学位論文要旨



No 122507
著者(漢字) 徳田,恵美
著者(英字)
著者(カナ) トクダ,エミ
標題(和) PI3K-Aktシグナル伝達経路の活性制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 122507
報告番号 甲22507
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2803号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 助教授 三木,裕明
 東京大学 講師 梁,幾勇
 東京大学 助教授 千葉,滋
内容要旨 要旨を表示する

 通常,細胞は生存とアポトーシスのシグナル伝達経路をバランスよく制御している.しかし,がん細胞ではアポトーシスシグナル伝達経路が抑制され,生存シグナル伝達経路が亢進していることが知られている.このような細胞において活性化が見られる主要な経路にPI3K-Aktシグナル伝達経路がある.AktはT細胞リンパ腫を引き起こすレトロウイルスAKT8の原癌遺伝子v-aktの細胞性ホモログとして同定されたセリン/スレオニンキナーゼである.増殖因子刺激などにより活性化したPI3Kは細胞膜上にPtdIns(3,4)P2およびPtdIns(3,4,5)P3を産生する.AktとそのキナーゼであるPDK1はこれらのイノシトールリン脂質と結合することで細胞膜に移行し,Aktは膜上でリン酸化されることにより活性化する.活性化したAktはさまざまな基質をリン酸化することでアポトーシスを抑制し,生存,増殖を促進する.これまでにAktの下流については多くの基質が同定されており詳細な機構が明らかにされつつある.しかし,Aktの活性化がどのように制御されているかについてはほとんど明らかになっていない.そこで,本研究ではAktの活性制御機構の解析を行った.

 AktはPHドメインと呼ばれるイノシトールリン脂質に結合するドメインを持ち,ここでPtdIns(3,4)P2およびPtdIns(3,4,5)P3と結合する.PHドメインにイノシトールリン脂質と結合出来ない変異を持つAktの変異体では活性化が起こらないことから,Aktの活性化において,PHドメインとイノシトールリン脂質との結合が重要であることが知られている.PHドメインはイノシトールリン脂質と結合するドメインとしてよく知られている.しかし,PHドメインはたんぱく質とも結合することが報告されている.そこで,AktのPHドメインに結合し,Aktの活性化を制御する因子が存在するのではないかと考え,その探索を行った.方法としてはAktのPHドメインをbaitとし,human fetal brain cDNA libraryをpreyとして大腸菌を用いたtwo-hybrid systemによるスクリーニングを行った.その結果,新規Akt結合たんぱく質としてCKIP-1 (casein kinase-interacting protein-1)を見いだした.CKIP-1はcasein kinase 2αの結合たんぱく質として同定されたたんぱく質である.CKIP-1はPHドメインやleucine zipper (LZ)ドメインなどの多くのドメインを持つことから,アダプターたんぱく質として働くのではないかと考えられている.その機能としては,casein kinase 2やATM kinaseを細胞膜に局在させることが報告されている.また,アポトーシス刺激時にcaspaseにより切断を受け,切断された断片のうちLZドメインを含む切断断片がc-Junと結合して転写活性を抑制することでアポトーシスを促進することも報告されている.しかし,CKIP-1に関する論文は少なく,その機能はほとんど明らかになっていない.そこで,CKIP-1のAktに対する機能を調べた.

 まず,CKIP-1をクローニングし,ヒト胎児腎由来293T細胞においてAktとの結合を調べた.その結果,過剰発現の系でも内在性のものでもCKIP-1とAktは結合していた.また,CKIP-1はAkt1, 2, 3いずれのアイソフォームのPHドメインとも結合した.さらにリコンビナントたんぱく質を用いた結合実験により,AktとCKIP-1が直接結合していることが示された.これらの結果から,CKIP-1はAktのPHドメイン結合たんぱく質であることが示された.

 次に,CKIP-1とAktを細胞に過剰発現させたところ,Aktの活性化に必須である308番目のスレオニンと473番目のセリンのリン酸化が減少していた.また,このときAktの基質であるGSK-3のリン酸化も減少していたことから,Aktの活性が減少している可能性が考えられた(figure 1).以上より,CKIP-1がAktと結合しAktの活性を抑制している可能性が考えられた.

 CKIP-1はPHドメインを持ち,イノシトールリン脂質と結合することが報告されている.そこでまず,CKIP-1がどのイノシトールリン脂質と結合するかを調べた.その結果,CKIP-1はPtdIns(3,5)P2, PtdIns(4,5)P2およびPtdIns(3,4,5)P3と結合することが明らかとなった.AktはPtdIns(3,4)P2およびPtdIns(3,4,5)P3と結合することから,CKIP-1がAktと競合してPtdIns(3,4,5)P3と結合することでAktの活性を抑制している可能性が考えられた.そこで,イノシトールリン脂質と結合出来ないCKIP-1のmutantを用いて実験を行った.CKIP-1 (W123A) mutantおよびCKIP-1 (K42C/K44C/W123A) (KRW) mutantはイノシトールリン脂質と結合出来ず,細胞膜にも局在できないことが報告されている.これらのmutantを細胞に発現させたところ,CKIP-1 wtと同様にAktのリン酸化とキナーゼ活性を抑制した(figure 2).これらの結果より,CKIP-1はAktと競合してイノシトールリン脂質と結合することでAktの活性化を抑制しているのではないと考えられた.

 次に,CKIP-1のdeletion mutantを作製しAkt結合部位を調べたところ,N端側部位でAktと結合することが明らかとなった.さらに,これらのdeletion mutantを発現させた時のAktのリン酸化状態を調べたところ,CKIP-1のC端側を欠損させた変異体ではAktのリン酸化に変化は見られなかった.逆に,CKIP-1のN端側を欠損させた変異体(ΔN mutant)ではAktと結合しないにも関わらず,Aktのリン酸化とキナーゼ活性の上昇が見られた(figure 3). CKIP-1はC端側にLZドメインを持ち,ここで多量体を形成することが知られている.CKIP-1 wtとdeletion mutantを用いて結合実験を行った結果,CKIP-1 wtとLZドメインを持つΔN mutantは多量体を形成していた.以上よりCKIP-1のAktの活性抑制にLZドメインが関与している可能性が考えられた.そこで,ΔΔN mutantからさらにLZドメインを欠損させた変異体CKIP-1 (200-343)を作製したところ,Aktのリン酸化上昇が見られなくなった.さらに,ΔN199-CKIP-1を発現させるとAktとwt-CKIP-1の結合が減少した(figure 4).これらの結果より,ΔN mutantはドミナントナガティブとして働き,内在性のCKIP-1と結合することでAktとの結合を阻害し,それによりAktの活性が上昇したのではないかと考えられた.以上より,CKIP-1によるAktの活性抑制にはN端側領域でAktと結合すること,LZドメインで多量体を形成することの2つが重要であると考えられた.

 さらに,より生理的な条件下でCKIP-1の機能を調べるために,ヒト線維肉腫由来HT1080細胞においてCKIP-1の恒常発現株を作成した.これらのCKIP-1恒常発現株でのAktのリン酸化状態を調べたところ,parentやmockと比較してCKIP-1恒常発現株ではAktのリン酸化が減少していた.また,これらの細胞株で細胞の増殖能を調べた結果,CKIP-1恒常発現株ではparentやmockよりも著しく細胞増殖能が低下していた(figure 5).Aktは細胞増殖,細胞周期の進行を促進することが知られている.CKIP-1恒常発現株においては,CKIP-1がAktの活性を抑制することで細胞増殖能が低下した可能性が考えられた.

 次に,CKIP-1恒常発現株での抗癌剤に対する感受性を調べた.VP-16(エトポシド)処理した細胞においてアポトーシスの指標であるPARPおよびcaspase-3の切断を調べた結果,CKIP-1恒常発現株ではmockと比較して両者の切断断片量が増加していた(figure 6).さらに,VP-16処理時の細胞でアポトーシスの指標であるsub-G1量を測定したところ,CKIP-1恒常発現株ではparentやmockと比較してsub-G1量が増加していた.これらの結果より,CKIP-1恒常発現株ではVP-16に対する感受性が増加していると考えられた.VP-16処理により,Badなどのアポトーシス促進因子が活性化し,アポトーシスが起きることが知られている.AktはBadなど多くのアポトーシス促進因子をリン酸化することで不活性化し,アポトーシスを抑制している.CKIP-1恒常発現株ではCKIP-1がAktの活性を抑制しているためアポトーシス抑制機構が働かず,感受性が増加している可能性が考えられた.

 本研究により,AktのPHドメインの新規結合たんぱく質としてCKIP-1を見いだした.CKIP-1はAktと結合することでAktの活性化を抑制する.また,CKIP-1のN端側を欠いたmutantはLZドメインで内在性のCKIP-1と結合することでドミナントネガティブとして働き,Aktの活性を上昇させると考えられる.このことから,CKIP-1は1) N端側領域でAktと結合すること.2) LZドメインを介して多量体を形成することでAktの活性を抑制している可能性が示唆された.CKIP-1の恒常発現株ではAktのリン酸化が減少しており,細胞増殖能の低下が見られる.さらに,これらの恒常発現株では抗癌剤に対する感受性も増加していた.以上のことから,CKIP-1はAktの活性制御因子としての機能を持つと考えられた.本研究によるCKIP-1によるAktの活性制御機構の解明は,生存シグナル伝達機構の解明だけでなく,がん治療の観点からも大きな貢献を得ることが出来ると考えられる.

Figure 1. CKIP-1によるAktのリン酸化抑制

CKIP-1とAktを293T細胞に過剰発現させるとCKIP-1の濃度依存的にAktのリン酸化が抑制された

Figure 2 CKIP-1 PH ドメイン変異体によるAktリン酸化への影響

イノシトールリン脂質に結合出来ないCKIP-1変異体CKIP-1 (KRW)もAktのリン酸化を抑制した

Figure 3. CKIP-1 deletion mutantによるAktのリン酸化制御

A. CKIP-1の各mutantとAktを293T細胞に過剰発現させるとCKIP-1のN端側欠損mutantではAktのリン酸化が上昇していた.B. CKIP-1の各mutantの模式図

Figure 4 ΔN199-CKIP-1 によるAktとwt-CKIP-1の結合阻害

ΔN199-CKIP-1を発現させたところ,Aktとwt-CKIP-1の結合が減少した

Figure 5. CKIP-1恒常発現株での細胞増殖

MTT assayにより各細胞の増殖能を調べた.CKIP-1恒常発現株(CKIP-1-16および-28)はparentやmock (mock-1および-8)と比較して細胞増殖能が低下していた.

Figure 6. CKIP-1恒常発現株の抗癌剤への感受性

VP-16処理をしたCKIP-1恒常発現株(CKIP-1-16および-28)ではmock (mock-1および-8)と比較してPARPとcaspase-3の切断断片量が増加していた

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は様々ながんで活性化していることが知られており、細胞の生存・増殖を促進する主要な経路の一つであるPI3K-Akt経路の解明を目的としてAktの活性制御タンパク質の同定を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. Aktは細胞の生存・増殖において重要な役割を果たしているキナーゼであるが、その活性化機構については不明な点が多い。そこで、Aktに結合し活性を制御する因子の探索を行った。大腸菌を用いたtwo-hybridシステムを用いて、Aktの活性化において重要な役割を果たすPHドメインの結合タンパク質をスクリーニングした。その結果、新規Akt PHドメイン結合タンパク質としてCKIP-1 (casein kinase-interacting protein-1)を同定した。CKIP-1はAktと直接結合し、また、ヒト胎児腎由来293T細胞内においてもAktのPHドメインと結合した。さらに、293T細胞において生理的条件下での結合も見られたことから、CKIP-1がAktの新規結合タンパク質であることが示された。

2. 293T細胞においてCKIP-1を発現させることでAktの活性化に必須である308番目のスレオニンと473番目のセリンのリン酸化の減少が見られた。また、Aktの基質であるGSK-3のリン酸化も減少したことから、CKIP-1がAktの活性を抑制していることが示された。

3. CKIP-1はPHドメインを持つが、この部位でPtdIns(3,5)P2, PtdIns(4,5)P2, PtdIns(3,4,5)P3と結合することを示した。AktのPHドメインもPtdIns(3,4)P2, PtdIns(3,4,5)P3と結合し、Aktの活性化にはPHドメインとこれらのイノシトールリン脂質との結合が重要であることが知られている。そのため、CKIP-1はAktと競合してイノシトールリン脂質に結合することで活性を抑制している可能性が考えられたが、イノシトールリン脂質と結合しないCKIP-1の変異体もAktの活性を抑制することを示した。このことから、CKIP-1は競合してイノシトールリン脂質と結合することでAktの活性を抑制するわけではないと考えられた。

4. CKIP-1はアミノ末端側でAktと結合していることを示した。また、Aktと結合しないカルボキシル末端側のみの変異体(ΔN199)を発現させるとAktの活性の上昇が見られた。CKIP-1はカルボキシル末端側にロイシンジッパー(LZ)ドメインを持ち、この部位で多量体化することが知られている。LZドメインの変異体を用いた実験により、CKIP-1がLZドメインで多量体化することがAktの活性抑制に重要であることが示された。また、ΔN199-CKIP-1変異体は野生型CKIP-1とAktとの結合を阻害することを示し、これによりAktの活性が上昇した可能性が考えられた。

5. ヒト線維肉腫由来HT1080細胞においてCKIP-1の恒常的発現株を作製したところ、Aktのリン酸化の減少が見られた。これらの細胞株において細胞の増殖能を調べたところ、CKIP-1恒常的発現株では増殖能が著しく低下していた。がん細胞では、抗癌剤処理時にPI3K-Akt経路により生存シグナルが活性化すると言われている。そこで、これらの細胞株にエトポシド処理をしたところ、CKIP-1恒常的発現株ではアポトーシスが亢進していることが示された。以上から、CKIP-1はAktの活性を抑制することで細胞の増殖能を低下させ、エトポシド処理によるアポトーシスの感受性を増強させていることが示唆された。

 以上、本論文はAktのPHドメインの新規結合タンパク質としてCKIP-1を同定し、CKIP-1がAktの活性制御因子であることを明らかにした。Aktはがん細胞の生存や増殖に重要な因子であるが、その活性の制御については不明な点が残されていた。本研究でCKIP-1によるAktの活性制御を明らかにしたことで、PI3K-Aktシグナル伝達経路の解明だけでなく、この経路が関与しているがんの治療という観点からも重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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