞の増殖には大きく関与せず、Smad3と結合することにより、選択的に癌の浸潤・転移に関わるTGF-βシグナルを制御している可能性が強く示唆された。PAI-1は、TGF-β刺激後の転写活性化や発現の制御は、Smad2に比してSmad3により依存的であることが知られており、ANAによるPAI-1発現制御は、さらにその可能性を支持している。Smad3の制御に影響を与えるような異常は癌細胞の浸潤・転移と関わりが深いと考えられるが、現在までにヒトの腫瘍においてSmad3自身の遺伝子変異は報告されていない。ANAがSmad3の制御の候補分子になるかどうか検討するのは大変興味深い。

 ANAはSmad3と結合し、TGF-βシグナルを抑制することによって、肺腺癌を含む腫瘍の進展、とりわけ浸潤・転移に関与する可能性が示唆された。本研究による知見は、ANAの発現低下と肺腺癌の浸潤、転移能の獲得に深い関わりを想像させるものであり、今後の癌研究にとっても重要な指標になると考えられる。ANA-/-マウスにおいて肺腺癌を含む腫瘤の形成が高頻度に観察されたが、肺以外の腫瘤についても実際にそれらが腫瘍であるかどうか、そしてその場合の悪性度を解析していくことで、ANAが癌細胞の浸潤、転移の制御に関わっているのかを確認する必要がある。また、ANAと癌、特に肺腺癌の進展との関連性の追求から、今後癌の診断や治療法を探る上で重要な知見が得られるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、細胞増殖・腫瘍形成・癌と密接に関係していると考えられているTob/BTG増殖抑制因子ファミリーに属するANAの癌発症への影響やその分子メカニズムを明らかにするため、ANA遺伝子欠損(ANA-/-)マウスによる個体レベルでの解析やヒト肺癌由来細胞株を用いた細胞レベルおよび分子生物学的な解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.ANA遺伝子座のTob/BTGファミリータンパク質に相同性の高い領域をコードするエクソンをNLS-LacZ遺伝子およびネオマイシン耐性遺伝子と置換することにより、ANA(-/-)マウスを作製した。病理学的な解析を行い、長期飼育したANA(-/-)マウスにおいて、肺腺癌を含む腫瘤形成が高頻度に観察され、ANAは、マウス個体において腫瘤および腫瘍形成を抑制する作用をもつ事が示された。

2.ノーザンブロット解析により、ANAは正常肺組織に高い発現を示し、またreal-time RT-PCR法を用いた解析により、肺癌由来細胞株および肺癌組織において、 ANAの発現が低下している事が示された。さらに、X-gal染色による組織学的解析により、ANAは腺癌の主な由来と考えられているII型肺胞上皮細胞に特異的に発現している事を見出した。ANAの発現低下が肺癌、中でも肺腺癌発症に何らかの影響を及ぼすことが示唆された。

3.ANAはサル腎臓由来細胞株(COS7)の過剰発現による免疫共沈実験を行い、Smad3およびSmad7と相互作用する事が示された。また、ヒト肺腺癌由来細胞株(A549)を用いたTGF-β response elementでの転写活性をみるLuciferase assayにおいてANAを強制発現させることにより、TGF-β依存的な転写活性化が低下する事を見出した。

4.TGF-βによる腫瘍進展を有利にする働き、すなわち細胞外マトリックス・プロテアーゼなどの発現誘導はSmad3依存性であり、Smad2の関与は小さいといわれている。本研究の結果より、ANAはTGF-β刺激により伝わるシグナルを抑制する機能を持つが、Smad2とは結合せず、Smad3と特異的に結合することが明らかになった。また、TGF-β response elementでの転写活性をみるLuciferase assayにおいて、Smad3を共発現させた場合でも、転写の活性化を抑制していた。さらに、ヒト肺癌由来細胞株にANAを強制発現させると、浸潤・転移に関わっているTGF-β標的分子のMatrix metalloproteinase2 (MMP2) や Plasminogen activator inhibitor-1 (PAI-1)の発現量が減少する事が示された。従って、ANAはSmad3と結合することにより、選択的に癌の浸潤・転移に関わるTGF-βシグナルを制御している可能性が示唆された。PAI-1はTGF-β刺激後の転写活性化や発現の制御は、Smad2に比してSmad3により依存的であることが知られており、ANAによるPAI-1発現制御は、さらにその可能性を支持している。

 以上、本論文はANAが、Smad3と結合することで、TGF-βシグナルに抑制的に働き、肺腺癌を含む腫瘍の進展の進展、主に浸潤・転移に関与する可能性を示唆した。また、長期飼育したANA(-/-)マウスにおいて、実際に腫瘍が形成される事を明らかにした。 本研究は、これまで未知に等しかった、ANAの発現低下と癌の進展との関連性の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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