学位論文要旨



No 122512
著者(漢字) 大竹,洋平
著者(英字)
著者(カナ) オオタケ,ヨウヘイ
標題(和) 骨格筋の形態形成及び組織恒常性維持における膜型マトリックスメタロプロテアーゼ1(MT1-MMP)の機能解析
標題(洋) Multifunctional roles of MT1-MMP in myofiber formation and morphostatic maintenance of skeletal muscle
報告番号 122512
報告番号 甲22512
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2808号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,すみ子
 東京大学 教授 斎藤,泉
 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 助教授 関野,祐子
 東京大学 助教授 三木,裕明
内容要旨 要旨を表示する

 骨格筋組織はヒト成人体重の約30%を占める組織であり、個体の運動あるいは呼吸など生命活動の根幹において重要な機能を司る組織である。本研究においては骨格筋組織の形態形成及び組織恒常性維持において、膜型マトリックスメタロプロテア-ゼ1(MT1-MMP)が重要であることを明らかとした。新規解明点として以下に示す2点を報告する。

1. 骨格筋の幹細胞である筋芽細胞から収縮能を持つ筋管細胞が形成される過程においてMMP活性が時期特異的に必要であること。同活性にMT1-MMPが関わること。

2. 個体レベルでのMT1-MMPの欠損が骨格筋組織において組織異常を誘起すること。

 これらの事象に関わる分子であるMT1-MMPは、細胞膜表面に存在する亜鉛イオン要求性のタンパク質分解酵素である。同分子はマトリックスメタロプロテア-ゼ(matrix metalloproteinase; MMP)と呼称される分子群に属しており、同分子群の主要な分解基質は細胞外基質(extracellular matrix; ECM)であることが知られている。ECMは多細胞生物の組織構築において細胞外成分として必須であり、複数種類の分子からなる高分子複合体である。本来生体内においてほぼ全ての細胞種がECMに依存した細胞接着機構を用いており、細胞はin vitro培養条件下においてもECM分子を産生しそれらを培養皿上に分子複合体として沈着させ細胞接着に利用している。この様に細胞接着の基質となることはECM全般に共通した機能であるが、その構成成分は細胞や組織の状態に対応して様々に変化することが知られている。これは個々のECM分子が運動、形態変化、あるいは分化といった細胞機能をそれぞれ調製する働きを持つことと関連している。従って、既存分子を分解してこうしたECM構成分子の変化を促すことがMMPの生理機能の一つであると考えられる。

 上記1において述べたMT1-MMPの機能はこうした背景と関連していると考えられ、具体的には以下の知見が本研究において確認された。培養筋芽細胞株を用いた骨格筋分化培養系において、分化誘導後の細胞動態は(1)細胞増殖(2)細胞の極性化と伸長(3)細胞融合による筋管細胞の形成といった3段階を経て進行した。増殖期、伸長期、融合期としたそれら各段階においては、増殖及び分化マ-カ-分子の特異的発現パタ-ンが認められた。MMP阻害剤であるBB94を培養系に添加すると筋管細胞の形成が明瞭に阻害されたが、この阻害作用は同阻害剤を伸長期に添加した場合にのみ時期特異的に認められた。伸長期において発現上昇するMMPを探索すると、MT1-MMP及びMMP-2が確認された。特にMT1-MMPに注目し、その発現をRNA干渉法により特異的に阻害すると、阻害剤添加と同様に筋管細胞の形成阻害が認められた。以上より、MT1-MMPの筋管細胞形成における必要性を結論した。

 さらに付加的には筋分化培養系におけるMMPの分解基質の同定を試みた。前述の様に「分化に付随したECM成分の変化にMMPが関わる」という可能性から、文献的に筋分化に伴って減少する報告のあるECMとしてフィブロネクチンに注目した。フィブロネクチンは生体内に普遍的に存在するECM分子であり、Integrinα5β1のリガンドとして間葉系細胞の接着に関わる分子である。伸長期において各種MMP阻害処理を行った培養群より細胞溶解液を調製し、特異抗体によるウエスタンブロット法にて検討したところ、確かにMMP依存的にフィブロネクチンの分解が起こっていることが認められた。興味深いことには、筋管細胞形成がより阻害された処理群においてフィブロネクチン分解もより阻害されていることが明らかとなった。この相関関係からフィブロネクチンがMMP下流で筋分化を制御する重要な役割を持つことが示唆された。

 またMMP阻害時に筋管細胞形成が抑制される機構に関して解析を進めたところ、これまでに報告の少ない特殊な阻害機構であることが明らかとなった。筋分化機構に関する一般的理解は、細胞系譜を単独で決定し得る強力な転写因子であるマスタージーンが存在し、同分子が以降の分化における全ての事象を一元的に支配するといったものである。著名な分子としてmyoDを挙げれば、同分子の強制発現は線維芽細胞を筋芽細胞へと形質転換させ、最終的に分化特異的収縮タンパクの発現と筋管細胞への形態変化を誘導する。それに対してMMP阻害時の細胞動態に注目すれば、分化特異的収縮タンパクの発現には変化が無く、筋管細胞への形態変化のみが抑制された。こうした形態分化特異的な阻害様式は文献的にECMの糖鎖合成を阻害した場合と同等であった。従って、形態分化においてはマスタージーンによる制御に加えて適切なECM環境が形成されることが必要であると考えられた。これまで関連研究分野の主要な報告がマスタージーンもしくはその周辺分子に関するものであったことから、遺伝子発現変化としての分化と形態変化としての分化を区別すること無く筋分化研究が進んで来た経緯がある。本研究はそれらが独立して個々に特異的な制御を受けることを明瞭に示しており、関連研究分野において基礎的ではあるが重要な理解を確立するものと考えられる。

 また上記2において述べた事象に関しても骨格筋組織におけるECMの機能に基づいた理解が可能であると考えられる。生体内の成熟骨格筋組織においては、特に基底膜と呼称される超微細的な膜構造を持ったECMが筋線維に接して取り囲んでおり、筋線維の細胞接着の足場として利用されている。この基底膜の機能異常に基づく疾患として筋ジストロフィ-があるが、MT1-MMP遺伝子欠損マウスにおいて認められた変化は筋線維の自然再生が認められるという点において同疾患に類似していた。

 筋ジストロフィ-の機序は、細胞接着の減弱により収縮という物理的ストレスに筋線維が耐えられなくなり壊死が起きるといったものであり、従って前述の基底膜の機能異常ばかりではなく、細胞接着分子の機能異常や細胞内骨格分子の機能異常もまた同様に病因となる。本研究においては、こうした細胞内外を結ぶ分子間相互作用に対してMT1-MMPが関与する可能性を考え、これを評価することとした。文献検索を行った結果、関連分子の中では細胞外基質であるラミニン-2および細胞接着分子であるβ-dystroglycanが生体内において限定分解を受けているとの報告があり、かつこれらの分解における責任酵素は未同定であった。そこでMT1-MMP欠損マウスの骨格筋より組織抽出液を調製し、各分子の分解状況を特異抗体によるウエスタンブロット法により評価すると、ラミニン-2においてMT1-MMP依存的な分解を確認することが出来た。一方でβ-dystroglycanの分解様式には差異が認められなかったので、以降はラミニン-2に注目し詳細な解析を行うこととした。

 ラミニン-2はヘテロ3量体として構成されるECM分子であるが、他のECM分子との相互作用部位および細胞膜上の細胞接着分子との相互作用部位の両者を併せ持ったサブユニットであるα鎖が、同分子において機能的に重要であると考えられている。そこでα鎖のそれぞれ異なった部位を抗原として複数種類の抗血清を調製し、これらを用いて解析を行うことで分解部位を推定することを可能とした。遺伝子欠損マウスよりの組織抽出試料と合わせ、精製ラミニン-2を組み替えMT1-MMPにより生化学的に切断した試料を用いて評価を行うと、これらの試料におけるMT1-MMP依存的切断部位は質的に同等であり、その切断箇所はα鎖のアミノ末端に存在するドメインVIの直近部位であると推定された。ドメインVIは前述した他のECM分子との相互作用を担うドメインであり、かつ同ドメインのみをスプライシング突然変異により部分欠損するマウス系統には筋ジストロフィ-が発症することから、同ドメインの機能的重要性は文献的に明らかである。本研究においてはMT1-MMPによるラミニン-2の切断が、機能ドメイン周辺の分子構造を改変しうるものであることを示し、同機構の破綻が同酵素欠損状況下における組織異常に関連する可能性を考えた。

 本研究により得られた知見を俯瞰すれば、「MT1-MMPは細胞が細胞外環境を随意化させるための手段である」と理解可能である。ECM組成により規定される細胞外環境は細胞機能に影響を及ぼす機能単位であり、細胞はMT1-MMPを介してその組成を改変し特定の状況下における至適化を行っている。本研究では骨格筋組織を解析対象としたが、MT1-MMPの発現は他の多くの組織においても認められることから、この概念は一般化可能であろうと推定される。分化に伴ったECM更新は一般的に認知される事象であることからも、同分子が他組織での細胞分化に影響を及ぼす可能性も十分に想定される。また、ラミニン-2との関係においては組織特異的な酵素基質関係を評価したが、こうした組織特異的ECM分子とMMPの関係性に関してはこれまでほぼ解析されておらず、関連研究分野における今後の課題である。以上より、本研究がMT1-MMPの分子研究ではなく、MT1-MMPを介した細胞と細胞外環境との相互作用に関する研究であることを各位にご理解頂きたい。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、多細胞生物の組織構築において重要な役割を演じている細胞外基質(ECM)とその分解酵素であるマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)の基質酵素関係の生理的意義を、骨格筋組織を評価系として解析し、下記の結果を得た。

1.細胞培養系における骨格筋分化過程は、細胞増殖および分化のそれぞれに特異的な指標分子の発現より、増殖期・伸長期・融合期の連続した3期に区分され、群特異的MMP阻害剤を用いた実験から、骨格筋分化には伸長期特異的なMMP活性要求性を示した。伸長期においてMMP活性を阻害した場合、筋芽細胞より筋管細胞が形成される細胞融合を伴った形態的分化が特異的に阻害され、一方でサルコメア構成分子など成熟骨格筋機能を担う分子の発現誘導は全く影響が認められなかった。同様の形態的分化阻害作用はsiRNA法により膜型MMPであるMT1-MMPを特異的に発現抑制した際にも観察され、群特異的MMP阻害剤を用いた場合との比較より、伸長期において筋細胞の形態的分化に関わるMMP活性の約50%をMT1-MMPの酵素活性が担っていることが明らかとなった。

2.引き続いて伸長期におけるMMPの基質分子について、筋細胞の形態的分化に役割を果たしているか検討した。フィブロネクチンは広範な組織に発現しているECM分子で、筋管細胞形成に阻害的作用を持つとの文献的報告があり、かつMT1-MMPを含め複数のMMPの切断分解基質である。そこでMMP群が伸長期においてフィブロネクチンを分解し、その阻害作用を解除することで、間接的に筋管細胞の分化に促進的作用をもたらすのではないかという作業仮説を立て、その検証を行なった。阻害機序や特異性の異なる複数のMMP阻害剤と、siRNAによる特異的発現抑制法を用い、フィブロネクチンの筋分化に伴う経時的変化を評価した。フィブロネクチンは筋分化に伴ってMMP依存的に経時的に減少した。またフィブロネクチンの減少度と形態的分化の阻害強度は正に相関していた。これによりMT1-MMPを含むMMP活性が筋細胞の形態的分化を制御する際の分解基質の一つがフィブロネクチンである可能性が示唆された。

3.上記機構において中心的役割を示すMT1-MMPに特に注目して、生体組織における生理的意義を遺伝子欠損マウスにて評価した。全身性の遺伝子欠損マウスでは、筋線維の直径が微小であるなど骨格筋組織の発達異常が認められた。このことは、他組織における異常を起因とした二次的な影響を排除することは出来ないが、MT1-MMPの生理的重要性を示唆した。加えて、MT1-MMP欠損組織では中心核を有する筋線維が認められ、内性的に筋再生が誘導される筋ジストロフィーにおける再生筋線維像と類似していた。成熟骨格筋において筋基底膜を構成し組織特異的なECMであるラミニン2は既知の筋ジストロフィー関連細胞外分子として知られるが、MT1-MMPにより生理的に分解されることが明らかとなった。この現象の意義は未だ不明であるが、MT1-MMPがラミニン2の切断を介して筋線維の細胞接着を調整することが組織の恒常性維持に関わる可能性があり、今後の評価対象として興味深い。

以上、本論文は骨格筋分化過程で複数種類のECMとMMPとの基質酵素関係が存在することを示し、それらが機能的に重要である可能性を明らかにした。また特に膜型MMPであるMT1-MMPが骨格筋分化において重要であることをin vivoのモデルシステムを用いて示した。本研究はこれまで報告の無かった、骨格筋組織におけるECM分解の重要性を複数のアプローチにより示し、MMP依存的にECM分子の組織特異的制御が行われることを明らかにした点で先駆的であり、当該研究分野に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと評価できる。

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