学位論文要旨



No 122514
著者(漢字) 木曽,真紀
著者(英字)
著者(カナ) キソ,マキ
標題(和) 薬剤耐性インフルエンザウイルスの分子生物学的解析
標題(洋) Dynamics of antiviral-resistant influenza virus
報告番号 122514
報告番号 甲22514
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2810号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 助教授 川口,寧
 東京大学 助教授 池田,均
内容要旨 要旨を表示する

 インフルエンザウイルスは、オルソミクソウイルス科(Orthomyxoviridae)に属すマイナス鎖RNAウイルスで、核蛋白質(NP)と膜蛋白質(M1)の抗原性の違いから、A、B、C型に分類される。このうち、A型とB型が主に人の感染症として重要である。A型、B型ともにウイルスRNAは8つの分節に分かれている(図1)。ウイルス粒子表面蛋白質である赤血球凝集素(HA:hemagglutinin)とノイラミニダーゼ(NA:neuraminidase)は第4および第6分節にコードされるが、この2つの表面蛋白質がインフルエンザウイルスの抗原性に重要である。インフルエンザウイルスは、その抗原性が容易に変化することから、宿主の免疫から逃れ、常に新たな流行を引き起こしている。ワクチンによる予防も、この抗原性の違いによっては効果が減ずる場合がある。

 インフルエンザウイルスはウイルス粒子上の赤血球凝集素(HA)が細胞表面のシアル酸に結合することにより細胞内に侵入する。一方、子孫ウイルスが細胞外に放出される際には、ノイラミニダーゼが、ウイルスのHAとNAならびに細胞表面の糖蛋白質や糖脂質からシアル酸を除くことにより、細胞表面からのウイルスの遊離を促進する。遊離したウイルスは、新たな細胞に感染し、感染が拡大する。このように、HAによるレセプターへの結合とNAによるレセプターからの遊離という両者の働きが、ウイルス増殖に重要な役割を示す。A型インフルエンザにしか存在しないM2蛋白質は、97アミノ酸からなる膜貫通蛋白質で、酸性条件下で活性化され水素イオンをウイルス粒子内に取り込むイオンチャネル活性を持つ。その働きにより、ウイルス粒子内が酸性化され、RNP(RNAと核蛋白質の複合体)と内部蛋白質との結合がほぐれ、RNPが細胞質へ放出され、ウイルスの感染が進行する。このようなウイルスの感染様式に基づき、抗インフルエンザ薬の開発が行われてきた。

 抗インフルエンザ薬として最初に登場したM2阻害剤(アマンタジン、リマンタジン)はA型インフルエンザウイルスのみに効果がある。アマンタジンは従来パーキンソン病の治療に使用されてきた。本邦では1998年よりA型インフルエンザ治療に対する使用が可能となった。アマンタジンは感染初期に投与すれば極めて有効な治療薬だが、B型には効果がなく、副作用や耐性ウイルスの出現が問題である。M2阻害剤耐性ウイルスは、早い場合は治療後1日で出現し、その病原性は親株に劣らず、ヒトからヒトへと伝播する。近年では、野外に存在するH3N2ウイルスの90%がすでにアマンタジン耐性を獲得しているという報告もある。また、アジアを中心に猛威を奮うH5N1ウイルスの一部もアマンタジン耐性である。

 このような背景から、ノイラミニダーゼ阻害剤が注目されている。ノイラミニダーゼ阻害剤はインフルエンザウイルスのノイラミニダーゼの3次元構造を基に開発された。本剤は、NAの活性部位に結合し、酵素活性を阻害することによりウイルスの感染細胞からの遊離を阻止する。NAの活性部位はインフルエンザウイルスの型、亜型間で保存され、そのため抗インフルエンザウイルス薬のターゲットとなった。本剤はインフルエンザウイルスのみに特異的な効果を示す。M2阻害剤と異なり、副作用は少なく、B型インフルエンザウイルスにも効果があり、vitroの試験や臨床試験の段階から、耐性ウイルスが出現しにくいということは報告されていた。本邦では2001年より吸入薬のザナミビル、経口薬のオセルタミビルが使用可能となった。本邦におけるNA阻害剤の使用量は、世界の7割近くに及ぶ。

 本研究では、この新たに登場したインフルエンザの特効薬であるノイラミニダーゼ阻害剤のうち、オセルタミビルについて、未だ未解明であった、臨床現場における耐性ウイルスの出現状況(第1章)と、近年、アジア、ヨーロッパ、ならびにアフリカで猛威を奮っているH5N1インフルエンザウイルス感染者から検出された、オセルタミビル耐性ウイルス(第2章)について、分子生物学的解析を行った。

第1章 小児におけるオセルタミビル耐性A型インフルエンザウイルス

 オセルタミビルは、インフルエンザウイルスに非常に有効なノイラミニダーゼ阻害薬であり、ウイルスのノイラミニダーゼ活性を阻害する。オセルタミビルは、アマンタジンやリマンタジンよりも耐性ウイルスの出現頻度が低いとされているが、オセルタミビル投与患者における本剤耐性ウイルスの出現については限られた情報しか得られていない。本研究では、インフルエンザ治療を受けた小児を対象としてオセルタミビル耐性株の出現を検討した。

 小児50名からオセルタミビル投与前および投与後に検体を採取し、A型インフルエンザウイルス(H3N2)を分離し、解析した。分離したウイルス遺伝子のノイラミニダーゼおよびヘマグルチニンの塩基配列を決定し、ノイラミニダーゼ変異を示したウイルスについて、オセルタミビル活性体であるカルボン酸オセルタミビルに対する感受性を検討した。

 その結果、オセルタミビル投与を受けた9名(18%)の患者から分離されたウイルスのノイラミニダーゼに変異が検出された。そのうち6名では、292番目のアミノ酸(Arg292Lys)に、2名では119番目のアミノ酸(Glu119Val)に変異が認められた。これらはいずれもノイラミニダーゼ阻害薬に対する耐性を付与する変異であることが既にわかっている。1名では、別の変異(Asn294Ser)が認められた。カルボン酸オセルタミビルに対する感受性を調べたところ、Arg292Lys、Glu119Val、Asn294Ser の変異を有するノイラミニダーゼは、薬剤投与前のノイラミニダーゼと比較して、それぞれ約104〜105倍、500倍、300倍耐性になっていた。オセルタミビル耐性ウイルスは、治療4日目の検体にはじめて検出され、それ以降、各日の調査検体からも引き続き検出された。薬剤耐性ウイルスが出現しなかった患者でも、その一部では、治療開始後5日目であっても1mlあたり103 感染価以上のウイルスが検出された。

 以上、オセルタミビルを投与された小児インフルエンザ患者における本剤耐性ウイルスの出現頻度は、過去の報告を上回っていた。また、オセルタミビル投与開始後5日目であっても、小児は相当量のウイルスを排出していることが明らかとなった。

第2章 ベトナムにおけるオセルタミビル耐性H5N1インフルエンザウイルスの出現

 アジアに始まり、ヨーロッパそしてアフリカに伝播したH5N1鳥インフルエンザにより多くの人が死亡しており、世界的なインフルエンザの流行(パンデミック)が危惧されている。しかしながらパンデミックに備えて十分量のワクチンを備蓄することは非常に困難である。従って、H5N1ウイルスによるパンデミックが生じた場合、当面は抗ウイルス薬による防御が最も有効である。しかし、現在流行しているH5N1インフルエンザウイルスの一部は、既にM2阻害剤(アマンタジンなど)に対し耐性を獲得している。従って、ノイラミニダーゼ阻害剤であるザナミビルあるいはオセルタミビルに頼るしかない。薬剤の使用には、常に耐性の問題がつきまとうが、ノイラミニダーゼ阻害剤によるH5N1ウイルス治療により、如何なる薬剤耐性ウイルスが出現するのかはほとんどわかっていない。

 本研究では、H5N1インフルエンザに感染した兄を看病している間に、H5N1ウイルスに感染した14歳のベトナムの少女から分離されたウイルスの性状を解析した。少女は予防的に3日間オセルタミビルを治療量の半量服用していた。ノイラミニダーゼ遺伝子の塩基配列解析から、274番目のアミノ酸に変異を検出した。この変異はオセルタミビル耐性を付与することがわかっている。検出された変異ウイルスおよびその親株(オセルタミビル感受性ウイルス)を用いて、フェレットでの感染実験を行った。オセルタミビル耐性ウイルスは親株と比較しその増殖性は低下していた。また、ザナミビルはオセルタミビル感受性ウイルスのみならずオセルタミビル耐性ウイルスに対しても有効であった。このフェレットでの成績は、in vitroのノイラミニダーゼ阻害試験の結果と一致していた。

 以上の結果から、H5N1ウイルスにおいてもオセルタミビル耐性ウイルスが出現することが判明したが、ザナミビルによる治療が可能であることが判明した。

 以上、第1章では、小児におけるオセルタミビル耐性ウイルスが予想以上に高頻度に出現していることを明らかにした。調べた小児はインフルエンザウイルスに初めて感染した可能性が高く、本ウイルスに対し基礎免疫を保有しておらず、ウイルス排除能が劣っているため、ウイルスが増殖しやすく耐性ウイルスが出現しやすい可能性が考えられる。第2章では、H5N1ウイルスという、人類にとって未知のウイルスもオセルタミビル耐性になることを明らかにした。本ウイルスに対して人々は感染したことがないため、ウイルス排除はままならず、耐性ウイルスが出現しやすいと考えられる。H5N1ウイルスのみならず他の鳥インフルエンザウイルスに対しても誰もが初感染であるため、ウイルスが体内で増殖しやすく薬剤耐性ウイルスが容易に出現することが予想される。従って、抗インフルエンザ薬は、特定のものに限定せず、幅広く備蓄する必要があると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、現在インフルエンザ感染症の治療薬として最も有効とされるノイラミニダーゼ阻害剤のうち、オセルタミビルについて、未だ未解明であった臨床現場における耐性ウイルスの現状を、感染小児において解析したものである。また、近年、アジア、ヨーロッパならびにアフリカで猛威を奮っているH5N1インフルエンザ感染者から検出された、オセルタミビル耐性ウイルスについて分子生物学的解析も行い、下記の結果を得ている。

1. インフルエンザウイルス(H3N2)に感染し、オセルタミビル投与を受けた50名の小児のうち、9名(18%)からウイルスのノイラミニダーゼに変異が検出された。それらはArg292Lys、Glu119Val、Asn294Serであり、いずれの変異株もカルボン酸オセルタミビルに対する感受性が薬剤投与前の親株に比較して低下していることが判明した。すなわち、耐性ウイルス出現頻度は過去の臨床試験の報告を上回っていた。また、オセルタミビル耐性ウイルスは、治療4日目の検体にはじめて検出され、それ以降、各日の調査検体から引き続き検出された。

2. 薬剤耐性ウイルスが検出されなかった小児患者においても、一部は治療開始後5日目であっても103感染価以上のウイルスが検出されており、相当量のウイルスを排出していることが明らかとなった。

3. H5N1インフルエンザに感染した14歳のベトナムの少女からオセルタミビル耐性を示すHis274Tyrのノイラミニダーゼ変異を持つウイルスが検出された。少女はオセルタミビルを予防的に服用していた。

4. 検出したHis 274Tyr変異ウイルス及びその親株(オセルタミビル感受性ウイルス)を用いてフェレットの感染実験を行った結果、耐性ウイルスは親株に比較して、増殖性が低下していることが示された。

5. In vitro及びフェレットにおいて、ノイラミニダゼー阻害剤の一種であるザナミビルは、感受性ウイルス同様、オセルタミビル耐性ウイルスに対しても有効であることが示された。

 以上、本論文は小児においてオセルタミビル耐性ウイルスが臨床試験の報告以上に出現することを明らかにした。また、H5N1インフルエンザウイルスにおいてもオセルタミビル耐性ウイルスが出現していることを明らかにし、その対応策としてザナミビルが有効であることを明らかにした。本研究は、これまで未知に等しかった臨床現場及びH5N1ウイルスにおけるオセルタミビル耐性インフルエンザウイルスの性状を明らかにしたものであり、今後のインフルエンザウイルス感染症対策に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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