学位論文要旨



No 122530
著者(漢字) 松本,憲二
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ケンジ
標題(和) マウスES細胞からの造血幹細胞誘導
標題(洋)
報告番号 122530
報告番号 甲22530
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2826号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 教授 高津,聖志
 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
 東京大学 講師 高岡,晃教
内容要旨 要旨を表示する

 ES細胞(embryonic stem cell;胚性幹細胞)とは着床前の胚盤胞中の内部細胞塊から樹立した細胞株で、未分化状態を維持したまま長期に培養することが可能であり、初期胚に戻すことですべての細胞に分化する多分化能を有している。血液学の分野においては、マウスES細胞を用いて血液細胞発生初期の機序を解明し、成熟した各血液細胞系譜を誘導する方法を見出すための基礎研究の多くが行われてきた。

 ES細胞から血液細胞を分化誘導するには主に2つの異なる実験方法が用いられている。 ひとつは胚様体(Embryoid body:EB)形成法で、もうひとつの方法はストローマ細胞OP-9との共培養法である。分化誘導された細胞が造血幹細胞であることを証明するには放射線照射によって骨髄を破壊されたマウスにドナー細胞を移植し、長期間にわたって各血球分化能を持つ細胞が出現することが示されなければならない。今までES細胞から成熟血球を分化誘導したという報告は多数あったが、骨髄を長期間再構築する造血幹細胞を分化させたという報告は、2002年のKybaらによる、ES細胞から分化誘導した造血前駆細胞に転写因子のヒトHoxB4(HOXB4)を過剰発現させることで移植可能な成体型造血幹細胞を分化できるという報告が初めてであった。

 本研究の目的は、まず(1)ES細胞から造血幹細胞が分化してくる過程でHOXB4はどの細胞分画に作用して成体型造血幹細胞へ分化するのか、次に(2)その細胞分画がヘマンジオブラストや胎仔型造血としての能力を持っているか解析することで、発生における分化のどの段階であるか推測し、さらに(3)HOXB4発現前後の細胞表面マーカーや遺伝子発現を比較してHOXB4が造血幹細胞分化において担っている役割の解明を目指し、最後に(4)HOXB4を発現させて移植された細胞が分化能において成体型造血幹細胞といかなる差異を持つか、以上の4項目である。

 以上のような命題に答えるために、まずHOXB4をES細胞に安定して強制発現させる方法としてテトラサイクリン(tetracycline:Tet)誘導遺伝子発現法の一つであるTet-Off systemを用いていた。さらにこれを時間的空間的に普遍に発現しており遺伝子サイレンシングが起こりにくいROSA26部位に遺伝子を導入することよってHOXB4の発現時期をコントロールすることが可能になり、HOXB4を発現させる時期を明確にすることができるES細胞を作成した。

 作成したES細胞を用いて造血幹細胞を誘導する際にどの時期からHOXB4を強制発現させればよいか調べた。まず作成したES細胞を胚様体形成法で分化させ、6日目にトリプシン処理を行った後にOP-9細胞と共培養し、このときドキシサイクリン(doxycycline:Dox)を投与したものと除去して投与しなかったものを用意した。するとDoxを除去し、HOXB4の発現を誘導したときに血球様の細胞が出現した。しかしHOXB4を発現させても全てが血球様の細胞になるのではなく、線維芽細胞様の細胞や中胚葉と思われる形態のものも出現しており、胚様体のすべての細胞が血球に分化するのではないことが示唆された。HOXB4を発現させたときに出現するこのような血球様の細胞に造血幹細胞が含まれているか否かを調べるために、造血幹細胞のアッセイ法の一つであるコロニーアッセイを行い、胚様体を形成させて何日目にHOXB4を発現させてOP-9細胞との共培養を開始すれば一番効率よくミックスコロニーが観察されるかどうか調べた。胚様体形成後2,4,5,6,7日にOP-9細胞上で4日間共培養し、HOXB4の発現を誘導した細胞をFACSでソートしてコロニーアッセイを行った。 その結果胚葉体形成4日〜7日目からHOXB4を発現させた場合にミックスコロニーが出現することが示された。以上の結果から胚様体形成後4日〜7日目の細胞の中にHOXB4を発現させることで造血幹細胞に分化誘導させることができる細胞群が存在すると考えた。

 次に胚様体形成6日目(EB6)後に存在する細胞のうちHOXB4を発現させることで造血幹細胞に分化誘導させることができる細胞はどのような細胞であるか調べた。まずEB6の細胞表面マーカーの発現を調べた。EB6ではc-Kitの陽性側からCD41、CD34、CD31などが発現している。しかしCD45はこの時期ではまだ発現していなかった。経時的にしらべるとCD41はEB6に発現のピークとなっていた。

 c-Kit、CD41、CD34のマーカーを用いてEB6の細胞を各分画で分けてFACSでソートし、HOXB4を発現させながらOP-9細胞で4日間共培養した後にFACSでGFP陽性の細胞を1000個ソートし、コロニーアッセイを行った。さらに放射線照射後のマウスに移植して骨髄再構築能を調べた。移植したES細胞由来の細胞が骨髄再構築能を持っているか否か確認するために、移植後4及び12週目のレシピエントマウスの末梢血を解析した。全体で移植したものでは移植後4週目では末梢血中にES細胞由来のGFP陽性細胞を認めたものの、12週目には消失していて長期の生着は認めなかった。しかし、CD41陽性細胞をソートしてHOXB4を発現させながらOP-9細胞共培養後に移植した場合、12週後も生着を認めた。この結果から、CD41陽性細胞のみを培養したときの方が長期骨髄再建能を持つ細胞を効率よく誘導できることができると考えられた。さらに、CD41陽性細胞中のc-Kit陽性細胞を移植したときのみ長期骨髄再建を認めた。CD34で分けた場合は陽性、陰性細胞両方で移植が成立した。よってEB6のCD41(+) c-Kit(+)分画にHOXB4を発現させながらOP-9細胞共培養することで移植可能となる細胞が濃縮されていることが分かる。注意することとして、移植後のマウスの末梢血のES由来の細胞は全てGr-1,Mac-1陽性細胞であり、形態的にも分葉核の好中球を多く認めた。以上より、分化能においては必ずしも成体の造血幹細胞の条件は満たしていない。

 このEB6のCD41(+) c-Kit(+)分画がどのような細胞群であるか調べるために、血管と血球への共通の前駆体であるヘマンジオブラストのアッセイ法であるブラストコロニーアッセイ(blast colony-forming cell(BL-CFC) assay)と原始型造血の指標となる胎仔型赤血球コロニーアッセイ(primitive erythroid colony-forming (EryP) assay)を行った。BL-CFCアッセイにおいて、EB6ではHOXB4の発現の有無にかかわらず、CD41(+) c-Kit(+)細胞分画ではブラストコロニーを殆ど形成せず、CD41(-) c-Kit(+)細胞分画で最も多く形成された。ブラストコロニーの多分化能は各々のコロニーを新たに撒きなおした際に、多くが血管および血球へと分化したことで確認できた。またEryP アッセイにおいて、EryPはCD41(+) c-Kit(+)細胞分画およびCD41(+) c-Kit(-)細胞分画で最も多く形成された。このことからCD41(+) c-Kit(+)細胞分画はヘマンジオブラストとは区別され、胎仔型造血能を有する細胞分画であることが分かった。

 EB6の4分画におけるcDNAの発現をRT-PCR法で比較したところ、Runx-1、Gata-2、Sclの発現が全てCD41(+) c-Kit(+)細胞分画でみられた。このことから、この分画が成体型造血へ分化する準備段階にあると考えられた。またβ-H1,β-major globinはCD41(+) c-Kit(+)細胞分画、CD41(+) c-Kit(-)細胞分画で発現しており、先のEryPアッセイの結果と一致した。またBL-CFC活性の高いCD41(-) c-Kit(+)細胞分画はBrachyuryとFlk-1が発現しており、中胚葉の細胞分画であることを示しているが、この分画ではさらにendogenousなmHoxB4の発現も強かった。またこれらのBrachyury、Flk-1、mHoxB4はCD41(+) c-Kit(+)細胞分画でも発現しており、この分画がmesodermalな細胞と成体型造血への準備段階の両方の細胞の性質を有しているものと考えられた。

 次にこのHOXB4を発現させてOP-9細胞と共培養したときに、どのような細胞に変化しているのか調べるために、移植する際の細胞表面マーカーを調べた。EB6のCD41陽性細胞分画をソーティングしてHOXB4を発現させながらOP-9細胞と共培養した4日目の表面マーカーを調べた。比較として野生型ES細胞を同様に培養した。HOXB4を発現させると野生型と比較して、c-Kit(+) CD34(+)細胞が増加した。移植を行ったところ、移植後3ヶ月目のレシピエントマウスの末梢血を解析した結果、c-Kit(+) CD34(+) CD41(+) CD45(-)の細胞分画で移植が成立した。HOXB4を発現させることで、このような表面マーカーを持つ細胞を分化誘導させることが分かった。特にc-Kitは野生型では初期より陰性化するため、HOXB4はc-Kitの発現を維持させることで移植可能な細胞へ分化させるものと示唆された。

 ES細胞とEB6のCD41(+) c-Kit(+)とHOXB4を発現させてOP-9細胞と共培養させた群、HOXB4を発現させずにOP-9細胞と共培養させた群、さらに移植後マウスの骨髄に生着したES細胞由来細胞と正常骨髄からmRNAを抽出し、遺伝子の発現を比較した。胎児型赤血球で見られるβ-H1 globlinはEB6では発現しているが、HOXB4を発現させると減少し、移植後の骨髄では発現していなかった。HOXB4を発現させた群と発現させなかった群を比較するとGata-1,AML1発現は差がないが、Gata-2とBmi-1とPbx-1の発現量がHOXB4を発現させたOP-9細胞共培養後の細胞では発現しているが、HOXB4を発現させずにOP-9細胞と共培養したものは殆ど発現していなかった。

 ESから誘導された細胞が本来の造血幹細胞と異なるか調べるために、移植後のマウスの18週後の骨髄、末梢血を調べた。その結果GFP陽性細胞は殆どがGr-1,Mac-1陽性でCD4、CD8、B220陽性の細胞は殆ど認めなかった。さらにこの細胞をFACSで分離しサイトスピン標本を作ると分葉核の好中球であった。また骨髄において、GFP陽性細胞でLineageマーカー陰性の細胞はc-Kit(+) CD41(+) CD45(-)

 c-kitであり、この発現パターンは移植時のものと一致する。以上のことより、HOXB4を発現したままでは移植時と同じ表面マーカーを持つ細胞が維持されており、ES細胞由来のHOXB4発現細胞は移植後において正常骨髄と完全には一致しない細胞である可能性が示唆された。

 HOXB4の強制発現が移植後の分化能にどのように影響するか調べた。移植後8週目で生着を確認したマウスにDoxを投与して、in vivoでHOXB4の発現を抑制した。生着の確認として、GFPが使えないのでES細胞由来の細胞が持つLy5.2とレシピエントマウスが持つLy5.2/Ly5.1で移植の成立を判断した。その結果、Doxの投与を始めるとLy5.2でGFP陽性の細胞は消失する。つまりES由来の細胞でHOXB4の強制発現が抑制されていることが分かる。さらに分化マーカーを調べると、HOXB4を発現していたときはすべてGr-1 Mac-1陽性であったのに対し、HOXB4の強制発現を抑制するとGr-1 Mac-1陽性細胞は減少し、今まで存在しなかったCD4/8陽性細胞が出現した。B220陽性細胞は出現しない。 この状態でマウスの末梢血を経時的に解析すると全体のキメリズムは徐々に減少していく。このことから、HOXB4が分化能に対し何らかの影響を与えるが、HOXB4の強制発現を中止することで成体と同様の造血幹細胞に分化するのではなく、ES細胞由来の造血幹細胞においては長期間にわたって自己複製するにはHOXB4の強制発現が必要であると考えられる。

 以上の結果よりES細胞を胚様体形成法により分化させると6日目前後にCD41(+) c-Kit(+)細胞分画が出現し、この細胞分画をOP-9細胞と共培養させ、このときにHOXB4を発現させると移植によって長期骨髄生着を示す造血幹細胞に誘導させることができる。このEB6のCD41(+) c-Kit(+)細胞分画はヘマンジオブラストとしての能力はないが胎仔型造血は示し、さらに成体型造血幹細胞でみられる遺伝子群を発現しており、造血幹細胞の前駆細胞が含まれていると考えられた。この細胞群はHOXB4の発現によってCD41(+) c-Kit(+) CD34(+) CD45(-)細胞となり、Gata-1、Bmi-1の発現を誘導した。しかし移植後もHOXB4を発現させ続けると長期骨髄再建能は維持されるものの骨髄球系の細胞へのみ分化し、HOXB4の発現が分化に影響を与えることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はマウス胚性幹細胞(ES細胞)から造血幹細胞を分化誘導する機構を解明するために、転写因子であるヒトHoxB4(HOXB4)をTet-off systemを用いてES細胞に過剰発現させながらOP-9細胞と共培養してES細胞から造血幹細胞を分化誘導する系を用いて、下記の結果を得ている。

1.ES細胞から胚様体を形成し、4から7日目にHOXB4を過剰発現させてOP-9細胞と共培養すると、各血球系譜を含むミックスコロニー(CFU-nmEM)が出現する。

2.胚様体6日目(EB6)のCD41(+) c-Kit(+)細胞分画にHOXB4を過剰発現させてOP-9細胞と共培養するとCFU-nmEMが出現し、放射線照射後マウスに移植すると長期骨髄再建能を示す。

3.EB6のCD41(+) c-Kit(+)細胞分画はブラストコロニーを作らず、ヘマンジオブラスト活性を持たないが、胎仔型赤芽球コロニー(EryP)は作り、胎仔型造血能を示す。また、RT-PCRでRunx-1、Gata-2、Scl、Brachyury、Flk-1の発現がCD41(+) c-Kit(+)細胞分画で認められた。これらの結果より、この細胞分画が出現することで、ヘマンジオブラストから胎仔型造血および成体型造血の前駆細胞へと分化する初期段階の細胞が分かれるものと考えられた。ブラストコロニーは主にCD41(-) c-Kit(+)細胞分画で認められた。

4.EB6のCD41陽性細胞にHOXB4を過剰発現させてOP-9細胞と共培養するとc-Kit(+)、CD34(+)、CD41(+)、CD45(-)の細胞表面パターンを持つ細胞分画に分化して、移植によって長期骨髄再建能を示すことが示された。この細胞分画においてはHOXB4を発現させることでGata-2、Bmi-1の発現が維持される事が分かった。

5.ES細胞由来の造血幹細胞を移植したレシピエントマウスの骨髄を調べると、HOXB4を発現させたままでは移植細胞の殆どがGr-1 Mac-1陽性細胞であった。またLineage抗体陰性の細胞はレシピエント残存細胞と比較してc-Kit(+)、CD41(+)、CD45(-)細胞が多く認められた。さらにドキシサイクリンをレシピエントマウスに内服させてHOXB4の発現をin vivoで抑制すると、T細胞やB細胞が認められるようになるが、全体のキメリズムは減少した。これらの結果よりHOXB4の強制発現は長期骨髄再建能に必要であるが分化に対して影響を与えることが分かった。

 以上、本論文はマウスES細胞から造血幹細胞を分化誘導させる過程において、胚様体形成中に出現するc-Kit(+)、CD41(+)細胞分画に造血幹細胞の前段階の細胞が存在し、この細胞分画にHOXB4を過剰発現させ、OP-9細胞と共培養することで造血幹細胞に分化することを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、ES細胞から造血幹細胞へと分化誘導させる機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位に値するものと考えられる。

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