学位論文要旨



No 122522
著者(漢字) 滝澤,仁
著者(英字)
著者(カナ) タキザワ,ヒトシ
標題(和) 造血細胞における抑制性制御分子Lnkの作用機構と新規造血制御法の確立
標題(洋)
報告番号 122522
報告番号 甲22522
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2818号
研究科 医学系研究科
専攻 病因病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 助教授 千葉,滋
 東京大学 助教授 佐藤,典治
 東京大学 講師 梁,幾勇
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 造血幹細胞は自己複製を続けながら分化・増殖を繰り返し、毎日数千億もの血液細胞を産生する。各分化段階はそれぞれ異なるサイトカイン及び増殖因子により厳密に調節されている。細胞表面に発現する受容体にリガンドが結合することにより様々なシグナル伝達経路が活性化され、細胞の増殖・分化・細胞死などが制御される。近年、これらのシグナル伝達経路に関与する蛋白質が明らかにされ、その中でも分子内に酵素活性を持たないアダプター蛋白質と呼ばれる分子群に注目が集まりつつある。

 アダプター蛋白質に関する研究は、免疫担当細胞における抗原受容体やサイトカイン受容体からのシグナル伝達経路において、それらの活性化や抑制に関わるアダプター蛋白質が数多く単離され、精力的に解析が進められている。私は、免疫担当細胞のみならず造血細胞で発現が見られる細胞内アダプター蛋白質Lnkに注目し、造血制御における機能解析を行った。

 Lnkの遺伝子欠損マウスではB細胞の過剰産生だけでなく、造血幹細胞数の顕著な増加及びその高い造血能が観察されている。Lnk欠損マウスでは造血系腫瘍の誘発や造血細胞の機能障害は観察されていないことから、Lnk阻害剤の開発及び造血幹細胞・前駆細胞の造血制御への応用を試みた。Lnk欠損マウスは血小板増多傾向も示す。血小板産生におけるLnkの作用点および血小板におけるLnkの機能を解析し、それらの解析を通してLnkによる造血幹細胞の機能制御と共通のメカニズムを明らかにしようと試みた。

【方法と結果】

(1)Lnkの機能ドメインの同定

 LnkはN末端にファミリーに相同性の高いプロリンに富んだ領域、PHドメイン、SH2ドメイン、C末端にチロシンリン酸化部位をもつ。これらの部位にミスセンス変異または欠失変異を導入して種々の変異体を作製し、c-Kit依存性増殖を示す肥満細胞株MC9細胞に遺伝子導入して増殖に与える影響を解析した。その結果、野生型Lnkに見られる増殖抑制がSH2ドメインのミスセンス変異より消失したことから、SH2ドメインがc-Kit依存性増殖抑制に必須の役割を担うことが明らかとなった。

(2)ドミナントネガティブLnk変異体の作製とその作用機序

 Lnkを過剰に発現し、c-Kit依存性増殖をほとんど示さないMC9細胞のトランスフェクタント(MC9-Lnk)に種々のLnk変異体を遺伝子導入し、増殖能の回復が見られるか検討した。SH2ドメインのミスセンス変異群を遺伝子導入すると、MC9-Lnk のc-Kit依存性増殖が促進されたことから、これらの変異体群は野生型Lnkの機能を阻害するドミナントネガティブ変異体(DN-Lnk)として機能しうることが示された。SH2ドメインのミスセンス変異にN末端領域の欠失を加えるとそのドミナントネガティブ効果が消失し、ドミナントネガティブ効果におけるN末端領域の機能が推察された。

 Lnkを強発現させたCOS7細胞の細胞溶解液を化学的架橋剤で処理するとLnkの多量体が観察され、N末端領域の欠失により多量体形成が消失することから、LnkはN末端領域を介して多量体を形成していることが明らかとなった。また免疫沈降法により、野生型Lnkは野生型同士だけでなくLnk変異体とも多量体形成することが分かり、ドミナントネガティブLnk変異体はN末端領域を介して野性型Lnkと多量体形成することにより野生型Lnkの機能を競合阻害していることが推察された。

(3)Lnk機能阻害による造血能の亢進とその作用機序

 レトロウイルスを用いてDN-Lnkを野生型マウスの造血幹細胞・前駆細胞に感染導入し移植実験を行った。DN-Lnkの移植群はコントロール移植群に比べて高い造血能を示しことから、DN-Lnk は造血幹細胞・前駆細胞に内在性に発現するLnkの機能を阻害できることが分かった。レトロウイルスベクターによる遺伝子導入では導入細胞の悪性転換が懸念されている。そこで発現プラスミドベクターとエレクトロポレーション法による遺伝子導入を行った。DN-Lnkを一過性発現させた骨髄細胞はコントロール細胞に比べ、致死量放射線を照射したマウスで高い造血能を示した。さらに骨髄非破壊的前処置を施した免疫不全マウスにも生着し、免疫細胞を効率良く再構築した。

 DN-Lnkの一過性発現は造血幹細胞及び前駆細胞の移植後早期の生着能を促進すると考えられた。Transwell migration assayを用いて造血前駆細胞の骨髄へのホーミングに重要な役割を担うCXCL12に対する遊走能を評価したところ、野生型に比べてLnk欠損造血前駆細胞の遊走能に有意な差は見られなかった。骨髄細胞またはVCAM-1の上での遊走は、野生型に比べLnk欠損細胞で顕著な低下が見られた。Lnk欠損造血前駆細胞では骨髄細胞に発現するVCAM-1に対する接着が増強していると考えられる。

(4)血小板産生制御におけるLnkの作用点

 コロニーアッセイによりLnk欠損マウス骨髄に存在する巨核球前駆細胞を解析したところ、その数が増加しているのみならずTPOの反応性亢進が観察された。また、Lnk欠損マウスでは骨髄及び脾臓に存在する巨核球数の顕著な増加に加え、より多くの核数を持つ成熟骨髄巨核球の割合も増加していた。さらに、Lnk欠損マウスでは血中TPO濃度が上昇しており、Lnk 欠損マウスの血小板増多はTPO濃度の増加とTPO反応性亢進に伴う成熟巨核球数の増加に起因することが推察された。

(5)巨核球のTPOシグナルにおけるLnkの役割

 TPO存在下で骨髄細胞を培養することで得られる骨髄由来巨核球を用いて、Lnkにより制御されるTPOシグナル伝達経路の生化学的解析を行った。TPO刺激依存性に誘導されるStat3、Stat5、Akt及びp38のリン酸化は両者の間で差が見られず、Erk1及びErk2のリン酸化のみLnk欠損巨核球で亢進していた。以前の報告では、Stat3、Stat5、Akt、Erk1及びErk2すべての活性化が亢進しているとされていたが、本研究からTPOシグナル伝達経路におけるLnkの作用点はErk1及びErk2の活性化に至る経路であることが明らかとなった。

(6)血小板のインテグリンシグナルにおけるLnkの機能

 インテグリンαIIbβ3を介した刺激によりフィブリノーゲン上で伸展するLnk欠損血小板は野生型で見られるラメリポディアの形態ではなく、フィロポディア優位な形態を示した。この血小板溶解液を用いて生化学的解析を行ったところ、インテグリンαIIbβ3の刺激依存性にLnkはADAP及びSrcと複合体を形成し、FynのインテグリンαIIbβ3へのリクルート及びβ3鎖のリン酸化を制御していることが分かった。血餅退縮実験では、Lnk欠損血小板では血餅形成が障害され、ずり応力をかけた条件での血栓形成に関してもLnk欠損血小板において血栓の蓄積が障害されていた。血餅退縮障害及び血栓形成異常はインテグリンαIIbβ3を介して惹起されるラメリポディアの形成異常に起因することが推察された。

【考察】

 本研究において、私は細胞内アダプター蛋白質Lnkの機能ドメインの同定とLnkを阻害しうるドミナントネガティブ変異体の作製を行った。レトロウイルスを用いたドミナントネガティブ変異体の遺伝子導入は造血幹細胞・前駆細胞に内在性に発現するLnkの機能を阻害し、造血能を亢進させることが明らかとなった。レトロウイルスを介した造血幹細胞・前駆細胞への遺伝子導入は造血系腫瘍の誘発が危惧されているので、発現プラスミドベクターを用いて造血幹細胞・前駆細胞での一過性遺伝子発現法を確立し、Lnkの一過性阻害の効果を検討した。Lnkの一過性機能阻害もまた移植細胞の生着能を増強することから、Lnkの阻害効果は造血幹細胞・前駆細胞の増殖だけでなく、移植後早期の生着も増強しているさせると考えられ、Lnkの一過性阻害は造血幹細胞の機能制御に向け副作用の危惧の少ない有用な方法と思われる。

 Lnk 欠損マウスで見られる造血幹細胞・前駆細胞数の増加はTPOの欠損によりかなり軽減することが報告されている。また巨核球を用いた生化学解析の結果からLnkはTPOシグナルを制御していることが明らかとなり、Lnk 欠損によるTPOの反応性亢進が造血幹細胞・前駆細胞数の増加の一因と考えられた。

 インテグリンβ1を欠失する造血幹細胞において移植後の生着障害が報告され、造血幹細胞の骨髄Nicheへの遊走・接着にインテグリンが重要な役割を担っていることが明らかとなっている。血小板の機能解析からLnk はインテグリンαIIbβ3を介した細胞骨格制御に関わること、またTranswell migration assayの結果から、Lnkが造血幹細胞・前駆細胞の細胞動態を制御する分子であることが分かった。これらを考え合わせると、Lnkは造血幹細胞のインテグリンを介した細胞骨格制御に関与し、造血幹細胞が適正な骨髄Nicheへ到達する機会を増やしているのかもしれない。

 本研究でLnkがサイトカインとインテグリンシグナルの双方で機能するアダプター蛋白質であることが明らかとなった。サイトカインとインテグリンシグナルの協調作用についてはほとんど分かっていないので、Lnkの機能解析を通してその詳細な作用機序を明らかにすることはアダプター蛋白質の新たな機能解明とともに造血幹細胞の新しい制御機構の解明につながるものとして期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は細胞内アダプター蛋白質Lnkの欠損マウスで観察される造血幹細胞数の顕著な増加及びその高い造血能に着目し、Lnk阻害剤の開発及び造血幹細胞・前駆細胞の造血制御への応用を試みたものである。さらに、血小板産生におけるLnkの作用点解明および血小板におけるLnkの機能解析を通してLnkによる造血幹細胞の機能制御と共通のメカニズムを明らかにしようと試み、下記の結果を得ている。

1.Lnkの各ドメインにミスセンス変異または欠失変異を導入した種々の変異体を作製し、c-Kit依存性増殖を示す肥満細胞株MC9細胞に遺伝子導入して増殖に与える影響を解析した。その結果、野生型Lnkに見られる増殖抑制がSH2ドメインのミスセンス変異より消失したことから、SH2ドメインがc-Kit依存性増殖抑制に必須の役割を担うことが示された。

2.Lnkを過剰に発現し、c-Kit依存性増殖をほとんど示さないMC9細胞のトランスフェクタント (MC9-Lnk) に種々のLnk変異体を遺伝子導入し、c-Kit依存性増殖能の回復を見たところ、SH2ドメインのミスセンス変異群は野生型Lnkの機能を阻害するドミナントネガティブ変異体 (DN-Lnk) として機能しうることが示された。SH2ドメインのミスセンス変異にN末端領域の欠失を加えるとその阻害効果が消失し、ドミナントネガティブ効果におけるN末端領域の機能が推察された。

 Lnkを強発現させたCOS7 細胞溶解液の架橋実験や免疫沈降法により、野生型LnkはN末端領域を介して野生型同士だけでなくLnk変異体とも多量体形成することが分かり、ドミナントネガティブLnk変異体は野性型Lnkとの多量体形成により野生型Lnkの機能を競合阻害していることが推察された。

3.レトロウイルスを用いてDN-Lnkを発現させた造血幹細胞・前駆細胞の移植実験では、DN-Lnk は造血幹細胞・前駆細胞に内在性に発現するLnkの機能を阻害できることが示された。レトロウイルスベクターによる遺伝子導入では導入細胞の悪性転換が懸念されているため、発現プラスミドベクターとエレクトロポレーション法による遺伝子導入を行ったところ、DN-Lnkの一過性発現もまた造血幹細胞・前駆細胞の造血能を増強することが明らかとなった。さらに骨髄非破壊的前処置を施した免疫不全マウスにも生着し、免疫細胞を効率良く再構築することが示され、DN-Lnkの一過性発現は造血幹細胞及び前駆細胞の移植後早期の生着能を促進すると考えられた。Transwell migration assayを用いて造血前駆細胞の骨髄へのホーミングに重要な役割を担うCXCL12に対する遊走能を評価したところ、Lnk欠損造血前駆細胞の骨髄細胞に発現するVCAM-1に対する接着増強が示された。

4.Lnk欠損マウス骨髄に存在する巨核球前駆細胞はその数のみならずTPOの反応性も亢進していた。また、Lnk欠損により骨髄及び脾臓に存在する巨核球数の顕著な増加に加え、より多くの核数を持つ成熟骨髄巨核球の割合も増加していた。さらに、Lnk欠損マウスでは血中TPO濃度が上昇しており、Lnk 欠損マウスの血小板増多はTPO濃度上昇とTPO反応性亢進に伴う成熟巨核球数の増加に起因することが推察された。

5.骨髄よりTPOにより分化誘導した骨髄由来巨核球細胞を用いた生化学的解析から、LnkはTPOにより活性化されるErkに至る経路を抑制していることが示された。

6.インテグリンαIIbβ3を介した刺激により伸展するLnk欠損血小板はフィロポディア優位な形態を示した。この血小板溶解液を用いた生化学的解析からインテグリンαIIbβ3の刺激依存性にLnkはADAP及びSrcと複合体を形成し、FynのインテグリンαIIbβ3へのリクルート及びβ3鎖のリン酸化を制御していることが分かった。Lnk欠損血小板では血餅形成だけでなく、ずり応力をかけた条件下の血栓形成が障害されていた。血餅退縮障害及び血栓形成異常はインテグリンαIIbβ3を介して惹起されるラメリポディアの形成異常に起因すると考えられた。

 以上、本論文は細胞内アダプター蛋白質Lnkの機能を阻害する変異体を同定し、造血幹細胞・前駆細胞の骨髄再建能を増強することを示した。また、Lnkがサイトカインシグナルの負の調節因子としてだけでなく、インテグリンシグナルの正の調節因子として機能していることを初めて明らかにした。本研究はこれまで未知に等しいサイトカインとインテグリンシグナルの相互ネットワークの解明とともに、造血幹細胞の新しい制御機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク