学位論文要旨



No 122524
著者(漢字) 寺林,健
著者(英字)
著者(カナ) テラバヤシ,タケシ
標題(和) 細胞極性を制御するリン酸化酵素Par1b/MARK2によるラット海馬神経細胞からの樹状突起伸長制御機構の解明
標題(洋)
報告番号 122524
報告番号 甲22524
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2820号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 助教授 大海,忍
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 助教授 宮澤,恵二
内容要旨 要旨を表示する

 神経細胞は高度に極性を有した細胞のひとつである。神経細胞の極性を理解するうえでラット海馬神経初代培養がよく使われている。通常、海馬神経細胞は細胞体から1本の軸索と複数の樹状突起と呼ばれる、異なる2種類の突起を有することで極性を形成している。軸索や樹状突起の伸長には微小管の重合が重要であり、実際に軸索、樹状突起では微小管の重合が促進されており、微小管が密に張り巡らされている。しかし、軸索の形成やガイダンス機構などについてこれまで多くの報告がなされているが、樹状突起の形成や伸長については未だ知見が乏しい。

 セリン・スレオニンキナーゼであるPar1b/MARK2は細胞の極性を制御するタンパク質である。またMAP2やTauなどの微小管結合タンパク質(microtubule-associated proteins, MAPs)をリン酸化することも報告されている。近年、Par1b/MARK2が極性決定前のラット初代培養海馬神経細胞において軸索の決定に重要な役割を果たしていることが報告された。Par1b/MARK2の強制発現は軸索の形成を阻害し、また内在性のPar1b/MARK2の発現抑制により神経細胞は何本もの軸索を有するようになる。これらの結果からPar1b/MARK2が軸索決定に大きく関わっていると考えられるが、極性決定後の神経細胞においてどのような役割を持つのかは不明なままである。

 そこで本研究では、極性決定後の神経細胞でのPar1b/MARK2の機能を、ラット初代培養海馬神経細胞を用いて解析した。

 まず、極性決定後のラット海馬神経細胞において野生体Par1b/MARK2を過剰発現させた。このとき野生体Par1b/MARK2を発現している神経細胞では、コントロールに比べて、樹状突起の退縮と分岐端の減少が見られた。しかし、この現象はキナーゼ活性を持たない変異体Par1b/MARK2を発現している神経細胞では見られなかった。これらのことから、Par1b/MARK2は極性決定後の神経細胞において樹状突起の伸長を負に制御していること、またそれにはPar1b/MARK2のキナーゼ活性が関わっていることが示唆された。

 次に極性決定後の神経細胞の樹状突起伸長における内在性Par1/MARK2の役割を調べるために、RNA干渉法により内在性のPar1b/MARK2の発現抑制を試みた。神経細胞にラットPar1b/MARK2に対するsiRNAを導入し細胞の形態を観察すると、Par1b/MARK2-siRNAを導入した神経細胞は、コントロールに比べ、より長く、より分岐した樹状突起を有していた。さらにPar1b/MARK2-siRNAとヒトPar1b/MARK2プラスミドを同時に導入した場合、Par1b/MARK2-siRNAの効果による樹状突起の伸長はみられず、コントロールの神経細胞と同等の樹状突起が観察された。過剰発現の結果と合わせると、これらの結果はPar1b/MARK2が極性決定後の神経細胞において樹状突起の伸長を負に制御していることを示している。

 極性決定後の神経細胞でPar1b/MARK2が樹状突起の伸長を負に制御することが明らかになったことから、続いてPar1b/MARK2の制御機構の検証を行なった。Dishevelled (Dvl)はWntシグナル情報伝達経路においてシグナルの分岐点として非常に重要な機能を有するタンパク質である。ラット海馬初代培養神経細胞においてDvlの強制発現により樹状突起が促進されること、またDvl-1遺伝子のノックアウトマウスの海馬初代培養神経細胞では正常な樹状突起の発達が起こらないことが報告されている。また、ショウジョウバエのDvlであるDsh はPar1と結合することが知られていることから、樹状突起伸長においてDvlとPar1b/MARK2は機能的に競合する可能性が考えられたため、その検証を行なった。

 以前に報告されているように、Dvlを神経細胞に発現させた場合、神経細胞はコントロールに比べてより長く、より分岐した樹状突起を有するようになった。しかし、野生体Par1b/MARK2をDvlと共発現させた場合、神経細胞にはDvlの過剰発現による効果は現れず、細胞はコントロールと同等の形態を示した。一方、キナーゼ活性を不活性化した変異体Par1b/MARK2はDvlの効果を抑制しなかった。これらの結果から、樹状突起の伸長時においてPar1b/MARK2はDvlに対して機能的に競合することが示唆された。

 さらにこの機能的競合を分子レベルで解析した。Par1b/MARK2による樹状突起伸長制御にはPar1b/MARK2のキナーゼ活性が重要であることが示唆されたことから、DvlがPar1b/MARK2のキナーゼ活性を阻害する可能性が考えられた。そこでCos7細胞において発現させたPar1b/MARK2を用いてin vitroキナーゼアッセイを行なったが、Dvlの発現によるPar1b/MARK2のキナーゼ活性の阻害はみられなかった。しかしCos7細胞に発現させたPar1b/MARK2を細胞画分に分離したときに、Dvlと共発現したPar1b/MARK2は膜画分に移行することが見出された。このことからPar1b/MARK2の膜移行について検証することにした。

 DvlがWntシグナル伝達経路で働く因子であることから、Wnt刺激に対してPar1b/MARK2の局在変化が起こる可能性を考えた。神経細胞をWnt3aで処理し細胞抽出液を細胞質、細胞膜の画分に分離すると、内在性のPar1b/MARK2は膜画分に移行していた。またこのとき内在性のDvlも膜画分に移行していた。これらの結果はDvlがPar1b/MARK2の膜画分への移行を促進すること、またそれがWntシグナルにより制御されていることを強く示唆している。

 Wntシグナルが樹状突起の伸長に関わっていることから、細胞質中に存在するPar1b/MARK2が樹状突起の伸長を負に制御していると考えられる。そこで、ミリスチン酸付加配列を付加し恒常的に膜に局在するようにした膜局在変異体Par1b/MARK2を作製した。この変異体を神経細胞に発現させると、樹状突起の退縮は見られなかった。この結果はPar1b/MARK2の細胞内局在の制御がWntによる樹状突起伸長に重要であることを示唆するものである。

 神経突起の伸長には微小管が安定的に伸長することが不可欠である。Dvlは微小管の安定化に関与しているとの報告があることから、次に微小管の安定化におけるDvlとPar1b/MARK2の関係を検証した。NIH3T3細胞を微小管重合阻害剤であるノコダゾールで処理すると、細胞中の微小管構造は消失する。しかしDvlを発現している細胞では、報告の通りに、ノコダゾール処理を行なっても微小管の消失は抑えられていた。さらにDvlと野生体Par1b/MARK2を共発現させたとき、Dvlによる微小管安定化はPar1b/MARK2 の発現によりに阻害されていた。またこの阻害効果はPar1b/MARK2のキナーゼ活性に依存していた。これらの結果から、樹状突起の伸長にはDvlとPar1b/MARK2による微小管の安定化制御が必要であると考えられる。

 これまでの結果からPar1b/MARK2は微小管の安定性を負に制御する因子であることが明らかとなったが、それでは何故Par1b/MARK2は樹状突起の伸長だけを選択的に抑制し、軸索の伸長には何も影響を与えないのだろうか。Par1b/MARK2の基質となるTauやMAP2は、神経細胞においてそれぞれ主に軸索、樹状突起に局在している。これらのことから、Par1b/MARK2がMAPsの中でMAP2を優先的にリン酸化することにより樹状突起の伸長を選択的に抑制しているのではないかと考えられた。そこで、豚脳から精製したTauとMAP2を基質として、組み換えタンパク質Par1b/MARK2によるリン酸化を比較すると、MAP2はTauよりも優位にリン酸化されていた。この結果はPar1b/MARK2が樹状突起の伸長だけを特異的に負に制御することを支持するものである。

 以上、本研究においてPar1b/MARK2は極性形成後の神経細胞の樹状突起を負に制御していることが明らかになった。Par1b/MARK2は樹状突起の細胞質に存在するMAP2を優先的にリン酸化することにより、樹状突起の伸長を特異的に抑えていると考えられる。恒常的に膜に局在する変異体Par1b/MARK2は樹状突起伸長を阻害しなかったことから、樹状突起が伸長するにはPar1b/MARK2が細胞質から排除されることが重要であると考えられ、このPar1b/MARK2の細胞内局在の制御にはWntシグナルの関与が示唆された。

 Wntシグナルは樹状突起の伸長に深く関わっていることが知られている。しかし軸索ではなく、樹状突起特異的に伸長を引き起こす分子機構はこれまで明らかにされていなかった。本研究は極性決定後の神経細胞の樹状突起伸長におけるPar1b/MARK2の機能を示すとともに、Wntシグナルが何故樹状突起の伸長のみを促進するのかを説明する一助になるものである。このことから本研究は神経細胞の極性の獲得・維持を理解する上で新たな知見を与えると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、細胞の極性制御において重要な役割を果たしているセリン・スレオニンキナーゼPar1b/MARK2の極性決定後の神経細胞における機能解析をラット海馬初代培養神経細胞を用いて行なったものであり、下記の結果を得ている。

1.Par1b/MARK2を発現させた極性決定後のラット海馬初代培養神経細胞の形態を観察することにより、Par1b/MARK2の発現により樹状突起の伸長が抑制されることが見出された。またこの伸長抑制はPar1b/MARK2のキナーゼ活性依存的に行なわれていることも明らかされた。さらにRNA干渉法を用いて内在性のPar1b/MARK2の発現を抑制することにより樹状突起の伸長が促進されたことから、極性決定後のラット海馬初代培養神経細胞においてPar1b/MARK2は樹状突起の伸長を負に制御していることが示された。

2.Wntシグナル情報伝達経路の構成因子であるDvlはラット海馬初代培養神経細胞の樹状突起伸長を促進することが知られている。DvlとPar1b/MARK2を共発現させたラット海馬初代培養神経細胞の形態を観察することにより、Par1b/MARK2はDvlによる樹状突起伸長を抑制することが見出された。このことは樹状突起伸長においてPar1b/MARK2はDvlに対して競合的に機能することを示唆している。

3.in vitroにおいて、Cos7細胞に発現させたPar1b/MARK2のMBPに対するキナーゼ活性の測定を行なったところ、Dvlの共発現によりPar1b/MARK2のキナーゼ活性は抑制されないことが示された。

4.Cos7細胞に発現させたPar1b/MARK2を低張液を用いて細胞画分に分離することにより、Par1b/MARK2がDvl依存的に細胞質から細胞膜へと移行することが示された。またこのとき、Par1b/MARK2は細胞膜においてDvl依存的にリン酸化を受けることも見出された。このリン酸化については、リン酸化残基の同定は果たされたが、生理的条件下におけるリン酸化の存在は示されていない。

5.Wnt刺激をしたラット海馬初代培養神経細胞を細胞画分に分離することにより、内在性のPar1b/MARK2は刺激依存的に細胞質から細胞膜へと移行することが示された。

6.srcのミリストイル酸付加配列を付加した常膜局在型Par1b/MARK2を作製し、ラット海馬初代培養神経細胞に発現させたところ、樹状突起伸長の抑制は認められなかった。このことからPar1b/MARK2が細胞質に存在することが樹状突起伸長の抑制に必要であることが見出された。

7.Dvlは微小管重合阻害剤ノコダゾールに対して微小管を安定化することが知られている。Dvlの欠失変異体を作製しその微小管安定化能の検証を行なったところ、微小管安定化にはPDZドメインとその周辺配列が必要であることが示された。また免疫沈降法により、この部位がPar1b/MARK2との結合にも必要であることが示され、微小管安定化とPar1b/MARK2との結合の相関性が見出された。

8.in vitroにおいて、豚脳より精製したTau、MAP2に対するPar1b/MARK2のキナーゼ活性の測定を行なったところ、Par1b/MARK2はTauよりもMAP2を強くリン酸化することが示された。このことは神経細胞においてPar1b/MARK2が樹状突起の伸長を特異的に抑制することの一因であると考えることができる。

 以上、本論文は極性決定後のラット海馬初代培養神経細胞において、Par1b/MARK2の機能、及びその制御機構を明らかにした。本研究は、これまで詳細に解析されていなかったWntシグナルによる樹状突起特異的伸長促進機構を明らかにしたことから、神経細胞の機能獲得の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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