学位論文要旨



No 122527
著者(漢字) 菱沼,美千代
著者(英字)
著者(カナ) ヒシヌマ,ミチヨ
標題(和) ヒト正常組織と腫瘍組織におけるGlypican3の発現とその意義
標題(洋)
報告番号 122527
報告番号 甲22527
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2823号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 助教授 後藤,典子
 東京大学 助教授 大西,真
 東京大学 講師 北山,丈二
 東京大学 講師 宇於崎,宏
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

 肝腫瘍を対象にしたDNAマイクロアレイ解析により,肝細胞癌,肝芽腫で高率,特異的にGlypican 3(GPC3)の発現が上昇していることが見出された.Glypicanはヘパラン硫酸プロテオグリカンに属する膜蛋白である.はじめに過成長症候群であるSimpson-Golabi-Behmel症候群(SGBS)においてGPC3遺伝子のmutationが報告され,SGBSでは悪性腫瘍の発生が多いことから,各種の腫瘍においてGPC3の異常が検討された.その結果,肝細胞癌,肝芽腫におけるGPC3の発現亢進が見出された.

 従来,腫瘍マーカーと呼ばれる腫瘍特異的に発現する分子が知られている.中でも癌胎児性蛋白は,胎児期の組織では高発現しているが,出生後に発現が消失またはごく低濃度となり,組織の修復,腫瘍の発生に伴って胎児期と同じ部位に再び発現する分子である.GPC3は胎児肝および肝細胞癌において発現し,正常肝に発現していないことから,肝臓における癌胎児性蛋白と考えられている.癌胎児性蛋白が胎児組織,癌組織で発現する機序,意義については明確ではなく,また癌胎児性蛋白であることを証明するためには詳細な蛋白発現に関する検討が必要である.

 本研究においては,特に肝細胞癌の特異的なマーカーとして見出されたGPC3に関して,その発現の意義を探索するため,正常胎児および成人組織,各種の腫瘍組織を用いて,GPC3の蛋白発現の系統的,網羅的検索を行った.高頻度にGPC3が発現している腫瘍においては,他の癌胎児性蛋白(Alpha-fetoprotein;AFP, Human chorionic gonadotropin-beta;HCG-beta)との比較も行った.

本研究の概要と結果のまとめ

1.Tissue microarray(TMA)の構築

 多数例の免疫組織化学的検討を効率的に行うため,外科切除標本を用いたTMAの構築を行った.対象例490例のうち481例(98.2%)について検討できた.TMA1枚に最大24症例を配置し,連続切片を用いることにより同一症例において複数の抗体を比較することも容易であった.

2.ヒト正常組織におけるGPC3の発現

 胎児,新生児および成人正常組織を用いて,GPC3蛋白の発現を検討した.胎盤(100%),胎児の肝臓(100%)および腎臓(妊娠初期,後期100%,中期85.7%)にGPC3の強い発現を認めた.新生児では肝臓(100%),腎臓(67%)に弱い発現があった.成人組織では検索した臓器にGPC3の発現は認めなかった.

3.ヒト腫瘍組織におけるGPC3の発現

3-1.各種のヒト腫瘍組織におけるGPC3の発現

 各種の腫瘍(肝内胆管癌,肝外胆管癌,胆嚢癌,膵臓癌,膀胱癌,卵巣癌,子宮頸癌,子宮体癌,腎芽腫,悪性黒色腫,肝細胞癌,肺癌,食道癌,胃癌,大腸癌,乳癌,腎細胞癌,前立腺癌,脳膠芽腫,髄膜腫,胸腺腫,骨肉腫)におけるGPC3の発現を調べた.腎芽腫(90%),肝細胞癌(70.5%)において陽性率が高く,強い染色性を示した.その他の腫瘍では卵巣癌(33.3%),胆嚢癌(30%),子宮頸癌(30%)等に陽性であった.

3-2.肝臓の腫瘍および非腫瘍性病変におけるGPC3の発現

 肝細胞癌を含む肝臓の腫瘍性病変例,良悪性境界病変例,非腫瘍性病変例を検討した.また肝細胞癌のマーカーであるAFP,Hepatocyte antigen(HEP)との比較を行った.GPC3陽性率は,腫瘍性病変では肝芽腫(100%),肝細胞癌(83.9%),境界病変では異形成性結節(50%),非腫瘍性病変では限局性結節性過形成(33.3%),劇症肝炎(11.1%)であった.肝細胞癌と背景肝において検討すると,GPC3とAFPは肝細胞癌を特異的に認識し,良悪性診断マーカーとして有用と考えられたが,HEPは肝細胞癌,背景肝ともに発現していた.肝細胞癌において,GPC3はAFPよりも陽性率が高く,特に高分化,中分化肝細胞癌におけるGPC3陽性率は有意に高かった.

3-3.腫瘍組織におけるGPC3とAFP,HCG-betaの発現の比較

 GPC3の発現頻度が高い10種類の腫瘍について,癌胎児性蛋白であるAFPとHCG-betaとの比較検討を行った.GPC3とAFPの陽性率は,肝芽腫では100%,66.7%,肝細胞癌では70.5%,30.5%であった.GPC3はAFPより陽性率が高いだけでなく,個々の陽性例においてもAFPより強く広範囲に腫瘍細胞を認識した.HCG-betaが特異的に発現している腫瘍はなかった.

4.AFP産生腫瘍におけるGPC3の発現

 代表的なAFP産生腫瘍であるHepatoid胃癌と精巣胚細胞腫瘍を用いてGPC3の発現を調べた.

4-1.Hepatoid胃癌

 AFPの他,肝細胞癌マーカーであるProtein induced by vitamin K antagonist or absence-2(PIVKA-2),HEPを加えて検討した.GPC3, AFPはHepatoid胃癌10例全例で陽性であり,いずれもHepatoid componentに強く発現する傾向があった.陽性例の多くで,GPC3はAFPより広範囲で強い染色性を示した.PIVKA-2,HEP陽性例はそれぞれ3例,5例であったがHepatoid componentを認識する傾向はなかった.TMAの胃癌118例では,GPC3,AFP,PIVKA-2,HEP陽性率はそれぞれ3.4%,0.8%,5.1%,22.0%であった.GPC3陽性例のうち1例(0.8%)がHepatoid胃癌であった.この症例ではAFP陽性部はHepatoid componentに限局していたが,GPC3はNon-hepatoid componentも含めて,AFPよりも強く広範囲に腫瘍を認識した.

4-2.精巣胚細胞腫瘍

 胚細胞腫瘍のうちAFP産生腫瘍である卵黄嚢腫瘍を中心に,HCG-beta,OCT3/4を加えて各組織型について検討した.

 GPC3は,卵黄嚢腫瘍(100%)に高率に発現していた.その他の腫瘍におけるGPC3陽性率は,合胞体性巨細胞(71%),絨毛癌(33.3%),奇形腫(20%)であった.AFPは卵黄嚢腫瘍(92%)の他,奇形腫(20%)にも発現していた.混合型胚細胞腫瘍の卵黄嚢腫瘍21例における比較では,AFPは2例の陰性例があったがGPC3は全例で陽性であった.また9例でGPC3はAFPよりも広範囲に発現していた.HCG-betaは合胞体性巨細胞(100%),絨毛癌(100%)に,OCT3/4は精上皮腫(100%),精細管内胚細胞腫瘍/分類不能型(97%),胎児性癌(95%)において陽性であった.

5.GPC3が腫瘍増殖に与える影響

 GPC3が組織における成長,増殖の調節あるいは腫瘍発生に関与する可能性が示唆されている.そこでGPC3陽性細胞株(肝細胞癌細胞株,AFP産生胃癌細胞株,胃癌細胞株)とGPC3陰性細胞株(胃癌細胞株)にshort interfering RNA(siRNA)を導入してmRNAを抑制し,GPC3蛋白の発現抑制が細胞増殖に与える影響をみた.MTT assayでは,GPC3陽性細胞株において,siRNAによってGPC3蛋白発現を抑制した細胞では,増殖率の低下がみられた.GPC3陰性細胞株では,細胞増殖率に変化を認めなかった.

6.針生検組織による肝腫瘍,境界病変の病理診断への応用

 肝臓針生検検体を用いて高分化肝細胞癌,異形成性結節と背景肝におけるGPC3の発現を検索し,臨床病理学的診断における抗GPC3抗体の有用性と血管内皮マーカーCD34との相補的使用について検討した.肝細胞癌Ed2,Ed1,異形成性結節,背景肝におけるGPC3陽性率はそれぞれ55.6%,26.7%,14.3%,14.0%であり,肝細胞癌における陽性率は,非癌組織(異形成性結節,背景肝)より有意に高かった(p=0.00092).CD34陽性率は63.0%,26.7%,0%,0%であった.GPC3にCD34を相補的に使用すると,GPC3単独で使用した場合と比較して,感度が55.6%から69.0%に向上し,特異度,陽性的中率,陰性的中率についても86.0%,80.6%,76.8%と比較的良い結果が得られた.

考察

 GPC3は腫瘍組織では肝芽腫,肝細胞癌,腎芽腫に高頻度に発現し,胎児期と同様の分布を示した.成人の肝臓,腎臓では発現しないことから,肝臓と腎臓においてGPC3が癌胎児性蛋白としての性質を有することが示された.GPC3は成長因子を介して細胞増殖に関わる可能性が指摘されており,胎児および腫瘍組織内で細胞増殖を調節していると考えられる.また肝芽腫,肝細胞癌,Hepatoid胃癌,精巣卵黄嚢腫瘍では,GPC3はAFPよりも陽性率が高く,これらの腫瘍における腫瘍マーカーとしてGPC3の有用性が示唆された.

 肝細胞癌,AFP産生胃癌,胃癌細胞株を用いた生物学的検討では,GPC3陽性細胞株では,GPC3蛋白の発現抑制により細胞増殖率の低下を認めた.GPC3を発現している腫瘍において,GPC3は細胞増殖を促進している可能性がある.

 臨床病理診断への応用を目指した針生検組織における検討では,GPC3陽性率は肝細胞癌において非癌組織よりも有意に高く,さらにGPC3とCD34の相補的使用により,診断の感度を向上させうることが示された.

 本研究で行った免疫組織学的検索,特に系統的なTMAを用いた検討は,腫瘍における蛋白発現の網羅的解析を行う上で非常に有用であり,今後のポストゲノム研究を進める中で極めて重要な手法と考えられた.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,ヒト胎児期の細胞増殖および出生後の腫瘍の発生,進展に関与していると考えられる膜蛋白Glypican3(GPC3)の正常組織,腫瘍組織における分布とその発現の意義を明らかにするため,ヒト正常組織,各種の腫瘍組織におけるGPC3の発現について免疫組織化学的検討を行った.また肝細胞癌細胞株,胃癌細胞株を用いてGPC3蛋白が腫瘍細胞の増殖に与える影響を検討した.これにより下記の結果を得ている.

1.ヒト胎児,新生児,成人剖検例および各種腫瘍の切除例を用いて,免疫組織化学染色を行った.GPC3は胎児正常組織において肝臓,腎臓に発現しているが,成人では発現を認めなかった.また,肝臓,腎臓における腫瘍(肝芽腫,肝細胞癌,腎芽腫)の発生に伴いGPC3が高発現してくることを示し,その癌胎児性蛋白としての性質を明らかにした.

2.Alpha-fetoprotein(AFP)産生腫瘍において,GPC3は肝芽腫,肝細胞癌だけでなくHepatoid胃癌,精巣卵黄嚢腫瘍においても高い陽性率を示した.これらの腫瘍においてAFPが血清あるいは免疫組織化学的マーカーとして臨床的に広く使用されているが,本研究の中ではGPC3がAFPよりも多くの症例において強く広範囲にAFP陽性細胞を含めた腫瘍細胞を認識し,より優れた免疫組織化学的腫瘍マーカーである可能性が示唆された.

3.肝生検検体を用いた高分化肝細胞癌の診断において,抗GPC3抗体の臨床病理学的応用について試みた.高分化肝細胞癌,異形成性結節,背景肝におけるGPC3の発現を比較したところ,GPC3陽性率は肝細胞癌において非癌部(異形成性結節,背景肝)より有意に高かった.また,血管内皮マーカーであるCD34を相補的に使用することにより診断感度を向上させうることを示し,GPC3は,臨床病理診断においても有用なマーカーであることを示した.

4.GPC3陽性細胞株(肝細胞癌,AFP産生胃癌,胃癌細胞株)にshort interfering RNAを導入してGPC3蛋白発現を抑制し,腫瘍細胞の増殖率の変化があるかどうかについて検討した.またGPC3陰性細胞株(胃癌細胞株)についても同様の検討を行い,GPC3陽性細胞株と比較した.その結果,GPC3陽性細胞株では,GPC3蛋白発現の抑制と共に細胞増殖率の低下が観察されたが,GPC3陰性細胞株では細胞増殖率に変化を認めなかった.この結果から,GPC3がこれらの腫瘍において細胞増殖を促進している可能性が考えられた.

 以上,本研究はGPC3が癌胎児性蛋白としての性質を有することを明らかにすると共に,肝細胞癌をはじめとするAFP産生腫瘍における免疫組織化学的腫瘍マーカーとしてのGPC3の有用性を示した.また,GPC3が腫瘍組織において細胞増殖を促進している可能性を見出した.本研究は,これらの腫瘍における病理診断能の向上と,腫瘍における細胞増殖機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

UTokyo Repositoryリンク