学位論文要旨



No 122535
著者(漢字) 山田,晋弥
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,シンヤ
標題(和) 新型インフルエンザウイルス出現のメカニズム : レセプター特異性の変化の重要性
標題(洋) THE MECHANISM BY WHICH PANDEMIC INFLUENZA A VIRUSES EMERGE : The importance of receptor specificity
報告番号 122535
報告番号 甲22535
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2831号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 俣野,哲朗
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 助教授 川口,寧
 東京大学 講師 渡邊,洋一
内容要旨 要旨を表示する

 インフルエンザウイルスはその内部蛋白質の抗原性からA,B,およびC型に分類される。この中で、A型インフルエンザウイルスは、ヒト以外の様々な動物からも分離され、粒子表面の2つの糖蛋白質であるヘマグルチニン(HA)とノイラミニダーゼ(NA)の抗原性の違いにより、HAはH1〜H16、NAはN1〜N9の亜型に分類されている。HAは、宿主細胞にあるレセプター(シアル酸を末端にもつ糖タンパクや糖脂質)と結合することで、感染の開始に関与する。NAは、子孫ウイルスが細胞から放出される際に、細胞表面にあるシアル酸を除去することで、効率のよい粒子放出に関与する。

 野生のカモなどの水禽にはすべての亜型のインフルエンザウイルスが存在するため、水禽が、インフルエンザウイルスの自然宿主と考えられている。水禽で無症状のまま保持されているウイルスが糞とともに排出され、時折、家禽や哺乳動物などに伝播することがあるが、多くの場合は大きな流行には至らない。新しい宿主で効率よく伝播するためには、新しい宿主に適応したレセプター特異性を獲得する必要がある。例えば、ヒトのインフルエンザウイルスは、ガラクトースにα2,6結合したシアル酸(SAα2,6Gal)を主に認識するのに対し、トリのウイルスは、α2,3結合したシアル酸(SAα2,3Gal)を主に認識する。その違いが、宿主域を大きく左右する。実際に、カモのウイルスはヒトで効率よくは増殖できず、ヒトのインフルエンザウイルスもカモで効率よく増殖することができない。したがって、鳥由来のウイルスがヒトで効率よく伝播するためには、まず、ヒト型レセプターを認識する変異を獲得することが重要であると考えられる。もし新型ウイルスが出現し大流行すると、多大な被害をだす可能性がある。毎年流行しているH1N1とH3N2ウイルスも、出現当初、人類はこれらウイルスに対し免疫学的にナイーブであったため、パンデミック(世界的大流行)を引き起こし、多大な犠牲がでた。それぞれ、1918年のスペイン風邪(H1N1ウイルス)と1968年の香港風邪(H3N2ウイルス)として出現し、スペイン風邪では、世界中で約2000〜4000万人もの命が奪われた。

 鳥のインフルエンザウイルスが、ヒト型レセプターを認識できるようになるメカニズムとしては、両ウイルスのレセプターを有するブタが中間宿主として働き、ブタで増殖を繰り返すうちに、ヒト型のレセプター特異性を獲得するという仮説が提唱されてきた。しかし、近年、ウズラなどの家禽から分離された鳥インフルエンザウイルスの中にはヒト型のレセプター特異性を持つウイルスが存在することが報告された。これにより、家禽においても鳥ウイルスがヒト型レセプターを認識するように変化することが示唆され、パンデミックウイルスの創生にはブタのみならずウズラなどの家禽も関与する可能性が示された。

 一方、近年、ヒトに感染したH5N1インフルエンザウイルスは、主にトリ型のレセプター特異性を保持しており、α2,3結合したシアル酸を介して感染が成立した可能性が示唆されてきた。我々の研究により、ヒトの肺胞などにも鳥型レセプターが存在し、鳥由来のH5N1ウイルスが、ヒトの肺胞などから感染しうることが判明した。幸い、ヒトで効率よく伝播するH5N1ウイルスは、未だ出現していないが、年々、ヒトへの感染例は増加しており、ヒトで効率よく伝播する新型ウイルスの出現する可能性が高まっている。

 以上の観点から、1)インフルエンザウイルスが水禽からヒトへと宿主域を変化させる際に家禽が中間宿主となりうるか否かを解明すること、及び、2)どのようなメカニズムでレセプター特異性を鳥型からヒト型にシフトさせるかを解明することは、今後、パンデミックウイルス出現の事前策を講じる上で重要であると考えられる。私は、上記1)2)に関する知見を得ることを目的とし、ウズラが中間宿主として働きうるか否かを解析し(chapter I)、また、どのような変異が生じた場合に、H5N1インフルエンザウイルスがヒト型レセプターを認識するようになるのかを解析した(chapter II)。

 Chapter I;  Adaptation of duck influenza A virus in quail

(カモ由来A型インフルエンザウイルスのウズラにおける適応)

 カモ由来ウイルスをウズラで継代し、分離ウイルスのHAのレセプター特異性、NAのシアリダーゼ活性の解析およびHA、NAのアミノ酸変異に関する解析を行った。更に、ヒト呼吸器組織片への感染実験を行い、親株と継代ウイルスの感染性の変化を解析した。カモインフルエンザウイルスをウズラで継代し、鼻、気管、肺、直腸より分離した各ウイルスの増殖性を調べたところ、当初はあまり増殖しなかったが、継代を繰り返すうちによく増殖するようになった。特に気管にて高い増殖性を示すようになったが、これは自然界でウズラのインフルエンザウイルスがウズラでよく増殖する部位と一致しており、ウイルスがウズラに適応したものと考えられる。アミノ酸配列を比較したところ、HAでは主にレセプター結合部位や宿主細胞との膜融合に関する部位にアミノ酸置換が起きていた。その中で、HAのレセプター結合親和性に影響すると思われる144番目と188番目のアミノ酸が、カモには見られないが、ヒトの分離株では多数見られるアミノ酸に早い段階で置換されていた。行った実験系においては、10回及び19回継代ウイルスのHAのレセプター特異性の顕著な変化は見出せなかったが、リバースジェネティクス(プラスミドから人工的にウイルスを作製する方法)により作製した19回継代ウイルスのHAとNAを有するウイルスは、親株のHAとNAを有するウイルスに比べ、鶏初代培養細胞およびMDCK(イヌ腎臓由来)細胞における増殖性が上がっていることがわかり、ウズラは野生のカモから鶏や哺乳動物への感染の中で中間宿主となりうる可能性が示唆された。更に、ヒト呼吸器組織片に親株、および19回継代ウイルスを感染させたところ、親株はSAα2,3Galの多く存在する肺胞のみで増殖したが、19回継代ウイルスは、より上部にあり、主にSAα2,6Galのみ存在するヒト気管支においても感染、増殖することがわかった。レセプター結合実験では検出できなかったもののSAα2,6Galを認識する変化がおきていたものと推測された。また、NAではstalk部位の2箇所にて段階的な欠損が起きており、赤血球を用いた結合および遊離実験によりNAの機能が減少していることがわかった。我々は、過去にHAのレセプター結合親和性の変化に対して、NAのstalkの長さが変わることでNAの機能が調節され、HAとNAのバランスを保つことがウイルスの効率的な増殖に重要であることを報告しているが、本研究におけるNAの欠損も、HAのレセプター結合親和性の変化に対応し、生じたものと推測された。また、この欠損は野生のカモの分離株では見られないが、家禽に適応した株やヒト由来ウイルスで多く確認される変異であり、今回初めて、カモのウイルスが家禽に適応する過程でNAのstalk部分に欠損が生じることを実証することができた。これらの変異はカモのウイルスが宿主域の壁を越えるために獲得したものと考えられ、HAとNAの相互作用が、ウイルスの宿主域に関与する宿主細胞への吸着や宿主細胞からの子孫ウイルスの放出などに影響を与えている可能性が示唆された。

 以上より、ウズラは野生のカモと家禽やヒトの間に存在する宿主域の壁を越えるための中間宿主となりうる可能性が強く示唆された。

Chapter II; Hemagglutinin mutations responsible for binding to human-type receptors in H5N1 influenza A viruses

 (H5N1インフルエンザウイルスのヘマグルチニンがヒト型レセプターを認識するのに必要なアミノ酸変異)

 我々は、どのような変異を獲得したときにH5N1鳥インフルエンザウイルスが、ヒト型レセプターを認識するようになるのか、その分子メカニズムの解明を目的とし、2004年から2005年にかけてタイやベトナムでヒトから分離されたH5N1インフルエンザウイルス、および、インフルエンザのゲノムに関するデータベースに登録された塩基配列を基にプラスミドを作製し、リバースジェネティクス法により作製したウイルス、合計21株のヒト由来H5N1インフルエンザウイルスのレセプター特異性の解析を行った。

 同時に解析した鳥分離ウイルス5株は、鳥型のレセプターのみを認識したのに対し、ヒト由来ウイルスは、数株が鳥型のレセプターのみならずヒト型のレセプターも認識した。中でも、3株が顕著なSAα2,6Galへの親和性を示し、2株については、Q192R、G139R、N182Kが、大きく関与していることがわかった。残りの1株については、N193Kが若干の結合を示したが、単独で顕著にヒト型レセプターの認識に関与する変異はなく、複数の変異の集積によりSAα2,6Galと結合できるようになっていることがわかった。

 現在、H5N1インフルエンザウイルスは、系統学的に3つの分岐群(clade)に分類されている。解析を行った上述のウイルスは、clade1に属しており、2005年〜2006年にかけて中国や、インドネシアで流行した株や、中東やアフリカ、欧州にまで拡散した株はclade2に属する。そこで、上述の変異(Q192R,N182K,G139R,N193K)が、clade2に属する株でも同様にSAα2,6Galの認識に重要であるか否か解析を行ったところ、Q192R、N193Kの変異は、SAα2,6Gal結合を増加させたが、N182K、G139Rは、SAα2,6Gal結合の増加には影響を与えなかった。しかしながら、N182Kの変異は両cladeのウイルス共に、SAα2,3Galへの親和性を低下させた。なお、N182KまたはQ192Rを有する株は、それぞれ、2006年にアゼルバイジャンおよびイラクにて分離されている。

 更に、レセプター結合における上記変異の関与について共同研究者とともにin silico構造解析を行った結果、N182K,Q192Rに関しては、水素結合によりヒト型レセプターとの親和性を高めている可能性が示唆された。

 以上より、182番目や192番目のアミノ酸変異が、レセプター認識のヒト型へのシフトに大きく関与しうることが示された。この知見は、パンデミックウイルス出現に対する事前策を講じるうえで、分離株のリスク評価を行うための分子マーカーとなると考えられ、今後、新型ウイルスの出現を監視する上で、重要といえる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、世界的な大流行(パンデミック)を起こしうる新型インフルエンザウイルス出現のメカニズムに関する解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

第1章

 1. インフルエンザウイルスのレセプターとして重要なシアル酸の分布をウズラの組織で調べたところ、呼吸器の組織には、トリ型レセプターのみならず、ヒトのインフルエンザウイルスが主に認識するヒト型のレセプターが豊富に存在していることが明らかになった。

 2. ウズラで、トリ型レセプターしか認識しないカモのウイルスを継代したところ、ウイルス膜表面の2つの糖蛋白質であるヘマグルチニン(HA)とノイラミニダーゼ(NA)にて、経時的な変異が確認された。NAで生じた変異は、カモのウイルスにはあまり見られず、家禽やヒトのウイルスで見られる変異として知られていたものであったが、今回、経時的な解析により実際に家禽への適応過程で起こりうることが実証された。

 3. HA遺伝子のレセプター結合部位周辺に生じていた変異は、カモなどのウイルスには見られないが、ヒトのウイルスに多くみられるものであり、ウズラに適応することでヒト型のレセプターを認識できるようになっている可能性が示された。

 4. 行ったレセプター結合試験においては、ウズラに適応したウイルスがヒト型レセプターを認識できるように変化しているといった結果は得られなかったが、ヒト組織への感染実験を行ったところ、ヒト型のレセプターしか存在しない気管支において感染できるように変化していた。

 以上より、インフルエンザウイルスの自然宿主である水禽からヒト社会に入り込む過程で、ウズラに適応することで、ヒトに感染しやすい変化を獲得しうる可能性が強く示唆された。

第2章

 1. トリから分離されたH5N1インフルエンザウイルスは、トリ型レセプターのみ認識したのに対し、ヒト由来ウイルスは、解析した21株中、数株がヒト型レセプターを認識できるようになっていることが明らかになった。

 2. とりわけ、ヒト型レセプターと高い結合親和性を示した3株において、ヒト型レセプターの認識に関与するHA遺伝子における変異を同定した。

 3. 同定したアミノ酸変異を異なる分岐群(クレード)のH5N1ウイルスのHA遺伝子に導入し、同様にヒト型レセプター認識に関与しうるか否か解析したところ、192番目のアミノ酸変異は、共通してヒト型レセプターの認識に関与した。また、182番目のアミノ酸変異は、共通して、トリ型のレセプターとの結合親和性を減少させることが明らかになった。

 4. 同定したアミノ酸について、In silico における構造解析を行ったところ、HA蛋白質の182番目がリジン、または192番目がアルギニンである場合、レセプター分子と水素結合を形成し、結合親和性を向上させている可能性が示された。以上から、182番目と192番目のアミノ酸変異は、H5N1トリインフルエンザウイルスのヒト型レセプターの認識において重要である可能性が示された。これにより、今後、分離されるH5N1インフルエンザウイルスのリスク評価をする際の、分子マーカーになりうるものと考えられる。

 以上、本論文はトリのインフルエンザウイルスがヒト社会に入り込む経路において、ウズラが中間宿主として働きうることを示し、更に、H5N1インフルエンザウイルスのヒト型レセプター認識に重要なアミノ酸変異を同定した。これらの知見は、パンデミックを起こしうる新型インフルエンザウイルスの出現の予測と予防に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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